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黒バラと姫  作者: 無風の旅人
大陸三分割
177/182

軍記40

 北の大陸の地の中央に位置する帝国。その都には様々なものが流れ込む。人、物、そして情報。大陸各国から、海を越えて南の大陸から、時には遥か西方の地から。

 南の大陸からは情勢が騒がしくなると、嫌でも様々な音が耳を入ってくる。

 多くは商人経由により十のうちの六。他国の外交筋から流れ込むのが二。残りの二割程度が遠い南方に配した密偵からとなる。信における密偵の報ばかりが重要なのではない。人を経る度に味付けがなされる商人や他国の政を経由した情報は、意図や状況を計る上で大切であった。


「それでこの情報をどう分析する。」

 帝国の皇帝エイロン二世の諮問は共和国と連合王国、それぞれを経由した南方大陸の情報についてであった。商務大臣他複数の役職を兼務する腹心マグオリンはやや憮然とした口調で答える。

「希望的観測、利を求めての偽装、面白半分の創作と、様々ですが全体を観るとまだまだ観劇気分です。」

「ふふふ、そうか。」

 軽く笑う皇帝の口元は、間違いなく楽しんでいる時の様相であった。齢三十を超えても美丈夫ぶりは変わらず、政務の重圧の中で若々しさを保つ。やや短く揃えられた金髪は、若手貴族達が一度は真似をする人気の髪型でもあった。

「第九子が東方臨権太守になった理由が判明すれば、笑みも凍り付くでしょうが。」

 腹心のやや皮肉をまぶした言葉に、まだ緩む口元を隠して皇帝は尋ねる。

「やはりあの男が謀ったか。」

「このような最善に近い解決など天地がひっくり返らぬとありえませんから。」

 南方大陸の第六子東方太守アルマラと第九子ファティーマの南方大陸東方を巡るの勢力争いは、シルミラの街を巡る戦いから急転した。劣勢な第九子が東方太守に就任、圧倒的優位なはずの第六子が東方大祭主という名誉職に収まるという結末。誰もがアルマラの勝利と東方の完全支配を予想しただけに、様々な憶測や噂がまき散らされた。

 最も真実に近い所にいる皇帝は確認する。

「それで今度はそのシンバリとやらが何をしたのだ。」

 既に人相書きは確認済みである。言い回しから皇帝の期待感が見え隠れする。眼差しに呆れつつも、マグオリンは答えを用意していた。

「まずは転機となったシルミラの街の戦いですが、東端州軍は主力を主戦場から外しての温存に成功。続いて残留したシルミラ守備隊は、太守府軍主力を様々な手練手管で街に釘付けにしました。遊撃兵力となった最大戦力のオイファール将が先鋭とともに後方の太守府軍本陣を急襲、結果は和睦となりました。」

「相変わらずの手際だな。」

 皇帝の称賛に、後天的に苦労性の属性を得たマグリオンは溜息を隠して続ける。

「和睦交渉は太守府軍優位に進みながら、数日後に事態が急変して新太守が誕生とあいなりました。数日の間に書記官シンバリが投獄され、その夜に東方太守アルマラが国将オイファールを伴って密かに面会しました。どのようなやり取りがあったかは不明ですが、それが契機と推察します。」

 皇帝は隠すことを諦めた笑みを浮かべて確認する。

「つまり、何をしたのだ。」

「恐らくは、ですが『黒き賢者』を名乗ったのではないかと。」

 黒き賢者は南方大陸での黒策士の呼び名、つまりノエルは正体をばらしたと考える。否それしかその後のシンバリの立場とアルマラの行動の整合性が取れぬ。

「ふむ、いや、それは、しかし、ありえるか。」

 皇帝は頭の中でアルマラの人物像を構築する。才能あり誇り高く自信を持った年少の太守。評価するのは勇よりも知。早熟な少年が幼き頃に黒策士の物語に感化されればどうなるか。事実、帝国には大陸をかき混ぜた黒策士に敬意を持つ臣下臣民が幾人もいる。ローゼリオ侯爵の嫡男小アルタにいたっては、ノエルの直弟子として名乗りを憚らず、マグオリンの配下商務局で共和国・西方諸国の担当として最近の活躍が目覚ましい。

「その第六子、野心は間違いないのだな。」

「はい、明確に帝位への野心を持ち、今も衰えていないかと。二年前の東方太守就任後、短期間で軍を整え交易を盛んとし、年長の配下も完全に掌握しておりました。あと国将オイファールの不可解なこれまで行動も説明がつきます。」

 ノエルは自身の虚名を利用して、重要人物を篭絡していると。やや嘆息の口調で皇帝は確認する。

「ブルノーの名では、ありえないか。」

 マグオリンは首を振る。

「ならば決まりだな。」

 皇帝エイロン二世は厳格な為政者の顔に変える。

「あの男は約定を破り再び世に出ようとしている。あらゆる手段をもって奴の真の名が知れ渡る前に封じよ。」

 本人だけでなく関係者の暗殺もあり得る言葉の強さに、マグオリンは確認せねばならない。

「よろしいのですか。」

 皇帝がノエルを気に入っている点と、公国の公姫エヴァンジェリン将軍の夫である点への考慮である。

「加減が必要な男でもあるまい。」

 言われてマグオリンは同意する。

「確かに陛下の仰る通りであります。勅命承りました。」

 暗殺者の一人や二人で殺すのが容易いな相手であれば苦労はしない。マグオリンは立案済みの計画と使える駒の現状を照らし合わせ始める。既に北からの刺客に対して手を打っている可能性すらある。当然反撃も考慮せねばならない。

 何よりこの微妙な時期に公国とあのエヴァンジェリン将軍を敵に回すことは避けたい考えもある。


 帝国歴五百一年、皇帝とごく一部の直臣のみが知る北方諸国封じ込めのための壮大な戦略が動き出す。そのためにも南は万全にしておきたい。ましてや南方帝国の混乱が収束して、この大陸に興味を持つことなど絶対に阻止しなければならなかった。


 南方帝国の帝都は大陸中央を南から北の内海に流れるファシール河の中流、旧オリヒャール王朝領のサリトリアスにある。

 帝都宮殿は旧王朝の離宮の遺構を利用して建てられた。外苑も合わせて旧王朝の三倍の広さに拡張されており、帝国の統治機構の大部分と皇帝とその家族の私室が存在する。

 後宮と称する皇帝の私生活を彩る愛妾達の住いは、前皇帝の死とともに半分が閉鎖されている。残りの半分は生家に戻れず、新たな嫁ぎ先が無い比較的年上の元愛妾達が過ごしていた。

 南方大陸を統一、南方帝国を樹立した皇帝アルヒナール。一介の奴隷から武勲を重ねてラフィタール王朝国王となり、三人の将を従えて南方大陸全土を駆け巡ること十八年に及んだ。帝国成立後二年で暗殺により亡くなる。後継者を定めていなかったことから南方帝国は皇帝不在のまま二年が過ぎていた。


「ようこそおこしくださいました、上の君。」

 赤毛を薄いベールで覆い隠した女性は、両膝を付き訪問者に頭を下げる。

「政務が早く終わったのでな。」

 尊称で呼ばれた男は定位置である座椅子に座る。元は男の父親のみ座ることができた席であった。幅と高さに加えて厚みもある体躯を持つ男の名はマルート。皇帝アルヒナールの長男で、帝位に最も近いが届いてはいない。黒髪を後ろで束ねた容姿は美丈夫と言って良く、大きな黒い瞳が活力に満ちている。

 この場にいるのは逸脱行為であるが、処々の理由で臣下達は沈黙している。赤毛の女性はやや厚めの唇を開き、用意された杯を薦める。

「三種の香草を漬け込んだ酒でございます。」

 穀物酒でも平民のそれとは違い、三度のろ過で不純物を取り除いた逸品であった。マルートは一気にあおり喉の渇きを潤す。背後にはマルート付きの女官が二人控える。正確にはマルートの姉の配下で短剣ではあるが帯剣している。常に周囲に気を配い、長男が杯を口にする前に毒味まで行う警護役であった。

「今宵はこちらに。」

「いや、夜半に面会があるのでな。」

「それは残念でございます。」

 女性はマルートの二の腕に体を押し付ける仕草で甘える。十五の年の差を感じさせない肌艶と年上を感じさせるしっとりとした声。父親の愛妾を子が我ものとする行いに眉をひそめる者は少なくない。数年越しの想いを叶えたマルートは、控えめな忠告と強めの視線を全て無視している。一方で女は帝都での地位を保ち、いや高めていた。

 この男女二人の時間は多くない。その分、会った時は濃密になるのは仕方が無いことであった。


 夜半、私的な面会を終えたマルートが就寝すると、お付きの二人の女官は本来の主のもとに向かい報告する。

「本日の政務は滞りなく済まされたご様子にございます。」

「面会は財務大官イクルー様が君の部屋に直接いらっしゃいました。」

「後宮へは陽の傾きから没する手前まで。」

 主である皇帝第一子で長女のイレーネは、弟の後宮通いに嘆息する。

「まだ通われているのですね。」

 父の愛妾を子が自分の側女とするのは珍しいことではない。だからと言って許容されるとは限らず、好ましからざる行いであるのは普遍であった。主の死により後宮を閉じるのであれば、そこで暮らす者の身の振りは後継の仕事である。マルートは後継の最有力候補としての立場を利用している、との非難が絶えないのはそのためである。

 ただ愛妾は奴隷ではなく、地位が保障された貴人である。自身の希望により後宮出ることも可能なため、無理強いされているとの意見は少ない。

 帝都で最も話題に上がる男女一組の件は、皇帝不在の微妙な国情においてイレーネの頭痛の種であった。


 皇帝不在の帝都では上級官吏八人の大官で構成される執行機関が政を担っている。首席は政務大官で信任を受けて帝代理の印を用いる立場であった。現在は前皇帝の急死で最高権力者不在の中で八人の首席として統治の責任を負っている。

 なお上級官吏だけで国政を司るわけではない。諮問機関である神殿の大神官や国将を代表とする帝国国軍、影響力を持つ中央貴族達との合意にもとづき、マルートを皇帝代理に選任しての合議制であった。


 気を取り直したイレーネが確認する。

「他にはありませんか。」

「サーファが報告あると。」

 王族に仕える召使姿の女性が室内に呼ばれ拝跪する。

「立法大官アルリーベ様から伝言をお預かりしました。」

 立法官は行政職の一つで皇帝や太守、各行政官、貴族達の提議を法とする役目を負う。現行法と相反しないか確認し、太陽神の教えに反しないか神官と調整を行い、帝国の法として発布までを司る役職であった。立法大官は帝国全土の立法官とその業務を束ねる大臣職にあたる。

「官位任命の法で今後悪用される懸念がある条文について明日、ご相談したいとのこと。」

 下級官吏ではなくイレーネの召使であるサーファに伝言を預けたのはもう一つの役割、支配者にとって不利となる条文を見つけ対策するためであった。立法権を持つ帝国政府と裁判を司る神殿側と駆け引きは、常に発生している。皇帝という絶対的権力者がいないため、皇帝の長子で最年長の王族であり太陽神の巫女でもあるイレーネへの相談は日々欠かない。

「明日は陽が頂きに着く前に伺うと、伝えてください。」

 命をうけたサーファが退くと、召使長のマルナが書状を差し出した。送り主は現中央貴族で親戚筋にあたる旧王族であった。

 神殿での努めが主たる責務であるイレーネだが、弟の助けとなる動きを続けるうちに、大官だけでなく帝都に住まう様々な勢力から政について相談を受けていた。

 日々の努めにだけ励む毎日が懐かしい。

 イレーネは無くした平穏をほんの少し振り返ると周囲に告げる。

「マルナ、今日はもう休みます。」

 マルナは控える召使奴隷の中から数名を選ぶと、自室に向かう主人の後を追う。多忙を極める姫君のお世話には人手が必要であるがそれだけではない。マルナは小声で確認する。

「今宵の夜伽は。」

「二人ほどでよい。」

 太陽神は大らかではあるが、巫女には男女の関係は御法度である。意図せず重責を担うことになったイレーネの唯一の慰めが、同性との同衾であることは弟とは違い極わずかの者しか知らぬ秘密であった。


 帝都宮殿の政務の間は席数五十の大広間である。正面上段の帝座を背にして議長席が正副三席、中央の大机の左右に大官が座る第一列各五席が並び、背後に上級官吏が控える各二十席が二列で並ぶ。

「それは真か。」

 報告を受けた土木大官の一人が声をあげた。

「オッシルに差し向けたアーシル将からも同様の報告が届き間違い無いかと。」

 そもそもの策は東端州へ触手を伸ばしていたアルマラが自身で遠征を行う時機を見計らい、帝都より派遣した将アーシル将が東南州軍を率いて太守不在の太守府オッシルに進駐する算段であった。守備兵力の抵抗でオッシルへの入城ができなくとも、アルマラは最重要拠点を守るために兵を必ず返す。シルミラは反乱貴族を殲滅した将サルラートが押さえて帝都直轄地とする。

 それが東央州と東端州、アルマラ派とファティーマ派の合一とは予定の外が過ぎた。

 軍務大官の説明で大広間に重い空気が流れる。崩したのは議長席に座る皇帝の代理人マルートだった。

「アルマラが東方太守の地位を返上したのならそれでよいではないか。弟も殊勝なことだ。」

「それが返上ではありませぬ。」

 訂正したのは執務大官。主君を実務面から補佐する役で皇帝の公務を取りまとめる秘書官役と、貴族との橋渡し役が主な仕事だった。

「太守の地位を退くと同時に、その地位を妹君のファティーマに譲られたのです。」


 東方太守は三州の軍権と統治権を有するため、任命権は皇帝のみにある。皇帝不在時には大官の推薦のもと皇帝代理が任命する。ただし緊急時には太守が次大守を臨時で任命できる。緊急時とは死傷や病床で政務や軍務に著しく影響がある時。

 太守府軍の東端州遠征の隙をつき太守府オッシルを包囲した帝都派遣の将アーシルは 太守府へ急ぎ戻ったアルマラを捕縛することも太守府の広間で帝都の但し状にて辞任に追い込む権限も有していた。

 先手を打ったアルマラは、ファティーマと和睦を成立させ遠征軍全軍を率いて堂々とオッシルに帰還した上で、数々の不手際の責任を取るとの名目で東方太守を辞任する。同時に三州の不穏なる状況で政治的空白を作ることはできないとし、ファティーマを臨権太守に任命すると宣言した。

 東方の政情不安定を理由にアルマラの地位の剥奪を目論む将アーシルは、異議を唱えるどころか新太守就任の立会人にされた。

 新太守を名乗る第九子ファティーマといえば、シルミラの街の行政官を追い出して自身の配下の官吏を任命、帝都に承認を求め却下されても再考を求めて繰り返し申請していた。

「かの首席行政官の件では手を変え品を変え、繰り返し新たな人事の承認を求めていた。明らかに帝都の指導をうけぬ意思表示である。」

 内務大官は不快そうに王族に対する敬意を省いて話す。隣の土木大官が尋ねる。

「そういえば、四度であったかな。」

「三日前に六度目の使者が届いた。」

 言い捨てるような口調は、他の大臣にも不快の空気が伝播する。この手の入れ知恵の原案はノエルだった。


「訴えを退けられたら新たに理由を作ってまた求めます。何度でもです。繰り返す間は首席行政官としての仕事は可能です。不在では統治に支障が出ますから。」

 シルミラの街の実権を握った直後、ノエルは集められた少数の前で説明する。

「新たな官吏を送り込んできた場合は。」

「最初に種を蒔いておきましょう。」

 前任者は職務からの逸脱甚だしくまた罪を犯したため、極刑を含む罰の対象であるが逃亡した。帝都に戻ること濃厚なため捕縛して罪を問うべきとの添え書きも併せて届けた。冤罪ではあるが、新たに赴任した行政官に対してどのような措置を取るかを匂わせた。

 なおその罪はイシャラの街を襲った盗賊団への資金提供である。

「イシャラの街の隆盛を妬んだ近隣の街の上級官吏の不法の行いは、十分に死罪に当たります。」

 幾人かは複雑な表情で聞き終えたものの、それでも策は進められた。


 赴任すれば命が危ういとの風聞は、罷免されたシルミラの首席行政官の口から事実だとされる。有能な官吏ほど拝任を避けるため人選は難航した。加えて繰り返しの承認の要求が届く。六度目のシルミラからの使者に、三度目の内示の辞退。内務大官の語尾が粗くなるのも無理はなかった。


 帝都大神殿の神官ムイラールは皇帝顧問として見識高く、必要であれば皇帝への発言さえ許される。特に情報網は随一で東方諸州の神殿事情にも当然詳しい。

「この知恵の回りは、やはりイシャラの神殿の神官のイーファイリス官、これにオッシルのフィオラシラ官が加わり、二人が助言しているのは明白でしょう。」

 王族の顧問となると凡庸な者はいない。俊才の若手と老練な古株の組み合わせである二人の結託は、大神官候補のムイラールをして無視できるものではない。

 議論の中でマルートは二年前、東方太守就任式で顔を合わせたのが最後となった弟を思い出す。

「あの弟が末の妹に地位を譲ったというのは信じ難いな。」

 誤報を疑うのではない。常に最高位を目指すあの弟の目が濁らぬ限り。

「アルマラが敗北したわけでも囚われたわけでもないのであれば、何が裏面にあったのだ。」

 直情的とも思われる長兄も思考は常に明瞭で、疑問に対して率直であった。

「アルマラと北の異邦人とやらの密会の詳細がわからぬというのが気になる。」

 知るのは本人達と同席した護衛とオイファールのみ。報告ではこの二人から漏れることは無いと付け加えられている。

「続けて調べさせよ。何れにせよ臨時大守など認めることなどできぬ。」

 これに大官達は顔を見合わせる。非常時の法とはいえ、任命自体は帝国の法で保証されている。そして臨権太守は権限が制限される反面、帝国中央からは簡単に罷免できない。臨権太守を正式に認めるか新たな太守を決めて派遣するしかない。

「認めぬとあれば、新たな東方太守を決める必要がありますが。」

 言葉を濁したのは、新大守にと予定していた中央貴族の出自で大官経験者から辞退の申し出があったからだ。文官を充てようとしたのは、中央の統制下で東方を統治させる意図があった。他の王族や武官に任せ、アルマラと同様に中央から離れる動きをされては意味がない。しかし東端州と東央州が連合し地方貴族の取り込みを進めた体制で、送り込まれた官吏の権威が通用するか不明瞭である。ましてや東端州の首席行政官が処刑されそうになった話は広まっている。生きて帰れるかもわからないオッシルに行きたいという者などいない。

 状況を説明されたマルートは考えた上で尋ねる。

「東南州の首席行政官を新たな東方太守とするのはどうだ。」

「その場合、格が足りません。」

 内務大官の指摘は太守を務める上で必要な家柄、もしくは経験、それまでの位がある。奴隷でも王になれる南方ではあるが段階は必要で、王族でなければ大官か筆頭将を務めた経歴が必要となる。

 次の発言はほぼマルートの思いつきであった。

「旧王朝からはどうだ。」

 これには意表をつかれ大官達は顔を見合わせる。旧王朝の王族の処遇は様々ではあるが、中央・地方貴族として残った家も多い。このまま議論が進むことを懸念したイレーネは、背後から神官ムイラールに合図を送る。この場では神官につきそう巫女であり発言権はないためであった。

「東方に縁のある方であれば、それまでのしがらみに囚われる可能性があります。逆に縁の無き方ですと、治めるだけでも困難にみまわれます。」

 唯一の答えが東方旧王朝の血筋を持ち、大陸中央で育ちしがらみのない第六子アルマラであった。発言が否定されことに、マルートの苛つきが滲み出る。

「神官殿の言はわかるが、これでは弟や妹の思い通りではないか。」

 その背後にいる者達をも。言わぬのは確証がないからであり、この場にいる大半はまだ若い王族達を操る者の存在を確信していた。

 ある者は二人の神官を、ある者は野心を持った帝都出身の上級官吏を、ある者は配下にいる将達を。地方貴族や豪商への疑いを向ける者ものいる。名指しされた者達は否定するであろう。首謀者は自分ではないと。東方三州の政戦の中心にいるのが、アルマラとファティーマから信頼を得た下級官吏であり書記官で軍務官を兼任する異邦人であるとは、この時点で判る者はいるはずがなかった。

 シンバリと呼ばれる男の真の名はノエル・フォン・ダロワイヨ。

 公国の貴族にして既に葬儀がとり行われた故人の青年は、南方の地で人生二回目の不本意な生活を送っていた。

 戦争と謀略とを手に取りながら、宮廷という舞台で踊る生活を。

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