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黒バラと姫  作者: 無風の旅人
黒バラ騎士団
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戦記01

 書状を読むエヴァこと第二公女エヴァンジェリンは全くの無表情だった。まだ少女と呼ばれる公女殿下は小柄な体に軍服を纏い、肩から貴種を示す赤い外套の上に金色の髪をたゆらせる。真一文字に結ばれた薄紅色の唇と、小さいながらも突き出した鼻に切れ上がった目尻から気の強さを感じさせる。

表情が無い時は怒りの感情が滾っていると知る面々は不用意に声をかけない。

「いかがなされました、殿下。」

 周囲が互いに様子を窺う中で、真面目なダンケ騎士団長が代表して尋ねる。エヴァはダンケに無言で書状を付き出す。書状を受け取ったダンケは読み進むにつれて肩を震わせる。

「なんとゆう下劣さ。」

 ダンケが怒りのあまり書状を握り締めた様子から、他の者達は内容をそれぞれ想像して互いに目を交わす。

「殿下の尻を見せろとでも書いてましたか。」

 エヴァの後方に控える、この小広間で唯一武装をしていない黒髪の小姓ノエルがそう言い放つ。黒衣を纏い綺麗な顔よりも目つきの悪さが印象的な少年の物言いを、他の者が咎める前にエヴァの指揮棒がノエルの顔面を襲う。体を前に倒し紙一重で指揮棒を避けたノエルの眼前に、公女殿下の御み足が見えた。

「この馬鹿者が。」

 ノエルを蹴飛ばして多少の怒気を発散したエヴァは、姿勢を正すとダンケに書状の内容を告げるように促す。ほんの少しだけためらった後、ダンケは書状に書かれている内容を全員に告げた。

「殿下が降伏して帝国の虜となれば、ノイフォン城とその城下の全員を助けるとの内容だ。」


 公国北部のノイフォンの領主で防衛の指揮をとるフェルナンド伯爵に、ノイフォン城を囲む帝国軍の司令官である第三皇子ブルノーの書状が届いたのはつい先ほど。ノイフォン城下の民衆の避難を支援していたエヴァが、フェルナンド伯爵から火急の件でとの連絡を受けて、配下の黒バラ騎士団の幹部と共に集まったのがこのノイフォン城内の小広間だった。

 告げられた内容にざわつくダンケ指揮下の黒バラ騎士団の騎士達と、ノイフォン城主フェルナンド伯爵配下の上級騎士達。先に書状を読んでいたフェルナンド伯爵とノイフォン騎士団の団長は渋い顔をしている。自国の、それも救援に駆けつけた公女殿下を敵に差し出すなど出来るわけもない。

「続きを。」

 エヴァがダンケに続きを読むように命じる。

「また畏れ多くも公女殿下を、その。」

 あまりの内容にダンケが言いよどむ。続きを説明したのは、ダンケから書状を引ったくり復活したノエルだった。

「ほっほーう。引き渡しの際は首輪をつけ鎖で引けるようにか!」

 エヴァの親衛隊でもある黒バラ騎士団の騎士達が色めき立つ。一国の貴人に対して無礼であり、公式の書状に書く内容ではない。

「あの変態皇子め。」

「侮辱にも程がある。」

「あの下品な首を即刻、落としてやる。」

 怒気を発し今すぐにでも出陣しそうな騎士達に向かって、ノエルは場違いで打ち首ものの発言をする。

「まあ確かに、鎖で繋がないと危ないのは正しいけどな。」

 静まりかえる小広間。

 全員の硬直が解けようとした瞬間、エヴァがノエルに短剣を投げつける。近くにいた幾人かはその動きに驚いたが、すぐに短剣は抜かれず鞘に入ったままであることに気付く。

 投げつけられた短剣の柄には公国の紋章が入っている。意味するところは全権委任で、ノエルは受け取った短剣を平然と腰帯に差す。

「ダロワイヨ男爵、あの貴種のふりをしたカエルを討つ策を出せ。」

 エヴァの命にノエルは恭しく答える。

「公女殿下の御命、承り候。」

「儀礼は良い、さっさと申せ。」

 ノエルの慇懃無礼を無視してエヴァは命じる。

「では申し上げます。策は四つ。上品なものと下品なものと賢しげなものと下劣なものと。」

 ノエルが指折り数える姿にダンケが眉をひそめる。ノエルと同じ貴族で面識あるフェルナンド伯爵はともかく、初対面の配下の騎士達は公女殿下付きの小姓が急に男爵と呼ばれて、更に献策を求められるという展開に戸惑いが隠せない。

「私の溜飲が下がるものだ。」

 ノエルの修辞を無視するエヴァの言葉に、肩をすくめた男爵はこともなげに言う。

「ではとっておきの策があります。」


 ノイフォンはノイフォン城とその城下町、あとは周囲の田園からなる公国北部の都市であり、公国の北に位置する帝国からの守りとして、また帝国との交易の窓口として栄える。そのノイフォンを帝国軍が包囲しようとしていた。

 帝国軍が条約を無視して公国との国境地帯を越えたのは四日前。帝国軍がノイフォン郊外に現れたのは昨日。この状況にノイフォンから一日の距離で偶然、演習をしていた黒バラ騎士団が公国の正規軍に先駆けて到着したのは今朝。

 ノイフォン北側の丘陵に展開する帝国軍は一万二千。対するノイフォンの兵力はフェルナンド伯爵の配下の騎士団五百と兵団二千に黒バラ騎士団五百を合わせた計三千。

 一万二千対三千。

 この戦力差では公国側の選択は籠城である。いやはずだった。


 ノエルが策を披露するとエヴァ以外の出席者に動揺が走る。

「馬鹿な、貴様は何を考えている。」

 ノエルが爵位を持つ貴族というのは黒バラ騎士団では周知の事実だが、騎士団内での役職はあくまでエヴァの小姓のため騎士達はノエルを小姓として扱う。

「むしろ三千の兵力で一万二千を攻めるというのが、馬鹿な考えだな。」

 平然と公女の命令を批判するノエルに、騎士達が敬意を払うことは無理なのだが。

「しかし、全ては公女殿下の意のままに。ゆえの作戦です。」

 エヴァを批判しておきながら、その名を借りて反論を封じ込める。また嫌われる点が増えるがノエルは気にもしない。

「貴様、公女殿下を危険に晒すのだぞ。」

「万が一のことがあったらどうする。」

 ノエルと騎士達の会話というか喧嘩を黙って聞いていたエヴァがゆっくりと手を上げる。

「ノイフォン城下の民は今だ全員が避難できていない。この策を持って帝国軍の包囲陣を乱し、公国の主力が来援するまでの時間を作り出す。」

 エヴァはフェルナンド伯爵に依頼する。

「いかがか伯爵。黒バラ騎士団と共に戦ってくれぬか。」

 ノイフォンの兵権はあくまでフェルナンド伯爵にある。またフェルナンド伯爵に命令できるのは公王または公王の委任を受けた大臣や将軍のみ。公女とはいえエヴァは依頼するしかない。

「今の策、殿下の身にもしものことがあれば。」

 ノエルの策とそれを実行しようとするエヴァに驚くフェルナンド伯爵。

「私の二つ名は知っていよう。」

 公国どころか隣国にも知れ渡っている姫君に対するあの書状が、殿下の怒りに火をつけたことはフェルナンド伯爵にも理解できる。

「なにより公国に帝国軍が我がもの顔でいることは許しがたい。」

 その一言にフェルナンド伯爵は頭を下げて考えを巡らせる。

 黒バラ騎士団は第二公女エヴァの私兵で、盗賊団の討伐や国境での小競り合いで成果を挙げていると聞いている。第二公女の苛烈さと共に。

 正規軍が到着するまでの時間稼ぎが必要なのは事実で本来なら籠城だが、城が完全に包囲される前に敵の攻城準備を妨害するのは悪手ではない。なにより危険な役目はこの公女殿下とその黒バラ騎士団が受け持つというのだ。

 フェルナンド伯爵は戦略と政治的計算を済ませると頭を上げる。

「殿下の意気、わが身に強く感じ入りました。ノイフォン騎士団もお供します。」

 フェルナンド伯爵の微妙な言い回しに、ノエルは微妙な視線を投げるが何も言わない。申し出を受託したエヴァは、危険の大きいこの策に賛同しかねる黒バラ騎士団の騎士達に目を向ける。

「我が騎士達よ。」

 そこで一旦言葉を切ると珍しく笑顔を見せる。

「あのヒキガエルが泡を吹くところ見たくはないか。」

 エヴァの悪戯っぽい口調でブルノー皇子を揶揄する。これには黒バラ騎士団だけでなくフェルナンド伯爵側からも笑いがおこる。このタイミングでエヴァは顔を改める。

「直ちに全軍出陣の準備を。」

 その言葉にもはや反論もなくダンケ以下、黒バラ騎士団の面々は姿勢を正して敬礼をする。こうして公国軍は四倍の敵と野戦で相対することとなった。


「ノエル閣下。」

 長身で赤毛の優男風の騎士が廊下を歩くノエルに声をかける。黒バラ騎士団第一中隊の騎士ホーウッドだった。

「なんだ貴様か。」

 ノエルは貴族の中では爵位は低いが、騎士階級とは地位に雲泥の差がある。だがノエルがホーウッドに愛想がないのは、地位や称号に関係なく万人に対してそうであるからだった。反対にホーウッドは小姓扱いのノエルを閣下と呼んでいる。実はひそかにノエルの才を評価している内の一人である。

「公女殿下自らの出陣とは思い切りましたな。」

 ホーウッドは中隊長からの説明で今回の策を知ったのだが、当然この事に関係しているノエルを見つけると詳細を聞こうとした。

「公女殿下のご要望だ。」

 ノエルは一言で済ませたが、それで済まないホーウッドは話を続ける。

「しかし、おかげで騎士団の士気は最高です。さすが軍師殿ですな。」

 騎士団に軍師という役職は無く、古典に倣った呼び方でホーウッドは褒める。

「こんなもの軍略でもなんでもない。単なる悪あがきだ。」

 騎士団を中央、左翼、右翼と三隊に分け全隊の先頭に公女殿下が立つ。一隊が本物のエヴァを二隊が偽物の騎士を擁する。虚実交ざった三隊による機動戦を展開、敵の隊列を乱した後に伯爵配下の騎士団と兵団が敵前衛部隊へ攻撃を行うというものだった。


 黒バラ騎士団の幹部を集めた作戦会議で、ノエルの作戦案はすぐさま騎士達の怒号を浴びた。

「公女殿下を第一列に置くとはどういうつもりだ。」

「殿下を囮にするつもりか。」

「この薄ら朴儒め、また貴様の策か。」

 中隊長達は次々にノエルを非難した。ダンケがノエルに説明を押し付けたのでこの状況だが、ノエルは特に気にせずに説明を続ける。

「あの低脳は殿下を欲している。殿下が出陣すれば、必ず低脳自ら無傷での捕縛命令を出す。」

 第三皇子を低能と評するノエルだが、それには誰も異論がない。

「敵正面へ殿下を先頭に突撃を掛ければ、敵の隊列は乱れる。それを利用して敵陣へ突入する。」

 ここでまた全員の顔が険しくなる。

「殿下への流れ矢を懸念して敵は弓も使えない。こちらが主導権を握れる。」

 話に理がありそうでも納得はできない。そんな表情の騎士達にエヴァが代わって話す。

「そなた達も知っていよう。我が願いは公国の安寧。それを脅かす帝国軍は我が宿敵である。我が手で敵を討つため先頭に立つことに何のためらいも無い。」

 エヴァの声にダンケ以下、全員が直立不動の姿勢で聞き入る。

「そして傷つけられた名誉は自らの手で回復する。」

 続いての言葉とエヴァの表情で全員が理解した。公女殿下は激怒されていると。ならば公女殿下の騎士団としては命に従い、責務を全うするのみ。

「中央は第二中隊。右翼は第四中隊、左翼は第三中隊とする。第一中隊は決戦兵力として待機、私は第二中隊と共に先頭に立つ。皆、ついて来てくれるか。」

「はっ。」

 全員が一斉に敬礼する。唯一、ノエルだけは余所見をしている。エヴァが声を高める。

「公国のために。」

 ノエル以外全員が唱和する。

「公国のために。公女殿下に勝利を。」

 騎士団が一体感を強めて士気をあげる中、唯一ノエルだけは冷めていた。作戦の成功率から万が百に備えて逃げる算段を考えていたからである。

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