二、
とはいうものの、と向日葵はダイアリーからペンを離して背もたれに身を任せた。
「恋人って、なんなんだ」
回転椅子。つい最近、父親から机と一緒に設けられた。パソコンも置かれている。
「やっと、らしくなってきた」
小説家、厳しい世界なのは百も承知なんだ。と向日葵は厳しく自身に言い聞かせている。そうでなければ、筆というのはどんな形であれども簡単に壊れてしまうものだ。
また思考を戻して、真剣に考える。癖でキーボードに置かれた手を離す。その手の相をじっと見ていると果たして自分は南を幸せにできる女のだろうか、と不安になった。
切り替えが人よりできる身体になっていた向日葵。それは変わらないのだが、こうしてにわかに靄が掛かることがある。
通知音が鳴り、見てみると南からではなく佐藤からだった。アプリを開いてみると、どうでもよい内容だった。最近肉まんが美味しい。向日葵はよかったねと返して通知を切った。
「考えるな、今は執筆だ」
そう今は、とキーボードを打つ作業に念を入れた。
コーヒーを淹れに台所へと出る。眠気まなこな目を擦りながら、スリッパで歩いていく。書斎からでるとまるで違う世界の橋を通っている感覚がする。向日葵にとって書斎は世間から隔離されなければいけない場所であった。一息、向日葵はポットのボタンを押した。
だがコーヒーを飲んでもその靄は再び立ち込める。眉をしかめて、物思いに老け込んだ。
気付けば深夜の一時。明日は学校に行かなければいけない。顔を振って私情を持ち込むなと自分を叱る。書斎から出た。
学校にいる間は良きパートナーだった。空き教室で二人きり、何も言わずにただ目が合うと微笑んでくれる。日々感じる殺伐としたこの環境の中で、包み込まれるからだ。その手を握る。
「ん、どうした? 」
冷静だな、と向日葵は複雑になりながらもその大きさと温かさに目を細める。理性など慌ただしい日々の中で捨ててしまった。彼女はただ感情のみで動かされていた。
「可愛いな」
との甘い言葉は聞こえないようにして、胸の痛みを補う。南が頭を撫でると、猫のように擦り寄って満足するとまた手元の小説を読んでいた。南も小説の世界に入っていった。
帰宅、南は玄関前で向日葵を呼び求めた。向日葵は振り返る。
「俺たち、付き合ってるんだよな? 」
南の顔はとても苦しげな顔で、向日葵までどこか胸がひしめいた。
「付き合ってるよ」
「うん、知ってた。なんでもない、またな」
南は手を振り、その場を後にした。
その揺れる背中を見送ったあと、向日葵は門をとじた。
閉じた後も、向日葵は最後の言葉が忘れられないでいた。無論、向日葵の頭の中に南がいないはずがなかった。
「どうしたもんか」
と不安が襲う。以前向日葵はアンに言われたことがある。恋愛に不安はつきもの。じゃあしない方がいいとその時思った。だが、恋とは感情だ。感情というのは常に前頭にいる。感情を補うことがあっても防ぐことはできない。
回転椅子上、スクリーンに自分の顔が映る。キーボードを適当に押して平仮名の「は」を三度打った。それをまた消して、作品を書き始める。だが今までに来なかった苦しいような幸せかのようなそんなものが頭を覆い尽くしてしまうようになった。
恋愛なんて、と頭にその先がよぎる。不思議にも何故か嫌だと思った。ならどうすれば良いんだ、向日葵は半ば苛々が募った。
「あー、だめだだめだ」
書斎を歩き回っていると、ドアに備えた小さな戸から猫が入ってくる。
「ねぇ、ごましお」
名前を呼ぶと向日葵の膝の上にのっかり、鼻を合わせた。頭を撫でると、擦り寄ってくる。
「恋愛って、厄介だな」
ごましおは、いつもの体だった。カレンダーを見て、その斜線が締め切りまで追い込んでいるのを見て焦燥感が募る。
「いや、そもそも。そもそも、南にこんな感情抱きたくないんだ」
未だに顔は頭から離れないけど、それが帰って邪魔にもなっている。邪魔なんて思いたくないのに。
と向日葵はため息をついた。でも、とディスプレイを見た。
「手放したいとも思わない」
そこから、また指を動かした。これだから自己完結主義って呼ばれるんだ、けど変えられない。窓の向こうは暗く、月が灯っていた。机の隅に追われたデジタル時計が日付を変えた。




