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僕は姉の顔を知らない  作者: と〜や
第一章 小さな村の小さな店
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婚約者って誰ですか?

 風呂からあがってみると、脱衣所には着替えが置いてあった。

 つい鑑定眼が走る。

 さすがは子爵家、って言ってもいいわよね。生成りのエプロンドレスは新品未使用で、向こうが透けるほど薄い布地を何枚も重ね、深いドレープの山の部分は金色に輝いている。

 ……生成りどころじゃないわね、これ。こっそり金糸使ってる。隣のラヴェール産ね、これも。

 これ一着で一年分の家賃とか、泣けてくるわ。どっかにひっかけたりして破いたりしたら、気を失ってしまいそう。

 下着も未使用の女性用が置いてある。手触りだけでどれぐらい上質かわかるわ。……クリティア産の絹の下着なんて、恐ろしい。一着で……ああ、もう考えるの、やめよう。考えたら着られない。

 水色のベストは柔らかい革をなめして水色に染めてあるみたい。こんな手の込んだ品なんて、既製品ではありえない。きっとこれ、最近話題になってるドリトル・ウスターシャの一点ものだ。

 ……一体、だれのために作られた服なのかしら。子爵のご家族についてはよく知らないけれど、どなたか女性がいるはずよね。こんな高級品、メイドさんたちのものとは思えないし。

 一つだけ幸いだったのは、このエプロンドレスが一人で着られるデザインだったこと。背中に紐があるタイプだったら一人じゃ着られないものね。

 恐る恐る着替えて部屋に戻ると、ソファに座っていたロビンソン様は手にしていた本から顔を上げた。


「お待たせしました」

「いえ……よくお似合いです」


 こんな分不相応な恰好で歩くだけで緊張するというのに、言われ慣れない言葉に思わず俯いてしまった。

 考えてみれば、私の周りにはそんな甘い言葉を言うような男の人はいない。お店のお客さんは、買いに来る人も売りに来る人も、鑑定だけの人も、用事が終わればさっさと帰る。ご近所さんはカールさんぐらいで、あとはテオのお客さんとときどき顔を合わせるくらいだし。

 それに……今の言葉、テオに向けたもの、よね?

 ロビンソン様は薬を毎月取りに来てたはずだから、テオとはそれなりに面識があったのはわかるけど、どういう距離感で接すればいいのかわからない。

 でも、今の言葉はどう見ても普通に女性に向けたほめ言葉。

 テオに向けたものだと考えると、ものすごく違和感がある。

 顔を上げてじっと見つめると、ロビンソン様は微笑を浮かべて私を見ていた。


「あの、サー・ロビンソン」

「はい?」

「……僕がテオだって、わかってます?」

「え? ええ。わかっています。ですが、今のテオ殿は女性ですから」


 なんというか、むず痒い。

 本当にこれがテオだったら、間違いなく暴れ出すわね。明日にはテオに戻るんだし、変な反応をされても困る。


「やめてください、サー・ロビンソン。……確かに女の姿になってますけど、普通にしてもらえませんか」

「……申し訳ない。ですが、それはできません」


 まさかの拒絶に顔を上げると、ロビンソン様は不機嫌そうに顔をしかめていた。


「……その服を用意する際に誰のものかと詰問されまして。僭越ながら、私の婚約者のものだと、言ってしまいまして……」

「え……?」


 ちょっと待って。誰がロビンソン様の婚約者だって……?

 じっと見つめると、彼はほんの少し頬を赤らめ、頭を下げた。


「勝手なことをして申し訳ありません。ですが、こうしておけばテオ殿が屋敷内を歩いていてもとがめられることはありません。……明日まで薬の効果は抜けないと聞きましたし、その間ずっとこの部屋にいるのも気づまりでしょう?」

「えっ……あの」


 私が、ロビンソン様の、婚約者?

 ロビンソン様の話が頭にようやく入って来て、途端に顔に血が上る。


「あ、あの、でも、本当の婚約者の方は」

「ああ、いえ、いませんから大丈夫です」


 いないと聞いて、ほっと胸をなでおろす。本物がいるなら、顔を知ってる人がいてもおかしくないし、本物の婚約者にも失礼だもの。


「わ、わかりました」


 それなら、この姿で出歩く際は女性として扱ってもらわないと困るわけだし、テオに似せた振る舞いをするよりは素のままに振る舞うほうが楽だ。

 そう思って頷くと、ロビンソン様はようやく表情を和らげた。


「ありがとうございます。では、ここからは私のことをウィルと呼んでください」

「ウィル?」

「ええ。婚約者ですから、愛称で呼ぶのが普通でしょう? サー・ロビンソンと呼ばれるのは少し……」

「あっ……そう、ですね」

「テオ殿については、ティナと呼ばせていただきます」

「ティナ……」

「ええ、クリスティナの愛称です」


 もう一度おうむ返しに口の中でティナ、クリスティナとつぶやいてみる。


「食事を用意させました。どうぞこちらへ」


 立ち上がったロビンソン様は、いつの間にか搬入された食事用のテーブルに私を招いた。


「さあ、どうぞ座って。たっぷり用意させましたから存分に召し上がれ。朝食が終わりましたら少し散歩に行きましょう」

「……わかりました」


 促されるままにロビンソン様の向かいに座る。

 テーブルにはすでに朝食がセットされていた。パンケーキにオレンジジュース、サンドイッチにサラダ。ローストビーフまである。

 なんて豪勢な朝食だろう。普段の夕食より豪華だわ。

 こんな分厚いローストビーフなんて、ずいぶんお目にかかってないわ。しかも、私でも知ってる王家御用達のブライ牧場の牛の肉を使ったローストビーフ。

 こんな上等なものを食べたと知ったらテオ、怒るだろうなあ。これは内緒にしとかなきゃ。

 手と口を動かしながら、目を覚ましてからのことを考える。

 色々面倒なことになってしまった。テオが寝るときにピアスさえ外していなければ、こんなことにはならなかったはずなのに。

 ……ううん、テオがどれだけ迂闊だからって、ピアスまで外して寝るはず、ない。外したまま目を覚ましたらどうなるのか、知らないテオじゃないもの。

 だとしたら。

 ……昨夜、誰かが親切にも身に着けていたものを全部外したのね。

 テオの服を着替えさせたのはロビンソン様だと言っていたわ。となると……彼、なんでしょうね。

 ため息がこぼれる。

 テオもくたびれて寝込んだと言っていたし、これはもう、運が悪かったとしか言えない。


「お口にあいませんか?」

「え? いえ、おいしいです」


 ため息に気付かれたのだろう、ロビンソン様が不安げにこちらを見ている。たぶん、育ち盛りの男の子のはずなのに、ちっとも食事が進んでないことも気にされてるのだろうな、と思う。

 普段はもっと軽い食事で済ますんだもの、大目に見てほしいところだけど、仕方ないわね。

 ローストビーフを何とか一枚平らげて、サラダをつつく。

 味はどれも素晴らしかった。さすがは子爵の館ね。こんなおいしいものを知ってしまったら、いつもの料理が味気なく思えてしまう。

 あ、でもパンだけはお隣のカールさんの焼いたパンのほうが美味しかった。さすがはカールさんね。

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