ハロルドを追え!・後編
ハロルドは全速力で馬車を走らせていた。
暗くなる前にリスタルについておきたいと、普段は使わない近道を選択したのが仇となった。まさかオーガに遭遇してしまうとは。自警団の仲間がいればまだしも、一人で戦って勝てる相手ではない。
辺りには霧が立ちこめている。ひょっとしたら精霊が近くにいるのかもしれない。
「くそっ、やっかいなことになった」
そこまで足の速くないオーガならもう振り切ったかもしれない。戻るのなら今だ。
だが、ハロルドは感じていた。後ろからまだ何かが走ってくる気配がする。追われているのだ。オーガがまだあきらめず、自分を追っているのかもしれない。
とにかく急ぐしかない。
ハロルドは汗を流しながら馬にムチを打った。
一方、グランとリブレもハロルドを必死に追う。霧のせいでトップスピードを出すことはできない。それにもし馬車に衝突でもしようものなら、爆弾が爆発するかもしれない。だが、後ろにはまだオーガの姿が見える。
リブレたちはハロルドの名前を呼んだが、聞こえている様子はない。
「くそったれ。前も後ろも、やべえぞ!」
グランが悪態をつく。リブレも速度をセーブしながら馬を走らせていたが、さらにスピードをゆるめ、やがて言った。
「やるしかない……。まずオーガをなんとかしよう。グラン、魔法いけるか?」
すると、同時に速度を落としたグランは少しにやりとする。
「馬に乗ってんだぞ。できるわけがねえ……とは、言えねえな。オーガ相手にはどっちが有効だ?」
「ブーメランみたいなヤツ」
「てめえ、そろそろ名前覚えろよ」
言いながら、グランは馬上で腕をクロスさせた。
リブレはポーチからかんしゃく玉を取り出した。
「グラン、タイミングを合わせてくれ!」
「お前が合わせるんだよ! ホレ、さっさと投げろ!」
リブレは投げ捨てるようにして、後方にかんしゃく玉を放った。
「『炎刃』!」
同時にグランが体をひねりながら合わせた手のひらをかんしゃく玉に向け、炎の刃を発射した。刃はかんしゃく玉を捕らえると小さな火の玉となり、びゅんと飛んでいった。
「はじけろっ!」
グランが手をぐっと握ると、ちょうどオーガの頭上で大きな爆発が起こった。すぐにかんしゃく玉に火がつき、ぱぱぱん、と甲高い音を鳴らしはじめる。オーガはあっけにとられている。
「グラン、頼むよ!」
リブレはかんしゃく玉を両手に持つと、ぽいぽいと山の奥へと投げる。同時にグランは練っていた“魔力”を炎へと変え、炎の帯を次々と発射した。
ぱん、ぱん、ぱん。
オーガは小さな爆発を見て、それを追うようにして山道をはずれた。
二人はしばらくスピードをゆるめたままだったが、オーガの姿が霧の中に消えていくのを見て、同時に手綱を引いた。
「今の音!」
ハロルドもさすがに気づく。リブレのかんしゃく玉だ。馬を停めて耳をすますと、霧の向こうから蹄の音が聞こえてくる。
もう間違いない。
「ハロルドさん!」
「リブレ君、グラン君!」
ようやくハロルドに追いついたリブレとグランは、馬を彼の馬車に寄せた。ハロルドは頭をかいた。
「一体どうしたんだい? こんな危険なところまで来るなんて。それにさっきオーガがいただろう」
リブレは話を切って声をあげた。
「話はあとです。とにかく僕らと一緒に、いま来た道を戻って下さい!」
「ああ、霧が出てるからな。でも、この程度なら……」
と、言ったところで、先の道からパチン、パチンと空気のはじけるような音が聞こえてきた。
三人はそれを聞くや否や、すぐに馬に乗り込んでムチを入れた。
霧の中から、光が差し込んでくる。
最悪の事態が起こった。
来た道を戻る三人は声すらあげない。ただ必死に馬を走らせる。
三人はそれなりに長く冒険者をやっている。
そうでなくても、冒険者であれば絶対にその話は聞く。知らない者などいない。
特定の精霊が現れると“魔力”がほとばしり、周辺にぱちぱちと高い破裂音を出すという。さっき聞いたのはまさしくそれだった。
精霊と遭遇しても勝ち目などありはしない。ただ一目散に逃げるしかないのだ。
「グラン君、『リターン』は!」
ようやくハロルドが言った。グランは眉間にしわを寄せながら後ろを見た。
「その質問はいじわるだぜ、ハロルドさん! あったらとっくに使ってるよ!」
「だったら二人とも、私のことはいいから先に行きなさい。私はなんとか逃げ切ってみせる」
リブレがぎりと奥歯を噛む。
「そんなこと、できるわけないじゃないですか! グラン、さっきのヤツ、もう一回だ!」
「ハロルドさんはいいって言ってるじゃねえか、ちくしょう! やりゃいいんだろ!」
二人は先ほどオーガにやったかんしゃく玉と魔法のコンビネーションを試みる。パン、パンと玉が炸裂するが、遠くに見える光が薄くなることはない。全く利いていない。
「くそっ、手詰まりだ! このまま逃げ切るしかねぇっ!」
しかし、引き離している感じはない。次第にぱち、ぱちという音が近づいてくる。
ハロルドはそれを聞きながら、少し苦笑して言った。
「全く、申し訳ないとしか言いようがないな……。君たちの話を聞いたとき、すぐにでも君らを探すべきだった。そうしていれば、こんなことに巻き込まずに済んだというのに。すまない」
グランはそれを聞いて、やはり少しだけ笑った。
「ハロルドさん、そんな事言わないでくれよな。元はと言えば俺が爆弾を……」
「爆弾? なんだい、それ」
沈黙。
「そうだ、爆弾だ!」
リブレとグランの二人は大声をあげた。
頭にハテナマークを浮かべているハロルドをよそに、二人は頷きあい、馬のスピードをゆるめ、ハロルドの馬車の後ろにつける。グランが“魔力”を練り、荷台に取り付けられた布を焼き切ると、荷物置き場が露わになる。
リブレとグランは同時に馬の背を蹴って、荷台へと飛び乗った。二頭の馬はやっと重石がなくなったとばかりにびゅんと速度を上げ、ハロルドの馬車を追い越していった。
「ふたりとも、何やってるんだ!」
ハロルドの言葉を無視して、二人は荷台から青い木箱を見つけ出すとそれを担ぎ、荷台のへりに足をかけた。
「よっしゃ! こいつなら少しくらいは時間が稼げるかもな」
「でも、どっちが爆弾なんだろう?」
「へっ、投げればわかんだろ!」
グランは片方の木箱をぶんと放り投げた。
ごしゃ。派手な音と共に半透明の石がぶちまけられた。
「っし、今のが魔石だな。リブレ、それが爆弾だ! 行け!」
「おおっ!」
リブレは勢いをつけて木箱を投げた。
二人は即座にその場へと伏せる。
ごしゃ。
木箱からは石ころが飛び出した。
「えっ!?」
リブレたちは思わず声をあげる。
「どういうことだ。今のが爆弾じゃなかったのかよ、グラン!」
「俺が知るかよ! くそったれ、青い木箱じゃないのかもしれねえ。とにかく投げろ! 投げまくれ!」
二人は荷物をつぎつぎと投げていく。
ごしゃ。剣や装備。
ごしゃ。回復アイテム類。
ごしゃ。スクロール。
「最後の一個だ。間違いなくこいつだぜ!」
グランが投げた木箱は地面にぶつかると、食料が飛び出した。
「う、うそだろっ! 爆弾なんてないじゃないか!」
「ちくしょう! どうして爆弾じゃねえんだよ!」
パニックに陥るふたりをよそに、霧の先に見える光は少しずつ強くなってくる。
二人は青ざめ、顔を見合わせた。
その時。どしどしと大きな音が近づいてくる。
「こ、この音は、もしかして……」
「マジかよ!」
次の瞬間、辺りの木をぶち折りながら、オーガが現れた。さっきのオーガが戻ってきたらしい。
「リブレーっ!」
グランの叫びと共に、リブレはかんしゃく玉を放り投げた。
バンとオーガの頭に爆発が起きたあと、その目にナイフが飛んだ。オーガがわけもわからずその場でひるんでいると、ぱちぱちという音と共に光が走った。
ひゅん、と光の筋が上るのを二人は見た。
霧が一瞬にして晴れ、山道に夕日が差し込んできた。
リブレとグランはそれを見て、同時にがくりと倒れ込んだ。
「た、助かった……。どうやらあのオーガをターゲットだと勘違いしてくれたみたいだな」
グランは汗をぬぐった。
「あのオーガ、どうなったんだろう」
「さあな。でも精霊の中にはモンスターにも容赦ねえってヤツもいるらしいぜ……とにかくあいつに感謝だよ」
馬車が止まって、ハロルドがやってきた。
「どうやら助かったようだね。よかった……って、なんだこれは!」
ハロルドは何もない荷台を見て愕然とした。
「わ、私の荷物は……? 魔石は……」
ぴくぴくとふるえるハロルドを見ながら、リブレとグランは再び青くなった。しばらく二人は肘で小突き合っていたが、ハロルドがふらふらし始めたので、リブレが言った。
「す、すいません。あの、ぜんぶ、投げ捨てました。も、もちろん意味あってのことですよ。でも話すと長くて……あの、ええと、確かにほとんどは崖にふっとんでいきましたけれど、今から戻れば、ちょっとくらいは回収できるんじゃないですかね……」
ハロルドは失神した。
マグン王国は、王都の衛星都市マタイサの街にある自警団の事務所。
「言いつけ通りやってきたよ」
髪を立てた男が、青い木箱をテーブルに乗せてふたをはがした。
「あの二人、大慌てで行ったよ。お、これうまいね」
男は木箱からりんごを取り出し、がぶりと噛んだ。もうひとつ取り出すと、いすに座る少年にそれを手渡した。
「でも、ちょっとやりすぎなんじゃないかなあ、ミゲルくん」
「あの二人は僕と遊ぶ約束を二度も破ったんだ。当然の報いさ!」
ミゲル・マタイサは憮然としながらりんごに噛みついた。