その2:〈家事子狐〉
「ふぅ。ここはこんなものかしらね。そっちはどう?」
テーブルの上に散らばっていた資料を整理し終えて一息つき、軽く肩と首を回して解した私は、一緒に部室の掃除をしていた少年たちに声をかけます。
「愚問だな、先輩。ぼくの担当範囲は既に終わっている」
神経質そうな手つきで眼鏡の位置を直しながら生意気な口を叩いているのは召喚術師の那須君。確かに彼に割り当てられた範囲は見たところ完璧に片付いているのだけれど。腕を組んで威張る彼の背後でハタキを手に半透明の執事さんが頭を下げていますね。いつも御苦労様です。
「セシーリア姉ちゃん。俺の方もすっかり終わったぞーっと!」
身軽に脚立から飛び降りて来たのは武闘家のレッドバトラー君です。筋肉質な長身は高所での作業には便利なのだけれど、赤と黒の格好良い縞模様も、不揃いでワイルドなタテガミもすっかり埃を被ってしまっています。究理ちゃんが帰ってきたら御風呂を用意してもらわないといけませんね。
「それでは、少し休憩にしましょうか」
そう言ってエプロンを外し、私は部室をぐるりと見回します。
この建物は私たちの所属するギルド・〈ホネスティ〉のギルドキャッスルに付属する倉庫を〈海洋機構〉の職人さんたちが改装してくれたもので、私たち〈モンスター生態調査部〉の部室兼、寮として使わせてもらっていて、その一番大きな部屋を共同の作業場としているのですね。
淡い色をした壁の一面を埋めるのは整理した資料を収めた大きな本棚、窓も綺麗に磨いてカーテンも取り替え、高い所の埃も落としました。部屋の中央には六つの机で構成された島があり、その上も整理整頓され見た目にも気持ちが休まるのです……ひとつの机を除いては。
今日、部室の掃除をしているのは私と那須君とレッドバトラー君の3人。究理ちゃんが部長の用事に付き合って不在なのは良いとして、シモンは今日もどこかに行ってしまいました、あのドワーフ親父の机上だけが雑多な書類と用途も不明のガラクタで埋もれているのです。
「なぁにが『どこに何があるかわからなくなるから勝手に触るな』よ……」
作業部屋の隣にあるダイニングキッチンに移動し、半透明な執事さんを手伝って御茶の準備をする間もシモンへの不満が口に出てしまいます。何しろ、〈ホネスティ〉で雇用している〈大地人〉の〈家政婦〉さんも、この倉庫までは掃除しに来てくれません。改装にかかった費用が部費を圧迫しているため、独自に〈家政婦〉を雇うという訳にも行かないのです。忙しくて中々顔を出せない部長の分も私たちで頑張らないといけないのですが、ギルドへの上納金(〈ホネスティ〉では、施設の維持費や雇用している〈大地人〉の給料、働くことができないメンバーの生活費を、働けるメンバーから上納される金貨で賄っているのです)を稼いだり、身の回りの雑事に追われて中々本来の調査活動が進まない、この辺りもなんとかしたい処なのですが……。
「なぁ、姉ちゃん。あれ何だ?」
恨みを募らせる私の袖を引いて現実に連れ戻してくれるレッドバトラー君が指差す先、そこではふわっとした直径一メートルほどの枯葉色をした塊がゆらゆらと動いています。あの形は……
「狐の尻尾?」
中程が大きく膨らみ、細くなっていく先端付近だけ白い、童話などに出てくる狐の尻尾でした。角度を変えて見ると、尻尾だけではなく本体もありますね。大きな尻尾にすっぽりと隠れるほど小柄な体格、三頭身にディフォルメされ後脚だけで直立した姿勢、質素なブラウスとスカートを身につけスカーフを三角巾のように頭に巻いた服装、そして小さく鼻歌を歌いながら箒で床を清めている様子に、私は慌ててメニューを開き一冊のバインダーを取り出します。
私がサブ職業に選んだ〈魔獣狩人〉は、〈アンデッドハンター〉〈人斬り〉〈竜殺し〉などと同様に〈狩人〉から転職できる上位職です。これらの職業は特定モンスターとの戦闘に補正がかかる特性や特技を覚えられるのですが、その中に〈モンスター図鑑〉というものがあるのです。
該当するモンスターを最初に倒したときのドロップ品に〈図鑑のページ〉というアイテムが追加され、それを使うとメニューコマンドから閲覧できる〈モンスター図鑑〉に該当モンスターの項目が追加されます。モンスターのイラストとフレーバー文章が閲覧できるため、フルコンプを目標にしていたプレイヤーも少なくない比率で存在しており、当然ながら私もその一人でした。
〈大災害〉によっておきた変化の一つとして、この〈モンスター図鑑〉がメニュー上の存在ではなく実体化してしまった事は少しばかり面倒なことでもあります。
まるで週間刊行される分冊百科に付いてくるような大判のバインダーに、モンスターごとのページがファイリングされている形なので、実に嵩張るのです。
タグや付箋をつけて自分好みの順番にソートできるようになったり、自由に書き込みができるようになったのは便利な変化ではありましたが、整理が苦手な人だと辛いことでしょうね。
機嫌良さそうに掃除を続ける狐尻尾を刺激しないよう慎重に、記憶を辿りながら図鑑をめくる手が止まりました。
「あれは〈家事子狐〉ね。分類は幻獣でレベルは20」
〈家事子狐〉は支援・回復の魔法と罠の扱いに長けた幻獣です。単体での攻撃力・耐久力は共は同レベル帯の他のモンスターよりも低いため、フィールドゾーンで出会う野良の〈家事子狐〉は経験値稼ぎの良いカモとされていました。
その一方で、古代遺跡などの施設で出会う〈家事子狐〉は「家付き」の通称で要警戒とされていたモンスターでもあります。
遺跡を守護する他のモンスターへの支援・回復を行い、遺跡内の罠を操作して襲い掛かってくる〈家事子狐〉はその戦闘の難易度を飛躍的に上昇させるため、優先的に倒すべきと扱われていました。まさに、侵入者を掃除する遺跡の清掃人といった処です。
「ということは、こいつは野良の〈家事子狐〉なのだな。おそらくは都市魔法陣が停止したことでアキバに迷い込んできたのだろうが、どう対処するんだ?」
いつの間にか那須君もやって来て話しに加わっていました。執事さんは悠々と御茶の準備を続けています。
私たちにとっては低レベルであるといっても20レベルというのは大半の〈大地人〉にとっては脅威となる数字です。迂闊な行動をとって街中に出してしまうわけにはいかないでしょう。
「私と那須君は気付かれないように出口を封鎖、レッドバトラー君はそれを確認したらターゲットの確保、よろしくね」
部室内は補完されている資料を保護する意味合いと、資料の作成・検索に便利なサブ職業の兼ね合いから「戦闘禁止・特技使用可」と設定されています。
「フン、容易い事だ」
せっかちな那須君は指の動きだけで執事さんを招くと、〈トワイライトマント〉を纏ってその姿を薄れさせてしまいました。いつもながら見事な穏行術です。
私も負けてはいられません。音と気配を殺しながら那須君とは反対の方向へ移動を始めます。〈魔獣狩人〉には獲物に気付かれずに移動するための幾つかの特技があるのですが、普段の狩りでは重甲冑を身に付けていることからあまり使う機会は多くありません。とはいえ私も、流石に部屋の掃除をする時にまで甲冑を着込んでいるような酔狂な人間ではないので(実際にそういう酔狂な人間もウチのギルドには居るのですが)今はその恩恵に与ることができます。
ダイニングキッチンへの出入り口は2箇所。開きっ放しになっている玄関に繋がるドアと、さっきまで掃除をしていた作業部屋への扉です。玄関はもちろん、作業部屋もさっきまで掃除していたので窓が開け放ってあります。作業部屋の扉に辿り着いたタイミングでパーティチャットから那須君の声が聞こえます。
「到着したぞ」
「私も準備できたわ。レッドバトラー君よろしくね」
「応! 任せとけって」
レッドバトラー君はカウンターの陰で立ち上がり、〈家事子狐〉に向かって歩き出します。急ぐでもなく、焦るでもなく、その姿はまるっきり気負いの無い自然体そのもの。
〈家事子狐〉の方もレッドバトラー君に気付いたのか箒を動かす手を止めて見上げます。身長差は実1m以上もありますからね。しかし、悠然と歩いてくるレッドバトラー君から敵意や殺気を感じ取れないのでしょうか、逃げようとするでもなく、威嚇するでもなく、ただただ虎の顔をもつ長身の少年が近づいてくるのを待つばかり。
そうして、彼の歩みが止まります。
レッドバトラー君はしゃがみこみ、狐の顔をした幻獣の少女と目線を合わせました。
「なぁ。お前、掃除好きなのか?」
問いかけられる言葉に〈家事子狐〉は一瞬なにを言われたのか判らなかったのでしょう。きょとんとして、数瞬の後にこくりと頷きます。
「そっか。お前、帰る家はあるの?」
次の問いには、悲しげに俯きながらぷるぷると首を左右に振ります。その様子を見てレッドバトラー君は子狐の頭に掌を乗せ、わっしわしと撫でます。むむむ。
「帰る家が無いのは辛いよなぁ。お前、ここに住むか?」
頭を撫でられて細めていた子狐の目が大きく見開かれます。なんだか「ぱぁぁぁぁっ」と擬音の書き文字がつきそうな、ピンク色の気配がしますね。って、ちょっと待ってください。
「レッドバトラー君。それは〈家事子狐〉を部室で飼うということですか?」
「んー、飼うって言うか、どう言ったら良いんだろうな。ナス、説明任せた!」
「フン、単細胞め。つまり、施設の維持管理を習性とする〈家事子狐〉をこの部室と紐付けることで、アキバの街中で〈大地人〉への被害が出ることを防ぎ、〈家事子狐〉は生活の基点ができて助かり、なおかつ部室の掃除も任せられるのでぼく達も楽ができる、というWin-Winの提案なのだろう。これを計算しないでやってるのが非常に不愉快だがな」
「へへ、サンキューな!」
なるほど、まさか幻獣と交渉してギルドハウスの清掃を任せるとか想像の範囲を超えていましたが、そう言われるとこれ以上の方法は無いのかもしれませんね。まぁ、部長への報告や各方面への許可を取り付ける必要はありそうですが、この子の名前はなんというのでしょうね。
「んじゃ、お前の名前はヴィーカな」
名前が気に入ったのでしょうか。ピョンピョン飛び跳ねて喜ぶ仕草が可愛いです。
「何じゃぁぁぁぁぁ! 儂の机がピカピカになっておーるーぞー!」
夕方、帰ってきたシモンの絶叫が響いていました。今度ヴィーカには油揚げでも買ってきてあげることにしましょう。
▼エネミー解説
〈彷徨える家事子狐〉
レベル:20 ランク:ノーマル タグ:「幻獣]
掃除が好きな幻獣、〈家事子狐〉の中でも自らの棲家をもたずに放浪している個体。
〈大災害〉後は、モンスターの生息環境の変化による移動が各地で発生しており、その影響で住処にしていた遺跡に強力なモンスターが棲み付いて追い出されるなど、彼女らは増加の傾向にあるようだ。
〈家事子狐〉は〈召喚術師〉が従者として契約することが可能なモンスターでもあり、〈大災害〉後は回復魔法だけてなく、高い家事スキルも重宝されている。