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『MIR-α 117』

作者: QUEEN

 戦のさなかにありながら、ミラの眼に映るものはしかし、前方に群がる敵兵ではなかった。

 彼女の薄れゆく意識をつなぎとめるのは、胸を満たすある者への想いのみ。

 彼女が立ちあがり続ける理由、それは失った戦友のためではなく、ましてや彼女の祖国ハモニート王国のためですらない。

 ただただ戦を生きぬきいま一度、愛する男の胸にいだかれるために。

 ミラは手にした剣に貼りつく血糊をはらうこともせず、咆哮とともに疾走する。

 所変わり、攻め入るハモニート王国に対するのは、陸続きの隣国、アモン共和国である。

 アモン共和国軍第八連隊総指揮官、リオ=ガーデンローズはさえ渡る晴天を仰ぎひとりごちる。

「我が共和国が墜ちるこの日に、神は涙も流してはくださらぬか……」


 アモン共和国が「軍神の棲む国」と呼ばれ、一時代の覇者であった時代もかつてはあった。

 しかしそれも今となっては昔の話。当時では最新鋭の兵器も、時代が変わればアンティークとなる。

 もとよりミラの祖国ハモニート王国と、リオの祖国アモン共和国の二国間の国力には絶対的な差がある。

  アモン共和国とは内乱によりおこった新興国である。まだまだ国として成熟期を迎える前の青い果実にすぎない。そのために市民らの志は高くとも国力は乏しい。

 それに対してハモニート王国とは、隣国をみさかいなく食いこみ、侵蝕をくりかえしつづける超大国である。国土の膨張は留まることを知らず、いつしかその国王ですら国土の全貌を把握することをやめてしまった。

 選民思想を掲げる現ハモニート国王に、話し合いなどという手段の持ち合わせはない。

 王国戦力の主力は“命をもたぬ”兵、放たれる矢と類を同じくする消耗品。戦法は、それの大量投入による物量戦法。

 敵国のこの戦法をリオはこう評価する。

 美しくない、と。

 しかしながら彼はまた、弱者の語る正義が無益なものであることも知っている。

 アモン共和国の時代は終わろうとしている。


 ひどく破損した赤い鎧を着けたハモニート兵が、リオの練達の部下たちを次々となぎ倒してゆく。

 リオはその一人の敵を静かに見据え、きたる決戦に備え腰に下げるサーベルを握った。

 壮麗に節くれだった手に込める力が、じわりと柄に伝わってゆく。

 瞬間、一陣の風とともにリオの目前で兵士がはぜた。

 薄れゆく土煙の中でただ一人たたずむ敵兵は片目の女であった。

 リオは素直に感嘆の声を上げた。

「かつて無敵を誇った我が第八連隊。くしくも破るは単機の隻眼」

 ミラの目はうつろだった。彼女はいっそ、まどろみに身をまかせてしまいたかった。

 そっと、光を失って久しい左の眼に触れてみる。まだあの人の温もりが残っている。エリア内に残る敵はあと一人。――いける。

 女兵士の眼差しに一刀両断の決意をみてとったリオは、手に掛けたサーベルを勢いよく引きぬいた。

 抜き身の刀身は強い日差しのもとにありながらも、あたかもそこだけ闇を切り取ったかのような漆黒だった。

 にわかにミラは、その隻眼に映る世界が漆黒の刃に吸い込まれていくような錯覚をおぼえた。

「こ、こいつは……黒獅子!!」

 闇雲に踏み出そうとしていた自らの浅はかさにミラは恐怖した。

 純白の軍服をまとう壮齢の男は、共和国の英雄リオ=ガーデンローズ、俗称“黒獅子”。 ミラの祖国ハモニート王国内ですらその名を知らぬ者はない。

 アモン共和国が建国される以前、その土地を統べていたのはアマニア帝国である。そこには他を追随させぬ武力こそあれ、市民には自由の破片さえ認められてはいなかった。

 リオは人々の期待を一身に背負い、その手に剣をとり、志をともにする民をひきいた。帝国を打ち破ったのはひどく天候の荒れた夏の一夜だった。

 新しい風の産声をきいた人々は歓喜し、帝国を共和制へと導いた伝説の革命家として、リオを語り継いだ。

「黒獅子とはほまれ高きガーデンローズ家の家紋。私をその名で呼ぶことは許さん」

 上段に構えるために掲げられたリオのサーベルが、優雅な曲線を描いてゆく。指の隙間からのぞく柄に、装飾された獅子が高貴な臭気を放つ。

 ミラが背にしているものは、自らがただ一人の猛襲によって築き上げた、アモン共和国兵の骸の山。

 だが、それらも彼女を慢心させることはない。

 彼女は対峙する黒獅子が、およそ自分の実力でどうにかできる相手ではないことを悟っていた。

 ましてや肉体の限界はとうに超えている。四肢はぬかるみに浸かっているかのように重い。

 伝説級を相手にする以上、初太刀をしくじれば命はないものと思わなければならない。

 しかし、このような絶望的な状況下にありながらも、ミラの思考はまこと冷静を極めた。

 呼吸に従いかすかに上下するリオの肩。

 その動きをさながら獲物を狙いさだめた鷹のように、鋭い眼光で注視するミラ。

 相手が息を吸う瞬間、そこにわずかながらの隙が生まれる。一撃で仕留めるためにはこの機会をのぞいて他にはない。

 従ってリオの肩が上がる瞬間が攻撃に出る合図となる。

「勇猛なるレディよ、そなたの眼差しはなにを映し、なにを想う?」

 リオの言葉尻、ミラは跳んだ。タイミングはこれでよいというほどに完璧だった。

 ケスタの保養所で出会ったしがない農奴の青年、それがリオの問への答え。

 幼い頃より一つ目の妖怪とさげすまれ、腫れ物に触れるような扱いをうけてきたミラ。そんな彼女を唯一彼だけはほほえみとともに受け入れた。

 みにくい左目にそっと触れ、ただ美しいといってくれた。彼の指は温かくてやけどしてしまいそうだった。

「この眼にあの人の温もりを失わない限り私は、……私は――!!」

 二つの刃が交差する。

 先をとったミラの一撃がリオをとらえた。

 が、遅かった。

 なぜならリオがとったのはミラのそのまたさきをいく先々の先。

 彼女の全霊の刃はリオの肩口をかすめるのみに終わり、瞬時に振り下ろされた漆黒の刃によってミラは二つに断たれた。

「夢の終わりは常にはかなく時に残酷ですらある。偽りの愛に焦がれたレディよ、とこしえの眠りの中で夢路へおもむけ」

 ミラの亡骸に向けられたリオの声音は慈愛に満ちていた。

 リオは知っている。彼女の生涯とは、ひとときの白昼の夢にすぎないものだということを。

 なぜならば、彼は目醒めてしまったのだ。生涯という名の白昼の夢から。

 だから知っている。生きながらにして自らの死を視る感触がいかなるものであるのかを。

「ないのだ……」

 ミラの想い人など、いない。

「ガーデンローズ家など、どこにもないのだ……」

 彼女の切断面から垣間みえるもの、それは人の間に生まれたものではあり得ない。彼女は人によって“造られた”ものだった。


 型式番号『MIR-α 117』。虚偽の記憶とともに『愛』を組み込まれた機械の兵隊。

 彼女は『愛』を行動原理とすることによって、可動限界を最大15%まで超えることを可能とした玉砕兵器。

 果たしてミラの『愛』に勝る虚しさなど存在するのだろうか。リオは彼女の出生を憂う。

 ミラ誕生に至る経緯は以下の通りである。

 アモン共和国のかつての前身、アマニア帝国において、反帝国派の技術班チームは科学史上初めて人工知能に『心』を持たせることに成功した。

 その後間もなくして、腐敗したアマニア帝国の再編を託された奇跡の試作機が完成することになる。

 型式番号は『LE-00』。

 最高傑作であったにも関わらず、『LE-00』が主力兵器となることはついにかなわなかった。

 なぜならば『LE-00』の生産体制が整う前に、その開発データが何者かの手によって失われてしまったためである。

 後に工作員が捕らえられ、先の事件はハモニート王国による強奪であったことが発覚する。

 その後程なくミラは誕生した。優れた“リオ”の遺伝子を受け継ぐ形をとって。


 リオが斬った“ミラ”は今回をあわせて六体。この数も、戦局を語るうえでは露ほどの意味もなさない。今この瞬間も、数千の妹たちが共和国兵の骸の山を築いているのだから。

 再び晴天を仰ぐリオの眼に、流すための涙はない。

「神よ、我々は哀しみを生み出す存在でしかない。……ではなぜその我々に哀しむ心が必要なのですか? なぜ、……我々はこれ程までに哀しまねばならぬのですか?」

 力なく握られた手からサーベルが滑り落ちる。

 リオの嘆きに飽くまでも口をつぐむ天上のもと、最後の一撃を受けた肩口が鈍色の光を放っていた。


〈終〉


リオはミラが夢から覚めてしまわないように、一撃で屠ったのです。

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