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第二話 パトリシア猛勉強する

 おーっほっほっほっほっ。


 (サワ)やかな朝が来ました。


 わたしは目覚めると、天蓋付きのお姫さまベッドから降り窓を開け放ちます。


 流れ込む新鮮な空気でカーテンがふわりと膨らみます。つれてわたくしの亜麻色の髪もさらさらと流れます。可憐な(かんばせ)を陽光がほんのりと温めてくれます。


 五月。北国は新緑が(マブ)しい季節です。


 ド辺境のおいしい空気を胸いっぱいに吸い込むと、手の甲を上にして口元に添え、『おほほほほっ』と思い切り高笑いをするのが日課です。


 ああ、本当に蘇って良かったわ。生きているってなんて素晴らしいのでしょう。


 そう、例え、それが悪役令嬢としてもです。


 記憶が戻り、三ヶ月がたちました。その間、我が家にある蔵書や家庭教師のロズベルト先生から、この国の歴史や仕組みを懸命に学びました。


 ロズベルト先生はお爺ちゃんですが、元々首都の大学で教鞭を執っていた優秀な人です。


 しかし、思うところあって生まれ故郷に戻り、我がベイグラハム家の相談役兼家庭教師として仕えています。

 

 うふふ。ロズベルト先生、それまであまり優秀ではなかったわたしが急にヤル気を出したものですから驚いたものです。


 そして本気だとわかると、それはそれは熱心に教授して下さいました。もうスパルタと言って良いくらいに。


「今までサボった分も合わせて、そのカボチャ頭にたたき込んでくれるわ!」などと不穏なことを口走っておりました。


 それまでの毎日がお花畑のようであったパトリシアちゃんの『お菓子とバラの花にまみれた日々』は消え、どこかのブラック企業のような二十四時間年中無休。月月火水木金金のような日々が始まったのです。


 おかげ知恵熱が出そうになりましたが、スカスカだったこの世界の知識も入りだいぶまっとうな人間になれたと思います。


 なによりの収穫は、この国、アリューシア帝国が病んでいることがわかったことです。


 それは近世十六世紀のイタリアの歴史に似ていました。

 ワインを作る為にはブドウが必要です。しかし、もはや山の(テッ)(ペン)までブドウ畑にしてしまい、お金があっても地理上の空間がないのです。


 帝国が侵略できる土地がない。利益を上げる投資先もない。国中を覆い尽くすのは、停滞ムードです。

 明日の希望も光もない。仕事もない。あっても賃金が増えない。


 帝国内の貴族の子女を全寮制の学園に通わせるというのも、江戸時代の人質のようなものなのでしょうか。

 わたしがその疑問を口にしたとき、ロズベルト先生は否定も肯定もせず、ただ、ポツリと「言わぬが花じゃ」と言うのみでした。



 わたしが物語の中で受けた、()(アブ)りもさして珍しい出来事ではなかったのです。処刑してその財産を没収するというのは、もはや重要な国家の資金源でした。


 裕福すぎると狙われる。異端であればなおさら狙われる。人々は息を潜めるように暮らしているのです。



 でも、わたしには(自称)爆弾処理班班長としての経験があります。まあ、まれに『処理班というよりは爆弾そのものだ』と失礼なことを言われたりもしましたが。


 しかし、大資産家のクレーマーさまと仲良くなり、会社の商品を大量一括お買い上げいただき、社長賞を貰ったこともありました。


 うんうん。大丈夫です。いざとなれば、OL時代に培った必殺のスキル『ジジイ殺し』で生き延びてみせましょう。どんな怖いおじさまもわたしのトークと笑顔でイチコロなのです。


 まして、今のわたしは外見がハイスペックにリニューアルしたスーパー美少女。素肌年齢だって前世の半分になってシミやソバカスとはさようなら。すっぴんでゴハン三杯はいけますわ。て、どこへ行くかは知りませんけど。



 と、まあ、今日はロズベルト先生と一緒に領内の実地見学へ出かけています。我がベイグラハム領の主要産業である牧羊を見に来ているのです。


 この日の為に、二歳年上のお兄さまが昔着ていた狩猟用の服を仕立て直してもらいました。

 

 袖が少し膨らんだ白いブラウスにレザーのパンツスタイル。首元は薄紅色のリボンであしらい、脚元はブーツです。


 外歩きなので髪は金のカフスリングで留め、惜しげもなく引っ詰めてポニーにしてあります。朝から侍女のマーシャに頼んで丁寧に編んでもらったのが少し自慢なのです。


 おほほほ。なんだか、領民の皆さまが見てますわ。こんにちわ。パトリシア・ベイグラハムです。うんうん。手も振っちゃおうかしら。


 (そと)(づら)の良さだけなら昔から自信があったので、わたくし思い切り愛想を振りまきました。

 隣にいたロズベルト先生は少し驚いた様子をしていましたが、好きにさしてくれました。


 でも、こんなところをマナーの先生に見られたら大目玉をくらいそうですけれども。


 これは布石なのです。将来、最悪の事態を迎えそうになっても「パトリシアさまは美人で可憐で清楚で愛くるしくて、それはそれは天使のようなお方だよ」と領民の方々が弁護してくれるかも知れません。


 ああ、男の子たちが、わたしが手を振るとなんだか、はにかんだような表情を見せるのがとても良いですわ。

 おっーほっほっほっ。しかとまぶたに焼き付けるのです。今日という良き日のことを。



羊毛を刈るのは毎年六月なので、今日は羊ちゃんを見るだけです。


 ああ、いましたいました羊ちゃん。子羊もいます。モコモコです。もふもふなのです。ああ、可愛い。きゅんきゅんします。お持ち帰りしたいです。


 そう言って子羊ちゃんを物欲しそうに見ていましたら、危険を感じた母羊ちゃんが連れて行ってしまいました。残念です。




 わたしが非常に満ち足りた気分で屋敷に戻りますと。


 なんたる。な、な、なんたることなのでしょう。


 わたしは婚約者のピエールと来月、帝都で会食をすることになっていました。


 こ、これは(セン)(ザイ)(イチ)(グウ)のチャンスです。一気に縁を切るしかありません。


 こちらから断ると角が立ちます。ですから相手から断らせれば良いのです。おほほっ。我に秘策ありです。

 

 要は嫌われれば良いのです。


 出された料理を落語で蕎麦を食べるシーンのように振る舞えば良いのです。


 スプーンを使わずにおつゆを音を立てて飲み、ズルズルっと豪快にパスタを食べる。効果はてきめんでしょう。


 パトリシアの記憶よるとピエールはわたしにかなり惚れている様子です。しかし、きっと百年の恋いも冷めるに違いありません。


 あと、目の前で堂々と鼻をほじり、何食わぬ顔をしてテーブルクロスになすりつけるのも良いかも知れませんわ。


 おほほほっ。楽しみです。今日から、鼻の掃除も控えることにしましょう。さて、夜も更けてまいりました。本日はもう休むことにしますわ。

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