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ひまわり  作者: 雪之都鳥
第三章
32/65

五、

 向日葵は赤いソファを見た。相変わらずボロボロだ。おもむろに猫の顔の黒のリュックを地べたに置き、その中からシートを出した。赤いその質感の良いシートはふんわりとソファに載った。

「あれは無理してるだろうねぇ」

 向日葵は言う。「だろうなぁ」と南は何もせずに寝転んだ。

 南は冷静に雲の一つ一つを観察しながら、真面目な顔をして言った。

「向日葵も、変わったよ。もちろん良い意味で」

 向日葵は同じように空を仰いだ。刻々と近づく冬の到来に、手を冷やしていた。足もいくらか冷たい。

 変わったと思う、といいながら何がだろうと後ろを振り向いた。

「なんで」

「前は俺と会話なんかしなかっただろ」

あれ、と笑いながらもうすぐ夕暮れだなと向日葵が言うと南もそうだなと言う。

 向日葵の目が曇った。こんなことをしてる間にも、あの女はあの男と楽しんでいるのだろうか。それも曖昧な答えしか出てこない。

「アンはさ、尽くすタイプなんだよ」

その言葉に向日葵はすぐに同意をしめしたが、そんなに単純な話でもないと言った。なぜアンがあんな紐に一生懸命になるのか。そこには向日葵にしかわからないような、理解しようとするものにしか、理解できないものが、あった。

「まぁ、人はみんなどこかおかしなもんだよ」

「あら、そうね」

 二人は敢えてその言葉遣いをして、自分達で笑った。これも文学的な人にしかわからない言葉の綾だった。向日葵は寝転がり、目を瞑った。小さな風が吹き、その肌をかすめて彼女は寒がった。

 じゃあ、帰るぞと南は言った。どこか厳しい眼差しだった。向日葵はおずおず立ち上がり、あの二人のように冬の到来を背中に負った。

 


 翌日。また、土砂降りの雨だった。向日葵は傘を持ち、歩いていた。土手をいつものように地面を大事に歩く。雨一つ一つがあまりにも懐かしく思えて向日葵はトンネルに入り座った。先客がいるようだった、顔も姿もあまり見えない。

「どうですか、一人は」

ほほ笑みながら、向日葵はカバンの中から本を持ち出した。太宰治のさよなら短編集。

 先客からはなんの応答もない。ひまりはそれでも「たまには雨もいいですよね」と。

 ただ雨は強く、地面を砕いて静かに降り注いでいた。雨の音は落ち着くものだ、と向日葵は言う。「それから、私たちに寄り添ってくれるんだ。そう、孤独な私たちをね」と。

 そこで初めて彼女の顔を見た。俯き加減に向日葵を見てアンは笑顔を見せた。「元気になったもんだなぁ 」まさか俺が慰められるとはなぁ。アンは寒さに震える腕を寄せて、寒い寒いとさすった。向日葵は泣きたい気持ちでアンを抱きしめた。

「なんで泣いてる」

 とアンの背中に腕を回した。

「なんで蓮は俺を愛してくれないんだ 」

 アンは大人しく向日葵の背中に腕を回した。少し洒落た匂いがした。

「向日葵、香水つけてんのか」

「つけてる、この匂い落ち着くんだ」向日葵は笑った。アンも笑った。

 特別二人が笑うのは面白さから来るものでもなければ情けがあるわけでもなかった。ただ冷たい雨の中で人の嫌なところを、慰めるだけだった。

 雨が上がれば二人は何事もなかったように立ち上がり、寄り添いながら夜道を歩いた。暗い商店街を歩いた。閑静な時間だった。月明かりだけが二人を照らしていた。濡れた公園を歩いて向日葵家に近い車道に出た。

「ほら、綺麗だ」

 アンは雨に降られた、よく整備された車道を見た。車道には信号の色が溢れていた。水溜りには赤や青が反射して混ざっていた。

 それがアンの琴線に触れた。本当だといいながらガードレールにまで近づく。アンは初めて向日葵のことを知った気がした。

「感性豊かなんだなぁ」

「感性」

 実は向日葵は感性で片付けられるのが悲しかった。だれかに素直に綺麗だと言われたかった。

 アンはとても彼女を繊細だととうに知っていた。だがその傍らでとても綺麗なガラス玉を待つことに時折怯えた。触れて、それを傷付けたくなかった。そしてついに言えたのが「感性」だった。

「帰るか」

 諦めたようにそうアンは口にした。

「帰ろう、まっすぐね」

 念を押して彼女たちは別れた。



 不貞寝をするかのように向日葵はベッドに倒れた。黒のパーカーには、女臭い良い匂いが、ほのかに香った。ため息を少しばかり、台所から汲んできたコーヒーに砂糖を入れて舐めた。

「甘い」

 そのコーヒーは甘過ぎたが、それを机に置きカバンからその本を出して開いた。その小説は小さい頃初めて読んだ。そしてその作者を好きになった。この作者はいかにも正直だ。その一つ一つの言葉に彼女はいまだに感銘を受ける。二度も三度も読む方ではなかったけれども、本日この本を読みたいとふと思ったのだ。

 自分は皮肉屋だと思っている向日葵だがこの作者のこの本を読むと自分が正直者かもしれないとおもえるのだ。

 向日葵は南から見せてもらったセクシャリティを思い出していた。セクシャリティ、かと天井を見ながら手を壁に伸ばして消灯する。デジタル時計のライトにまだ早いと言われている気がして笑った。だってやることねーんだもん、と。

 しかし、と我に帰ると電気をつけてノートパソコンを開いた。久しぶりに見た画面だった。急いでツールを開き文章を打ち込もうとする。変な汗が出る。言葉が思い浮かばない。いやどうしたもんか、とまたベッドに潜り込んで目を閉じた。

 


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