その1:〈擬態魔〉
「了解。右の壁の額縁は黒。その下の弓は白。矢筒の方は黒ね」
きびきびとしたセシーリアの声が響く。
この重装神官は剣と盾と甲冑で武装した姿そのままに生真面目な性格をしているのだ。
枯葉色と言うべきか、ややくすんだ色合いの金髪を長く伸ばし、毅然とした表情を美貌の上に貼り付けているところは、もしエルフであったなら〈醜豚鬼〉の群れに敗北する女騎士を連想する人も多いのではなかろうか。
実際には、頬から首筋にかけてを彩る魔力回路の文様が、彼女が法儀族であることを証明している。
以前、襟の中に消えていくその文様の続きがどうなっているのかと興味を持って見せてくれと頼んでみたら拳が飛んできたので残念ながら確認はできていないのだが。
っと、いかんな。
「小僧、ストップだ」
歩きながら周辺を警戒していた長身のレッドバトラーに声をかける。
多少迂闊な所はあるが、素直さはこやつの長所だな。
今にも踏みつけようとしていた熊の毛皮でできた絨毯から即座に脚をどかし、素早いバックステップで距離を開ける。
3人それぞれに警戒して構え、しばしの時が流れるが、とくに何も起こらないと判断して口を開く。
「足元、熊の敷き皮も黒だな」
儂の告げる声にレッドバトラーの表情が歪む。
赤い鬣の獅子面に虎縞模様なんていう一度見たら忘れられんような派手な風体をしているせいか、表情の変化が見てとるように分かるのだ。
「なんだよ、ジジーが見つけるのが遅いんじゃないか」
……前言撤回、素直なものか。この〈武闘家〉は文句が多い。
「誰がジジーだこの小僧。儂はまだ60にもなってないんだぞ!」
便利な多機能ゴーグルを額に跳ね上げ反論する。
「熊の敷き皮は黒、と。そうよ、シモンがジジイに見えるのはドワーフだからなんだし。髭のせい」
儂の報告をチェックリストに書き込んでいたセシーリアがフォローを入れてくれる。そうだろうそうだろう、ダンディな大人の魅力は小僧には出せんものだからな。
「シモンはどっちかというとオッサンとか言うのが適正かしら。むしろエロオヤジと言うべき」
……いや、生真面目な表情で淡々と言わんでくれ、傷つくだろうが。
「ともあれ、2人とも喧嘩はほどほどに。私たちの任務を忘れてないわよね?」
その言葉に儂と小僧は現在の状況を思い出すのだった。
事の発端は〈妖精の輪〉の探索だった。
儂らの所属する〈ホネスティ〉は〈円卓会議〉を構成する11ギルドの一つであり、人数的な規模で言えば〈D.D.D〉に次ぐ第二位の戦闘系ギルドでもある。
元々、ネット上で攻略サイトを運営し、情報の共有による多人数へのプレイアビリティ上昇をモットーとするアインスをギルドマスターに戴く団体であるだけに、自警団的な活動や単なるレベル上げの戦闘に比べて、この異世界の調査に意欲を燃やすメンバーが多かったというのもあるのだろう。
〈円卓会議〉立ち上げ後に議題に上った〈妖精の輪〉の探索計画。その責任者となったのがアインスであり、その実働を任されたのが〈ホネスティ〉という訳だ。
そうした探索班のひとつが見つけてきたのが古のアルヴが別荘として使っていたというこの館だ。 残念ながら探索班の連中は、館の家具に奇襲されて全滅したらしいが。
そこから後はとんとん拍子に話が進んで、儂ら〈モンスター生態調査部〉の出番となった訳なんだな。何しろ、館の調査までは〈妖精の輪〉探索とは関係ない。
残念なことにウチのダメージディーラー担当である〈召喚術師〉コンビが参加できなかったのだが、館の近くに跳べる〈妖精の輪〉の制限時間の関係上、仕方の無い話である。
今回は下調べと割り切って、極力戦闘にならないよう注意しながら進むという方針で調査をすることになったのだ。
おいおい、喧嘩などしている場合ではないじゃないか!
「そうよ。シモンがしっかりしてくれないと、あなたのゴーグルが頼みの綱なんだから」
叱られてしまった。セシーリアは〈ホネスティ〉の中でも「叱られてみたいお姉さんランキング」第三位である。
「それにしても、でかい部屋だよなー。これ、今日はこの部屋だけで終わりそうじゃね?」
小僧がぼやく。堪え性の無い、と一瞬思うが、確かにこの部屋は異様に大きい。別荘って話だったし、この館の持ち主はアルヴの貴族か何かだったのだろう。この部屋も、何畳って単位ではなく坪とか平米で計算した方が早そうな面積を有している。
床は毛足の長い真紅の絨毯に覆われ、壁沿いには多数の雑多な品物が飾られている。良く言って陳列室、悪く言えば倉庫という有り様だが、飾られている品物の中に少なくない割合で〈擬態魔〉が混ざっているのが、今回の問題点なのだ。
〈擬態魔〉というのは、古代のアルヴたちが侵入者撃退用に作った魔法生物の総称だ。
通常は害の無いオブジェクトやアイテムに擬態、つまり姿を変えており、騙されて近寄ってくる獲物を不意打ちで襲って倒す、といういやらしいモンスターである。
宝箱に擬態する〈人食い宝箱〉や甲冑に擬態する〈彷徨う鎧〉が有名だ。 初心者の頃に「書庫塔の林」で〈生きた辞典〉の魔法攻撃に泣かされたとか、農道を歩いていて〈化け案山子〉に追い回されたとか、その手の逸話も枚挙に暇が無い。
対処法は単純で、とにかく迂闊に近づかなければ良いのであるが、そこで活躍するのが儂の多目的ゴーグル。こいつはレンズの切り替えで熱視野と魔力感知ができるスグレモノなのだ。ちなみに、〈機工師〉がレベル60で作れる製作級の補助装備で、バイザーに三つのレンズが並んでいて思わず炎の匂いが染み付いてむせそうな形状をしている。
典型的なドワーフらしい髭面にゴーグルを降ろすと儂の美顔が殆ど見えなくなるのが難点だが、ともかくこいつを使って、そこらの品物が〈擬態魔〉かどうかを見抜くのが儂の役割なのだな。
「そうだな。日が暮れる前にとっとと片付けておきたいもんだ」
ようやく己の役割を思い出した儂は、ゴーグルをかけ直し、擬態している魔物を次々と見つけて報告する。
セシーリアはそれを受けて外見や特徴を記録していき、レッドバトラーは護衛として周辺への警戒を続けている。
そんな具合にしばらく調査を続けていたんだが、やたら長いなこの部屋は。
調査しながらって事もあって進むスピードは緩やかなんだが、それでも休憩挟んで30分は歩き続けている。足元の赤い絨毯もまだ続いてるんだが、さっきから継ぎ目があったような気がしない。
ふと思い立ってゴーグル越しに絨毯を見た俺は思わず硬直してしまった。
「それにしても、不思議だよなー」
一方で周囲を警戒するのに飽きたのかレッドバトラーの小僧は軽口を叩き始める。
「何でミミックって一定距離に近づくまで攻撃して来ないんだろう?」
「それは最初の攻撃を確実に命中させるためだと思いますよ」
セシーリアはそんな軽口にも律儀に答えを返すが、小僧は納得しなかったようだ。
「でもさー。俺らもうミミックの正体とか見破ってる訳だし、近づいて来るのをおとなしく待ってる必要って無いような気がするんだけど」
「それもそうですね」
セシーリアが頷く。儂にとっても青天の霹靂な意見だが、今視界の隅で額縁に描かれた絵がポンと手を打ってなかったか?
拙いな。
こっそりコマンドを展開して〈援護歌〉を〈小鹿のマーチ〉と〈舞い踊るパヴァーヌ〉に変更しておく。キャストタイムの長さがこんな時には辛く感じるぜ。
「おい二人とも、次はこっちにいくぞい」
平静を装って180度反転、内心は汗だらだらだが努めて冷静に足を速める事無く歩き出す。
「シモン? そちらは入り口ですよ」
「どうしたんだジジー。とうとうボケたか?」
いぶかしみながらもついて来てくれる二人にハンドサインで簡単な説明。
『合図をしたら全力で撤退開始』
思った通り背後からはざわつく雰囲気が漂ってくる。
気付かれるまでにどれだけ距離を稼げるかが勝負、なんて考えながらも歩いていたら、急に足下の感触が変化した。それまでは毛足の長い絨毯の「ふわっ」とした感触だったのが一転して「ぐにょり」である。
現実世界では滅多に経験することのないであろう「巨大な肉塊を踏んづけたような感触」に一瞬の嫌悪感を感じるが、それを振り切って合図を送る。
「野郎ども、とんずらこくぞー!」
「おー!」
「私は野郎ではありませんっ!」
威勢の良いレッドバトラーの雄叫びとセシーリアの抗議を背に一目散に駆け出す。目指すはこの建物の玄関だ。
足元の絨毯は、いつの間にか巨大な生き物の舌に変わっており非常に走り辛い。その上、背後からは既に擬態を解いたミミックたちが追いかけて来ている。左右の品物と一緒に並んでるミミックたちがこれに加わるのも時間の問題だろうな。
こんな時にまで毅然とした表情に悔しさを浮かべたセシーリアと、こんな時だというのに楽しそうなレッドバトラーに途中で追い越された。こういう時には足の短いドワーフの身体が恨めしくなる。儂は、思わず知らず叫んでいた。
「誰か、たーすーけーてー!」
おっさんドワーフの救援要請に応える者は無かった・・・。
▼エネミー解説
〈人食い屋敷〉
レベル:50 ランク:レイド2 タグ:「ボス」[人造][暗視]
建物の内装に擬態するミミック種のモンスター。このモンスターをボスとした〈大規模戦闘〉では、体内に入って調度品に化けた大量のミミック種の従者と戦いながら最奥にある核を倒すことになる。
体内はレイド専用のゾーンになっており、赤い絨毯が敷かれた細くて長い部屋である事が多い。この絨毯は〈人食い屋敷〉の巨大な舌だが、正体を現す前に攻撃してもダメージを与えられる訳ではない。
弱点属性は[邪毒]。