二十一、
それから向日葵は柄が良いとはいえない者たちと馴れ合うようになっていた。授業もまともに受けずにいた。
もちろん両親にも話は行き届いた。母は向日葵が帰ってくるたびにヒステリックを起こして向日葵をどうにかしようとしたが、激しい水の流れに荒削りされた石が丸くなることはなかった。
ある時に彼女は家に帰り、珍しく居間に入った。そして騒がしい液晶画面の向こう側を見つめた。バラエティは彼女の目には楽しそうに映らなかった。丁度襖が開き、鈍い足音が聞こえた。
「あぁ、居たのか」
父親は少し珍しそうに液晶と彼女を交互に見たが何も言わずにテーブルの前に腰を下ろした。貴方は私に興味がないんですね、その言葉を呑み込んで向日葵は居間を後にした。
深夜一時を周ると、人知れず彼女は家を抜け出し土手を過ぎたある公園に訪れる。深夜だと言うのにそこは賑やかだった。
「お、きたきた向日葵」
マスクをつけ、下着が見えるのも一切気にせず蹲み込んだ女が手で彼女を招いた。彼女はその手からタバコを貰い、火をつけた。
「よく親、止めないよな」
笑いながら、女はそう言う。向日葵も笑って煙を吐き出す。最初の頃はむせていた向日葵もだいぶ慣れて、スモーカーとはなにも変わらなかった。
不良達はなにが楽しいのだろうか、猿みたいに盛り上がっている。それを傍目に彼女は静かに冷たい土管のトンネルに寄り掛かっていた。男たちは菓子を広げ、寛ぎながら時折女達の太ももやボタンの外れたシャツの奥を見ている。
向日葵は目を細め、感傷に浸っていた。その光景が彼女には良き痛みと変わっていたのだ。
向日葵はトンネルの外に手を出した。タバコの炭は、その指が起こす一度の振動で下に落ちる。
「虚しい」
向日葵は自室でそう言葉を吐露した。久しぶりにベッドメイキングをして、物置と化したドレッサーの上も片した。それでも、彼女の心の虚しさは取れなかった。否。
「虚しい方が、まだ楽なんだ。私は」
朝起きると、自分の髪がシーツに何片か落ちていた。金色の中に、黒いのが何本か落ちていたことに彼女は気付いた。
「また、染めなきゃな」
休日だった。向日葵はまだ眠さが残る頭で台所に行き、牛乳をコップに注いだ。窓からの灯りが眩しかった。窓の枠に置かれた洗剤はその光に黄色や緑に透けてステンドグラスのようだった。
当たり前かのように、二人はそう遇した。向日葵は台所に入ってきた母を見る。母親は彼女が視界に入っていないかのように、皿を洗い始めた。向日葵はそれを横目に、コップの中の牛乳を飲み干して去り際に胸の奥で笑った。腹が空いた、と。
親子の会話はもう絶え切っていた。向日葵が父親専用の灰皿にタバコを擦り付けてるのを見て黙って奪い取り、箱の中を生ゴミの入ったゴミ箱に捨てた。それをみて、彼女は毎回泣きそうになるのを堪えていた。日暮家では生ゴミと比較的綺麗なゴミを分けている。比較的綺麗な方には紙屑しか入っていない。母親が生ゴミに入れるのはその為だと、彼女は理解していたのだ。
それでも、彼女の喫煙はエスカレートするばかりか非行は激しくなっていた。不良達は向日葵が日々荒れていくのを楽しく思っていた。
「向日葵、バイク乗んね? 」
或日、そう誘われ向日葵は頷いた。今までも誘われたことがあった彼女だったが頷いたことは一度もなかった。だが何かを胸に抱きながら、その後ろ座席に跨いだ。
「向日葵、今のお前最高にかっこいいよ」
長いアッシュグレーの女は言った。肌寒くなってきた頃ごろ、スカジャンはひんやりとしていた。なぜか、アンの顔が思い浮かんだ。アンは自分に悪いことを教えたことはなかった、そんなことをぼやいた。
「いや彼だ。彼は私の目をやけに心配していた」
その声は肌を強く掠める風に攫われて、前に乗る女も横を並ぶ不良達の耳にも入ることはなかった。向日葵は空を仰いだ。深海のような深い深い遥かな空はやけに澄んで見えた。「向日葵の目はとても綺麗だ」そうアンはいつかの日に彼女に言った。散々言われてきた言葉だが、あんなに向日葵の心に滲みた声はなかった。居心地の良い重みだった。
バイクに乗っている最中彼女は心中に、ある事を認めていた。「私は、ほんとうは興味をひいて欲しいんだ」その心は口に出ていた。
小さい頃から、何をしても母親が喜んだことはなかった。テストが百点だった日も、母親は笑わなかった。それがなに、もっと勉強を頑張りなさい。そう言われてしまった。ようやく、彼女は泣いた。涙は風に飛ばされてしまったが、心には静かに涙の雨が降り注いだ。だから、ほんとうは嬉しかった。と彼女は、嗚咽を堪えた。母親が朝、タバコを生ゴミの捨て箱に入れた事が彼女は嬉しかったのだ。もしかしたら近所の目を気にしてかもしれないが、向日葵はそのような現実を見たくはなかったのだ。




