一の壱
僕は幼馴染みの少女ーー琴乃葉紡の事が好きなんだ。
ヤツが僕の中から出てきたのは、自室で、強く、そう思った時だった。
黒い煙?靄?闇?とにかく、そんな感じのモヤモヤが、僕の中から込み上げるように現れて、ブチッと引きちぎれた。
かなりイレギュラーな事態だったのだけれど、僕は一年ほど前から何回か、この黒いヤツの相手をしてきている。また今回も同じように相手にすればいい。そう思っていた。
だけどこいつは違った。
僕から引きちぎれてすぐの攻撃。モヤモヤを、長い棒状の形にして、横一線の凪ぎ払いだった。
「ぅうっ……」
腕をクロスさせ、それを防御した僕は、後ろにブッ飛ばされ、壁に激突する。その時、小さな呻き声が漏れ出た。
このままじゃ分が悪い。そう思った僕は、背部から来る強い痛みに耐えながら、下腹部に力を入れ、目を閉じ、手足に意識を集中させた。
ほんの数秒、それはすぐに完了する。赤いオーラと言うか光と言うかが、蜃気楼の如く手足に漂い始める。
その間にヤツはゆっくりと僕との間合いを詰めてくる。体を地面に這わせて。
僕に攻撃をするのに、ちょうどいい間合いだったのだろう。ピタッと動きを止めて、僕の眼前に仁王立ちし、またもや、形態を変化させ始めた。
正方形だったーーまるで大きな鉄板。ヤツが僕に向かって倒れて来たのは、形態を変化させて刹那の出来事だった。
「おぉ……うおぉぉぉぉ!」
自身に気合いを入れる一喝は、間延びして、叫び声へと変わる。
真っ直ぐ伸ばした腕は、みるみるうちに屈伸していき、ジリジリと押し潰されていく。正方形が床に引っ張られているんじゃないかと錯覚するほどの力強さがあった。
僕の額から、大量に流れ出ている汗の一粒が頬をつたい、口の中へと侵入してきた。
それを噛み潰して、思いっきり、全身に力を込める。手足全体を包む赤い色が、どんどんその濃さを増していった。
「うわぁぁぁぁ!」
再度、叫び声をあげながら、正方形を反対方向に押しやる。
徐々に、屈伸していた腕が伸ばされていき、ついに正方形が、僕と反対方向にパスンと言う音を立て、倒れ込んだ。
今までのはいったいなんだったのか、と言うぐらい、呆気なく、軽い音だった。
僕はこの好機を見逃さず、荒い息治まらぬまま、横たわる正方形の上を一足で飛び越えて、その先にある窓に駆け寄った。窓枠を手にし、それを右にスライドさせて、一気に開け放つ。初夏の生暖かい風がビューっと舞い込んできた。
僕は風のおさまりも待たずに、全開の窓から飛び降りる。
家の前を通る道に着地した僕は、ヤツと応戦するのに適した場所はどこか、と言う考えを巡らせながら、左右に開けた真夜中の闇を交互に見た。
ーー適度に広くて、人がいない場所は
ーーあった!
僕は、足全体に意識を集中する。しだいに、手の赤い色が消えていき、足全体を包む赤い色が大きくなった。
「よし。」
僕は右方向に進路を取り、駆け出した。