戦記05
エヴァがノエルにもたらし手紙は公国軍ルードルフ将軍からの召喚状で、内容は停戦会議への出席命令。
その会議の場でノエルは不機嫌のきわみだった。
ノエルの地位や立場ではこのレベルの会議には末席に座るだけで発言権は無く、そもそも交渉内容は既に決まっているのですることも無い。
ノイフォンの戦いは黒バラ騎士団が帝国軍の陣を引っ掻き回したおかげで膠着状態となり、機を失ったと考えた帝国側と攻勢に出るには戦力が不十分な公国側の意見が一致して停戦となった。そこまではノエルの予定通りで、エヴァが会議に出席しないことはノエルの知ったことではない。ただその代理としてノエルが呼ばれたのは間違いなくエヴァの差し金で、そもそも将軍が公女に男爵宛の書状を持たせるなどあり得ないことからも間違いない。
そんなことを考えながら、ノエルの機嫌はひたすら悪かった。
ノイフォン市街北部の平野に設置された大天幕で開かれる停戦会議の帝国代表はリヒタール将軍と軍監ボイド子爵、公国代表はルードルフ将軍。当然、互いの副官や書記官に公国は賠償金の交渉のため会計官のコルドも出席する。
出席者の想像以上に淡々と進む会議。
帰国を急ぎたいリヒタール将軍は必要以上に交渉を長引かせなるつもりはなく、公国軍の主力一万をいつまでもノイフォンに留めたくないルードルフ将軍もまた交渉の早期決着を望む。双方の責任者が同じ思いのためか、この手の会議には珍しく一週間で妥協できる停戦条件の合意を得ることができた。
「しかし黒バラ騎士団と申されたか。素晴らしい戦いぶりでしたな。」
停戦協定が無事に結ばれて後の雑談で、お互いに戦場や宮廷で顔を合わせる知った仲なので自然と会話も発生する。
「黒バラ騎士団の働きもさる事ながらあの作戦は正直参りました。」
ミューレの言葉は、武において正直な男、だけではない。
「策はフェルナンド伯爵が立てられたのでしょうか。」
すでに次の戦に向けて動いている。
「いや、我々はそちらにいるノエル卿の指示に従ったまでのこと。」
フェルナンド伯爵はあっさりと説明してしまった。舌打ちをこらえながらノエルは誰とも目を合わせず、頬に帝国側とそれ以上の公国側の視線を感じながらも無視した。公国ではこの戦の第一功はフェルナンド伯爵とその騎士団で第二功が黒バラ騎士団と、ノエルの献策の通りにエヴァがそう主張したため公式にはそうなった。
そこまでは良かったがフェルナンド伯爵が素直に白状したため、会議中は目立たぬように大人しくしていたノエルの存在が、本人の意図に反して注目されてしまった。
「ノエル卿と申されるか。いやその若さでその智謀、恐れ入ります。」
そこまで言われれば流石に反応するしかなく、ノエルはいやいや言葉を切り出す。
「少数の悪あがきがたまたま上手くいっただけに過ぎませぬ。」
ノエルの謙遜も悪あがきだった。
「いやいや、あの見事な機動戦術は芸術的と言えましょう。」
いや、勘弁してくれ。
「一見無造作に動いているようで実は信号旗を用いて後方から指揮を取られていたとは。」
いや、言うなよそれを。
「戦場で武をふるうだけではないと知ることができました。」
いや、目を輝かしてお前は少年か。
帝国からの賞賛を受けるノエルと様々な表情の公国出席者。これで両派閥からまた標的になる。これでまた宮廷政治の深みにはまる。なにより公国のそんな事情を知っているからこそ帝国は手放しで褒めるのだ。ノエルはエヴァを心底呪った。
こうしてノエルは知られたくも無い己の名前を、この会議で帝国に広めることとなった。
会議後、ノエルは早々に帰り支度を始める。
「男爵閣下、こちらでしたか。」
ミューレの声にノエルは天を仰ぐ。
「閣下。私のような若輩ものをこれ以上、苛めないでください。」
ノエルは半分本気でミューレに言っている。
「これは心外ですな。むしろ閣下に翻弄されたのは私のほうですが。」
ミューレは半分本気でノエルに言い返す。
「教えていただけますか。あの白い騎士達のうち一人は本当に公女殿下でありましたか。」
ノエルは面倒なので答える。
「まさか、公女殿下の御身を危険に晒すなど臣下としてあってはならぬことです。」
ミューレは驚くが少し考えると頷いた。
「おっしゃるとおり。いや、答えていただきお礼申し上げます。」
ノエルは鷹揚に頷くとそのまま辞去することを伝えて馬上となる。それを見送ったミューレは帝国軍の天幕に戻ると副官のゼルフィに告げる。
「ダロワイヨ男爵。想像以上の男だ。」
「それほどまで。」
「頭も切れるがそれ以上に黒い。」
ゼルフィは意味を計りかねて尋ねる。
「黒いとはどういう意味でしょうか、隊長。」
ミューレは何とも言えない表情になる。
「相手を騙す、策を練る、偽りを図る。それに心が左右されぬ。」
「つまり策士の鑑だと。そうは見えませんでしたが。」
ゼルフィは遠目でみたノエルの印象と異なる隊長の評価に疑問が解消されない。
「男爵は否定していたが、中央部隊の白い騎士は間違いなく第二公女だ。」
「ではあの時、我々が。」
ゼルフィは興奮気味にミューレに問う。
「いや、無理だろう。皇子のご命令には背けない、と我々が考えることを予想していたとしても。」
一旦、言葉を切るミューレ。
「としても。」
ゼルフィが促す。
「普通、主を先頭に立たせるものか。」
ゼルフィはようやくミューレが言いたいことが判った。ありえないのだ、仕える主君を突撃する騎士隊の先頭に立たせたり、敵の本陣を強襲させるなど。
「ダロワイヨ男爵。帝国の災厄となるかもしれぬ。」
ミューレの言葉にゼルフィは頷くしかなかった。
フェルナンド伯爵は会議後にコルド会計官と会っていた。
「それにしてもダロワイヨ男爵、目立ちましたな。」
公子派のコルドはエヴァの事業の財務を一手に担うノエルに対して敵意を持っていた。エヴァの資金源が新興商人からの寄進と、荘園やガルム街道の徴税権であることは判っている。それを全て公家を通さずにノエルが一手に管理して、エヴァの私有財産としている。その全貌を知ろうとノエルに大小さまざまな圧力をかけているが、ノエルに上手く交わされている。会計官の権限でコルド自身が調べたこともあったが、ノエルは寄進や別名義等で資産を上手く分散してエヴァの財力を把握させなかった。
十代の小僧にしてやられた気分でそれだけに感情も悪くなる。
「まあ、この運が続くようには思えませんが。」
フェルナンド伯爵は第一公女派。だが、急進する第二公女派に対しては公子派と手を組むこともある。
「まったくです。賢しげな小僧が。」
コルドはつい感情をみせ、慌てて顔をつくろう。フェルナンド伯爵はわかってますとばかりに頷いたので、コルドは満足して伯爵の元を去った。
「ダロワイヨ男爵。恐ろしい男だ。」
フェルナンド伯爵はノエルに対して複雑な感情を持つに至っている。ノイフォン防衛では第二公女のエヴァに助けてもらった。さらに第二公女からの報告で、公王より帝国の大軍から城市を守った功績を高く評価されたため感謝の念が絶えない。その気持ちをノエルが利用してきたからだ。
この会議に先立って面会に来たフェルナンド伯爵にノエルは言ってのけた。
「この度の戦の第一功が伯爵なのは先に通知の通り、これで名実共に伯爵は公国の北の守護者となられる。領民が伯爵を支持する限り、公家がどうであろうとそれは変わらない。そうではないですか。」
力をつければ派閥争いを上手く立ち回れると説明した上で、さらにノエルは考えこむフェルナンド伯爵に追い討ちをかける。
「近日中に他の派閥から接触があります。がその時は必ず、私を貶めるように発言してください。」
自分を貶めることで他の派閥との誼を強くするという貴族にはありえないノエルの思考法に、困惑しながらもフェルナンド伯爵は同意するしかなかった。ノエルにしてみれば勝手に過大評価して勝手に敵意を燃やされるのが面倒なだけだったが。
黒バラ騎士団の本部に戻ったノエルは執務室に入ると仕事、ではなくふて寝を始めた。
会議に騎士団の代表で出席するなら小姓のノエルではおかしい。騎士団長のダンケが行くべきだからだ。エヴァの側近としてなら更におかしい。ノエルの公国での官位は参務官補で、これは公宮への参内と公務に就くための最低ランクの役職であり、爵位を持つ貴族であれば必ずもらえるもの。エヴァは既に公国軍尉官と政務補佐官の官位を持つため、その代理で出席するのに参務官補ではランクが違いすぎる。
完全に嵌められた気分のノエルはそれから一時間ほど、執務室のソファーに寝そべりながら関係者を絞首刑にする想像にいそしんだ。
騎士見習いケンリックは、ノエルがろくに挨拶もせずに執務室に入るのを見て上官に尋ねる。
「あのノエルというは何なんでしょうか。」
上官である騎士ハイラントは事もなげに言う。
「ああいうものだ。気にするな。」
「しかし、あの態度は。」
ケンリックは高位貴族の子弟であり、ノエルが男爵とはいえ礼儀を守らない態度に憤慨していた。
「ノエルは特別だ。」
「確かに公女殿下の側近であれば。」
「いや違う。そこじゃない。」
誤解しているであろうケンリックに、ハイラントは昔話を始める。
ハイラントがまだ黒バラ騎士団の若手であったころ、同期とともにノエルをからかおうと画策していた。当時はエヴァの親衛隊を黒バラ騎士団に再編成したばかりで、新たに入団した者達はノエルのことをあまり知らなかった。
小姓と紹介された中に一人だけ態度が大きく、騎士長どころか団長をも平気で呼び止める若造、いや子供がいる。古株に聞いても言葉を濁される。あげくに荷物の補充を命じたところ、忙しい、の一言で無視される。
公女殿下のお気に入りか知らないが少し遊んでやろうと考えたハイラントと他三名は、ノエルを嵌める計画を練り、新たな騎士見習いを迎える宴の余興としてノエルに全員での女装を持ちかけた。ハイラントの熱弁に了承したノエルは一言添えた。
「一蓮托生。」
軽く聞き流したハイラント達は当然女装をするつもりもなく、ノエルだけ女装で恥をかかせる。そんな算段で控室に現れたノエルを見て笑う予定のハイラント達は固まった。目の前に赤いドレスを着た黒髪の美少女がいたからだ。暴漢役のハイラント他三人の騎士達との寸劇の後、ノエルは一曲歌うと拍手喝采の中で余興はハイラントが仕組んだと披露した。エヴァは賛辞を送り、それからノエルに質問した。
「それにしてもノエル。よくそのような衣装を準備できたな。」
「ハイラント殿に用意していただきました。」
ノエルの一言にハイラントは戸惑う。
「いや、俺は。」
「そうか、ならば私の見間違いか。」
「と申しますと。」
「私が持っているものとそっくりだったのでな。」
このあたりですでに古株は表情を消しているし、ただならぬ空気を感じた他の騎士も口をつぐむ。ハイラントは目を見開いてノエルを見ると邪悪な笑顔の悪魔がそこにいた。
「あ、道理で私の体に合うわけですな。」
ノエルが自分の胸を擦りながら言うと、騎士団長が額に手をあて、隊長達が天を仰ぎ目を伏せる。
「そうか。」
それだけ言うとエヴァは片手を挙げる。ノエルの背後に二名の騎士が現れてノエルの腕を取る。
「おい、ちょっとまて、これは単なる余興だろ。」
ノエルの抗議に騎士達は眉一つ動かさない。
「そうだ余興だ。」
エヴァは立ち上がると、にこやかにノエルの髪の毛を持ち上げた。
「このかつらは亡き母上のものか。」
既にエヴァの声に笑いの欠片も無い。
「そうだ。ちょうど良かったのでな。」
ノエルの一言が合図となり、エヴァの渾身の張り手が鳴り響く。
「この、馬鹿、者、が。」
一言毎にエヴァの張り手がとび、ノエルの顔が左右に揺れる。あまりの衝撃に意識が朦朧とする中で、ノエルはそのまま奥に連れていかれた。そのあとをエヴァと騎士団長が追う。残った騎士長から説教を受けたハイラントと他三名はノエルと共謀したとして謹慎を命じられた。
「その、なんと言えばよろしいのでしょうか。」
ケンリックはハイラントの話を聞き終えて戸惑う。
「俺が言いたいのは。」
ハイラントはケンリックの肩を叩く。
「やつと絡むとろくなことがない。」
そこまで言うとハイラントは仕事に戻っていった。
ハイラントの話を聞いても今一つ腑に落ちないケンリックは、当直室に戻ると同じ見習いの騎士達に質問した。
ノエルをどう思うと。
答えは様々。態度が大きい。腹が立つ。気分が悪い。そのままノエルの悪口大会になる。
「でもあいつ。俺らと年は変わらないはずだよな。」
ギドがそう言うと、何となく黙り込む。最年少で爵位を持つ貴族。黒バラ騎士団の入団条件は、貴族や騎士階級の子弟であり嫡男でないこと、そして厳しい入団審査を合格すること。
ケンリックやギドは、箔や肩書きが欲しいだけの者を容赦なく振るい落す狭き関門を突破してここにいる。それだけに、単にノエルが公女殿下の幼馴染だけで重用されてるわけではないことはわかる。まだ叙任を受けてない騎士見習い達は実際の戦闘は未経験で、先のノイフォンの戦いでも後衛として参陣しただけで突撃には参加していない。それでも戦場での出来事は彼らに影響を与えた。
騎士長達はノエルを小姓として扱いながら、補給や人員など後方に関すること全てをノエルに相談する。騎士達も雑用係りのノエルの命令を受けて動く。その場で初めてノエルの采配を目の当たりにして、騎士見習い達は認識が混乱していた。
「もしかしたら。」
オーディンが話す。
「ノエルの策略じゃないか。」
「どういう意味だ。」
ケンリックの問いにギドが答える。
「ノエルを見れば重要人物に思えない。ただの小姓だ。そしてただの小姓が騎士団の運営を行っている。もしこのことを他人が聞いたらどう考える。」
「つまりノエルは欺くために小姓の立場でいるのか。」
コーウェンの言葉に全員が黙り込む。
「おい、暇なら手伝え。」
当直室の扉が急に開き、話題の人ノエルが現れた。
「暇って、我々は当直のため待機しているのだぞ。」
ケンリックは言い返すがノエルは手を左右に振る。
「ああ、騎士長には話を通している。さっさと来い。」
思わず声を出そうとしたケンリックをギドが止め、オーディンが肩をすくめて部屋を出ると騎士見習い達が後に続く。
「くっそ、やっぱり認められん。」
ケンリックは忌々しそう言いながら最後に部屋を出た。