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黒バラと姫  作者: 無風の旅人
大陸三分割
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軍記41

 アルマラの東方太守辞任とファティーマの臨時就任からふた月、オッシルの太守府は喧騒に似た日常が日々の光景となっていた。将や上級官吏の往来は激しく会議も頻繁に行われ、各間は常に使用中。石板を抱えて小走りの記録官や軍務官、執務官等の下級官吏が行き交う姿は倍となり、世話や給仕の奴隷達にいたっては幾人いるか判らぬほどである。

 これも全てこの府舎の長である東方太守が変わったことが原因であった。


 東南州軍を率いた帝都の将アーシルに包囲された太守府であるオッシルの街が、シルミラの街から帰還したアルマラの手によって解放された翌日、妹であるファティーマに東方太守位を譲る話は、太守府の多数の官吏と将を混乱させた。百の諫言にも耳を傾けないアルマラへの地方貴族達の困惑と反発は、一部の一族の反乱にまで至る。

 乱が本格化する前に鎮圧できたのは、帰還した太守府軍主軍と同行したファティーマ派の若手貴族や将であるフィノーシャにシャーウリア、アジス・アベールの手柄であった。裏では事前にアルマラと謀将ハローシャ、ノエル、オイファールで対応を練った結果であったのは言うまでもない。

 大軍を率いたアルマラには手出しできない帝都側が、謀略を仕掛けるのは目に見えている。それ以前に残留した官吏や地方貴族達への反アルマラ調略は進んでいると読んだ。ここでノエルは謀将ハローシャですら鼻白む案を提示していた。

 元からアルマラ側で手に余っていた東央州の地方貴族の有力一族を反乱に誘導、また上級官吏の中で帝国よりも旧王国に心情を向ける者の排除である。

 騒乱は半月程度で収まる。主だった捕縛者は貴族や高官で五十人を超えた。裁定はファティーマ暗殺を企てた者を含めて処刑三人、貴族から平民に落された者が一人のみであった。残りは新たな太守への忠誠を誓うことで放免とされる。

 裁定の場でファティーマは器量の片りんをみせる。まだ若い臨権太守への不審感を口にした者へ告げた。

「王族であるだけの小娘に忠誠を誓えとは言わん。今は東方太守という名に従えばよい。本気で頭を垂れるのは、我が身に実が伴い貴様らが真に東方太守と認めてからでよかろう。それほど待たせるつもりはないがな。」

 堂々とした振る舞いに余裕の言葉。反乱に加わった地方貴族や官僚は、内心は様々ではあるものの東方臨権太守に膝をついた。敗北を悟ったアーシルは東南州軍を帰参させ、ファティーマの太守就任式の出席の後に帝都に戻った。


 反乱は未然に防いだものの、東方臨権太守ファティーマと新旧の幹部達の課題は山積みであった。

 東央州と東端州の官吏将兵の融和。太守就任の儀を欠席したうえ、三州会議の召集を拒否した東南州行政府への懲罰出兵の準備。東央州と東端州の経済格差から生まれる摩擦の解消等々。

 課題は幾らでもあり、消極的不服従の個人、組織、勢力への対処となると数えるのも面倒となる。唯一の好材料はファティーマの精神状態が良好であったことだ。

 批判に対して悠然と対応し、必要であれば受け入れ、時には厳しい追及もする。寛大さと冷厳さを併せ持つ様相に先帝の血を感じる者が出始める。臨権太守を全面的に支持するオイファールの国将としての信望とウルシラールの上級官吏としての老獪さも、新たな太守府を動かす力となる。

 これとは別に書記官と軍務官を兼任するシンバリと名乗る北方大陸出身の異邦人の存在が、巨大な石造りの太守府で異彩を放っていた。

 ファティーマの秘書官として中枢に近い位置にいながら公式の会議での発言は最小限で、上位者への儀礼は完璧に守る。将や官吏との繋がりは太く、信頼は厚いように見える。書記官として記録官達を束ねながら、軍務官として物資調達で行政官や商人達と日々調整を重ねる。合間に各将や上級官吏達との顔を合わせて話す。無論それ以外の立場の人間との密会も欠かさない。

 一ヶ月後には神出鬼没の黒い外衣の男は、太守府で働く従者や奴隷達から黒影の君と呼ばれるようになった。


 多忙なノエルは臨権太守の執務室に呼ばれていた。

「今夜の首飾りはどれがいい。」

 最高位の機嫌というものは、経済的・軍事的に重要でなくとも政治的に優先されることがままある。側仕えの女官が持つ盆の上には様々な飾りが並ぶ。東方三州の経済規模を纏める仕事中に呼び出されたノエルは、頭半分で答えてしまった。

「今夜は東央州の貴族が奥方同伴で集われます。この時、イスマイールの一族、シャラーンの一族、ルシラートの一族の長の奥方への宝授を心にお留め下さい。そのため特別な品は控えたほうがよろしいかと。」

 南方大陸の貴族には、格上の貴人が身に付けた装飾品を親しみの証として相手に与える風習がある。上下関係を明確にする一方で、上から交友関係を求める意思表示でもある。

「聞いたのはどれが似合うかであり、そのような作法の話ではない。」

 ファティーマが求めた答えではなかっため声に機嫌の悪さが表れ、周囲の女官達に動揺が広がる。ノエルは思考を切換え、褒めるを越えて口説くを選択する。

「姫君がお身にまとえば全てが垂涎の装飾となります。そもそも最上の宝石はこちらに。」

 ノエルは手を伸ばし頬に掌を添えて指で目尻を軽く撫でる。

「この輝く宝玉に勝るものなど、私は知りませぬ。」

 大胆な称賛にファティーマの瞳は輝きを増す。本来は上級官吏の端にぶら下がる程度の地位にいる平民が、王族相手に振る舞ってよい態度ではない。

「そのような色言で誤魔化すでない。」

 叱責の言葉もすでに先ほどとは口調が異なる。機嫌が直ったのは間違いなかった。ノエルは手を離し謝罪しつつ進言する。

「御問いに沿わず申し訳ありません。この白赤混ざる石の飾りはいかがでしょうか。」

「そうか。では今宵はこれにしよう。シンバリも出るであろう。」

 この誘いはノエルには予定外だった。

「オッシルに集いし貴人の親睦の席と聞いておりますので、ただの書記官の出番は特になく。」

「側仕え、秘書官としてならよかろう。」

「有力一族の奥方様が、見慣れぬ北の民を見て萎縮されては、場の意味を成しません。」

 ノエルの説得を渋々受け入れるファティーマの顔から不満が消えない。

「ではこういたしましょう。夜もふけるまでの宴となれば明日は遅い朝餉となりましょう。お許しいただければご相伴にあずかります。」

「うむ、許す。」

 破顔した姫君の様子に周囲の安堵が伝わる。暴君でも暗君でもないが今や東方二州を束ねる主の機嫌は、側仕えにとって最大の関心事である。精神安定剤、もしくは高揚剤としてのノエルの役割は、一部を除いて周囲が認めることである。同時に普段は黒の長衣で隠している白い肌と黒髪に北方生まれの顔立ちは異邦を常に感じさせ、黒影の君の隠れた人気は続いていた。誰に対しても丁寧な言葉遣いながら品の良い発音のためか、本来ならあだ名でも許されない『君』呼びも、正体は異邦の貴人らしいとの噂と相まって半ば認められている始末であった。


 新たな太守府の人事は難航したものの、新旧の幹部が混ざり合った奇跡的な組織となる。


 東方臨権太守 ファティーマ

 東央州首席行政官兼東方行政長官 アラミートス

 東端州首席行政官兼東方行政副長官 ウルシラール

 東方財務官 ワーラエナ

 東方土木官 ホラーシャ

 東方内務官 マルイラース

 東方外務官 ダードリ

 東方警ら長官 サムゥート

 東方太守親衛隊 隊長 シューレト


 東方太守府軍幹部

 東方太守軍 筆頭将 シャイリャス

 同軍 副将 オイファール

 同軍特別戦車軍 将 イラーシュ

 同軍特別騎馬軍 将 フィノーシャ

 同軍特別情報軍 将 ハローシャ

 同軍 将 ティーライ

 同軍 将 アジル・アベーバ

 同軍 将兼シルミラ守将 ミ―ラス

 同軍 将兼イシャラ守将 ラーティス

 同軍河川艦隊 司令 ルクスソール

 同艦隊    副指令 シャーウリア


 この人事が最適かは僅かな月日では判らない。それ以前にアルマラの腹心である筆頭将シャイリャス、首席行政官アラミートス、神官フィラシオラの三人は、ファティーマへの譲位の話を主から打ち明けられた時、当然のごとく全員が反対した。

 アルマラの説得はただ一点、短期間での帝位の奪取の可否への問いだった。

「できると言われたら貴様らを放逐するつもりだった。沈黙こそが能あり信たる証である。また軽くみたことは謝る。」

「謝られる必要などありません。しかし我らよりも素性も判らぬ異邦人をあてにされるとは。」

 アラミートスは、既にシルミラの地下監獄での面会が契機だと把握している。素性不明の異邦人が説いた短期間で帝位を得る方法を信用したなど、アルマラへの信頼が揺らぐのも無理は無かった。

「中々の策士というのは否定できぬと言えど、我ら束ねたよりも上回るとの言を信じろというのはご無理ではありませんか。」

 直接の対峙がなかっただけに、アラミートスはノエルを詐欺師以上とは考えていない。

「三人は我が太守府を支え、のちには帝国を支える人材となる者である。渡り鳥のごとき異邦人と一緒になどせぬ。此度の件は二度と使えぬ一度きりの奇策を使うための方便だ。」

 説得の内容よりもアルマラの折れる気のなさを感じ取り、アラミートスは一旦口を閉じる。受け入れたわけではない。主の意志をむやみに否定するのは、アルマラの才を信じるだけにできないからであった。


 ノエルの才幹の一端を知る将シャイシャリスだが、ファティーマ派との混在体制には疑問であった。

「東端州と東央州の者を混ぜたこの陣容は、本当にアルマラ様が後々にまとめられるものなのでしょうか。」

 あくまでファティーマへは太守の地位を貸しただけとの説明に対する反応である。特に兵馬においては軍権を預ける将格の配置は即権力に影響する。

「兵は地より湧き出るが将は鍛え上げた剣のように得難いものである。いずれは全て我が配下となる。ならば組み入れておいて問題はあるまい。」

「アルマラ様は本当に一時的に兵権を与えるだけと申されるのか。」

 筆頭将は自分であったも、副将オイファールを始め軍にファティーマ派の将が多く、いずれ東端州軍に乗っ取られるのではとの疑念が強い。常よりも妥協のない主の態度に、若さゆえの誤りを正すべきではないかとの思いが募る。

「一度握った兵権を手放す者はいない。それはその通りであろう。しかし今回は違う、というより限界が来るのだ。勢いに乗り進めたとしても遂には周りが許容できぬようになる。だが勢いを生み出すのも事実。激しく踊ってもらい、妹が倒れた後に我が手に入る筋書きだ。」

 アルマラの好みの策謀であるが、一方で似合わぬ危険で博打的な策だとも感じる。この差を埋める何かがある。考えが異邦人に行き当たると、シャイシャリスは不満と不快で沈黙を余儀なくされた。


 神官フィラシオラの態度は明確だった。

「妹に渡した『東方太守』が『皇帝』に化けて我が手に戻るのだ。これ以上の投資はあるまい。」

「その証はなんとされるのです。石板に刻まれぬ約定など存在しません。それも一度地位につき太守府と兵を押さえてしまえば、いかようにでもできること。何をもって姫君にお譲りなされた地位が戻られると思われるのか。」

 口約束では当然、たとえ約定がなったとしても皇帝の地位に就いてしまえば反故も無視も可能である。

「裏切りは我が妹には無理だな。あと十年ほど経てばわからんが。オイファール、ウルシラールにもな。」

 アルマラの人品判断は概ね的確であった。神官フィラシオラが高く評価する所以の一つである。

「アルマラ様の言は信用いたしましょう。あの男については。」

 名前を出すのは控えたのは不快感がこみ上げるからである。神に仕える者とは思えぬ表情に、アルマラは笑いながら答える。

「何に文字を刻もうと神への誓いもあの男には意味はなく、さりとて脅迫も調略も効くまい。だからこそだ。」

 策を弄する時とは違う、臣下を魅了する貴種の好感溢れた口調と表情でアルマラは続ける。

「あの男の利は大陸からの逃亡なのだ。それを既に三回も失敗していると聞く。そこで奴に理解させたのだ、己の責務を達する以外に道はあるまいと。」

「逃亡ですと!それも幾度もとは!そのような者を重用するのは危険でありましょう。」

「妹から逃げられぬ者が我が手から逃れられると思うか。」

 最後には陰謀家の笑顔がでる。神官フィラシオラはアルマラの自信を信用しながらも、譲れぬ点もあり沈黙となった。


 アルマラは不承知のまま部屋を退室した腹心達を見送りながら嘆息する。

 本当のことを言うわけにいかぬのが、なかなか厄介なことだ。

 自分をこの状況に巻き込んだ、北の策士に半分本気で毒づいた。

「安易に奴の言葉に乗せられたのかもしれん。北の大陸を口一つでかき混ぜた男を信用し過ぎたか。」

 ノエルが偽物だとは考えていない。あれだけの策は多少の才では実現など不可能である。それだけに油断など一切できないとも考える。打てる手は打つのがアルマラの流儀であった。


 書記官の執務室でノエルは目の前にいる殺気の塊に閉口していた。

「不本意だが命により警護役となった。貴様の命は護るゆえ、俺が振った剣の前にうかうかと立つなよ。」

 警護とは?

 疑問を浮かべつつ、放言するイルバーンの隣に立つ者に視線を移す。察した元東方太守親衛隊隊長は鋭く叱責する。

「イルバーン控えよ、東方大祭主様の命によるものだ。」

 元親衛隊最強の男は、沈黙したものの殺気は隠さない。最強の戦士を手放すはめになった現東方大祭主警護隊長も、最低限の愛想で説明を続ける。

「書記官の警護についてはファティーマ様の承諾は得ている。また邸宅の周囲には他にも兵を配して万全を期した。」

 貴族並の警護体制にノエルは舌打ちを我慢する。アルマラの意図が明らかに護衛を名目にした自分への監視と首輪なだけに断りたい気分であった。

「大祭主様の御配慮、受けぬとの話は無いと思うが。」

 名目が妹の思い人であり、自身も慕う者への配慮と言われると拒絶はできない。

「東方大祭主様のご配慮、ありがたく頂戴したします。」

 深々と頭を下げる異邦の優男に意外な胆力を感じつつ、警護隊長はその場を立ち去った。後には噛みつかんばかりに睨む最強戦士が残される。ノエルは心の中で嘆息するばかりであった。

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