意志を継ぐもの
マグン王国は、王都マグンから馬車で二十分ほど行った先にある小さな町、マタイサ。
「冗談じゃないよ」
ルガードが叫ぶようにして言った。それまでいすに座っていた父・ビハイドもさすがに頭にきたようで、木製のテーブルに拳をうちつけて立ち上がった。
「いい加減にしろ。本当に聞き分けのないやつだ」
「聞き分けがないのはとうさんのほうだ! 僕はあんな仕事、嫌なんだ!」
ビハイドの眉がぴくりと動いた。
「それでもルレーゼ家の男か! いいか、俺たちの一族はな、ひいじいさんの、そのまたじいさんの代からこの仕事を続けてきた。この誇り高き伝統を、お前が途絶えさせてしまうというのか」
「知らないよ、そんなこと!」
とうとうビハイドは息子を殴りつけた。ルガードは口の血をぬぐうと、そのままドアをあけて家を出て行った。
ビハイドはその後ろ姿を見送ると、悪態をついていすに腰掛けた。足には、包帯が巻かれていた。
ルガードは浮かない顔をしながら町の物見台まで歩くと、はしごをつかんで上りだした。彼はこういうことがあるたびにここに来て、気持ちを落ち着けるのだ。
「おっ、ルガード君か」
物見台には先客がいた。
「ハロルドさん。こんにちは」
マタイサ自警団のハロルド・ヘイズはルガードの顔を見るなり、少しだけ苦笑した。
「また、親父さんとやりあったのかい」
「ええ」
ハロルドはスクロールを取り出して、ルガードの頬に回復の魔法をかけてやった。ルガードは短く礼を言って、物見台の手すりに手をかけた。
マタイサの町が一望できた。ルガードが小さかった頃に比べ、明らかにその規模は大きくなっている。先にはトンカ平原が広がっており、今日のように天気のいい日はマグン城や、山岳地帯シュージョまで見ることができる。気持ちよい風が吹いている。
ルガードの気分はすぐに明るくなった。ハロルドはそれをしばらく見ていたが、やがて口を開いた。
「仕事を継ぐことが、そんなに嫌なのかい?」
ルガードはとたんにうつむいてしまった。
「ええ」
「立派な仕事だと思うがね」
「あんなの、嫌ですよ……。僕、これまでずっと見てきたんです。父が影でバカにされているところを。そんなの、耐えられっこありませんよ。僕にはもっと他に、やるべきことがあるんじゃないかって思うんです。たとえば、ハロルドさんたちと一緒に、自警団をやるとか。僕は、自分で決めたいんです」
ハロルドはため息をついた。
「そこまでなら、わからないでもないな」
ルガードはハロルドを見つめた。
「ねえ、ハロルドさん。どうか僕を自警団に雇ってください。そうすればきっと、父も諦めがつくんじゃないかと思うんです」
「確かに、そうかもしれない」
「だったら!」
ハロルドは、ゆっくり言った。
「でも、だめだな。父親のことをそんな風に言う奴は、雇えない」
「ハロルドさんも、わかってくれないんですね」
ハロルドは首を振った。
「そういうことじゃない。君はもう、答えを知っているんだ。そんなだったら、自警団をやっても意味がない。君にはやるべきことがある。もっと父親のことを見てみなよ」
しかしルガードは、手すりを強くにぎって目をつむった。
「失礼します」
ルガードははしごに足をかけ、物見台を降りていった。ハロルドは何も言わなかった。
「探したわよ」
町の外れにある広場に腰掛けていたルガードは、声に反応して顔をあげた。少女が立っていた。
「アンネかい」
少女・アンネはルガードの隣に腰掛けた。
「聞いたわ。お父さん、足の病気が悪化したそうね」
「君まで、その話で僕を追いつめるのかよ」
アンネは肩をすくめた。
「そんなんじゃないわ。だってあなた、最初からあの仕事をやるつもりじゃないんでしょ」
「当たり前だ」
アンネは空を見上げた。
「じゃあ、いっそ逃げちゃいなさいよ。王都にでも行けばいいじゃない」
「簡単に言ってくれるよな。王都で生きるなんて、大変に決まってるよ。治安も悪いしさ」
アンネはそれを聞いて、きっとルガードをにらんだ。
「じゃあ、どうするのよ! ずっとここでぐずぐずしているの? あなたは、逃げてるの。自分から逃げているのよ」
「君に、何がわかるんだよ!」
「わかるわよ。私だって、家のパン屋なんて継ぐのは嫌だった。でも……生まれ育ったマタイサの町が好きなの。だから町のためにがんばるって決めたのよ。あなただって、この町が好きなんでしょう。だから、ここにいる。ルガード、躊躇している時間は終わったのよ」
ルガードは、逃げ出すようにしてその場を去った。
そう、ルガードは、この町が好きだった。ここにいたかった。
だから、仕事を継ぐべきだということも本当はわかっている。
しかし最後の最後で、彼は揺れていた。
僕のやるべきことは、本当にこれなのか。
気づけば、ルガードは町を出て、小高い丘の上にたたずんでいた。
町を見渡すことはできるが、物見台とは違って、先にある王都についてはマグン城がちょぴり見えるだけだ。
「いい風が吹いているだろ。ルガード」
初老の男性が近くに立っていた。声だけで、誰なのかわかった。
「町長さん、珍しいですね。いつも忙しそうなあなたが、こんなところにいるだなんて」
マタイサ町長、カジェ・マタイサは帽子を取ってにこりと笑った。
「そうさな……。確かに久々だよ、ここにくるのは。マタイサの始まりは、この場所だった。王都の城が見えるだろう。ちょっぴりだけ。この、ちょっぴりってのがポイントなんだな。遠すぎず、近すぎず。だからここは、王都の人間からも親しみをもってもらえるし、町は町で、独自の進歩を遂げている。だから、この町は愛されている。外からも、中からも。君だって、そう思うだろう?」
ルガードは答えなかった。カジェはとくに気に留めず、話を続けた。
「でもな、最初はてんでだめだったんだ。うまいこと人が寄りつかなくてな。さらに運が悪いことに、町を作り初めてすぐ、オーガに襲われてしまった。これで安全面の信用はガタ落ちさ。わたしはその時、一度町づくりを諦めようと思った。しかしその時、二人の男が声をあげた。ひとりはエネリッド・ベンソン」
「自警団の団長ですね」
「そうだ。そしてもう一人……ビハイド・ルレーゼ。君のお父さんだ。ビハイドは、諦めようとしていた私を殴りつけて叫んだ。『諦めるな』と。そして王都でやっていた仕事をやめてまで、マタイサの町の発展に貢献してくれた」
ルガードはすこし意外そうにした。町長と父が古い仲であることは知っていたが、そんな過去があったとは知らなかった。
「そうか……だから父は、あんなにこだわるんですね」
「そうさな……あいつは、王都での仕事を捨てたんだ。一族が何百年と続けていた仕事を、あっさりと捨てやがった。とんだバカ野郎だよ」
ルガードは、思わず町長の顔をみた。
「しかし、父は誇りを失っていません! マタイサでの仕事を、王都での仕事と同じように考えています」
「ああ。あいつにとっては同じことなんだろう。場所が変わったからといって、誇りが失われるわけじゃない。むしろ強くなっているのかもしれない。そしてその魂は、息子の君にも受け継がれている」
ルガードはそれを聞いてはっとした。
「君は見てきた。父が何を言われようと、決してくじけない姿を。だからもう、わかっているんじゃないのか?」
ルガードは、鼓動の高鳴りを感じた。
「しかし、だからと言って……」
「そう、君に強制するつもりはない。ただ……」
そう言って、カジェは頭を下げた。ルガードは驚いて、腰をぬかしそうになった。
「君なんだ。マタイサへの愛情と、ビハイドの魂……両方を持っている君が、次世代のマタイサを担っていく。ビハイドのことは聞いている。どうか、君に今後をお願いできないだろうか」
ルガードはその姿を見て、ふと、涙をこぼした。
駄々をこねる時間は、終わったのだ。
ルガードは風を受けながら、マタイサの町を眺めた。
彼は、この町がどうしようもなく、大好きだった。
翌日、ルガードは門の前に立っていた。
今日から、彼の仕事が始まる。
さっそく、王都の方角から二人組の男が門の前までやってきた。
「あんだ、いつものおっさんじゃねえのか?」
片方の魔術師風の男がルガードを見て言った。
「ええ、今日からは僕です」
男は興味なさげにルガードを見た。
「あ、そう。まあ、適当にやれよ。どうせ誰も気にしてねーんだからよ」
もう一人の男がまずいのかと思ったのか、魔術師をひじで小突いた。
「ごめんよ。こいつの言うことは気にしないでくれ。でも、ちょっと寂しいかな。あのおじさんの挨拶、定例行事みたいなもんだったからさ。今度からは君なわけね。それじゃ、さっそくだけど頼むよ」
ルガードは笑って返事をした。
「はい!……ようこそ。ここはマタイサの町です!」