軍記43
オッシルを出発した東南州懲罰軍の先遣二万が東央州南端の街グラットを経由して、東南州の州都エレメに到達したのは十日後。先遣軍がエレメ前面に展開した東南州の軍を確認する。報告が北に半日の距離に本陣を構えた太守府軍主軍に届く。
石造りの本陣は鋭意建設中のため、軍幹部数十人の軍議は布で貼られた天幕で行われる。
「敵兵は約三十万。」
司令部の幹部達にどよめきが起きたのは、兵数もさることながら敵がエレメの街にそれだけの人数を集めたことにある。人的資源や経済力はむろん、統治機構も東央州より劣る東南州。懲罰軍の二十万を超える動員は予想の範囲外であった。
主将のシャイリャスが確認する。
「三十万の数字、間違い無いのか。いかに準備の時間があろうと三十万の兵ともなれば東南州の統治に影響がでよう。」
想定される奴隷歩兵二十五万人は、拠出した貴族や平民の資産でもある。役務、特に農業への一時的な就労人口の減少は収穫への影響も懸念される。
報告者する偵察の将クルシャーナから、間違いなしの言葉で出ると将達が口々に意見を述べ合う。
「おそらく東南州でこの時期に動員できる兵力の全てだろうが。思い切ったことをする。」
「この短期間に集めることは本当に可能なのか。」
「根こそぎであろうが、予想の三倍は多すぎるぞ。」
出兵時の想定兵力は、二ヶ月前に太守府に派遣された奴隷歩兵五万に加えて、州都エレメの周辺の地方貴族から提供される兵を加えてのおよそ十万越え程度。これはエレメの街が養える最大規模でもある。
これまでの道程で迎え討つ軍はおらず、偵察の小隊も現れてはすぐに後退していた。途中の村々の鎮撫や物資の集積所の建設は別動隊に任せて軍を直進させたのは、敵の策はエレメ籠城だと予想していたからだ。
自軍より五割も多い兵力への動揺は隠せず、将達の疑いの目も消えない。クルシャーナは場の静まりを待って説明を再開する。
「兵数に関しては疑念を持たれるのも無理ありません。しかしマハナトの街の将ミトス、エルーラの街の将オーシール、この二人の将旗が認められました。東南州の三大要地を守る三将が、要地から兵を集めての一軍としたならば、東南州の総力でしょう。」
東南州では南方蛮族と呼ばれる南方大陸南部の密林地方の部族との勢力争いが今も続いている。今の東南州民自身が長い時を経て農業を基盤とするようになった民であり、元々は密林の部族と根が同じである。
狩猟を主体とする各部族との争いで東南州の将兵は鍛えられている。常に陣頭に立つ勇猛なオーシール将と手堅い戦上手のミトス将の名は、東南州の守将として帝国中枢にも名を知られていた。
優秀な将に率いられた大軍は強敵である。本陣に集う将達の顔は引き締まる。
「二人の将の名が出たとなれば、東南州軍の戦略は明白。エレメに動員可能な兵を集結させ、我が軍を叩く策であろう。この軍議について意見は自由とする。」
活発な討議を求めるのは初期の計画を見直す必要があり、シャイリャス自身も考える猶予が欲しいからでもあった。
軍議は積極論と慎重論が四と六の割合でまずは落ち着く。シャイシャリスが小休止を命じると、香付きの水が運ばれ出席者の喉を潤す。副将アルーバースは軍務官長として出席するノエルに問うてみる。
「シンバリ、この戦さをどうみる。」
事務方である軍務官に尋ねたのは気まぐれではある。ここまでの円滑な進軍を実行する能力と職務にただ励む姿に僅かながら評価が変わった結果でもあった。
返ってきたのは大胆な答えだった。
「そうですね。だいぶ有利になった、と考えます。」
それだけ答えるとノエルは隣に控える記録官からの小声で報告を受ける。敵将二人の家門に関してであった。
「なるほどエルーラの将オーシールは元王朝の武官一族であるか。ならば。」
ノエルは途中で相手の記録官が自分も石板も見ていないと気がつく。視線の先が背後だと判り、振り向くと天幕の全員がこちらを見ていた。
「いかがされましたか。」
問うノエルに対して、適当に返されたと感じた不快と突拍子の無い事を言われた不解が混ざった表情でアルーバースが問う。
「今、軍務官長から我が軍より多い敵を前にして、有利との言葉が出たような気がするのだが。」
嫌味な口調が滲むものの、新太守派と旧太守派との諍いなど望まぬノエルは、大人しく説明する。
「敵の動員兵力が一ヶ所に集結したのであれば、挟撃の心配が無くなりました。我が軍は二十万。敵の主力十万がエレメに篭り、別働の軍二十万に後方から挟まれれば不利は免れません。」
「次に、敵がエレメの街に篭らず野戦を選んだため、少ない兵力で街攻めをしなくて済みました。街は籠るとなれば大河につながる水掘の攻略が必要です。これを攻めるには根気よく包囲するか、強襲となります。前者は時間が、後者は兵力が足りません。」
「最後に三将が集結したことです。これで他の街の守りは手薄になったも同然。マハナトもエルーラも要の街です。各地からエレメへの援軍、物資、糧秣の集約の起点となるこれらの街を別働隊で陥す、いや包囲するだけで敵の継戦力を妨げることができます。」
語り終えたノエルへの反応は、沈黙であった。少数のノエルをよく知る者が理にかなっていると納得した反面、軍務官が将に戦を説いたため反感や不審が先に生れた者が数多くいた。
「今の言説は理にはかなってはおります。小軍を一つ一つ潰すよりも大軍としてまとめて叩く方が良い場合もあります。」
「いやいや、そう上手くいくものか。何より敵はこちらより多いのであろう。」
アジル・アベーバの控えめな賛同にシルミラ遠征に参加しなかった将アルラハンは疑問を口にする。
「軍務官の別動隊を向かわせる策は、兵が敵よりも上回る場合であればであろう。主戦場で兵力が劣る我が軍の不利は変らない。」
「不利が変わらぬであればこそ、打開策としての有効性を確認するのも要と考えます。」
二人の議論を受けてノエルは自論を更に続ける。
「今回の出征は東南州の占拠よりも、不服従の行政府の官吏達に忠誠を誓わせることが肝要。頼みの東南州軍が州都のみを守り、他の街を守らぬと判れば各地の貴族達は今後を考えましょう。先ほど申し上げたとおり、マハナトとエルーラの守りは薄くなっております。ならばこの二つの街を落として取り込む方法もありえるかと。」
落とした街の地方貴族を取り込み、離反または中立としてエレメ側を追い込み交渉の場を作る案である。
「先ほど申した通り、兵が少ない我が軍がさらに兵を分けるのは無謀であろう。」
アルラハンはやや高圧的な物言いだったが、答えは用意されていた。
「ご心配には及びません。兵一万であれば敵にも悟られることなく離脱できましょう。」
「マハナトとエルーラを一万で落とせというのか。」
「正確には二つの街を歩兵一万と騎兵千、そうですな将はアジス・アベール様でいかがでしょうか。」
ノエルは城壁を備え手薄とはいえど千は超える兵が守る街を二つ、短期間で一万の兵で落とせばよいと説明する。マハナトとエルーラは東端州や東央州の街と比べて城壁が低いが、街の規模はイシャラの街よりは大きい。
副将アルーバースは呆れた様に告げる。
「いや、余計に無理であろう。」
ほぼ全員の感想であった。黙って話を聞いていたシャイシャリスが、潜在的には味方ではない将に確認する。
「アジス・アベール将の意見は。」
「命あれば実行しますが、可能かと問われれば首を振るしかありません。」
目が無理難題だと明確に語っている。シャイシャリスはノエルと通じ合いファティーマ派同士の連携があるのか考えたがどうやら違う。この話を切り上げることにした。
「参考にはなった。」
強引な終わらせ、ノエルは黙って頭を下げて口を閉じた。
再開した軍議は先遣二万に五万を追加した先陣七万で敵正面に攻撃、敵の強さを計る方向で進む。陣立てが決まり最後にこの勝利を主に捧げることを誓いがなされる。
二つの地位、二人の主への捧げ句をシャイシャリスが唱える。
「勝利を太守様に。勝利を祭主様に。」
唱和する将達の表情を盗み見つつ、ノエルは本来の業務に戻る。先陣七万への糧秣の輸送計画について、配下の軍務官シュラーザと相談しながら、記録官に石板への刻字を命じた。
軍議の翌日、太守府軍側の攻撃で戦が始まる。先遣軍に合流した兵五万を合わせた七万の先陣を指揮するのは、副将アルーバース。伝令からの命令を受けて歩兵隊長が指揮をする奴隷歩兵の前進が開始された。同じく迎撃のために前進する東南州軍の奴隷歩兵との接触すると、歓声と鉄の響きが一段と大きくなる。中央と左右の合計六十隊三万人の攻撃を東南州軍の前衛は翼列陣で受け止める。中央はやや下がり、左右がやや前方に配置する陣形は弧陣とは違い左右にも厚みがある。明け方から始まった戦いが完全に陽が昇った頃に東南州軍の勢いは増し、翼列陣の両翼が太守府軍を押し始める。
意図は先に相手の左右の部隊を後退させ、中央の敵部隊を孤立させること。最期は左右の翼を閉じるように三方から攻めたてる必勝の策。副将アルーバースは敵の勢いを認め防御に転じる。
「敵の目的は我が軍の両翼を後退させ中央を孤立させるつもりだ。中央は後退を始めよ。両翼は堪えよ。投槍隊、構え。」
太守府軍はやや中央が前に出ていた凸型陣形を凹陣と変形させる。中央三十六隊の後退を待機させていた奴隷歩兵四部隊二千人の投槍で援護する。太守府軍は中央の後退まで両翼が支えきり、敵の追撃を抑え込んだ。
陽が頭上に来る前に両軍は剣や槍を交える距離から互いに遠のき、戦は止まる。
初戦は五分の引き分け。副将アルーバースを始め各将は、奴隷歩兵の個々の強さは東南州側に分があるのは知っていたものの、組織行動では太守府軍が優位だと考えていた。それが規律よく動く東南州軍。一部で衝突した将が率いる騎馬兵と平民歩兵同士の戦いでも、決着がつかずに終わる。
東南州側は初戦の感触から力は互角、撃退したことで実質の勝利を得て士気が上がる。中央で全体の指揮をとった年長の将オーシールが、左翼を率いた同格の将ミトスを誉める。
「お前の策が当たったようだ。堀の守りを捨てるのはどうかと思ったがエレメの街を背にしているので後背の憂いも無く、補給も容易となれば大軍である我が軍は負けぬ。」
防衛戦では物資豊かであれば街に籠る籠城戦が上策だが、エレメの街は守りを高い壁ではなく広い堀に頼っている。東南州の街の堀は雨量の多い少ないで水位が上下する。エレメの街は大河から水を引き込んでいるが地形の問題で雨量が少ないこの時期の堀は、成人の腰の高さ程度の水しかない。大軍を要する敵に対して長期の籠城は不向きだった。
将ミトスは東南州第二の街マハナトの守将であるが、州都エレメの街出身である。征服王の遠征時にエレメが落ちた理由を眼前の体験でしている。東南州の南の密林から切り出した木材で作った大量の筏に兵馬が乗り、奴隷が水に浸かりながら曳き押して堀を超えた。筏をそのまま盾にすると徐々に包囲が狭めた征服王の軍が、機をみて東西南北から一斉に襲い掛かりエレメは陥落した。
同じ誤ちは犯さない。
将ミトスはこの勝利で帝国から自治の許を得ることまで視野に入れていた。密かな決意を持つミトスの隣で老練な将オーシールが周囲の兵達に語りかけていた。
「此度の戦はただエレメを守るだけではないぞ。積極的な守りで、敵に反撃も加え前進もする。敵はかってが違うと今頃は困っているだろう。」
士気上がる
「この調子ならすぐに追い返せすことができましょう。」
「いやいや、いっそのことオッシルまで攻めてしまえばいい。」
景気の良い声を上げる兵の歓呼に応えつつ、二将は本陣に向かいながら並び歩く。前方の天幕に近づくと笑顔を引っ込め、役目をもつ将の態度になる。
詰めの兵が二人の将の到来を天幕の内部へ伝える。
「オーシール将、ミトス将、ご苦労であった。まずは一杯。」
迎えたエレメの守将で東南州軍筆頭の将オルバスは、この地の独自の作法である主将自ら一番手がらの将に清涼な水を与える振る舞いをする。受け取ったオーシールが杯を一気に飲み干し、周囲に自分の手柄を誇示する。
「エクサード様、いかがでしたか我が軍の働きは。」
オーシールが尋ねた相手は、帝都の将で軍監のエクサード。左翼後方の岩丘から戦の様子を見るために一部の兵と観戦していた。
「精悍さは評判通り、強さにおいては相手を上回ると感じた。特にオーシール殿とミトス殿が直接率いる南蛮人の兵は、奴隷でありながら目を惹く動きだった。」
位階も上であるエクサードの賞賛に、オーシールとミトスは頭を下げる。
南蛮人か、これだから帝都の人間は。
同じ思いの二人の将は礼儀を守りつつ、大小の差はあれ顔に出た表情を悟られぬようにした。
東南州は南方大陸の中でも「濃い肌の人」と呼ばれる黒色の肌の人種が多く、また褐色の肌を持つ「薄い肌の人」との混血でも濃い目の肌の割合が高い。個々の身体能力、特に俊敏さと見かけよりも筋力のある身体は兵として優秀であった。
一方で「濃い肌の人」が在住する地域は時事その他を記録する文化がなく、法制度も村の掟程度が多かった。南方大陸の主要人種である「薄い肌の人」からは『南蛮人』と呼ばれ格下扱いされることも多い。エクサードは特に差別意識が強いわけではないが、帝都出身であり自然と培った北部優位の思想の持ち主であった。
旧王国の武官であった肌の薄い父と東南州南部生まれの肌の濃い母を持つオーシールは、東南州と呼ばれるこの地方への人一倍の郷土愛を持ち、東南州を守ることに誇りを持っている。同時にやや肌の濃い帝国民として、旧王国の少数支配層である肌の薄い人と支配される肌の濃い人の関係を壊し、皆帝国民として扱うと宣言した征服王に忠誠を誓っていた。
エレメ出身の肌の薄いミトスも、幼少期はエクサードと同じ感覚であったが今は不快を感じる。
空気を察したオルバスが声をかける。
「二将の労いの宴は後の事として、明日以降の陣立てについて話しておこうではないか。」
軍略の機敏さはないものの、州都エレメの守将を長年こなした経験ゆえに東南州軍をまとめる役として主将任されている。
東南州軍は、若年の将の進言を受け入れる度量がある将オルバスを筆頭に、経験豊富なオーシール、若く軍略に長けたミトスと隙の無い布陣であった。
夕刻に開かれた太守府軍本陣での軍議で、将シャイシャリスは各将からの報告を聞きながら考える。
東南州軍の主だった将達を知ってはいたが、正面から東南州の兵と戦うのは初めてであった。良く動き息も長いという評判通りの戦い以外に、思いのほか徒党を組む戦いもこなすと知り、長丁場を予感し始めている。
時の話となれば味方をするのは東南州側となる。
敵は無理に勝たなくてもよい。州都エレメを守り切ればよく、太守府軍側が撤退すれば勝利が確定する。反対に太守府軍は東南州支配のためにはエレメを陥とす必要がある。将兵の質に大差がなければ、兵力差が最終的な勝利要因となる。
今回の派兵は東方三州の支配権の確立が目的であり、平定に時間をかけるのは愚策である。東方太守の権威が落ち、隙をみて帝都の軍が太守府オッシルに出現する可能性もある。東南州各街に籠る守備軍を順次攻め落とす手を幾つも用意していたシャイシャリスにとって、大規模野戦での短期決戦にみえる長期戦は難題となっていた。
軍務官長のノエルとしてはシャイシャリスの悩みに気が付いているものの、今の時点では自分の責務に集中するしかない。物資の配置には最新の注意を払い、一箇所に集積せずに奪取や放棄があっても遠征を続行できるように中継地点を設けて分散集積を行っている。運搬作業は頻繁となるため、戦用の奴隷歩兵の五分の一、三万人に匹敵する人員を確保している。
一軍に達する人員を指揮するノエルは将でもあるのだが、そのことを知っているのは東南州懲罰軍の中ではごく僅かであった。