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ファースト・キス

作者: たなちょ

自分の歌を、自分じゃない誰かに、歌ってほしかった。

その誰かの姿を借りて、こっそり、ありのままの自分を表現できたら、それでよかった。


ところが、彼女の一言で、俺は歌うたいになった。


自分の世界観を遠慮なく表現する場、周囲の期待と共感、それなりに充実した生活を、不自由と引き換えに手に入れた。


彼女には、この代償の責任をとってくれと言いたいくらいだか、歌うと決めたのは自分だ。今更どうにもならない。


正直なところ、一生歌うたいとして生きてくつもりか?という自問自答の答えはNOだ。自信がない。


友達は皆、口を開けば職場や家庭の文句ばっかりだが、それでも夢があったり、守るものがあったりで、苦労と引き換えに幸せを得ている。昔は思わなかったが、今は地味に憧れる。


結局のところ、俺は歌うたいという仮面をかぶり、他人を羨んでばかりのちっぽけな男に過ぎない。


「ふー、、、」

声にならないくらいのため息を吐き、ベッドに転がって携帯のアドレスをスクロールした。今までは、一人で家にいる時が一番落ち着いて過ごせた。なのに最近は少し違う。妙に誰かに会いたい。変化や刺激を求めているのか?


いやいや、待てよ。

誰かに会う??そもそも最近、誰と会った??

もうずっと、仕事関係の付き合いでしか出かけてない。そもそも自分から誘うなんて、どうやればいいかわからない。今の俺にはかなり高いハードルだ。


「フー、、、」

さっきより大きくため息をついて携帯を放り、寝返りを打った。見慣れた天井が俺を哀れんでいるように見えた。そのまま目を閉じて、どのくらい経ったのか、放った携帯が不意に鳴った。


転勤?海外??今から会いたい???


唐突すぎて意味がわからない話だったが、電話口では問い詰めず、ダルそうに「わかった。」と言った。


彼女に会うのは、久々だった。

初めて会ったのは、4年前。曲を持って、事務所を尋ねた時だった。俺の曲を聴いて、

「君が歌えば?」

と言ってのけた。今の俺のレールを敷いた人だ。


出会った頃、よく連れて行ってもらった店でだいぶ飲まされた。相変わらず、豪快な人だ。彼女のお陰で俺も、俺の人生もずいぶん変わったのに、彼女は何も変わらない。


かなり飲んだのに、今夜は酔えなかった。

気づいてる、自分でも。

ずっと、彼女が好きなんだ。

これだけは、変わってない。

どうにもできない、この気持ちが嫌なのに。


店を出て、いつも別れる場所まであと2分。別れる時は、いつも彼女が先に背を向ける。


「じゃあ、元気でね。」

ちょうど2分後、いつもの場所で、予想通りあっさり言われた。


彼女の変わらなさに、多少ムッとしつつ、気持ちを悟られないように、俺もあっさり返す。

「そっちも。」


いつもならこれで別れるのに、今夜は彼女が背を向けない。俺を見送ろうとしている。


おいおい、調子が狂うじゃないか。見送るつもりならやめてくれ。別れた後に振り向くとか振り向かないとか、駆け引きするのは苦手なんだ。


僅かな時間にそんなことを考えていたら、ついに彼女が「じゃあね。」と優しく手を振った。


ほら、最後は結局いつも通り、何も変わらない、、


俺は、、、


彼女の「バイバイ」した右手をつかみ引き寄せた。

力加減がわからず、勢いで俺の首筋に彼女の頬が柔らかく触れた。どうしたらいいかわからない、でも離れ方もわからない。


そっと顔を離して、彼女を見た。

彼女も俺を見た。


彼女が少し微笑んで、恥ずかしそうに目を閉じた。

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