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黒バラと姫  作者: 無風の旅人
帝国の事情
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戦記04

「閣下、お加減いかがでしょうか。」

 ノイフォンの戦いから五日後、黒バラ騎士団本部の執務室で陰気な顔をしていたノエルにホーウッドが入室直後に話しかける。

「最悪だ。あのクソ馬共め。」

 ホーウッドはエヴァと愛馬の両方を罵っていると気がついたが、あえて判らないふりをした。

「まあ、浅く噛まれたので傷も残らず良かったです。」

 ホーウッドの慰めも聞かず、ノエルの暴言は続く。

「あのクソ馬は元は我が家の厩舎で生まれた馬だ。」

「誰の言うことも聞かないので、じゃじゃ馬同士で似合いだと思って引き合わせてやったのに。恩知らず共め。」

 ホーウッドはあえて迎合しない。ノエルもそんなもの求めていない。

「で、俺をからかいに来たのなら十分だろう。」

 ノエルはホーウッドに手を振る。小姓が騎士に向けてする態度ではないが、一室与えられる特別扱い、ではなく自分の主にまでするいつもの態度だった。

「いえ、殿下がお呼びです。」

 実はホーウッド、ノエルの様子が知りたくて呼び役を買って出た。酒の肴も手に入れたことで、とはおくびにもださずに、用件を終えるとホーウッドはさっさと退散する。これ以上はとばっちり食う可能性があるので。

ノエルはあからさまに舌打ちをすると、ペンを置き身支度を整え始めた。


「ダロワイヨ男爵がお見えになりました。」

 つまり男爵としての用事か。

 ノエルは到着を室内に伝える警護の騎士の言葉にさらにげんなりする。

「ノエル・フォン・ダロワイヨ、参上仕りました。」

 略式とはいえ貴族として公女殿下と会うためには儀礼が必要になる。

「男爵、忙しい中、呼びたててすまない。」

 ノエルは第二正装のエヴァからの労いを受けながら、その横に立つジャルダン伯爵に気が付く。

「ノエル卿、久しぶりだな。」

 気さくに言葉をかけるジャルダン伯爵は貴族でありながら戦場で兵士と共に剣を振るう勇者。ノエルに言わせると危険陶酔者であり、エヴァの支持者として憚らず、エヴァが公務で宮廷に向かう時に同行を申し出ることが度々ある。なお黒バラ騎士団は規則により長男や家長は入団できないので、本人の強い要望にも関わらずジャルダン伯爵は黒バラ騎士団には所属していない。

「先の戦い、貴殿の采配は見事であったな。」

 ノエルの肩を叩き、讃えるジャルダン伯爵。戦って勝ち取ることに価値を見出すジャルダン伯爵にとって、兵の先頭に立つエヴァは申し分ない。ゆえにノエルの策も評価している。

「男爵、私はこれから休戦会議に出席する。」

 エヴァの話にノエルは黙って頭を下げる。つまり公国正規軍はノイフォンを無事に守りきったと。ノエルは想定より早く帝国軍があきらめた事情と今後の展開に頭を巡らせる。

「忠告を頂こうか。」

 下げた頭で顔を見られなかったが、この時のノエルは面倒臭そうな顔をしていた。次に頭を上げた時には主君を思う臣下であったが。

「お勧めは沈黙、次善はフェルナンド伯爵の功労を称え、最悪は帝国との交渉役。」

「うむ、わかった。では男爵、後を頼む。」

 エヴァはノエルに後を任せるとジャルダン伯爵を伴い部屋を出る。頭を下げてエヴァを見送るとノエルはつぶやいた。

「まあ、油小屋に火を投じる馬鹿はいないだろう。」

 同行を求められなかった事に安堵しながらノエルは残りの仕事を片付けるため執務室に戻った。


 ノエルは騎士団本部での執務を終えて自分の屋敷に戻ると、着替えもせずに書斎のソファーにひっくり返った。

「全く、誰がこんな仕事を引き受けたんだ。」

 ノエルの仕事は騎士団の運営だけではない。エヴァが公女として取り仕切る数々の事業や団体の運営の手伝いもある。今日はエヴァの荘園で発生した揉め事を処理したのだが、面倒この上なく解決するまでノエルをうんざりさせた。

「ノエル様、お身体は大丈夫でしょうか。」

 メイドがノエルの好みの茶をテーブルに置きながら気遣う。

「お仕事を減らされた方がよろしいのでは。」

「ダメだ。他人に任せたら一日で詰む。」

 ノエルは枕を放り投げながらお手上げの仕草をする。

「我が男爵家は公女殿下と一心同体だ。」

 ノエルが何故か忌々しそうに言う。

「男爵家の継承も公女殿下の口ぞえでなんとかなった。黒バラ騎士団の設立に絡み、俺自身が四六時中、あの女に呼びつけられている。おかげで第二公女の派閥のど真ん中だ。」

 一気に話すと茶を飲み一息つくノエル。

「第二公女派が衰退したら、うちはどうなると思う。」

 ノエルにそう聞かれてメイドは戸惑いながら尋ねる。

「あ、あの、やっぱり危ないのですか。」

 ノエルが喉をかき切る仕草をしながら答える。

「潰される。特に公子派にな。」


 先公妃でエヴァの母親のマリアンヌは現公王と一男二女をもうけたが、夭折した男子を除きサラこと第一公女サラディナーサと第二公女エヴァンジェリンの二人の娘を残して病死した。現公妃は一男一女をもうけており、この男子が第一公子のヨハンになる。

 このため公国では身分の高い先公妃の血を受け継ぐサラを担ぐ第一公女派と、嫡男であるヨハンを担ぐ公子派に分かれて水面下で争っていた。そこに登場したのが自らの騎士団を持ち、新興商人とも繋がりを持つ第二公女のエヴァ。

 ノイフォンの戦いでの活躍により軍事に関して一定の発言権を持つにいたったエヴァは、国政への参加を控えるサラとまだ幼少のヨハンに対して優位に立ったと見られている。

 つまり各派閥から目ざわりと。

 だがエヴァが各派閥の武官からも一目置かれるようになったため、両派閥も表立っては動かない。それぞれが担ぐ神輿のサラ公女やヨハン公子がエヴァと仲が良い事実もある。そのため各派閥はエヴァの力を削ぐように周辺への干渉を行う。つまりノエルにその矛先が向いていた。特に公子派の中心人物であるルード伯爵は以前ノエルに恥をかかされて以来、完全に目の敵にしている。男爵家の未来はエヴァの進退にかかっているのが現状だった。


「ノエル様、やはりここはエヴァ様と一緒になられたほうが。」

「はっ、フローリ。お前はたまに俺よりも過激なことを言うよな。」

 男爵家のメイドのフローリはノエルの乳母の娘で幼馴染でもある。ノエルから男爵家の執事長以外で唯一“家内領内咎め無し”の扱いを受けており、この男爵家の領地内なら何処に行っても何をしても罪に問われない特権を持つ。もっとも昔からノエルに付き従い、命じられた用事で領内各所に出かけることも多いため、本人は気にも留めていない。

「エヴァ様とお似合いですし。」

 フローリはノエルに好意をいだいているが、当然の身分格差なので結婚どころか恋愛の対象になるとは考えていない。むしろあれだけエヴァが幼少のころからノエルをそばに置いているのは、好きだからではないかと考えていた。

「エヴァと似合いだと。勘弁しろ。あの活火山と私生活なんぞ一緒にできるか。」

「ですが、エヴァ様はいつもノエル様を。」

「それは無い。あれは生まれつきの支配者だ。俺の事は単なる使える駒扱いだ。」

 フローリは得心いかないが、主の言葉を否定することもない。

「ただ、ノエル様がいずれ奥方を選ぶのであればエヴァ様に降嫁いただけましたら最高ですのに。」

 ノエルにしてみればそれは本気でごめんこうむりたい。

 いや、まてよ。

 ノエルの思考が回転する。

 エヴァの降嫁か。これなら他の派閥からも歓迎される上、男爵家も少し没落してみせれば勝手に喜んで敵意も和らぎこちらも安泰。あとで犠牲者を選抜してみるか。

 当然、ノエルはエヴァの相手を他の貴族の中から見繕うつもりだった。

「フローリ、名案だ。エヴァの飼い主を探してみよう。」

 ノエルのあまりの言い草にフローリは驚きの顔、では無かった。

「ど、な、た、の、飼い主の選定かしら。」

 ノエルは幾度と無く命の危険を感じた声を聞いた。フローリの顔は恐怖に慄いた表情だったようだ。

「も、申し訳ありません。公女殿下が。」

 執事のモンマルトが頭を下げながら告げる。ノエルは努めて感情を出さぬようにモンマルトに飲み物を準備するように命じる。扉が閉まりフローリが部屋の隅に避難する。ノエルは笑顔でエヴァに挨拶をする。

「殿下自らの、うげっ。」

 最初の言葉が終わる前にエヴァのこぶしがノエルのみぞおちに決まる。崩れ落ちる前にエヴァの前蹴りが炸裂するとノエルの体は仰け反った状態で本棚に叩きつけられた。慌てて駆け寄るフローリ。

「フローリ。そのトウヘンボクが目を覚ましたら声を掛けてちょうだい。」

 エヴァはそのまま書斎のソファーに寝そべった。公女にあるまじき行為だが、エヴァにとってもフローリは幼馴染である。二人の前では昔と同じように振る舞う。

「危うく母上の元に行くとこだった。」

 フローリに介抱されて、なんとか復活したノエルは椅子に座る。

「行けるわけないでしょう。男爵夫人が行かれたのは天国です。」

 当然のように言うエヴァと何か言い返そうとするノエルに笑いをこらえるフローリ。幼くして母を無くした幼馴染の三人はそのまま小一時間ほど談笑する。もっとも笑っているのは、エヴァとノエルのやり取りを聞くフローリだけだったが。


「で、どうだったんだ。」

 ノエルが真面目な顔になる。

「ノエル卿が興味をもたれるとは。」

 エヴァが口元だけ笑う。

「こっちに厄介ごとが降りかからないかどうか、知りたいだけだ。」

 今度はエヴァの顔全体が笑う。

「流石は聡明で公国に名を響かせるノエル卿。話が早くて済む。」

 ノエルは目を細めるとフローリに言う。

「フローリ、公女殿下はお帰りだ。」

 主君に対する態度でも言葉遣いでもないが、ノエルは真剣だった。脳裏には悪い予想しか浮かばない。

「会議中に帝国よりの使者が参った。」

「モンマルトに殿下が公宮に戻られる旨を伝えてくれ。」

「一週間後に帝国と休戦交渉を行う。」

「ああ、手土産なんぞいらないぞ。」

「フローリのパイはいただいていくぞ。あと来月の視察団の訪問を予定通り行いたいとの申し出だ。」

「あれは俺が夜食に食べるつもり、ん、なんだと。」

 ノエルの言葉が止まる。

「視察団を予定通りにだと。」

 ノエルが口に手を当てて考える。帝国が公国の街道整備の視察を行う。これは両国の技術経済交流の一貫で半年前から決められており、それぞれの代表も承認していた。

 今回の戦で話が流れるかと思ったが。

「ではよろしく頼むぞ。」

 ノエルが考えている最中に準備を済ませたエヴァは、うわの空のノエルの見送りを受けて公宮に帰る。

「よろしかったのでしょうか。」

 馬車の中で小姓がエヴァに尋ねる。ノエルではなくエヴァの言いつけで執事のモンマルトに手紙を渡したことを。

「かまわん。むしろあいつに渡すと読まずに捨てかねん。」

 エヴァは少し愉快そうに言うと片目を目をつぶってみせた。小姓は驚く。初めて見る自分の主の側面に。

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