閑話 捨て子のミルフィーナ(前編)
ここまでのあらすじ)
過労死した主人公。
転生したら小学生時代に夢中になって読んだ漫画、『捨て子のミルフィーナ』の悪役令嬢になっていた。
11/23二話更新 一話目 1/2
ある寒い冬の朝、小さなバスケットに入れられその赤ん坊は連れて来られた。旅芸人の座長だと名乗った男は、わずかな寄付と共に女の赤子を置いていく。
メグと名付けられた赤ん坊。彼女の夢は、大きくなったら普通のお嫁さんになることであった。
──帝都郊外、アッロドラ孤児院。
暗く狭い部屋に立ちこめる異臭。糞尿の匂いだ。
大きな布でグルグル巻きにされた幼児たちが天井から蓑虫のように釣り下げられている。
三十人はいるだろうか。手をバンザイの形に固定され、身動きすることもままならない。目玉ばかりギョロギョロと動かしている。もちろん、オシメなど替えたりはしない。そのために布で幾重にも巻かれているのだ。
この時代、子供の生存率は低い。だから、ひとりひとりに愛情をかけて育てるという文化は存在しない。
この孤児院は開園から火災で閉園になるまでの三十年間で男児1958名、女児2466名、合計4424名が在籍していた。
そのうち五歳まで育ったのが2123名。約半分が死亡している計算になる。
不衛生、慢性的な栄養失調などが主な理由だ。
孤児院にいるのは、女奴隷や娼婦の子供、亭主を事故で失って一家離散した家庭の子供など様々だ。
今年、五歳になるメグ、ライザ、アニーの仲良し三人組が生き残ったのは単なる偶然に過ぎない。もしかしたら、三人とも明日の朝には死んでいるかも知れない。ここはそういう世界だ。
メグの母親は旅芸人の看板女優であったというが産褥で亡くなった。父親はある土地の有力者らしい。幼いながらどことなく気品を感じさせる面立ちは、あながち間違ってもいないかも知れない。
大柄で勝ち気なライザ。父親は、コロシアムの闘士であったが、試合中の怪我が元で死亡。一家は離散し孤児院に預けられた。
控えめで大人しいアニーは修道女の娘だが、これも珍しい話ではない。
特権階級に属する紳士諸兄には、特に清楚なシスターをことさらに愛でる趣味の者も少なくないのだ。
ただし、いずれにせよ、生まれた子供は公にはできないので孤児院に幾ばくかの金銭とともに因果を含め預けるというのがお決まりのコースであった。
栄養状態も悪く、不衛生きわまりない環境であったが、ある日を境に孤児院の子供たちの生活が改善された。
まず食事が質量ともに良くなり、世話係が増えて院内が小ぎれいになった。牢獄のように暗かった雰囲気が明るくなり、子供たちの笑い声も漏れるようになった。
それもこれも、特別室にひとりの少女が少なくない寄付と共に入って来てからだ。
明らかに訳ありの少女である。メグ達と同じ歳だという彼女には、銀髪の侍従らしき青年が付き従っていた。
少女は他の孤児院の子供たちとは一切接触を持たず、たまに特別室の窓から外で遊ぶ子供たちの様子を無表情に眺めているのが常であった。
メグたち三人がその日も庭で遊んでいると、窓辺にくだんの少女が立っている。
真っ先に気がついたアニーは目を輝かせ。
「わあ~。なんか本物のお姫さまみたい」と両手を組んだ。
その様子が気に入らなかったのか、ライザは少し伝法に。
「けっ! お姫さまなんか見たことあるのかよ! なんか、すましやがって! きっと、悪者の家の子だよ」と吐き捨てる。
一方、メグは……。
その少女と同じくピンクブロンドの髪を持つメグは、やはり少女の醸す高貴さに見ほれていた。
メグにはライザが言うように、少女が罪人の子供には見えなかったのだ。
ふと、少女が自分を凝視している気がした。突き刺すようなピリピリとした視線である。
少女はメグと視線が合うと、突然ツンと横を向いた。
えっ。どうして? とメグは驚き、さらに改めてその表情を窺おうとすると、シャッーと、横から現れた青年の手によりにカーテンが引かれてしまった。
メグにはなんでかわからず首をひねるばかりだった。
それから二日後のことである。メグたち三人は院長室に呼び出された。
中央のソファーに少女が座り、その隣に例の銀髪の青年が立っていた。
テーブルの上には、見たこともないようなお菓子が載っている。
ゴクッ! メグの右横にいるライザのノドが鳴ったのがわかった。
左横のアニーは、何か怒られるのではないかと、カチコチに緊張している。
なんで呼ばれたのだろう?
そんな中、ただ、ひとりメグだけは理由を探ろうとしていた。
院長は、入って来た三人に向かい、ふだん見せたことがないよそ行きの笑顔を向けながら。
「お前たち三人には、ミルフィーナ様のお側係をやってもらう」と宣言する。
ミルフィーナさま?
オ・ソ・バ・ガ・カ・リ?
ん? おそばがかりってなに?
思ってもなかった言葉に思考が追いつかない三人である。
戸惑う三人を見て銀髪の青年は優しげな口調で。
「そこから先は私が説明しよう。私の名はカルロ。ここにおられるミルフィーナさまのお世話係だ」
と、メグ、ライザ、アニーの三人を順番に見つめる。笑顔を向けていたが、その目は笑っていない。油断ならない人だという第一印象をメグは持った。
カルロの話は。
ミルフィーナさまは、今、ここで素性は明かせないが、とても高貴な血を継ぐお方である。
お側係と言っても、侍女とかではない。友達みたいなものと思ってくれて良い。
ただし、礼儀作法などの淑女教育も一緒に受けてもらう。寝床も大部屋から移動。
孤児たちは通常は七歳になると、外へ働きに出される。しかし君たちは、あと二年後に七歳になってからも、ずっとここで生活してもらう。食事も衣服も寝床もお嬢さまと一緒だ。
どうだい。悪い話ではないだろう。
と、概ねそんな内容であった。
七歳。本来、それは孤児院の子供にとって別れの時期である。
子供たちは大人として社会へ出る。男の子は職人など徒弟制の親方の元へ弟子入りし、女の子は下働きとして商家など裕福な家へ奉公にあがる。
しかし、それは新たな死とも隣り合わせだ。体罰、イビリ。弱い者が虐げられる世界。『不幸な事故』は日常茶飯事に起きる。
孤児院に捨てられた子供たちが成人できるのは、十人中三人と言われている。そこにはこんな理由があったのだった。
カルロがメグ達三人に待遇を説明している間、当のミルフィーナは退屈そうな表情をしていた。
そっと盗み見たメグに気付くと、新しい玩具を見つけた子供のように口角が上がる。
明らかに嗜虐を含んだ笑みだ。
私、このお嬢さまと上手くやっていけるかしら? とメグは不安に思うのであった。
しかし、三人に選択権があるわけでもなく、メグたちはそのままミルフィーナのお側係になる。
実際、仕えてみると、メグにとってミルフィーナは、やはり嫌な相手であった。ライザとアニーに対してはそうでもないのに、メグだけを何かと目の敵にするのだ。
ミルフィーナは事あるごとにメグをけなし貶む。食事中のスプーンの上げ下ろし。歩き方。お辞儀の作法など、理由は探せばいくらでもあった。それはそうであろう。メグは何一つとして正式な教育を受けてなかったのだから。
一方、ミルフィーナに憧れていたアニーは、たちまちお気に入りになった。そして反抗的だったライザも、食事や寝床などの好待遇を受け、文句を言わなくなった。
仲の良かった二人とも微妙に壁ができたように感じたメグであったが、それでも、今までの暮らしとは較べるもなかった。
泣いたら負けだと思ったメグは、ミルフィーナからいびられても平気な顔をしていた。それが気にくわなかったのであろう。イジメは止むことはなかった。
メグは元々、器用な質だ。女優だった母親の血を引いたのかも知れない。
半ば、ムキになって礼儀作法を学ぶ内に、いつの間にかミルフィーナよりも優雅な所作で令嬢を演じる術を身につけてしまった。
その間、礼儀作法がまるで身につかなかったライザはお側係を外され、マナー教育の代わりに武芸を仕込まれることになる。護衛係へ転身である。
もっとも、最初からマナーなど堅苦しいことが苦手であったライザは喜び、支給されたショートソードをニコニコと振ってはいたが。
お側係をクビになったライザは、本当はどこかの屋敷に下女見習いとして出されるはずであったが、その運動神経を見込んでミルフィーナがカルロに頼んだということだった。