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マグニア紀の夜・後編

「マグニア!」

 リブレたちが店内に入ると、大声が飛んできた。客のほとんどが袋をかぶっている。ものが食べやすいよう、口の部分に穴を開けている者もいる。

 リブレたちも返事をし、テーブルについた。「ルーザーズ・キッチン」も普段の倍以上の活気に包まれている。

 すぐに袋を被った男が隣に腰掛けた。

「リブレ、ボロボロじゃねえか。また馬乗りやったのかよ。こりない奴だな」

「マグニア、ロバート。今日は自己最高記録を出したんだぜ。明日は王都一さ」

「ばかねー。あれ、毎年人が死んでるのよ。狂ってるわ」

 今度は女が現れた。リブレは胸を見てミランダだと判断する。

「わかってないね。勇者ルイスはあばれ馬乗りの達人だったんだ。あれくらいできないと、勇者の素質はないに等しいってことになっちゃうんだよ」

「その勇敢さはクエストの時にも発揮してほしいものね」とリノ。すでに飲み始めている。

 

 こうして楽しく始まった前夜祭だったが、しばらくしてアイがそわそわしているのにリブレが気がついた。

「アイ、どうしたの?」

 彼女はびくりとして、慌てて両手を降った。

「い、いや。なんでもない」

「グラン、いないわね」

 リノがつぶやきに、リブレは辺りを見回す。

「あれっ、そういえば。あいつ、仕事サボってどこに行ったんだ? もしかして、あのアイリって子と」

 そこで、リノがリブレの頭をひっぱたいた。アイはとたんに不安げな表情になる。

「アイちゃん、大丈夫よ。グランのでたらめは今に始まったことじゃないわ。そのうち来るって」

 そのとき、マスターの怒号がとんだ。

「グラン、遅いぞ!」

「わりいわりい。おいコラ、てめーのせいで遅刻したんだぞ」

 グランの声が聞こえてきた。アイは思わず立ち上がった。

「あなたが教えてくれないからよ」

 隣にはアイリがいた。アイは無言でそれを見つめている。

「だから、交換条件だって言っただろうが! てめー、一日中街を歩かせやがって」

 アイリはふふふと笑った。

「ごめんねー。でも大丈夫よ、ここの場所をさっき『コール』で教えておいたから」

 グランはいらだたしげに地団太をふんだ。

「おい、こら。『コール』が使えるなら最初に呼べよ!」


 「コール」。特定の人物に声を送る高等魔法。有効距離は使う人物の〝魔力〟に比例する。便利だが消費〝魔力〟が大きいため、あまり多用されない傾向にある。


「やーね、怒っちゃって。仕事なんでしょ。早く行ったほうがいいんじゃない」

 グランはこめかみに青筋を立てながら何か言いたげにしていたが、マスターにもう一度呼ばれると黙ってカウンターに入っていった。

 アイはしばらく呆然と立ち尽くしていた。

「あっはは、あいつ振り回されてやんの」

 リブレが笑ったが、リノに鋭く睨みつけられて黙った。あと、あごで席を立つように促され、そそくさとカウンターへと向かっていった。

 さっきの会話を聞くだけでも、アイリがグランを気に入っているのは明らかだった。

「アイちゃん、焦らないで。ダメよ、あの女にタックルとかしちゃ。見たところグランのほうに気はないわ」

「しないよ。ミハイルじゃあるまいし。あたしがそんなことするもんか」

 とは言いつつも、アイの表情からは「嫉妬」の二文字が見て取れた。リノはこれまで何度もこの表情を見てきたし、かつて美女レジーナに扮していた時は直にこれを浴びたものだが、今回のそれは今までで一番恐ろしかった。

 しばらくして、エプロン姿のグランが出てくる。マスターにそうとう絞られたようで、けだるげに肩を回している。

「おい、アイ」

 その声にアイがものすごいスピードで振り向く。しかし、グランの視線は別の方向を向いていた。

「リ! アイリ! 絶対来るんだろうな。来なかったらマジで承知しねえぞ」

 アイリは離れの席で笑っている。

「疑い深いわねえ。来るってさっきから言ってるじゃん。グランくん、ワインをボトルでちょうだい。白ね。なるたけ辛口のやつ。一緒に飲も。わたしがおごるから」

 とうとうジェラシーを爆発させたアイは、我慢ならないと言った様子で席を立ってカウンターに向かった。リノが制止したが、こうなったが最後、彼女はもはや止まらない。

「グラン! ビールと肉!」

 グランは彼女の剣幕にたじろぐ。

「な、なんだよいきなり」

「いいから、さっさと持って来い!」

 アイはカウンターを殴りつけた。リブレを含む周囲の客は全員会話をやめた。

 グランがカウンターの奥に引っ込んだのを確認すると、アイは首をひんまげ、アイリを見る。アイリはきょとんとしている。

「あ、グランくんのお友達。今日は悪かったわね」

「アイリって言ったね。グランはね、今日はあたしたちと一緒に祭りを見て回る予定だったんだ。それなのに、あんたがグランのじゃまをしたんだ。あんたはグランが今日を楽しむ権利を奪ったんだ!」

 言っている内容はむちゃくちゃだが、通常の人間ならば黙ってしまうくらいの凄みはあった。しかしアイリはそれを見て、「ふーん」と笑った。負けていない。

「なに、笑ってんのさ」

「いやあ、わかりやすいなって思ってさ。よっぽど彼が好きなのね」

 アイはそれを聞いて一気に顔を上気させた。

「あ、やっぱり図星? だよねー。じゃないとそんなに怒るはずないし。なんだかごめんね、じゃましちゃって」

「でも」アイリは続ける。

「それはそれ、これはこれよ。悪いけどあなたが惚れた男はわたしがもらうわ。彼にはわたしのグループに入ってもらうの」

 アイは彼女に詰め寄った。

「なに勝手なこと言ってるんだい。グランがそんなのに入るわけない」

「そうかしらねえ。あの子の腕前は相当のものよ。悪い話じゃないと思うわ」

「入らない!」

「アイちゃんだっけ? ちょっといきりすぎよ、大丈夫? もう少し落ち着いて話しましょうよ」

「ああもう、ムカつく! もうこうなったら、殴り合いで勝負だ!」

「やあねえ、殴り合いだなんて。気品さのかけらもないわ」

 二人の間に火花が散る。アイのあまりの激昂ぶりに、リノすら間に入るのをためらった。

 それにしてもアイちゃん、その考え方は完全にミハイルと同類よ。


「白ワイン、ビールとアルタ肉、お待ち」

 この言い合いの主役が何も知らずに戻ってきた。客の視線を一点に受け、グランはいぶかしげにした。

「なんだよ、何見てんだ」

「グランくん、こっちこっち」

 アイリが手招きする。グランはアイがものすごい表情でそこに仁王立ちしているのを見て、足を止めた。

「お二人さん、ずいぶんと楽しそうだな」

 アイリは肩をすくめた。

「とんでもない。わたし、この子に絡まれてるのよ」

 アイはすぐに否定したが、グランは眉をひそめた。

「ああ、こいつはすぐブッチするからな。おいアイ、やめろっての。アイリは魔術師なんだからよ。お前なんかにやられたら、明日の仕事ができなくなっちまうぜ。全く、手あたり次第絡みやがって。猛獣かよ、おめーは」

 アイはその言葉にナイフで刺されたかのごとくショックをうけ、一瞬にして覇気を失った。

「う、うん……」

 アイはアイリを一瞥してから皿を受け取ると、自分の席に戻った。グランはその反応に、ちょっぴり意外そうな顔をした。

「アイちゃん、さすがに今のはだめよ」

 リノが言うと、アイはこうべを垂れてふるえ出した。リノはそれを見て少しうろたえる。

「ちょっと。あんなので泣くことないでしょ」

「グランが、あいつをかばった……あの女が好きなのかも」

「違うわ、言い方は確かに少しきつかったかもしれないけれど、いつもの軽口よ」

 アイはそう言われても納得できない様子だった。目尻には涙がたまっている。

「どうしよう、絶対嫌われたよ。こんなことなら、祭りにグランを誘うんじゃなかった」

 リノはため息をついて、酒を飲むように促した。

 あんたも、こうなると弱いのよね。


 マグニア記初日の夜はにぎやかにすぎてゆく。普段だったらもうとっくに閉店時間をすぎていると言うのに、誰一人として酒場を出ようとしない。

 ただ、酔いつぶれる客も増えてきたので、注文のペースだけは着実に落ちていった。

「グラン、そろそろお前も飲んでいいぞ。こっちから一本もってけ。上等な奴は飲むなよ」

 マスターがワインのコルクを抜きながら言った。自分も飲むつもりらしい。

 実のところ、もうとっくに酒を飲みながら仕事をしていたグランだったが、とりあえず返事をしてエプロンを脱いで安めのワインボトルを手に取った。

 グランは瓶をあけるスペースを探す。カウンターはもうダメだ。リブレが突っ伏して眠ってしまっているし、ロバートは目を閉じながらいろいろな女性の名前を連呼している。泥酔すると彼はこうなる。周りもにたような具合だ。

 店内を見渡すと、ひとつだけ開いているテーブルがあった。

 アイリ・ブラッセルが座っている席だ。彼女はまだ余裕そうだった。

「グランくん、あがり? おつかれ」

「アイリさんよ、何か忘れてねえか」

 アイリは顔の前で手を重ねた。

「ごめんっ! なんか十年来の知り合いに会ったとかで、ほかのところで飲んでるみたい。今頃は、夢の中かなあ」

 グランはうんざりした様子で、どんとテーブルにワインを置いた。

「どこで飲んでんだよ、場所教えろ」

 アイリは不思議そうにする。

「無駄よ。絶対に寝てるもの。ねえどうして、そんなに必死になるの?」

 グランはそれを聞いてひとまず諦めたのか、席に座ってグラスに赤いワインを注ぎ始めた。

「その……なんだ。一度見てみたいんだよ。俺もマジック・アートには興味あるからな」

「だったらさ、いっそ私たちと一緒に来ない?」

 その言葉に、そばの席でうたた寝していたアイが反応した。だが、とてもではないが会話に入っていける雰囲気ではないので、寝たふりを続ける。

「昼も言ったけれど、グランくんの技術ならプロとしてやっていけるわ。あなただってマジック・アートをやるくらいだから、リスタルの体質を嫌っているんでしょう? 私たちは、そういう集まりなの」

 マジック・アートにはリスタルの破壊魔法至上主義に対するアンチテーゼも含まれている。

 だがグランはかぶりを振った。

「リスタルが嫌でここに出てきたのは確かだけどよ、そんな崇高なもんじゃねえよ。それにな、あの技は人から教わったんだ。ほかにできることなんてたかが知れてる」

 アイはそれを聞いて少しだけほっとする。対してアイリは残念そうだ。

「そっかー、天才に会えた! って思ってたんだけどなあ。それでも、見た感じ基本は抑えてるわよね」

「まあな」

「誰から教わったの?」

 グランはワイングラスをあおった。

「さあね」

「教えてくれたっていいじゃない。あの技、発想が天才的だったもの。今主流のエべロフ・シュタイン派と根本から違うわ」

「まあ、天才だったことは確かだよ」

 グランはワインをもう一度飲んだ。「いや」

「アホかな。天才的な……」

 少し笑みを見せてから、遠くを見るグラン。アイはそれをちらりと見て、はっとした。

 あの時の顔だ。

 リブレが父親と一緒に旅立った朝に、花壇に腰掛けて「死ぬんだよ」と言ったあの時の。

 グランがあのときに言っていたのは、その人のことだったのだろうか? どちらにせよ、彼にとっては大切な人だったのだろう。

 アイは、なんとなく思った。

 グランがたまに見せる優しさは、その人の影響なのかもしれない。

「グランくん」

 アイリの言葉が思考を遮った。見てみると、二人の顔の距離がかなり接近している。

「わたし。あなたが好きよ」

 アイリがとろけるように言った。

 グランは「会ってまだ、半日も経ってねえぞ」と苦笑するが、アイリは間髪いれず、彼の唇を奪った。

 アイの全身が凍り付く。

「時間は関係ないわ。大切なのはこれからよ。選んで。私たちと来るなら、例の人と会える。来ないなら、会えないわ」

 グランはうつむいて口をぬぐった。ワインを飲んでいたところだったので、少しこぼしたらしい。

「……悪くねえかもな。ちょっと、考えさせてくれねえか」

 グランはそのまま言った。

「そんじゃ、明日夕方に南広場で答えを聞きましょう。今日はだいぶサボっちゃったから、興業をちゃんとやらないと怒られちゃうわ。昼からやってるから、気が向いたら見に来てね。なんなら手伝って」

 アイリはにこりと笑って席を立つと、マスターにゴールド硬貨を渡して出ていった。

 アイはなにか言おうと思ったが、言葉が見つからず、結局そのままテーブルにかがみこんだ。

 グランはひとり、だいぶ静かになった店内でワインを飲み続けた。


 そして翌日。

 眠りこけていた大部分の人間たちはマスターに叩き起こされ、酒場から退場させられた。「ルーザーズ・キッチン」は二日目の宴の準備をしなくてはならなかった。

 二日酔いだらけの道ばたでアイが起きると、時間はすでに昼を過ぎていた。

「お目覚めね。アイちゃん、ひどい顔してるわよ」

 リノが笑う。アイはあまりよく眠れなかった。

「リノは……元気そうだね。それにリブレも」

「なんだよアイ、元気ないじゃん。今日はメーンストリートで『ルイス冒険記』の公開公演だぜ! 演劇って普段は貴族だけの楽しみだけどさあ、今日ばかりは俺たちでも見られるんだ。絶対に見逃せないよ! 今のうちに行って場所を確保しなくちゃ。行こうぜロバート。ジョセフとの約束に遅れちゃう」

 リブレははつらつとした様子で袋を被り、ロバートとともに歩いていった。この時ばかりは二日酔いも吹っ飛ぶようだ。

 その後ろで、ミランダがうなりながら起きあがった。

「ああ、頭いたい。ちょっと飲み過ぎたかな。あれっ、そういえばグランは? リノ、見てない? 昨日あいつにボトルまるごと一本とられたのよ。お金請求しなくちゃ」

 その言葉に、アイがはっとする。周囲には見あたらない。

「私が起きた時にはすでにいなかったわ。夜があける前に家に帰ったんじゃないの。あいつ、今日も仕事らしいし」

「違う」

 アイが即答する。

 きっとあの女のところへ行ったのだ。

 グランは今日で王都を出るつもりなのかもしれない。

「だったらアイちゃん、どこにいるか、わかるの。ミランダが場所を知りたいそうよ」

「……知らない。ごめんリノ。今日も一緒に回るって約束だったけど、あたしも二日酔いがひどいの。家でもっかい寝ることにするよ」

 アイは立ち上がると、背を向けて歩きだした。

「ばかね」

 リノが小さく言ったが、誰にも聞こえなかった。


 アイはサン・ストリートをとぼとぼと歩いた。

 すれ違う誰もが、楽しそうな様子ですっかり活気づいている。

 きっと今、こんな顔をしているのは自分くらいだろう。

 アイは自己嫌悪に陥っていた。

 嫉妬心にかられてアイリにつっかかってしまった自分。

 それを好きな男に見られ、突き放された自分。

 どうしていつも、あたしってこうなんだろう。

 肝心な時に限ってうまくいかないんだ。

 前だって、グランとせっかくキスするところまで行ったのに、やっぱり失敗した。

 それに比べて、あのアイリという女のそれは、かんぺきだった。かっこよかった。あのグランが軽口すらたたけないほどに。

 リノの言っていた通り、愛想を尽かされたっておかしくないだろう。あの二人は悔しいがお似合いだ。

 あの時、ああしていれば。こうしていれば。

 考えれば考えるほど、後悔が押し寄せてくる。

 後悔は心を、どんどん暗くしていった。

 あたしに、幸せになる資格なんてないんだろうか。

 

 アイは家に戻ると、髪をほどいて水瓶をとり、水をがばりと浴びた。

 髪を伝う水滴と一緒に、涙がこぼれた。

「ううう」

 同時に、嗚咽が漏れる。もう、どうしようもなかった。

「泣いてる、場合かしらね」

 その時、どこからかリノの声がした。アイは確かめようともしなかった。きっと外にいるのだろう。換気用の窓が開けてあるから、声は届く。

「リノ。いつもあたしを励ましてくれて、ありがとう。でも今回ばかりは、だめ」

「私は、あるかわいそうな女を知ってる」

 リノの声はアイのことを無視して言った。

「その女はね、何度も何度も恋愛をしたけれど、最後は全部自分から破局させていたらしいわ。どうも、男といても時間が経つと飽きちゃうんだって。相手がいくら泣き叫ぼうがおかまいなし。きっと、本気で人を好きになったことがなかったのね。でも、ある時本当の、本物の恋というものを知った。そうして女は幸せになった」

「うらやましいね」

「ところが、女はある日突然それを失ったの。どうも、相手がきゅうに飽きたらしいのよ。女は自分が今までどんなにひどいことをしてきたのか、ようやく身を持って知った。因果応報ってやつね。女が救われることは、もうないのかもしれない。でも今、女はどうしてると思う?」

 アイはちょっと考えて言った。

「ここで、ほかの女にアドバイスを送ってる」

 ちょっとした沈黙のあと、リノの返答が返ってくる。

「……あがいてるわ。女はまだ、必死にあがいてる。また愛を見つけてやるって」

「たくましいね」

「でも、見つからないかもしれない。本当の恋ってのは、ある意味奇跡みたいなものなんだから。それくらい尊いものなんだから」

 リノがなにを言いたいのか、アイにはなんとなくわかった。

「あろうことかその女の友達に、それを一発目で見つけた幸せな子がいるらしいのよ。女からすれば、なんで相手がそいつなのって思うことは多々あるけれど、近くで見ていて、思うそうだわ。きっと理屈じゃないんだって。それに、自分もそうだったから知ってるの」

 リノは続ける。

「だからね、泣いてる場合じゃないと思うの。グランにはきっと、なにか理由があるんだわ。アイリって子には悪いけど、グランはもっと別のものに執着しているように見えたわ。何か思い当たる節、ない?」

 アイはすぐに思い当たった。

 アイリの友人のマジック・アートがどうのという話。

 そして、昨晩見せた表情だ。

「あるのなら、最後まであがきなさいよ。少なくともモンスターと戦っている時のあんたは、そんなに弱くないわ。いつも最後の最後まで楽しむみたいにして、勇敢に戦っているじゃない。いつものそれが、どうして今、できないの」

 アイはかなづちで頭をたたかれるかの如き衝撃を感じた。そうだった。あたしは戦うのが好きな女。

 今回のそれも、言ってしまえば戦いだ。

 あの女はモンスター。強敵だけど、いつもみたいに、精神を集中して……。相手を見極めて……。そして、いつもならば最後まであきらめない。

 アイは頬をたたいた。

 できる。まだ遅くない。

「そうだ。そうだったね。あたしって、なんでこう不器用なんだろう。なんだか、笑えてくるよ。そうだ、簡単な話だったんだ。今から行って、なにがなんでも思いを伝える。それだけのことじゃんか」

 アイは顔を拭いて髪を縛り、ドアに手をかけた。

「ありがとう、リノ」

 返事は返ってこなかった。

 

 グランは南広場にやってきていた。

 昨日と変わらず、多くの人々が集い、そして騒いでいた。グランはそれを静観しながら、歩いていく。

『グラニール、すごいだろう。リスタルと一番違うのは、どこだと思う。人々の顔さ』

 グランはふと、過去に聞いた言葉を思い出した。

 どっちにしろ、くだらねえ。


 そのとき、ぼひゅ、という音とともに歓声が起こった。

 人垣の中に入ってみてみると、案の定そこには衣装を着けたアイリがいた。彼女が杖をくるくると回して地面をたたくと、大きな氷柱がずんと立ち上った。続いて〝魔力〟で炎を作ると杖で氷柱を突き、炎で氷を溶かしてゆく。そして、見事な鳥の氷彫刻ができあがった。

 大きな拍手が起こり、ゴールド硬貨が彼女のほうに投げ込まれた。アイリはとんがり帽子を取り、逆さにしてそれを器用に受け取る。

 ふと、グランとアイリの目が合った。グランは十ゴールド硬貨を取り出し、雑に放り投げた。アイリはそれを見て、にこりと笑う。


「案外、早かったね」

 アイリの仮設テントの中に招かれたグランは、お茶を淹れている彼女の言葉を無視して周りを見渡した。

「例の人なら、残念だけどいないわよ」

 アイリはテーブルにカップをふたつ置いた。グランはなにも言わない。

「それで、答えは決まったの」

 アイリはいすに腰掛け、茶を一気に飲み干した。グランはようやく口を開いた。

「ああ。答えは『イエス』だ」

 アイリは満足げに微笑んで、グランに茶を勧めた。

「でも、ひとつ聞いておきたいことがある」

「なあに」

「その『例の人』っての、本当にいるのか?」

 アイリは今更なにを、という顔をする。

「当たり前よ」

 グランは彼女をにらみつけた。

「街を回って、マジック・アートをやってる連中……とくにお前の同僚に片っ端からアイリ・ブラッセルのことを聞いてみた」

 アイリの表情が変わる。

「案外、つまらないことするのね」

「悪いな、俺は魔術師が嫌いでね。言ってることが根本的に信じられねえんだ」

 グランは続ける。

「そもそも、あの技を見て驚けることが変だと思ってたんだ。確かにあのやり方は今の主流じゃない。でも、特段それがすごいという訳でもないはずなんだ。実際、連中の前で何度かやってみた。不思議がったり『妙なやり方だ』という奴もいたが、おまえほどの反応をする奴はいなかった。そしてこう言った。『アイリのやつとそっくりだ』」

「そ、それはさ! 価値がわからないんだよ。あいつらなんかにはさ、しょぼい魔法で満足しているのがお似合いよ」

 グランはテーブルを叩いた。カップがテーブルから落ちて割れた。

「もう、いいだろ。お前は過剰反応しすぎちまったんだよ。自分の使っている魔具と、あまりに〝魔力〟のハーモニクスが似ていたから。そうだろ、『例の人』?」

 アイリの顔から笑みが消えた。

「それを運命みたいに感じて俺に近づいてきたってことは、お前はあれがどういうものか、全くわかってねえって言っているようなもんだ。いいか、あれはな」

 今度はアイリがテーブルを叩いた。

「うん、知らない。でも、薄々はわかっているつもり。じゃないと、あんな回りくどい方法であなたに近づかないわよ。そうね、本当に興味が沸いたの。あんな狂った魔法と似た錬成方法で魔法を使うあなたに。そうね、うふふ……。少し、言い過ぎたかしらね。あなたが好きなのは、本当なのよ」

 アイリが静かに言った。言葉には感情が込められていなかった。

 彼女は立ち上がり、首に手をやった。胸から、ペンダントが現れた。グランはそれを見るや、目を見開いて立ち上がった。

「グランくん、ぜんぶ正解。例の人ってのは私のこと。これで変な魔法を使うのも、私のこと」

「そいつはな、『レイヴンの魔具』ってんだ。悪いが、そいつを渡してもらう」

「いやよ。これのおかげで私は幸せになれた。グランくんも、私の虜にしてあげるわ。幸せな夢でね」

 グランは腕をクロスして〝魔力〟を練った。

「やめろっ! そいつを使うな!」

 アイリはにこやかに言った。

「や・だ」

 ペンダントが光を放った。

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