一、
翌日のことだった。
「お邪魔してます」
宮田あおは向日葵を見て、“てへ”とでも言いそうな顔をした。「よっ」と向日葵が手でジェスチャーをすると、宮田は苦笑して横に目を一度逸らした。そこには向日葵の母が、笑っていた。“引きつっている”と向日葵は感じた。
厳しい、と近所でも有名な母親だ。親は子供に、子供は親にとの一例だろうか。それが向日葵の将来にも当たるかどうかはわからない。だが、母親の子供の頃の環境は向日葵の周りに驚くほど似ていた。母親は何かの概念で、向日葵を躾けていた。
「宮田、どうしたのこんな真っ昼間に」
宮田が案内されたこの部屋は、玄関から入り横の廊下を曲がった突き当たりにある客間だった。
母親はまだ盤踞している。宮田が小刻みに目配せをさてようやく、母親は礼をして立ち上がった。
二人になると宮田は心底安堵したように、お茶を飲んだ。
「いやぁ、遊びに来ただけなんですけどねぇ」
「それにしても珍しい」
「いや、ほら。あまり来ると、お母様が・・・」
それもそうだ、と向日葵は腕組みをして頷いた。母親が居座っている時の、あの張り巡らせた尋常ではない緊張感はさほどではないからだ。
「最近は何してるの? 」
「最近はね、学校の前に通る車の数を数えてるよ」
ああ、そうか。と向日葵はようやく昨日夏休みに入ったことを思い出した。
「・・・車の数? 」
「うん、車の数を数えるんだ」
「それで、どうするの? 」
宮田は膨らんだリュックから、分厚い図鑑を取り出した。そこには種々諸々の車両が載っていた。
「どんな車が夏休みの間スクールゾーンを通るのかを測定して、それを夏休みの課題として提出する」
ほう、と向日葵は“やっぱり変わったやつ”と声には出さなかった。
日暮家のある地域は道路整備が盛んに行われていて、都会にしては空気も澄んでいるように思われる。治安もそこそこ良く、向日葵は好きだった。午後七時ごろ、向日葵は街灯の並ぶ真っ直ぐな歩道を歩いていた。少々一人で歩くには遅いが、真夏の昼間に散歩するのは気が向かなかった。秋や冬にはむしろ昼間を歩くのだが。
日暮家の前は横に続く道路に面していて、左に歩いていくと大きな舗道に出る。向日葵はそこを歩いていた。
雨上がりだった。向日葵は雨が好きで、雨上がりにはよく散歩をしている。
「・・・・・綺麗」
と、向日葵は立ち止まった。濡れたアスファルトに絵の具を垂らしたように信号機の赤や青が入り混じっている。
向日葵はその空気を思う存分吸い込んで、肩の力を抜いた。
「お、ひまじゃん」
振り向くと、黒い髪の男子が立っていた。少し長めの髪は遊ばれている。顔は普通だが、その雰囲気には少し色気がある男子。南だった。
げっ、と向日葵はまた眉をしかめる。南はそれを見て、とうとう笑った。ツボに入ったようで、笑い止むのに少しの時間がかかった。そして、また寂しそうな顔になる。
「今日は、こんなとこで何してるの? 」
彼の手には、コンビニのものだと思われる小さな袋が握られていた。
「別に」
向日葵はそれで帰ろうとしたが、タイミングを逃した。
「散歩? 」
向日葵は渋々頷く。
「散歩か、似合うな」
南はそれから色々と向日葵に質問をした。それで、南は何をしたいのだろう、と向日葵は思った。自分のことを根掘り葉掘り聞いて何になるのだろうと。
あまりにも長くなりそうなので、向日葵は無言で立ち去ろうとする。南はそれを止めることはしなかった。ただ、去り際に「あまり遅くなるなよ」とそう言った。