戦記08
「エヴァ、無理しないでね。お祖父様によろしくね。」
「エヴァ姉様、無事に戻ってきてね。」
姉と弟に見送られてエヴァは出立する。
「ノエル、頼んだぞ。」
黒バラ騎士団の騎士達に激励を受けるノエルは不機嫌だった。馬車に簀巻きにされて積み込まれていたからだ。
「少しはこの状態でいる俺に何かないのか。」
顔を見合わせる騎士達。
「解放されたらどうされます、閣下。」
ホーウッドが代表として尋ねる。
「逃げるに決まってるだろ。火事場に油壺担いで突っ込むとかありえん。」
ノエルの言い種に全員が目を背ける。唯一、フローリだけがノエルを慰める。
「大丈夫ですよ。エヴァ様はお見舞いに行かれるだけですし。」
「ドレスの代わりに甲冑を積んで軍馬を同行させるやつが、何もしないわけが無いだろう。」
ノエルも単に駄々をこねているわけでは無い。からかい半分に帝国の夜会にはどんなドレスを着ていくのか尋ねたノエルは、甲冑を指差したエヴァに不吉なものを感じたのだ。
「麗しの姫君が帝国の赤耀の間で宣戦布告でもしてみろ、俺は間違いなく生きて帰れん。」
誰一人も否定せず、そのまま馬車の扉が閉められる。
「覚えてろ、貴様ら。」
非公式訪問のため壮行会も出発の儀も無い。エヴァを公家の者や側近達が、ノエルを騎士団とフローリがそれぞれ見送る。こうして馬車三台を騎士隊三十名で守る隊列が出発した。
早朝に出発した一行は途中でほとんど休憩を取らず、日も暮れた遅い時間にノイフォン城に到着する。
出迎えた城主フェルナンド伯爵は自分が属する第一公女派の重鎮から、エヴァの帝国訪問の目的を探るように言われていた。タイミングは会食での会話と考えていたフェルナンド伯爵にノエルは先手を打ち会見を申し込む。
執務室に現れたノエルの姿は小姓ではなく男爵としての正装で、フェルナンド伯爵には先ほど馬車で縛られていた人物とは思えないほどの変貌ぶりだった。
「フェルナンド伯爵にお伝えしなければならないことがあります。」
「人払いをさせてまでとは。」
挨拶もそこそこに、神妙な顔をするノエルにフェルナンド伯爵もつい引き込まれて声を落とす。
「無論、このたびの殿下の帝国行きについて。」
まさか第二公女側から切り出されるとは思っておらず、フェルナンド伯爵は知らずと息をのむ。
「表向きは先帝の見舞いとなっておりますが、真の目的は先帝無き後の帝国内戦についてです。」
「なんと。」
フェルナンド伯爵は半分演技、半分は驚きで声をあげる。
「殿下は公国が帝国の内戦に巻き込まれることを憂慮されております。そこで公国の介入を好ましくないと考えるエイロン殿下と意見の一致を受けてのこの話。」
ノエルの話にフェルナンド伯爵は疑問を投げかける。
「しかし、これは公国の外交政策の範疇では。」
エヴァにそのような政治的な権限は無く、フェルナンド伯爵の声には微量に非難が含まれている。
「無論、この件は公王陛下の意を受けてのこと。」
ノエルはそう言うと懐より短刀を見せる。巨大な宝石をつけた公家の紋章入りの短刀でノエルが正式な命を受けていることを意味する。だが公王陛下からの命だとするとフェルナンド伯爵の疑問は増す。
「なぜに公王陛下はこのような大事を会議にもかけずに。」
公王は独断を好まず、このような話では高官や有力貴族が出席する御前会議を開くことが常である。フェルナンド伯爵の問いに、ノエルはさらに声を落とし顔を近づけて答える。
「各派閥がこの機を利用しようとするのを懸念されておられるからです。」
ノエルの言葉にフェルナンド伯爵は言葉を詰まらせる。第一公女派も公子派も帝国を利用しようとするのは同じで、ただ第二公女派のみが帝国と常に距離を取ろうとしている。それはエヴァの帝国嫌いによるものだが。
「帝国は武断主義。それを嫌った先の公妃殿下は公国に嫁がれるさいに、帝国との縁を切ったと母から聞いております。」
フェルナンド伯爵はノエルの母である男爵夫人が先公妃と仲がよく、宮廷で太陽の美しさを持つ公妃と月を彷彿させる男爵夫人の話題が度々のぼったことを思い出した。
ノエル・フォン・ダロワイヨ。
あくまでエヴァ殿下の配下として捉えていたが、公家との繋がりは思いのほか強いのでは。
フェルナンド伯爵はノエルを見る目を変える必要があると考え始めた。
「ゆえに伯爵にお願いがあります。」
急に話が変わり伯爵は慌てたが、ノエルの依頼を聞いて驚くも承諾した。
「ノエル。どこに行っていた。」
ノエルが自室に戻るとエヴァが待っていた。
「ちょっと野暮用で。あ、これ返す。」
懐から取り出した短剣をエヴァに返すノエル。
「何に使ったんだ。」
「これ、結構切れ味がいいからな。」
「公家の短剣で何を切ったというのだ。」
言葉と裏腹にそれをほど気にしていないエヴァ。
「大事なのは外側だからな。」
あっさり答えるノエル。
エヴァは意味ありげにノエルを見るがそれについては言及せず、ただ今夜は騎士達と寝るように命じた。抗議するノエルにエヴァは笑いながら言う。
「どうせ一人にしたら逃げるだろう。それともまた簀巻きがいいのか。」
何か言おうとして止めたノエルは食事の知らせを告げに来た伯爵家の召使いに酒の注文をつけた。
飲まずにやってられるか。
ノエルはそう呟くとエヴァに続いて晩餐の会場へ向かった。
翌朝、フェルナンド伯爵の見送りと警護の騎兵二十騎をありがたく受けて一行は国境地帯を目指す。
国境地帯は双方が勢力範囲だと主張する地域だけに互いに兵を送りにくく、そのため盗賊団が跋扈する事が往々にある。この公国と帝国を繋ぐ街道も以前はそうであったが、帝国の掃討作戦でほぼ壊滅した。それでも危険は残るとして商隊や旅行団は警護のため人を雇う。もっとも騎兵五十騎の集団を襲う者もいないため、そちらは問題にされておらず、ノエルは政治的な理由で警戒していた。
ノエルは黒バラ騎士団の三十騎は手練れのみで編成させ、フェルナンド伯爵からの申し出も急ぐためと五十騎から二十騎にさせた。後は帝国側の動向しだいでこちらも斥候を放っているが打てる手も限られる。
「生き残るための手を打つのは疲れる。」
誰にも知られずこそこそ動くのは得意でも好きかどうかは別、などと考えつつもせっせと暗躍するノエルだった。
「伝令。」
先行して国境地帯を確認していた斥候が戻ってくる。
「迎えと思われます帝国軍騎馬隊を発見しました。」
「紋章は。」
「は、ローゼリオ侯爵旗と帝国軍正旗です。」
簀巻きの荷物から小姓へと出世したノエルがエヴァに報告する。
「予定通りローゼリオ侯爵が迎えに来ております。」
「うむ。では進むとしよう。」
ローゼリオ選帝侯イストリオ。
微妙な両国の関係の中で公国と隣接する領地を上手くまとめているエイロン皇子派の有力な諸侯。
立派な体躯と美しい髭のイストリオは馬から下りて、エヴァを出迎える。
「お初にお目にかかります公女殿下。エイロン殿下の命により帝都ハイバルトまで案内役を務めさせていただきます。」
貴婦人であれば馬車から出ることも無く扉越しに挨拶を受ける。だがエヴァは異なり、自ら扉を開けると馬車のステップに立つ。その行為に驚くも、軍装を身にまとう姿にまだ十代だが風格があると評価したイストリオはある事に気がついた。
あの御方の面影に。
「このような場所まで侯爵自らの出迎え痛み入る。わが身を預けるゆえよろしく頼む。」
エヴァの言葉にイストリオは礼をすると、騎士隊の指揮官に命じ馬車を囲むように隊列をしく。これにより役目を終えたフェルナンド伯爵から借受けた警護の二十騎は、エヴァの了承と労いを得てノイフォンに帰還する。国境地帯から中核都市のワールまで、イストリオは馬車に同席してエヴァの話相手を務めながら自らの城館まで案内した。
城館では侯爵夫人が一同で出迎える。侯爵夫人の挨拶と晩餐会の用意を伝えられたエヴァは快く申し出を受ける。エヴァは同行した黒バラ騎士団の騎士長に出席を命じると共に、他の騎士達に紛れて食堂に逃げようとするノエルを捕まえさせる。
「私のようなものが。」
貴族のくせに小姓のふりをするノエルをエヴァは問答無用で侯爵の前に引き出す。
「貴公が、かの有名なノエル卿か。」
「はい、有名かどうかは知りませんがノエル・フォン・ダロワイヨです。お見知りおきを。」
イストリオに話かけられノエルはしぶしぶ答える。
「すごい、公国の黒策士ダロワイヨ男爵だ。」
なんだそれ。
ノエルは変なあだ名に呆れながらも侯爵夫人の隣にいたイストリオの息子に軽く会釈をする。
「今、帝国ではノイフォンの戦いで活躍された黒バラ騎士団とノエル卿の話題で持ちきりでな。」
ノエルは微笑で誤魔化すが内心は頭を抱えた。
目立たぬどころではない。どうせ負けた帝国軍が敵を褒めることで自軍の敗北を美化するために噂を流しているのだろう。人気のない第三皇子を生贄にして。
「よ、よろしければ、戦いのお話を聞かせていただけないですか。」
目をきらきらさせてお願いするイストリオの息子にノエルは思わずエヴァを見る。
「侯爵がよければ話して差し上げろ。」
イストリオはエヴァに頭を下げる。
「後学のためにも是非お願いしたい。」
こうしてノエルは晩餐会に出席する羽目になり、脚色交じりにノイフォン戦記を披露するのであった。
ワールからは侯爵配下の五百騎に囲まれて、帝都へと向かう。侯爵の腹心らしき人物が案内しているためか、そこから先は順調に進む。公都を出立して十日あまりの旅で帝都についた一行は、そのままマグオリンが手配した屋敷に入る。
「主より書状を預かっております。」
執事から受け取ったマグオリン直筆の書状は、このような待遇についての謝罪だった。
『非公式ゆえ、手狭なこの屋敷に逗留いただくことお詫びいたします。なにとぞご容赦願いますよう。また用意が整い次第、迎えを出しますのでお待ちいただけますようお願いします。』
エヴァは特に気にも留めないが、ノエルは逆に不安を覚える。
「もしかしてまだ見舞いの許しを得ていないのでは。」
ノエルの考えにエヴァは首を傾げる。
「エイロン殿が我らを謀るとは思えんが。」
「愛しのアル様がそんなことをするとは思えない。」
ノエルが乙女っぽい仕草でからかうので、エヴァは手近のクッションをノエルに投げつける。
「まあ、冗談はともかく油断なきようにはしておきますゆえ、くれぐれもご自重ください。」
最後は普通に締めくくり、ノエルは退出する。騎士達との打ち合わせに、正装の準備に、その他の算段とやることは山ほどあったので。
結局、マグオリンからの使者が現れたのは、その日の日が落ちる寸前だった。使者の説明で先帝は離宮で療養中だと知る。目立つのを避けるため、衛士の姿になった黒バラ騎士団の騎士二名と共にエヴァとノエルは離宮へと向かった。
離宮の裏門から入った馬車は宮殿の裏口で止まる。明らかに身分違いの出入り口にノエルは事態の重さを感じる。馬車から降りると一人の文官と四名の帝国騎士に案内されて小部屋に通される。
部屋にはマグオリンが待っており、エヴァを見るとすぐに膝をつき謝罪をする。
「このマグオリン、殿下を案内する事かなわず、非礼のほどお詫びいたします。何卒ご容赦いだけますよう。」
「エイロン殿下と卿の働きにより願いが叶った事、感謝する。」
「ありがたきお言葉。ここからは私が案内いたします。」
当然の事として部屋に残ろうとしたノエルは、エヴァの手がノエルの服をつまんでいる事に気がつく。エヴァの表情からノエルは無意識の行為だと悟り、諦めて付き添う事にした。
控えの間に移動したエヴァが沈黙で待つ様子に、ノエルは色々感想を持ったが口には出さない事にした。しばらくして扉が開き、マグオリンと中の人物で二、三の言葉を交わされ、エヴァは部屋に入る事が許される。エヴァに続いて部屋に入ったノエルは予想よりも部屋が明るいことに驚き、そのまま中央に視線を向ける。
椅子に腰を掛ける白髪で髭を蓄えた眼光鋭い老人。
それが伝説の騎士にして帝国中興の祖、先帝エルドラ三世であった。