戦記02
戦記01を戦記01-03に分けました。
公国側の籠城を前提に陣を構築していた帝国軍の指揮官達に驚きが広がる。物見の兵から公国軍の出撃を知らされたからだ。濠にかかる三つの橋の全てから溢れるように兵馬が現れてくる。黒バラ騎士団とフェルデナンド伯爵軍で構成された公国軍は、帝国軍の前方で遅滞なく整然と軍を展開する。
「見ろ、余の予想通り出てきおったわ。」
報告を受けて本陣から飛び出た司令官のブルノー第三皇子が、帝国軍が本陣を置く小高い丘の上から目の前の光景に手を叩いて喜び側近に自慢する。笑顔にやや醜を感じるが本来は目鼻立ちは悪くない貴人で、やや太り気味なのと帝国人としては背が低い点を本人は気にして、特別にあしらえた靴の底はかさ上げされていた。
ブルノー皇子は自らの書状で公国軍を引きずり出したとおおはしゃぎだった。
「さすが殿下でございます。ご考案された策、お見事でございます。」
側近が称賛するとブルノー皇子もますます喜ぶが、同行する軍事専門家達の意見は異なる。
「まさか本気ではあるまい。陽動か。」
お目付け役で戦歴数十年のリヒタール将軍は直ぐには結論を出さずに思案する。公国軍と何度も刃を交えており、その強さを知っている。意味もなく少数で大軍に当たる愚を冒すとは考えられず、彼の部下も同意見ばかりだ。
「殿下、これは陽動かもしません。他の街道の動きを探らせましょう。」
近頃は頭も髭も白いものが増えたリヒタール将軍の進言を、ブルノー皇子は手を振って退けた。
「将軍、あの公女が怒りに任せて出陣してきたのだ。それを証拠に見ろ。」
ブルノー皇子が指差す先には騎士団旗と並ぶ公女直旗。
「気性の激しい女だから自ら出てきたのだろう。馬鹿な女だ。」
リヒタール将軍が何か言う前にブルノー皇子は叫ぶ。
「見よ、公女殿下自ら出陣あそばされた。」
側近達の追従の笑いが広がる。
「あのじゃじゃ馬を無傷で捕らえよ。これは厳命である。捕らえた者には褒美を望みのまま与える。」
「そ、それは。」
リヒタール将軍はブルノー皇子のでしゃばりには幾度も我慢してきたが、今回は流石に諌めなければならないと考えた。
麾下の軍団五千はともかく、この遠征で組み込まれた他の部隊には実践経験が無い者が多い。ただでさえ敵が自軍の四分の一ともなると、味方の兵に油断と驕りが生じる。さらに褒美に目が眩んだ兵が勝手な行動とり始めれば、敗北の可能性すら経験豊富なだけにリヒタール将軍には無視できない。当然の責務としてブルノー皇子に忠告する。
「殿下、敵の総大将を捕縛するのは当然としても、無傷は困難かと。多少の。」
将軍の諫言が終わる前にブルノー皇子は指揮杖で地面を叩いた。
「よいか将軍。かのじゃじゃ馬を捕まえれば公国との交渉は思いのままだ。ゆえに無傷で捕らえねばならない。」
政治的判断、そう皇子はおっしゃるが。
リヒタール将軍は知っていた。数年前、帝国の式典に出席した公女エヴァにブルノー皇子が付きまとい拒絶された事を。そのときエヴァとブルノー皇子の間に割って入ったノエルが「ドレスを着た馬のどこがいいのか。」とのたまった挙句、エヴァに尻を蹴飛ばされブルノー皇子を巻き込んで倒れた話は、目撃者と一部の重鎮しか知らないことではあるが。
だが総司令官の命令は命令であり、筋も一応通っているのでリヒタール将軍は引き下がるしかなかった。
「敵の中央第一列に公女と思われる騎馬を確認しました。」
前線に立つ帝国軍部隊の指揮官達は、部下達の統制に苦労していた。向かい側の目と鼻の先で隊列を整える黒い鎧に身を固めた黒バラ騎士団の中央には、遠目でもはっきりわかる白馬に白い鎧がひとつ。既に皇子からの命令でその白い鎧が有名な公女であると知れ渡っており、兵士達は浮足立っている。
「気を引き締めてかかれ。」
「みだりに隊列を崩すな。」
前衛中央部隊二千五百を率いるミューレ隊長もまた苦労している者の一人。
ノイフォン城を攻略するつもりで事前の市街地への攻撃準備を進めていたため、部隊は防柵を構築する暇がなく弓兵と長槍隊による陣形を整えるの精一杯だった。騎士隊も事前準備がろくにできず、正面で数だけはそろえて整列する始末でいた。
限られた時間で迎撃の態勢を整えるミューレを、司令部からの厳命が更に悩ませる。配下の兵は掌握しているが、褒美の大きさは規律を凌駕して欲を刺激する。功を焦った者が先走る可能性を払拭できないミューレは、命令を各兵に徹底させなければならなかった。
「白い鎧の騎士は絶対傷つけるな。殿下直々のご命令である。」
不本意な命令を部下に出す羽目になったミューレは、苛立ちを隠せない。
「隊長、お気持ちはわかりますが。」
上官の様子に危惧した副官のゼルフィがミューレに声を掛ける。ミューレは片手を上げて、それ以上の発言を控えさえた。
「これ以上の迷いは士気に影響するな。」
「はっ。」
ゼルフィが頭を下げて馬を返し元の位置に戻る様子を見ながら、ミューレは心の中で副官へ感謝すると、気持ちを切り替えて意識を戦いへと向ける。
公国の角笛が鳴り響き、戦いが開始された。
「公女を先頭に楔陣形だと。」
横隊ではなく楔状の陣形で敵の第一陣が突撃してきた事を知り、ミューレは舌打ちとともに騎士隊への伝令を出す。
ミューレは公女が陣頭に姿を現したのは士気の高揚と帝国への挑発だと考えていた。
実際は突撃する騎士団の先頭にエヴァ自らが立ち愛馬を走らせる。緒戦で公国の出鼻を挫こうと前進した帝国軍中央の騎士隊は、指揮官のとっさの判断で白い鎧の騎士を先頭とした公国軍の第一波に対して中央を開いてしまった。そこに絶妙なタイミングで黒バラ騎士団の第二中隊残り全員が雪崩れこむ。第二中隊はそのまま馬を返さずに前衛部隊の歩兵に切り込んでいく。
隊列を敷いていた槍兵部隊や弓兵部隊も、先頭の白い鎧の騎士の対処に指揮官にためらいが生じる。結果、十分な迎撃ができず突入を許してしまったため、ミューレは隷下の騎士隊を率いて黒バラ騎士団に向かうしかなかった。
本来であれば指揮官自ら動くべきではないが厳命である白い騎士への無傷の捕縛命令に、各隊は強引な攻撃が出来ないだろうと考えてのことだった。
そもそも敵は騎兵百騎程度であれば前衛部隊で包囲できる数だと判断してミューレは動いた、これがミューレの戦歴を傷つけることになる。
帝国軍前衛右翼はゲオルグ隊長の混成兵団で元々攻城戦に主眼を置いた歩兵中心の部隊である。ここに黒バラ騎士団の第三中隊が白い騎士が率いられ正面から襲い掛かかり、同じタイミングで帝国軍の前衛部隊を走り抜けた黒バラ騎士団第二中隊が側面から突入する。ゲオルグ隊長は総司令官からの厳命により白い騎士への攻撃をためらい、陣内への突入を許してしまう。
これで帝国軍右翼の陣に黒バラ騎士団の第二中隊とそれを追いかけるミューレの騎士隊に黒バラ騎士団の第三中隊と、騎馬隊が三部隊も駆け回る状態となる。
全体を俯瞰すると公国軍の百騎程度の小部隊が走り抜けているだけだが、現場では混乱が続き各指揮官が事態を掴みきれていない。唯一把握できていたのは、ノイフォン城外郭の物見の塔から戦場を眺めているノエルだけだった。
「いや、帝国も案外だらしないな。この程度の部隊に何をてこずっているのか。」
ノエルは他人事のように言っているが、自身が塔の上から部隊の突入タイミングや攻撃目標、他の部隊の動きを旗の組み合わせで各隊に知らせている。さらにノエルの合図で帝国軍左翼にも白い騎士と黒バラ騎士団の第四中隊が突入する。自らの策で混乱を作りながらどこか他人事のノエルに、隣にいるフェルナンド伯爵配下の紋章官は微妙な表情を浮かべるがすぐに顔を改める。
この紋章官のおかげでノエルは帝国軍の主力がリヒタール将軍とその部隊だと知っている。
手堅い戦をすることで有名なリヒタール将軍なら、無闇に援軍を出さずに部隊毎に集結させて混乱を収拾させるだろうとノエルは考えた。実際にリヒタール将軍は白い騎士の存在が複数報告された事で黒バラ騎士団の動きは撹乱だと読み、伝令をとばして各部隊の再集結と守備の徹底を指示する。
それがノエルの狙い目だった。
ノエルの合図で旗が振られ、フェルナンド伯爵配下のノイフォン兵団二千が動く。再編中の帝国軍前衛中央部隊の兵士に矢が襲いかかり、傭兵を中心とした兵団の騎馬隊が歩兵を伴って突入する。
ミューレはリヒタール将軍の伝令から黒バラ騎士団の動きは陽動で本命はフェルデナンド伯爵軍と知り、追撃を断念して騎士隊と共に自陣に戻っていた。それでも先手を打たれた事に変わりなく、前衛部隊は少なからず損害を受けていた。更にフェルデナンド伯爵配下の騎士団が整然と進軍を始める。
各隊からの報告から全体を把握したリヒタール将軍は考える。
集結中の黒バラ騎士団が再度攻撃してくる前に、公国軍の本隊であるフェルデナンド伯爵軍の攻勢を抑えることができれば、兵の少ない公国軍は包囲を恐れて引かざるを得ないと。
同じ結論に至ったミューレも前衛部隊に防御の徹底を命じて、左翼のオーゲル隊長に公国軍側面への攻撃を促す伝令を出す。
だがノエルの発想は全く違った。
開戦直後は黒バラ騎士団とエヴァを囮として混乱を誘い、フェルデナンド伯爵軍の攻撃を助ける。次に主力のフェルデナンド伯爵軍を囮にして、黒バラ騎士団の一部が帝国の戦線の大外を迂回する。そのような作戦を立案していた。囮と主力を戦闘中に入れ替えるこの案は公国側でも一部の者のみしか明かされておらず、ノエルはその作戦を効率よく行なうために塔から旗で合図を送っていた。
「さて、こちらの段取りは終わった。」
ノエルの言葉に紋章官は一息をつくが、姿勢を正して次の指示を待つ。
まだまだ戦は続いている。
そう気を引き締める紋章官にノエルはとんでもない発言をする。
「では逃げ支度をするか。あとはよろしく。」
そう紋章官と控えていたノイフォン騎士団の騎士の双方に告げるとノエルは塔の階段に向かう。
「お待ちください。まだ戦は半ばです。」
「それは戦場の話。逃げ支度は戦場を見てから段取りしていたのでは間に合わない。」
そう言うとノエルは階段を下りていった。公女の側近であるノエルの行動を制約することもできず、紋章官と騎士はただ見送るしかなかった。