第三話 パトリシア、クレーマー処罰法を制定する
こんにちは。パトリシア・ベイグラハムです。今日は悲しいお知らせがあります。
帝都でのピエールとの会食にそなえ、せっかく『お鼻』のお手入れをしていなかったのに、先ほど侍女のマーシャに無理矢理に……。
うっ。うっ。うっ。
わたくしとて武門の娘。それなりに幼き頃より修練を重ねてきてはいたのですが、マーシャは柔術の達人。
ゴロゴロと前回り受け身をしながら必死で逃げるわたくしでしたが、腕を極められ、そのまま上に覆い被さられ、首元にチョークスリーパー。
なんだか意識が遠のき、とても良い気持ちです。
うふふ。おほほ。清らかな小川ときれいなお花畑が見えますわ。あら、あそこに立っていますのは、わたしの前世で亡くなったおばあさまです。心配そうに『まだ早い。お戻りなさい』と手の甲を向けながら追い払うような仕草をしています。
そこでアッと思って目を覚ましましたら、マーシャが大きなタオルを片手に涼しい顔で。
「お嬢さま。終わりました」
えっ…………!?
お鼻がスースーします。
返せ、戻せ、わたしの努力の結晶。せっかく詰まり具合も程よくて、良い感じに鼻声になっていたというのにこの仕打ちはあんまりですわ。
☆ ☆ ☆
ということがありましたが、本日もわたしはロズベルト先生と一緒に領内の視察です。
それにしても、わたくしなんだか人気があるようです。行くところ行くところ、人が集まりますし、挨拶をしますと皆さん笑顔で返して下さいますわ。中にはなぜかうんうんとうなずきながら涙ぐむ方もおられます。
きっと、これもわたくしの類い希なる美しさのせいね。おほほほっ。皆さま、もっとあがめてもよろしくてよ。このパトリシア、常に領民の方に全力で愛されるよう努力を惜しみませんわ。
そう言えば……。
『パトリシアさまはノルドについてどう思われますか?』
と良く聞かれます。
そんなとき、わたしは相手の方をじっと見つめ、ニッコリと胸に手を当て微笑むと。
「ノルドはわたしの誇り。心のふるさとですわ」と答えることにしております。
実際に、生まれ故郷ですし、わたしにはノルド王家の血が流れているのですもの。それも直系。世が世ならお姫さまであったという事実。
と言うか、姫騎士とか女騎士というのはフィクションだと思っていたのですが、ご先祖さまの姫騎士エレイン・ノルド大叔母さまは伝説の人になっています。
最近、外へ出ると「エレイン姫さまに生き写し」と言われますが、あなた見たのかい? もう百五十年も前の人よ。
というわけで、戦争に負けたノルドは国を八つに分割されてその内の一つを統治しているのがわたしのベイグラハム家なのです。
あと、驚いたのはこの世界の人が『名誉』を大切にしていることです。
前世が現代日本人であったわたくしは単純に、誇りを大事にするのは貴族のみで、他の商人や農民などの一般の人々にはあまり関係ないと思っていましたが実際は違うのです。
みんな、身分を問わず名誉や誇りを非常に重んじるのです。
わたしのミドルネームにノルドの名前がある以上は、一歩外へ出たらわたしはノルドの代表なのです。
わたくしの人気の秘密はここにもあるようですし、振る舞いに注意して郷土のプライドを守ることにつとめますわ。
もちろん領主とは言っても、中央に帝国政府が君臨しています以上、その権限や財源は微々たるものです。
ノルド王国時代の古い砦や城は、中央議会からの築城規制により廃棄され今はマナーハウスのような領主館です。
年貢と言う名の租税は帝国政府のみが年に一度徴収する権利を持っています。
中央の帝国議会が派遣した徴税官の仕事で、しばしば、この課税を巡り領民とトラブルを起こしているそうです。
一方、わたしたち領主貴族は領内のあちらこちらに設置した、共同のパン焼き竈と製粉水車小屋の手数料で生活をしています。
領主の主な仕事はこの竈と水車の維持管理と裁判権です。と言っても、裁判はロズベルト先生が代行しています。お父さまとお母さまは現在帝都の別宅にいますし。
そして、今、とある村の大きなオーク樹の下に来ています。今日はここで月に一度の裁判集会が行われるのです。
と言ってもほとんど平和なド田舎のこと、さしたる問題もありません。他の領地では、土地の境界争いや水利権、暴力沙汰や泥棒といった事案もあるらしいですが、ウチは平和なものです。
ちなみ、今回、わたくしは『クレーマー処罰法』を制定しました。
あきらかにゆすりやたかり、自分の憂さ晴らしの為に『責任者を出せ!』『誠意をみせろ!』『土下座しろ!』などの行為があったら、徹底的に取り締まるのです。
もう、絶対に許さないんだから。
本当は給食費を払わない家庭や騒音おばさん、ゴミ屋敷なども取り締まりたいのですが、ほぼ中世のこの世界にそのようなものはないので仕方ありません。
仮に、もしそんなものがあったらクレーマーともども、磔獄門島流しにしたいくらいです。
なので当ベイグラハム領においては、これらの犯罪を犯した場合は大重罪として百叩きの上、追放処分にすることにしました。
ただ、今回一件だけ気になる報告があって、最近、頻繁に森で怪しい人影を見るそうです。気がついて追うのですが、相手の足が早くいまだに正体がつかめないとか。でも、密猟ではないそうです。一体、何をしているのかしら。
ちなみに森は領主の管理下にあるので、落ちている木々を集める分には良いですが、狩猟や伐採などは許可制にしてあります。だから、その得たいの知れない人影がなおさら気になるのですけど。
報告のあった森では鉄鋼石なども見つかっていないし、そんなに珍しい動植物がいるわけではありません。何かよからぬことをしていなければ良いのですが、本当、森は貴重な資源なので規制が必要なのです。
裁判集会のあとで、近くの水車小屋をまわります。水車小屋は石作りで窓が少なく、いざという時は砦になるように設計されています。
冬場は寒いので、泥炭を燃やし暖を取るので小屋の壁は煤だらけです。うかつに触って服を汚すと、先日の子羊ちゃんを抱いたときのように真っ黒になり、またもやマーシャに怒られますので、注意注意と。
ちなみに泥炭は安いので、領民の方はみんな燃料として使っているのですけどね。
本日の最後はギルドを訪問。羊毛ギルドです。
ちょうど午後三時のお茶の時間でしたので、わたしは奥のギルド長の部屋へ招かれ、おほほっ。うふふっと談笑していますの。
ロズベルト先生とギルド長は幼馴染みで、二人して商館の裏のギルド長の自宅へチェスを指しに行ってしまいましたので、現在、わたしくしお相手は孫娘のエミリーさんがつとめてくれています。エミリーさんはわたしより三つ年上です。
すると。
『責任者を出せ! スグだぁあ! 早くしろぉぉぉおおお!』
と、表の受付の方で突然、怒った男性の声が響き渡りました。
あらあらなんか懐かしい。なんだか前世を思い出しますわ。おほほっ。元気がよろしいこと。クレーマーの方かしら?
エミリーさんは何が起きたかとアタフタして腰を浮かしておりますが……。
でもまあ、そんなことよりも、うんうん。この焼き菓子美味しいわ。あとでどこで売っているか聞いて、侍女のマーシャへのお土産に買っていきましょうか。うんうん。それで、今朝の仕返しに太らしてしまいましょう。
とそんなことを考えていましたら。
ドシドシとした足音が近づき乱暴にドアが開くと、顔を真っ赤にした中年男が。
「ギルド長! いないのかぁぁぁあああ!」と追いすがる職員を振り切り飛び込んでまいりました。
あら、まあ、この格好。徴税局の下働きのお役人さんですわ。
でもエミリーさんは、男の剣幕に完全に押されてしまい。
「く、組合長は、せ、席を外しておりまして……。お、お話なら私が……」
と動転しています。
男はその様子を見るとチャンスと思ったのでしょう。バシン! と手の平で目の前の机を叩くと、更に声を張り上げ。
「お前じゃ話にならぬ。すぐにギルド長を呼んで来い!!」と怒鳴ります。
うんうん。これはわたしの出番ですね。ああ、でもこの方、大変むかつきますわ。こういう時こそ、理性よ理性。そう。パトリシア落ち着いて。はい、笑顔。ニコニコっと。
カチャリッ。
わたしは紅茶カップを置くと、ソファーに腰を掛けたまま、両手の平を胸の前で合わせると。
「お役人さま。何をお怒りかは存じませんが、お話ならわたくしがお聞きましょう」
と上目遣いで見上げます。それはそれはなにも知らない初心な乙女のようにです。
一瞬、気勢を削がれた徴税官。その目が少し揺らいだ気がしますが、すぐに勢いを取り戻すと、目の玉を飛びださんとばかりにひんむき、ツバを飛ばしながら。
「誰だぁあ! キサマは!?」
わたくしはおもむろに立ち上がると、優雅にドレスの裾をつまみながら。
「パトリシアと申します」
と自己紹介いたします。
「……ん? パトリシア……」
徴税官は訝るように首をひねります。男の視線が上から下へ移動するのがわかります。
艶やかに煌めく亜麻色の長く美しい髪。
世界が嫉妬するような白い肌。
芸術品のようなスッキリと整った目鼻立ち。
そして、少し残念な、お胸……!?
あっ、失礼な!!!!
今、完全に胸のあたりで顔色が変わりましたわ。うううっ。どうしてくれよう。どうしてくれよう。やはり、『クレーマー処罰法』に基づき領外追放、第一号決定ですわね。
徴税官は赤かった顔を真っ青に変えながら。
「も、もしや、あなたさまは?」
あら、やだ、目が泳いでいますことよ。
わたくし、目を細め、強張る顔をむりやり笑顔で繕いながら。
「ええ、わたくし、領内の責任者ですの」
と、おほほほほっ。言ってみせてやりました。
さて、それからのことです。
強行に「領外追放」を主張するわたくしを、連絡を受け戻ってきたギルド長が取りなします。さらにベイグラハム領の徴税局長官であるラインハルト氏も飛んできて、必死に謝るものですから、今回だけということにして、許してやりました。
みんながあわてふためく中、ロズベルト先生だけはニヤニヤしていましたが。
わたくしは徴税局長官のラインハルトおじさまからいただいた大量の焼き菓子を手にお屋敷に戻ったのです。
あとで聞いた話によると、件の下っ端役人は独自の判断で、臨時の徴税を行い手柄を立てようとしていたとか、いないとか。さすが悪評高い帝国ですわね。領民たちから嫌われるのもわかります。
でも、長官のラインハルトさんは、少し渋い感じの紳士ですけれども。
さて、明日は帝都へ向けて旅立つのです。おほほほほっ。今日はもう寝ることにいたしますわ。
☆ ☆ ☆
──その日の深夜。ベイグラハムの無垢な領民たちが寝静まっている頃に、たった一つだけ明かりの灯っている窓があった。
中にいるのは二人の男。一人は徴税局長官のラインハルト。そして、もう一人は、森で見かけたという報告のあった不審な人物であった。
不審人物は、テーブルの上に戦利品を置く。それを見て、ラインハルトの口元に冷酷な笑みが浮かぶのであった。これがベイグラハム領の運命を狂わしていくのは、もう少し先の話である。