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僕は姉の顔を知らない  作者: と〜や
第一章 小さな村の小さな店
9/20

大きな勘違い

 盛大に血が引く音が聞こえた気がした。

 まさか、このタイミングでロビンソン様が来るなんて。


「どうかしたんですか? テオ殿」


 ベランダに伏せたまま、身動きできない。

 今の私はどう見える? 不審人物、と思われるのがおちよね。そしてつまみ出されて……。さっきの見張りに見つかるのと、どっちがよかったか分からない。


「お早いですね。すみません、着替えがなかったですよね。準備させますから、どうぞこちらへ」


 そう言われても、動けない。どうやったら彼の手をすり抜けて逃げられる? そればかり考えて考えて。

 だから、彼の行動に気が付かなかった。

 不意にわきの下に手を入れられて、ぐいと起こされた。


「ひゃあっ!」


 思わず声が出て、慌てて両手で口を押えた。ロビンソン様のごつごつした手を服越しに感じる。

 危なかった、もう少し位置がずれていたら、胸を掴まれていた。……本当に大きな手。


「すみません、くすぐったかったですか? 風邪をひく前にと思って……テオ殿?」


 無理やり立たされて、でも無理やり振り向かされなかった。頭まですっぽりかぶったシーツが視界を遮ってくれる。髪の毛もシーツで見えないはずだから、まだ気が付かれてないはず。

 武骨な手が脇から抜かれて、そっとため息をついたところで、肩に手が乗せられた。どきりと心臓が高鳴る。


「……テオ殿ではないですね。あなたは誰ですか」


 その言葉に、逃げようと体をねじった。が、肩に乗った手が押さえつけるようにがっちり掴んでいて、無理にねじろうとすると肩に痛みが走った。

 もう一方の手がシーツにかかり、力任せに引っ張られた。ベルトで抑えていた部分が引き抜かれ、あっという間に寝間着一枚に戻されてしまった。それでも、肩に乗った手の力は緩まない。

 緩やかに流れる栗毛の髪がかろうじて顔を隠してくれる。でも、ここにいるはずのない人間なのは間違いなくて。

 両腕で自分の体を書き抱いたままうなだれる。


「おはようございます、サー、なんかあったんですか?」


 垣根の向こうから声が飛んでくる。さっき様子を見に来た男の声だわ。ロビンソン様の声を聞きつけて寄ってきたのね。タイミング悪すぎ。


「ああ、アランか」

「さっきもなんか、そのあたりで音がしたんですよね。野良猫でも紛れ込んだのかと思って」

「ああ、実はな」


 ロビンソン様は私のことを言うつもりだ。

 とっさに振り向くと、ロビンソン様は言葉を切り、驚いたように私の顔をじっと見た。どれぐらいじっと見ていたかといえば、いたたまれなくなって私が顔をそむけてもなお、視線が突き刺さってくるくらい。


「サー?」

「いや、何でもない。アランの言う通り、野良猫だったようだ」

「そうですか」

「すまんな」

「いえ、では」


 短いやり取りの間も、肩に食い込んだ手は私を離すまいと力を込めてくる。

 アランとかいう男の足音が消えると、ロビンソン様は肩を掴んだまま私を室内へと押し込め、掃き出し窓の鍵を閉めた。

 それから、私の手を引いたまま廊下につながる扉の鍵を閉めると、ようやく私をベッドに座らせて手を離してくれた。

 ロビンソン様の態度がなんでこんなに変わったのかわからない。むしろ不気味過ぎて身を縮めると、ロビンソン様は私の前に膝をついて手を伸ばしてきた。

 顔の横に垂れた髪の毛を両方とも耳の後ろにかけ、顎を引いて上を向かされる。至近距離にあるロビンソン様の顔からは何の感情も読み取れなくて、むしろゾッとする。

 視線の置き場に困って、顔は上を向いたものの、視線はとにかく下へ向ける。


「……その寝間着は、昨夜私がテオ殿に着せたものです。夕食に招こうと訪れたらすでに深く眠っておられたので。慣れない馬での移動でしたし、お疲れなのだろうと思って」


 なんでロビンソン様はその話を『見も知らぬ』私に聞かせているのかしら? 私をテオの関係者だと思っているの?

 しばらくの沈黙に、私は再びひそかにため息をついた。どう反応すればいいのかわからない。こんな時……どうあしらえばいいの?


「……ですが、今のあなたは別人だ。ましてや男でさえない」


 どきりと胸が高鳴った。

 さっき起き上がらせられた時にやっぱり触られていたのね……男のテオと比べれば、私の体にはあちこち凹凸があるし柔らかい。触られる前に、やっぱり逃げるべきだった。


「確か、どこかの国にはそういった薬もあると聞きました。……もしやそれを試されたので?」

「何を……」


 否定しかけて、口をつぐむ。ロビンソン様は、テオが妙な薬を試した結果だと思っているのだわ。髪の色も同じで、女性化しただけだと。

 そうだ。そういうことにしてしまおう。

 それなら今日はこの姿でもおかしくない。一晩寝れば元に戻るから、テオには手紙を残しておいて、明日交代したら、きちんと子爵に会って薬の話をしてもらおう。

 ここから逃げず、テオの仕事にも穴をあけずに済む妙案は、これしかない。


「……ご存じだったのですね、サー・ロビンソン」


 ぎこちなく微笑むと、ロビンソン様はようやく眉尻を下げた。


「よかった……もう少しで不法侵入者として拘束するところでした。脅かさないで下さい」

「ごめんなさい。それにしても、どうしてわ……僕がテオだと?」


 いけないいけない、テオは自分を『私』だなんて言わないものね。

 ロビンソン様は手を伸ばして右耳のピアスに触れた。


「このピアス、形見だと聞いていましたので」


 はっと手をやる。そうだわ、ベランダでロビンソン様に振り返ったとき、右耳が見えていたのね。それで、アランとかいう男に突き出すのをやめてくれたんだ。

 それにしても、形見だなんて。……あの人は死んでないのに、テオったらひどい。今度あの人が帰ってきたら告げ口してやるんだから。


「この薬、一日経てば効果は消えると聞いています。……あの、申し訳ないんですが、服を調達してもらえないでしょうか」


 目の前のロビンソン様を見下ろして眉根を寄せると、彼は視線をざっと私の体に走らせて、顔をそむけた。


「わかりました。すぐにご用意します。……カレル様には、テオ殿はお疲れで熱が出たため、今日一日休養すると伝えておきます」

「お願いします」

「それから、少しの間、バスルームにいていただけませんか」

「え?」

「メイドにベッドメイクさせますので。……ああ、もちろん本当に入浴していただいてかまいません。着替え一式は脱衣場の方へ準備させますから」

「わかりました。……お言葉に甘えます」


 立ち上がったロビンソン様につられて私も立ち上がると、彼はじっと私を見下ろしてきた。


「何か?」

「……そうしていらっしゃると、アリス殿に実によく似ておられますね。立ち居振る舞いも、その瞳も」

「え……そう、ですか?」


 しまった、テオはこんなおしとやかな口調ではしゃべらないんだ。まだまだ子供盛りだし、そうよね。


「声もよく似ている。目を閉じて聞いていると、まるでアリス殿がそこにいらっしゃるようです」


 どう返すべきか逡巡しているうちに、ロビンソン様はにっこり微笑んで、部屋を出て行った。

 私自身だもの、声も姿も似てるのは当然なんだけど、なぜロビンソン様は嬉しそうに私……というか女体化したテオを見るのかしら。

 もしかして……そういう趣味? それとも、テオの外見が好きなのかしら。

 眉間にしわを寄せてうんうん考えていたけれど、わからない。そのうち扉の向こうが忙しなくなってきて、私はとりあえずバスルームに身を隠すことにした。

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