戦記53 西部防衛戦その1
公国ルード伯爵領の中心都市はヴァーリエと呼ばれ、三大伯爵に相応しく重厚な城と城壁を持ち、周辺の村落を含めると人口二万を超えていた。
各傭兵隊、傭兵団はルード伯爵が手配したヴァーリエ近郊の駐屯地に参集し、これ以降は西方面軍として国境地帯に向けて進軍する。
第二から第六の軍長と第一軍の主だった傭兵隊長に一通りの指示を出したノエルは、エヴァと共に伯爵の晩餐に招待され城館で一夜を過ごすことになる。この後は数ヶ月を戦地で過ごす事になるエヴァが早めの就寝を望みさっさと貴賓室に入ると、ノエルはさっそく伯爵家の家令を呼びだすと主との場を設けるように伝えた。
「戦の話しではなさそうだな。」
ルード伯爵が身なりを整えたままでいたことで、ノエルは相手もそのつもりだと確信する。
「お休み前の堅い話となりますが。」
「怖い話では無いかと心配しておる。」
ルード伯爵の笑顔はとても談笑する雰囲気ではなかったので、ノエルはさっさと本題にはいる。
「今の三すくみを解消します。」
「ほう。」
ルード伯爵は召し使いが準備した飲み物に口をつけながら、目でノエルに続きを促す。
「エヴァは将軍になり、サラは嫁ぎ、公位は坊やに。」
「その言、不敬であるな。」
ルード伯爵はノエルの不敬を咎めながら、あえて公家の三人を愛称で呼んだ意図を考える。
「エヴァンジェリン殿下は為政者としては甘すぎます。軍の旗印として外敵を掃う役割が最適かと。」
あえて今度は敬称を付けてノエルは続ける。
「サラディナーサ殿下では婿選びで国政が荒れます。ならば嫁いで公国の益となっていただいたほうがよろしいかと。」
ルード伯爵はその案を吟味しながら、肝心な事を口にする。
「ヨハンが良いというのは。」
公家の唯一の直系男子である自身の孫を支持する理由を直接確認する。
「簡単です。他の誰が何と言おうと、御二人がヨハンの公位継承を望んでいるからです。」
これにはルード伯爵は虚を突かれた。そのような情報は一度も得たことなく、その考えにも及ばなかったからだ。
「それは真であろうな。」
「家族同然であれば。」
不敵に笑うノエルは二人の公女の意思をルード伯爵に説明する。その内容を聞きながら、ルード伯爵はこの若すぎる男爵の真価を把握した。各派閥の支援者は当然自己の利を求めて動いている。公国の存亡もその一つという考えは、支配層としては間違ってはいない。故にどうしても動かせない一線があり、それが公国の未来を不安定なものにしていた。
それに引き換えノエルは自己の利害関係を持たないため誰とでも組む事ができ、どのような手も打てる。本来であればそれは寿命を縮める事になるのだが、既に帝国の虜囚であり、結末は決まっている。
「それで条件は。」
腹の探り合いはここまでと考えたルード伯爵は、ノエルに交換条件を確認する。
「エヴァンジェリン殿下の公国に対する忠義を疑わぬこと。」
ノエルの条件は抽象的だが、エヴァに手を出すなとの意味はルード伯爵も理解した。
「永続的にか。」
ルード伯爵の掛け金釣り上げにノエルは動じない。
「せいぜい五年。それで状況は変わるでしょう。」
五年でエヴァは軍の中心として影響力を保持し、ヨハンは後見人は必要だが公位を付ける年齢になる。ルード伯爵は妥当な取引だと考え、ノエルからの密約を了承した。
ヴァーリエから共和国への街道は複数の村を通りすぎエウラの砦を通過すると、完全に辺境となりエレーヌの森と呼ばれる巨大な森林地帯へと続く。この深い木々のトンネルを進む事四日、北へ枝別れる支街道があり、これがアルザニア平原に至る道となる。起伏や岩山が点在するアルザニア平原は放牧に適しており、平原中央にあるミトラ湖周辺には野生馬の群れも見られる。公国軍西方面軍もまた一路、ミトラ湖を目指して支街道を進んでいた。
「何だあれは。」
「いつの間にあんなものができたのだ。」
黒バラ騎士団の第二中隊に先導され、第一陣として街道を進んでいた西方面軍第三軍は森が切れるミトラ湖の南にある平地への入り口で大きな砦を目の当たりにする。それも岩の上に立つ石造りの砦が四つも。
「中々、あの黒策士というのは芸が細かいな。」
第三軍を構成する赤竜傭兵団の団長シグートは、これが公国側が準備したものだと直感する。情報操作か秘匿のためか、ここに到達するまでは野戦を中心とした戦いになると誰もが考えていただけに。
「いや、ちょっとまて下さい。団長、あれはなんですか。」
「今は、軍長だろ。おい、まて。」
シグートを始め第三軍の傭兵達は、信じられない物を見てしまう。砦から伸びる回廊の終点、そこにあるのは万の規模の兵馬が入りそうな巨大な城塞、公国軍のアルザニア城塞だった。
ミトラ湖湖畔の東側には南北に連なる岩山がある。この岩山の南端に村一つ分の巨大な岩の台座があり、そこにノエルはエヴァの別荘と偽って城塞を造らせた。
三層構造の城塞は岩の台座だけでも並みの城壁の高さがあり、その上に築かれた城壁からは、はるか遠くを見渡す事ができる。城塞の西から南に向かって少し小さめの、とは言っても兵馬を蓄えることのできる十分大きな四つの砦が放射状に並ぶ。
ルード伯爵領を発した西方面軍の傭兵達は、初めて見るこの城塞に驚きながらミトラ湖湖畔の南側の地に集結する。
「この城塞は主城とそれを守る砦から成り立ってます。」
城塞の中にある百人以上が余裕をもって入る大広間で、対帝国同盟軍の帝国遠征が始まった頃から目的もわからず城塞建設の指揮を取っていた総責任者のマルビン男爵が、意気揚々と聴衆に向かってアルザニア城塞と砦の説明している。その場には城塞に先入りした軍長や傭兵隊長、そしてエヴァ以下司令部が並んでいた。
ノエルはルード伯爵に別荘を建てる話を持ち掛けた時に、その指揮をマルビン男爵に任せるように依頼した。公国の土木局の顧問を務め、ガルム街道の建設にも協力したこともあるマルビン男爵は、政治よりも建築土木を好む珍しい貴族だった。
マルビン男爵はノエルから受けた依頼から単なる別荘ではないことは悟ったものの、詳細を任されると寝食を忘れて指揮を行い、結果として短時間で一大城塞を作り上げてしまった。
「敵が主城を攻めるには四つの砦の内、二つを必ず落とす必要があります。でないと側面から攻撃を受けてしまうからです。しかし各砦は互いの攻め所を支援できるように作ってあります。一つの砦を落とすのに敵兵の損害は避けられない。」
巨大な図面と駒を用いてマルビン男爵は説明を続ける。
「また全ての砦を落としても主城を攻めるには崖を登るか主城と砦を繋ぐ回廊を進むしかありません。」
それもまた兵力と時間を要する。
「公国はミトラ湖から物資を運び込め、長期戦でも十分に耐えうることができます。」
マルビン男爵が指し示した絵図面には主城から湖につながる短い水路がある。
「敵が湖側から攻めようとしてもこの砦が接近を防ぎます。ミトラ湖に隣接するこの砦は周囲が湿地のため攻略は難しい。故にこの城塞は難攻不落と言えます。」
マルビン男爵の自信満々の説明が終わると、ノエルが前に出て話を引き継ぐ。
「我々の目的は公国の守る事である。よってこの城塞で共和国軍を迎え撃ち、敵の公国侵入を防ぐのが基本戦略となる。」
「閣下よろしいでしょうか。」
銀狼の牙傭兵団の団長オスワルドがノエルに問いかける。
「このような城塞があるとは知りませんでしたが、共和国はこの城塞を目標にしますかな。」
どちらかと言えば疑問的なニュアンスなのでノエルは言葉を選びながら説明を始める。
「この地は共和国から公国へ至る道で唯一、万の軍が終結し休息がとれる場所だからな。」
この広さと十分な水辺は野営地として最適で、過去に共和国軍が臨時の補給地として利用した事もある。ただ同盟国として帝国を侵攻していた時期、共和国の密偵はエヴァの別荘と軍略地を関連付ける事ができず見逃してしまった。
「その隙に立てた城塞だ、必ず奪いに来る。そして自軍の拠点として利用とするのは明白だ。」
別に来なくても俺の責任ではないからな。
ノエルは心の中の声は開き直りであったが、気が付くものは傭兵達には存在しなかった。
「そのため各砦の守備は重要となる。第一砦から第四砦まで、第二軍から第五軍の四個軍が担当してもらう。」
半信半疑、そのような表情を幾つか見ながら、ノエルは話を変えて各部隊の配置説明を始めた。
「本来はもっと周囲に砦を建てる予定だったのに。」
会議が終わり、ノエルは城壁の上で砦を経由して主城に入る軍馬の列を眺めながらマルビン男爵と話す。
「致し方ありません。それにこの数でも十分機能します。」
マルビン男爵は先ほどの熱さとはうって変わって、落ち着いてノエルと会話する。
「それにノエル卿、いや軍師殿が共和国の人足を利用するように助言頂いたおかげで仕上がりは満足いくものになっております。」
「軍師殿はやめてくれ。同格の男爵家だ。」
「まあ、そうですが。」
ノエルは公国内にこの件を秘匿するために、人手を共和国から雇い入れるようにマルビン男爵に勧めた。共和国の土木工事の質が高いことと、『不況』のため安く人足を集める事ができるという情報からだった。
「公国で口利き屋に頼むよりも三割も安くなったのは驚きでしたな。」
「『不況』様々だな。」
笑いあう二人も『不況』が何かわかってはいなかった。
共和国は長引く対帝国戦争で財政が悪化しており、経済が停滞していた。その解決策が先の対帝国同盟であり、失敗の報復と起死回生の策がこの公国侵攻だった。
ノエルが共和国の人足利用を進めたのは、この城塞の存在を共和国軍に認識させる意味もあったが、それはマルビン男爵には話していない。
「何れにせよ、計画は半ばでありここからは私の番となるわけだ。」
「閣下には謹んで計画の成就をお祈りいたします。」
難攻不落の要塞、その設計者としての名誉をマルビン男爵は欲していた。それゆえ報酬は格安で請け、寝食を忘れて没頭した。
「生贄は共和国軍十万だ。伝説としては十分だな。」
「それに協力したのが共和国民というのは皮肉なものですな。」
今度は先よりも黒い笑いで二人の男爵は会談を終えた。
変人男爵同士の会話は二人の騎士だけが聞いていた。一人は公国親衛隊のハイネス、もう一人は帝国騎士レアルート。
ノエルの一時帰還を知ったハイネスは直ぐに護衛役を申し入れ、エヴァの承認を得てこの場にいる。ハイネスはレアルートに礼儀正しく対応しても気を許さずにいる。レアルートのほうもハイネスを紹介され、互いの立ち位置まで決めても背後関係が見えるまでは警戒を怠らない。
異なる理由でノエルの命を守る二人は、互いの存在を了承しつつも牽制を続ける。その背後の見えない攻防については諦めたノエルは、マルビン男爵と別れると夕暮れ時の赤く染まった大地を眺めながらふと本音を漏らす。
「せめて後ひと月。それだけあれば俺が居なくてもこっちも何とかなったものを。」
ノエルはまたしても戦場にでなければならない不運を嘆き、それを聞いた二人は異なる表情で既に伝説となった若すぎる男爵を見つめていた。
ノエルが城壁の上で黄昏てから二日後の昼、共和国軍が城塞前面に現れる。その数は夜になっても増え続け、公国軍がその全貌を見たのは翌日で朝日に照らされてからだった。
「壮観だな。」
エヴァが物見台からの眺めを語る。城塞の物見の高さは元の岩場の高さもあり、右手の湖、左手の森、そして目の前に広がる平原の奥まで見渡せる。
「どうだノエル、このような絶景、中々見ることなどできんぞ。」
「お前のその精神構造に感動するよ。」
「無礼者。」
「危ないって。」
鉄扇を振るエヴァとかわすノエルのやり取りに誰もが反応しない。目の前の緑と土に被さった銀と黒の絨毯に目を奪われていたからだ。城塞と砦の前方は文字通り共和国軍の軍列で埋め尽くされ、それは地平が切れるまで続いていた。
「これが敵なのか。」
絞りだされた言葉は経験を上回る事態に対する抵抗であり、大軍を経験したことが無い者は声もでない。同行するエヴァ直下の第一軍の傭兵隊長達の中の半分は、初めての経験だった。
「最新の情報では共和国は追加で基幹軍を三個も追加したらしい。だから支援部隊も含めると十万以上だな。」
ノエルの説明にようやく全員が呪縛から解き放たれる。
「これは、話が違うのでは。」
「情報が間違っていたのなら契約は見直しだ。」
「説明を頂こうか。」
声を上げたのは特に小規模の傭兵部隊の傭兵隊長達。彼らにとって四万越えの傭兵軍が動員七万の実行兵力五万に対抗するはずが、共和国の主力である一個二万の基幹軍を五個も動員されたのは計算違いにも程がある。一方、公国側も内心では戦慄していた。対帝国同盟軍でノイフォンに集結した共和国軍は基幹二個軍と支援部隊だった。その大兵力に驚愕した身としてはその倍以上の兵力を目の当たりにして平気でいられるわけがない。
「なるほど。十万の軍というのはこう見えるのか。うむ、確かに小国であれば易々と征服できるであろう。」
唯一、平然と眺めていたエヴァはノエルの説明を聞いて、傭兵隊長達の質問にも意に介さず上機嫌で独白する。呆気にとられる隊長達。
「姫様はこれを見てなんともないのか。」
持ち場である第三砦にいるはずの第四軍の軍長ライリーが質問というには小さく、独り言というには大きな声を出す。
「元から頭の一部があれだからな。」
うっかりノエルがそれに乗ってしまい、矛先を得たとばかりに隊長達が詰問を再開する。
「で、どうなのだ軍師殿、お答えいただきたい。」
「早々に契約の見直しを求める。」
「違約金も忘れては困る。」
ノエルに詰め寄る傭兵隊長達とそれを遮るハイネスにレアルート。護衛役の黒バラ騎士団の騎士はエヴァの周囲を固める。収拾がつかなくなる寸前に声が響く。
「軍師ノエルよ。」
エヴァの呼びかけは絶妙な間合いだったので、ノエルはすぐに飛びついた。
「はっ、いかがいたしました殿下。」
「敵の様子を真近で見たい。」
背後での揉め事を意にかえさないエヴァの態度に、それならあの大軍に飛び込んで来い、というのは飲み込んだノエルは手前に見える砦の一つを指さす。
「第二の砦からがよろしいかと。」
「よかろう。」
エヴァが壁の側に設置された物見台から降りながら傭兵隊長達に話しかける。
「数では敵が勝る、それは始めから判っていたことだ。そしてこれから質を確認する。契約の見直しはそれからだ。」
ある者は驚きの、ある者は感心しながら、ある者は皮肉っぽく、それぞれの表情で傭兵隊長はエヴァに従って第二砦へと向かいノエルはそれを見送る。
「何をぼんやりしている。貴様も当然来るんだ。」
エヴァに引っ張られてノエルは仕方なしについていく事になった。
「ふむ、帝国遠征でも感じたが共和国は部隊によって兵の質がだいぶ異なるのだな。」
第二砦の先端に立ち共和国軍の軍列の様子を確認するエヴァ。
「ここの担当は共和国軍の基幹第七軍のようですな。」
第二砦を守備する第三軍の軍長シグートは自らエヴァの相手をしていた。同時に敵の展開が始まっている以上、各砦を守備する軍長は砦に詰めているはずなのに、シグートはなぜかエヴァと共にいる第四軍のライリーには探る視線を与えただけだった。
「尖鋭か。」
「厄介なことに。」
「ここが主攻になるか。」
「そう見せかけて、というのもありますが。」
「いずれにせよどこから攻めるかは攻め手の自由だからな。頼むぞ。」
「はっ。」
エヴァは敵兵と自軍の前線の指揮官の様子を確認して目的を果たしたのだが、シグートも西方面軍の最上位者であるエヴァに直接会話できた事で目的を果たす。
「不味いな。」
「殿下お下がりください。」
シグートとダンケが同時に気がつき、ダンケがエヴァの前に立つ。
「矢だ、防げ。」
シグートの指示で素早剣を抜き盾を構える傭兵達。矢数はそれほど多くなく、一過性のものだったため被害はなかった。
「さっさと引きましょう。」
それでもノエルはいちいち目立ってしまう主を奥に引っ込めようとするが、エヴァは更に身を乗り出して矢が射られた方向を確認する。
「なるほど、あの距離から正確に射っている。先鋭である事は間違いないのだな。」
「そうですよ、実地もできましたし、これで満足しましたか。」
ノエルの嫌味を聞き流してエヴァが砦の壁から離れると、内心安堵したダンケや警護の騎士が周囲を固める。
「ここの守りは頼む。」
エヴァ直々に命令を受けた第三軍軍長シグートは軽く頭を下げる。この小さな騒動で、少なくとも噂に聞く姫君は、戦場で震えて泣くような玉ではないとその場にいた全員が理解した。
その様子をここまで同伴したライリーは表情を消して眺めていた。




