十一
トンネルは暗く冷たい。向日葵がいつもいた橋の下で。高校一年生の冬。体を震わせながら涙を流していた。
体が発達する途中であった俺は、自分の胸を剥ぎ下ろしたいくらいに煤けて汚れていた。自分の胸が憎くて、仕方なかった。心が男で、体は女。ただそれだけのことなのに世間の目は冷たく、無慈悲だ。好きになった男達は幸いかな、恋愛対象は男ということもあって皆受け入れてくれたが。
そこまで思いを巡らせて、橘美樹はジーンズを握りしめた。
「なぜ俺は男に生まれてこなかったのだろう」
常に電車の行き交いは絶えない。その言葉は掻き消されてしまった。
受け入れてくれたが、俺のこの自分を呼ぶ呼称は彼等は気に入ってくれなかった。だんだんと、俺の仕草行動に苛つきを覚えたらしい。何人か付き合った経験はあったが、仕舞いにはもっと女の子らしくしろ、しろって。
めっきり寒くなった初冬。彼女の首を風が霞む。でも、と目を穏やかにして息を吸った。
「蓮は、言ってくれた。別にいいんじゃないって」
一つ、冷たいものが落ちて次から次へと降り注いだ。その粒達が少しずつ量を増して降り注いでくる。地面を砕いた。
家に戻ると、テーブルの上には空の皿が置いてあった。彼女は仕方ないなと、微笑して皿を片し、シャワー浴びて浴室から出てくるとふと悲しくなった。
「なぜ蓮に愛されないんだよ」
鏡に、自分の裸が映った。その胸をみて彼女はその胸のひしめきに手のひらを握りしめた。その頭に浮かぶのは、自分によく懐いた向日葵の姿だった。
「ごめんな、向日葵。俺はそんなに魅力的なやつじゃないんだ。むしろ・・・・・・」
こんな醜いんだな、と自嘲した。なら、愛されないやと寝転がる。ライトがその周りだけを仄かに灯す中で、美樹は、でもいいんだ。愛されなくても、いいんだ。愛せるだけで、それで。そうして眠りについた。
翌日に向日葵は、土手を淡々と歩いていた。赤いチェックのスカートは高校の制服で女子生徒は皆、短くしていたが向日葵はそれが嫌で地味に履いていた。それも評判が良かった。
「何にも面白くない。あの猿ども」
下校時の一人歩きで、愚痴が溢れてしまう彼女はその目先にいた小さな影を追いかけた。その影はゆっくりと淡々に浮遊して、そこへ消えた。その場所は向日葵が荒れていた当時の公園だった。公園の、大きなトンネルだった。
向日葵は目を見開いて、駆けった。
「馬鹿野郎」
その袋を奪い取り、美樹を睨みつけた。
「こん畜生だ、こん畜生」
美樹はしばらく呆気に取られていたが、かさついた唇を食いしばるように笑った。向日葵はその真意を分かりきっていた。
「ダサい、めちゃクソダサい、今時アンパンなんて」
美樹はその袋を見つめて、しばらくして大声で笑った。一頻り笑い終えて、犬でも撫でるように向日葵の頭に手を当てる。
「こんなとこで何してんだよ」
「こっちのセリフだ、風邪を引く早く帰れ馬鹿野郎」
美樹の持っているのはシンナーが含まれたものだった。アンパンか、と美樹はその袋を見つめて、我に帰りその姿をまじまじと見た。
「向日葵って、そんなに可愛かったんだな」
そういうと、照れたような顔をして悲しげに笑った。
「私のキャラじゃない」向日葵はその隣に座り、美樹にくっついた。私のキャラじゃない、か。と何かに照らし合わせて、「寒いもんな」と彼女を引き寄せた。
あんな彼氏、捨てちゃえ。と向日葵はいえなかった。恐らく生きているうちに何遍も言われてるから、それに効果がないなら自分の言葉もそうに違いないと向日葵は関係ないことを、探しながら話していた。震える声で美樹はその名前を呼ぶ。「俺はお前が憎い」と半ば叫んだ。向日葵も目を見張るが、けれども落ち着いた様子でその目を見ながら大事に言った。
「私も、あんたが憎い。あの日のこと、私は悲嘆に暮れた。その上、ああやって顔を背けられた」
憎いよ、と向日葵はトンネルから顔を出した。あら虹だと指をさす。にわか雨だったのか、と向日葵は一息ついた。
「帰ろう、送っていく」
その言葉は向日葵のものだった。




