迷宮で絶叫
「うきゃあぁぁぁぁぁぁ」
ニアの絶叫が、暗い迷宮の入り組んだフロアに木霊する。
わんわんと音の余波が響く中、ニアは迷宮の石壁に張り付き叫び続けた。
「落ち着いて、ニア! 大丈夫だからそこで黙ってじっとしていて」
「いやあっ、やだやだやだやだ、こっち来ないでよ! ぎゃっ、汁がこっちに散った! もーいにゃあぁぁっ」
遺跡の地下第一階層のしょっぱなからニア達は魔物に遭遇した。
それはほとんどが手のひら大の小さなスモールバットで、6匹が群れとなって噛み付き攻撃を仕掛けて来る。彼らの素早い攻撃を見切ることが出来れば脅威ではない。
ロザリーは、一歩もその場を動くことなく、飛来した彼らを剣でたたき落とす。
ニアも道中拾った小石をパチンコで飛ばし、微力ながら加勢する。
ロザリーの強さと念入りな下準備のお陰で、二人は順調に一階を攻略することが出来るかに思えた。
時折、通路の突き当たりや空っぽの小部屋を覗いては、遺物がないかチェクしていく。
ニアは予想していたが、迷路だけでギミックがない為に人の出入りが多いこの層には、ほとんど目ぼしい遺物は残っていない。
そのためとっとと下の階へ向かうことにした二人は、幾度かの魔物達を倒し、次の角を曲がれば下の階への階段という所まできた。
そこは壁の一部がくずれかけ、水が染み出したそこは水たまりの腐りかけた水が臭っていた。
敏感な鼻を持つニアが不快な匂いに顔をしかめた時、二人の前に新手が登場した。
硬い甲殻に覆われた黒光する長い胴を持ち多足の魔物、テルミーテ。真っ黒な甲と足は剣が通らないほど硬いため、真っ赤な腹側を狙わなければならない。
離宮の迷宮では、第4階層にならないと現れないこの強敵を、ロザリーは片手で数える程度に剣を振るだけで倒してしまった。
だが、テルミーテに遭遇してからのニアの絶叫が他のテルミーテや他の魔物を呼び寄せ、さすがのロザリーもフロアを徘徊する半数もありそうな魔物大群を一掃するまでにかなりの時間を要してしまった。
息を弾ませ、剣や身体についた魔物の体液を拭うロザリーの側に、壁のくぼみに身体を潜ませ隠れていたニアが這い出てきた。
「ごめん、なさい」
「気にしなくていいのよ。誰だって苦手な魔物の一つや二つはいるものだわ」
自分にも何か覚えがあるのか、「苦手」と言う時のロザリーの顔に一瞬陰がおりたが、ニアが言及する前にそれを消え、慰め力づけるように温かい微笑みを浮かべた。
「ニアはアレが駄目だったのね。じゃあ、これから出会った時の対策を考えなくっちゃね」
山と積まれた魔物の死骸の山からにょろりとはみ出すテルミーテの尾を剣先で示すロザリーに、ぐしぐしと涙と鼻水を拭っているニアは首を横に振った。
「テルミーテが駄目なんじゃないの?」
「テルミーテ、嫌い」
「ほら、そうでしょう」
「でも、ブロワームや、ラウンドビーも嫌い。虫系の魔物は全部だいっ嫌いだ」
ロザリーはニアの言葉に一瞬呆然とし、そして困ったように首をかしげた。
「ニア、ここは地下迷宮だからそういう魔物が多いのよ?」
「分かってる」
「特にこの下の階層は、そのブロワームとラウンドビーがメインなのよ?」
「知ってる」
「この階だけにしておかない? あらかた魔物を片付けてしまったし。離宮の方に潜ってもいいわよ」
「いやだ、ここに潜るんだ」
ロザリーは、頑固に言い張るニアに美しい顔をくもらせた。
「でも、虫が出る度にあの反応をしてちゃ、ニアの身が危険よ」
「あたしが足をひっぱって迷惑かけてるのは分かってる。でもいつかはここに潜らなきゃいけなかったんだ。それがきっとロザリーと一緒の今なんだ。だからお願い。ここを潜れないとあたし、これから先に進めないんだ……」
ニアの大きな瞳から、ひとまず止まっていた涙が再び溢れた。
それは恐怖だけではなく、色々な感情が溶けこんだ熱い涙。
ロザリーは、頬を伝う涙を指でぬぐい、ニアの頭をそっと撫でる。
「そこまで言うなら、納得いくまで付合うわ。私も出来るだけ下に行きたいしね。だけど、さっきのニアの声で魔物達がざわめいてるわ。だからこれを持っていて」
「指輪?」
戦闘用の装備品なのだろう、迷宮に入る前にいくつか重ねつけていた指輪の中から、銀製で湖にかかる朝霧ような乳青色の石が嵌った指輪を外し、ニアに差し出した。
彼女の指から外されたばかりで温もりを宿したそれは、ニアの中指には大きそうに見えたのに、指の奥まで通すと不思議とニアの指にぴったりと嵌った。
そして、ランプの光を反射したのとは違う内からの光で一瞬瞬いた。
「これってもしかして魔法石の? こんな高価なものを受け取れないよ」
「これは音消しの指輪なの。持ち主の出す音を消してくれるのよ、足音や声をね。発売当初は冒険者の中で話題になったらしいけど、持ち物が触れ合う音や武器がたてる音、あと靴を履いてる時の足音は消せないから意味がないって、返品されまくったんですって。それが王都の露店で叩き売られてたから、まとめ買いしっちゃった。効果は使い初めてから半年くらい、効果は一度に長くて半日ね。侵入や尾行には役に立たないけど、魔物や人から隠れてる時に咳やくしゃみなんかを消してくれるから意外に便利なのよ。人工石だから元の価格も高いものじゃないし。めったに使う事なくてお守りがわりに持っているようなものだから、ニアにあげるわ。また叫びそうになる前に石の部分を唇にあてるといいわ。解除をする時も同じようにしてね」
魔力を込め、魔法を込めることが出来る魔法石を使えば、魔法を使えない者が魔法を使うことが出来る。
天然石は込められる魔力容量が大きく、こめられる魔法への耐性も強い。それに比べ、高名な魔法使いが産み出しその製法を広めた人工の魔法石は、天然のものに比べると、魔力容量もこめられる魔法も限定的だった。その為、王室や英雄、神殿、そして一部の貴族しか手に出来ない天然のそれに比べて安価で手に入れ易く、広く大陸中に広まった。
だが、安価といっても庶民がおいそれと手に出来ない、結婚相手に贈る誓いの宝飾品、労働者の3ヶ月分の稼ぎはする。
お腹を空かせて行き倒れていたくせに、咳やくしゃみの音を消すためだけにこんなネタ道具をいくつも買い込むなんて、どんな金銭感覚をしているのかとニアはくらくらした。
二人が第一階層の再奥にある、はるか昔に作られたとは思えない街中よりもよっぽど立派で精緻な石階段を下ると、先程と全く同じ石壁の迷路が広がっていた。
第一階層と違うのは、出て来る魔物の種類が変わるくらいだ。
目の前をまっすぐ伸びる道を進み始めてすぐ、前方の闇の中から鋭い鳴き声がニアの耳に届いたかと思うと、ロザリーが剣を振り抜く。
すると、ぼとりと黒いものが地面に落ち、赤黒い血をこぼした。
一階にいたスモールバットの3倍はある、兎ほどの大きさのビッグバットだ。
その重そうな身体に反して飛ぶ早さはスモールバット以上で、膜状の羽先についたするどい爪で獲物の肉を切り裂き、その傷口に歯を立て肉を食む。しかも、一匹いれば5匹はいると言われるほど群れで襲って来る。
その凶暴な魔物は本来はこの下の第三階層以下で時折出現するはずだが、二人は番人の忠告があったせいで驚かずに済んだ。
予め打ち合わせていた通り、ロザリーが次々飛来するビッグバットを剣で叩き落とし、傷つき床でのたうつそれを、発掘用のハンマーを手にしたニアが叩き潰した。
肉を打つ感触に顔をゆがめながらも、ニアはその怪力で確実に一撃で息の根を止める。
幾度かのビッグバッドの襲撃を受けたが、合間にニアが苦手とするブロワームとラウンドビーにも襲われた。
ブロワームは、白い芋虫のような外見で、よくみれば半透明の針のような剛毛に覆われて巨体をくねらせ進む。自分より小さいものを獲物とみなし、口からねばつく粘液を吐きかけ動きをとめてから、牙を突き立て獲物の体液をすする。
ラウンドビーは、ニアほどの大きさで洞窟内を地面すれすれに飛びまわり、巣で待つ子ども達が食べられそうな生き物がいれば、尻についた針を突き立て、毒液を流し込み瀕死になった獲物を巣に持ち帰る。針さえ避ければどうということはないと思いがちだが、実は針先から毒液を飛ばすことが出来るので、狭い場所ではやっかいな魔物だった。
もちろんこの虫系の魔物が現れるとニアが役に立つはずもなく、かろうじて指輪についた魔法石を発動させると、魔物を見ないよう目を閉じしゃがみこんで、音にならない絶叫をあげつづけた。
地図によれば二階の中央付近にきたところで、再び二人はブロワーム3体に襲われた。
必死の形相で柱に抱きつき音なき叫びをあげるニアを背中に守りながら、ロザリーは手早くそれらを片付ける。
虫の姿を見ないよう、ぎゅっと目を閉じていたニアがふいに肩を優しく叩かれて振り向くと、ロザリーが魔物の死骸を後に麗しい笑顔を浮かべていた。
おわったの? と嗚咽をこらえながら問いかけ、魔法が発動したままだということに気付きあわててそれを解除する。
「ロザリー、大丈夫、怪我はない?」
「大丈夫よ。始末しちゃうからちょっと待ってね」
ロザリーは、腰に下げた袋をとり、中の白い粉を魔物の死骸に振りかけた。
これは迷宮に潜る護衛達に協会が配る必須アイテムで、神殿の祝福を受けたとある薬草の灰だ。
この灰をかけられた死骸は急速に乾燥し、やがて塵となる。
迷宮で死骸をそのままにしていると、魔物達を呼び寄せエサになってしまう。そうなると繁殖を助けることになるし、その血や死骸の匂いは下の階層から強力な魔物を呼び寄せてしまうこともある。だからこそ、魔物を倒した者は後始末を義務づけられていた。
ニアは地図を見て目的の発掘場所を確認すると、ロザリーの後を歩きながら道を示した。
そしていくつか角を曲がった先にその部屋はあった。
ニアの地図には赤色で×印が付けてあり、アバロウという言葉が書き留めてある。
「ここがこの階のあたしの目的地なんだ」
「どうやら、先客がいるようね」
並んで立つ二人の前の朽ちかけた木の扉の隙間から、煌々と光が漏れていた。
中からは金槌が硬いものにぶつかる音、そして男達の下卑た笑い声やざわめきが響く。
「なんだか嫌な予感がするの。私がいいと言うまでは、前には出ないでね」
腰の剣に手をやったままのロザリーが、ニアに後にいるよう指示し、ニアはロザリーのマントの後に立つと、フードを深く被りビッグバット戦から持ったままのハンマーを握りしめた。
各話のタイトルが、数が増えてきて殺伐感が出て来たので変更しました。
目標は10話で完結なのですが、この調子だと寄り道しない限り終われそう。あともうひといきです。