戦う女と嘘つき男・後編
「ふたりの男があんたをかけて対決。うらやましいシチュエーションね」
閉店後の帰り道、リノがふと言った。しかし、アイの表情は浮かない。
「……そうでもないよ。グランは、つけの精算をするためにやるんだよ」
「どちらにせよ、アイちゃんもそろそろ潮時よ。私はあのミハイルって男、相性いいと思う。ちょっとヘンだけど」
改めて考えて、確かに……とアイは思った。なんというか彼は、思考回路が自分と少しばかり似ている気がする。
「でも、やっぱりグランが好きだな、あたし」
リノは肩をすくめた。
「なんなの、その一途さ。どうしてあのグランがそんなに好きなの?」
「り、理由を聞かれても困るよ。口じゃ説明できない」
「それって、恋に恋してるってことにならない?」
アイは黙ってしまう。
自分でも、なんとなく感じていた。
グランへの想いは、自分とはまるで別の生き物のような「魔術師」である彼に対するただの憧れであり、それを勝手に恋心にしているだけなのかもしれない。
戦うことが好きで男勝り。自分の自慢であり、たまに、ちょっとしたコンプレックス。もしかしてこの気持ちは、それを少しでも薄めようとして生まれたのかもしれない。
「そろそろ、ハッキリさせるべきなんじゃないの」
リノの言葉がぐさりと刺さる。
「グランがアイちゃんのことをどう思ってるのかは、知らないけど。今日もはぐらかされたしね。……でも、自分だけが好きな状況じゃ、うまくなんていかないわ」
「リノこそ、珍しいね。そんなこと言うなんて」
「泥酔してるのよ」
翌日の夕刻、南ゲートにグランとミハイルが現れた。ミハイルも仕事帰りのようで、話を聞いたという見物人を大勢引き連れてきた。二人は話しあい、ゲートから少し離れた場所まで移動した。城門の外に出てしまえば、そこはもう治外法権である。
グランがローブをほどいて投げ捨てた。動きやすそうな黒い服が現れる。
「あんな服、初めて見た」
アイは思わず口に出した。
「勝負服ってやつ? グラン、やっぱりマジなのかな。それにしてもなんなの? 勝ち目ないに決まってるのに」
話を聞いて駆けつけたミランダが神妙そうな顔をする。隣にいるリノは何も言わない。
「どちらにせよ、私は絶対に認めません」
セーナは不機嫌そうにして、アイの腕に絡みついている。
「よし、見物人もいることだし、ルールを改めて説明しよう」
ミハイルが周りを見まわす。グランは目を閉じ、すっと手を差し出して、不満がないことを伝えた。
「今回はここにいる彼女、アイ・エマンドをかけた勝負だ」
「ちょっと待った」
グランが口を挟む。
「金を賭けろよ、それがお前の商売だろう」
アイは胸が張り裂けるようなショックを受けた。セーナがやじをとばすが、無視されている。
ミハイルは頷いた。
「いいだろう。ただし参加料をもらうぞ。二万五千だ」
「今はない。後払いにしてくれ」
「……いいだろう。今回は特殊ルールだ。彼は魔術師だから、特別に魔法の使用を許可する。ただし、お互いに殴ることができる間合いでのみに限られる。あくまでお互いの肉体を使って勝負をつける」
二人と取り囲むようにして立っている見物人たちが騒ぐ。彼らはやっぱり、とりあえず騒げればそれでいいのである。
「あんちゃんよお」
グランが歯を見せる。
「なんならあんたも使っていいぜ、魔法」
ミハイルの眉が動く。
「あいにくだが、俺に魔法の教養はない。だから今のように、体術だけで稼いでいる」
ミハイルは彼をじっとにらみつけ、構えを作った。
「来い」
グランは腕をクロスして、〝魔力〟を練った。ミハイルがすぐに距離を詰める。
ミハイルはそのままタックルに行った。練った〝魔力〟を発動前に飛散させてしまえば、グランは魔法を使うことができない。
しかしグランはそれを読んでいた。練った〝魔力〟をそのまま足にのせ、飛び上がる。空気の破裂する音が響いた。
グランはミハイルの後方に着地した。空中で既に練り上げていた〝魔力〟が、炎へと変わる。
「おらっ!」
グランが手を何度も突き出す。その度に拳の先から小さな爆発が起こった。近距離用の火炎魔法だ。ミハイルはその場で切りかえしすべて避けると、回し蹴りを浴びせかけた。グランはすんでのところでそれをかわしたが、次に用意していた火炎魔法が上空に飛んで消えた。
ミハイルはこの好機を逃さない。鋭いジャブ二発から、右ストレート。見事にグランの顔面へと決まった。
「グラン!」
アイが叫ぶが、グランはあっけなくその場に仰向けになって倒れた。
「なんだ、もう終わりか? ずいぶんと自信があるように見えたが、あっけなかったな」
ミハイルは彼に近寄って見下ろした。
「……そう思うか?」
グランは目を開いた。ミハイルはとっさに距離を取ろうとしたが、グランは既に魔法を完成させていた。
どん、という音とともに、円形の炎の柱があがった。観客たちが一斉に声を上げた。
人間の身長の数倍もあろうかという長さまで立ち上った炎の柱は、二人を中心としてごうごうと燃え上がる。
「へっへっへ。俺の勝ちだね」
グランは片手に〝魔力〟を練ったまま立ち上がる。
「いや、この状況は、お前に逃げ場がなくなったとも言えるんじゃないか」
「俺の『炎獄』を、ナメんなよ」
グランが手をぐっと突き上げると、「炎獄」の円が少し小さくなり、ミハイルの髪と服を少しこがした。
「こんなもの、なんでもない。お前を今から殴りつければ終わりだ」
ミハイルが地を蹴ろうとしたその時、グランは今度は腕をぐいと下げた。二人の間に炎の線があがった。
「さあ、どうする? これから、あんたのほうだけ小さくしていく」
ミハイルはぎりと歯をならした。
「くそっ……まさか、魔術師に遅れを取るとは」
「反省しねー奴だな。あんたアイを女だからって見下してたから、やられたんだろ?」
グランはくいと口の端を上げた。
「あいつは、お前なんかがナメてかかれる相手じゃない。俺たちのパーティの中でも、センスがダントツだからな」
「さすが、よく見ているな」
ミハイルはそれでも食い下がる。
「グラン、聞いてくれ。今回はお前の勝ちかもしれん。だが、アイのことは諦められない。君は今回、金が欲しくてこのマッチを受けたような口振りだったな。だから頼む、そこんところは、譲ってくれないか。なんなら、賞金もはずむ」
グランはそれを聞いて大笑いした。
「なんだよ、男らしくねえな」
「それはお前も同じことじゃないか?」
グランから表情が失われる。
「なんでそうなるんだよ」
「アイは、お前のことを好いている。だが、お前はそんな彼女のことを知っていながら、あえてなにも言わずにいる。そうだろ?」
グランはなにも言わない。ミハイルは続ける。
「図星だな。でもそれじゃ、彼女がかわいそうだと思わないのか? その状況を引っ張ったままでもお前はかまわんかもしれんが、彼女は傷つき続けている。きっと今だってな。だから俺は、負けたくない」
炎に包まれたまま、ミハイルは汗をふいて足に力を込めた。
「おい、ヘンなこと考えるなよ! 突っ込んだらやけどじゃすまないぜ」
「いや、やはり譲れない! 彼女を幸せにしたい!」
グランはうつむいて、とても大きなため息を、ゆっくりとついた。
流れる汗をぬぐい、腕をクロスする。〝魔力〟が集中してゆく。グランは顔を上げて言った。
「……ミハイルさんよ。悪いが俺も、それだけは、どうしても、どうしても……譲れねえんだ」
それを聞いて、今度はミハイルが声を上げて大笑いした。グランはきょとんとする。
「ついに言ったな! その言葉を待っていた」
グランは目をむき出し、口をあんぐりとあけた。
「あっ……て、てめえ! まさかわざと!」
「耳が真っ赤だぞ」
「うるせえぞ、コラ!」
その時、グランの集中が乱れたのか、「炎獄」が解除され、炎の柱がごうと飛散した。
観客たちの視線にさらされる。どうやら、見えないなりにも戦いを注視していたようだ。
「ぐ、ぐわあっ! 熱いっ! うわー、俺の負けだ!」
ミハイルが騒ぎだし、その場に倒れた。
「お前、わざとらしすぎるぞ……」
グランが突っ込む間もなく、観客が声を上げた。
戦いはグランの勝利に終わった。
「グラン、賞金だ」
グランはミハイルから賞金の入った袋を受け取った。
「まいど」
「あともう一つ」
彼は無言で立っているアイを指さした。ミハイルはアイに向かって歩いていく。
「俺はあいつに負けた。だから君のことは潔く諦めることにする。……それで、彼から話があるらしい」
アイとグランははっとする。二人の目が合う。
「ねーよ、お前に話なんか」
グランは背を向けた。
「……えてた」
アイがつぶやいた。グランが振り返る。
「なんだって?」
アイはしばらく目線を下げていたが、やがて決意したように言った。
「聞こえてた、ぜんぶ」
歓声があがる。グランは硬直した。
「……マジ?」
「丸聞こえよ。当たり前でしょ。あんたの派手な魔法で、見えはしなかったけどね」
リノがすごく楽しげに言った。
グランはばつが悪そうに頭をかいた。
「あー、その……なんだ……」
言い終わる前に、リノが叫んだ。
「アイちゃん、『四』!」
支援魔法を受けたアイの体がうすく輝いた。涙がそれを反射し、きらきらとゆれた。
「うおおおおおっ!」
グランが気づいた頃には、二人は唇を合わせていた。
観客たちがひゅうひゅうと口笛を鳴らし、やっぱり騒ぎだした。
「失恋したところ、申し訳ないんだけど。ありがとね、ミハイルさん」
リノに背中を押されたミハイルは、満足げに微笑んでいた。
「たまにはこういうのも悪くない。なに、気にするな。俺の商売は、機を見て負けることが繁盛の秘訣なんだ。彼女を取られてしまったことは、悔しいがね。……それにしても、あの二人、ちょっと……」
一方アイは、頭の中が完全に真っ白だった。
自分でも何が起こってるのか、よくわからない。
ただ幸せだった。
ずっとこのままでいたい。そう思った。
そう思い続けていたのだが、どうも周りの様子がおかしい。
「アイちゃん! アイちゃん!」
リノの声が聞こえる。なんで邪魔するんだろう。
あたしはずっとこのままでいたいのに。
「アイ! ストップストップ!」
ミランダまで。
「アイ、それ以上はいけない! みんな、引きはがせ!」
ついにはみんなが体をつかんで引っ張ってくる。でも、やっとここまで来たのだ、ずっとこのまま……
「グランが気絶してる! 気絶してるのよ!」
えっ、とアイは目を開いた。
目の前にいるグランが白目を剥いている。
「グ、グラン!?」
アイはようやく唇を離した。グランはぐったりと倒れ込んだ。
「なななっ、なんで!?」
「アイ、くっつけっぱなしはダメだ。鼻でしか呼吸ができない。君の肺活量なら気にならないかもしれんが、グランには耐えられなかったようだ」
リノはグランの手を取る。
「こりゃ、まずいわ。ミランダ、騎士団のプリーストを呼んで来て! それから電撃魔法が使える人はいる!? とにかく、広場まで運ぶわよ!」
「急げ!」
グランは観客やミハイルたちに担がれてゲートへと向かっていった。
ぽつんと取り残されたアイは、しばらく呆然としていた。
「お姉さま……」
セーナが後ろにいた。泣いているが、表情は笑顔だ。
「大丈夫です。グランがこのまま死んでも、私がいますから」
アイは、「あは、は」と乾いた笑い声を出すしかなかった。