早じまい
ニアは今、猛烈にこの場から逃げ去りたかった。自分の城と言うべき露店から。
だが商人としての矜持が、マントの影から強ばった笑顔を作らせた。
大通りの通行を妨げてしまうほど店を取り巻きひしめく客、いや男達に向けて。
「今日はもう店仕舞いだ。またのおこしを」
次はこんなことはないだろうけどね、と心の中でつぶやきながら、不満の声をあげどよめく男達を尻目に片付けを始める。
今日はと振り返るにはまだ早いが、最悪で最高だった、とニアは思った。
それは太陽が天頂に差し掛かった頃、いつものように露店を出していたニアの所にロザリーがやってきた。
ちょうど接客中だったこともあり、約束通り自分と彼女の昼食にと近隣の露店で好きなものを買って来るようにと財布を預けたのが間違いだった。
彼女はあろうことか有り金全部を使い切って、腕一杯に食べ物を抱えて戻って来たのだ。
明日の遺跡へ行く為の買い物用にと多めに入れておいた金まで使われ頭を抱えるニアの横で、ロザリーは幸せそうな極上の笑顔を浮かべて名物のマヌ羊の串焼きやヤックのチーズを練り込んだパンなどにかぶりつき、それらが恐るべきスピードで彼女の腹に収まって行く。
この大損をどうやって取り戻せばいいのかとふと顔をあげ行き交う人々を眺めた時、ニアは通りを行き交う男性が一様に食事をとるロザリーに釘付けになっていることに気付いた。
「時を失えば金も失う」「思い付きは試してこそ価値が見える」という商人の格言に従い、ニアは昼食もとらずに大急ぎで家に駆け戻ると、残り少ない商品の在庫をかきあつめた。
そして午後からニアのもくろみ通り、露店には大勢の客が押し掛け商品は飛ぶ様に売れていく。
旅人だけでなく地元の男達まで、良心的とはいえ観光客向けの価格の遺物を競う様に買うのだ。
それは明らかにニアの隣に座るロザリーの効果だった。
男達は、鼻を伸ばし惚けた顔で彼女に釘付けになったまま、伸ばした手の先にあったものを気前良く買って行く。
そしてロザリーは、ニアに言いつけられた通り、商品を買った男達にだけ微笑んで「ありがとう、またよろしく」としっとりとした麗しい声を添えた。
お陰で、用意した品は完売し、過去最高の儲けを得る事が出来た。
これで昼間の予定外の出費分も取り戻したし、帰りに買い物が出来ると胸を撫で下ろした。
だが、「過ぎたる儲けは不吉を招く」という言葉もある。
過分に儲け、しかもロザリー目当ての客は、何度も繰り返し列に並ぶものもいて減るどころか増える一方だ。
これ以上騒ぎが大きくならないうちに、ニアは急いでこの場から離れるつもりだった。
だが、やはり今日の儲けは彼女の今日の運を使い果たしてしまったらしい。頭上から、突然涼やかな声が響いた。
「子猫ちゃん、何をそんなに慌てているんだい」
その声に身体を強ばらせたニアは、荷物をまとめる手元を見たまま舌打ちする。
「ちぇっ、やな奴がきたや」
「今日はやけに早く切り上げるんだな。そんなに商売に余裕があるんなら手数料を増そうかな」
「別に余裕なんてないよ。もともと在庫が品薄でね、明日は仕入れに行くから早くあがるだけさ」
「なんと! 商売人とあろうものがこんなに客を前に商売を辞めるとは」
「だから今日は売るもんはないんだよ」
「なにいってるんだ、まだあるじゃないか。皆さんはこの美女目当てのようだ。なあ、彼女はいくらだ。言い値で買ってやるよ。なんなら子猫ちゃんもついでに買ってやってもいいぞ」
ニアは目の前に立つ長身の青年、仕立ての良い黒い服を身に纏った赤髪の優男を睨んだ。
彼の柔和そうな目尻のたれた青い瞳の眼光は鋭く、酷薄そうな唇を笑いのかたちにゆがめている。
「ふざけんな、シャグ。あたしも彼女も売り物じゃないよ。そういうのは扱わないってことよく知ってるだろ」
「ああもちろん冗談だよ。それより彼女を紹介してくれないか。俺達幼馴染みだろ」
「嘘付け、お前の冗談が冗談だった試しがあるか。それに親友だって? いつもあたしを追い回していじめてきたくせに」
「いじめただなんて人聞きの悪い。子どもの愛情表現だよ。小さいニアはそりゃあもう可愛かったから構いたくなるんだよ、もちろん今も」
「げえっ、気持ちわりい。まあいいや。ロザリー、こいつは街の顔役フーライ家のどら息子のシャグ。シャグ、彼女はロザリー。冒険者であたしが明日の為に雇った護衛だよ」
そっけないニアの紹介に、ロザリーは客達に向けたのと同じように彼に微笑んだ。
するとシャグはロザリーの前で大仰に腰を折り、彼女の膝に乗せられていた手を恭しく取った。
「こいつ、可愛い顔して口が悪いでしょ。俺はシャグ。この街の自警団の団長で、特に通りの露店の管理や警備をしている。あなたのような美しい人が冒険者とは信じられないな。この可憐な手は剣よりも花や宝石を持つほうがふさわしいというのに。そうだ、近くに静かで品のあるいい店があるから行きませんか。店は終ったのでしょう、お茶と美味しいケーキをごちそうしますよ」
「シャグ、言ったろ。彼女は護衛の冒険者だ。これから明日の買い物や打ち合わせがあって忙しいんだ」
「ニア、お前は俺のやることに口を挟むのか?」
「ぐっ。でも彼女に無理強いはするな」
「俺はレディーにそんな野暮なことはしないよ。それは子猫ちゃんも知ってるだろ」
マントの下の尻尾の毛を逆立てながら、ニアは目の前の青年に三日月のように細めた目を向けた。
呼び方はどうであれ、自警団とは実のところヤクザの地回りのごろつきと同じで、職についていない柄の悪い青年達の集まりだ。
彼らはフーライ家に飼われていて、警備と称して通りをうろつき商人達をひやかすか金の徴収以外は、昼間から酒場と娼館に入り浸っている。
露店を開く場所の割り当て費を10万カル、場所保全費や警備費と称する「ショバ代」を毎月3万カル以上彼らに払わないといけない。
通りに面した店舗の賃貸料が10万カル以上と思えばましとはいえ、それだけ払ってもトラブルが起これば「調停料」だの「罰金」だのを別に徴収される。
もし、店を出すのに彼らを通さなかったり支払いを拒否すれば、この街で商売は出来なくなる。下手をすれば一生商売が出来なくされるだろう。
ニアはこの店を開く時に、父母の残した少ない蓄えで前金を払う事が出来たものの、出だしは思うように稼げなかった。
そして3月目の支払いで金が足りず、柄の悪い自警団の男達に「身体で払え」と娼館に売られそうになった時、助けてくれたのがシャグだった。しかも、彼の小遣いから、ニアの1年間の「ショバ代」を無利子で貸してくれた。
ニアは、必死に商売に励み、店を閉めた夜や雨の日は酒場の皿洗いや宿屋の下働きとして働き、その年のうちにその金に3割の利子をつけて返済したが、シャグはその利子を受け取らなかった。
そして街の少女達がこぞって黄色い悲鳴をあげる、ニアの背中をぞくりと寒くさせる流し目を送りながら口の端を禍々しくつり上げてこう言ったのだ。
「俺はニアの為にしたかっただけさ。だからせいぜい”感謝”してくれたらいいよ」
それから「シャグのお気に入り」として自警団の者達から一目置かれるようになったニアは、不本意ながらそのお陰で、子どもでも無事に商売を今まで続けることが出来たのだ。
だがこの街で商売をする限り、その時の「恩」がニアを縛り付ける。
いっぱしの青年になったシャグは去年から自警団の団長となり、頻繁にニアの周囲に現れるようになった。
彼が絡むことが増えることで彼を慕う娘達の不興を買い、何度商売を邪魔され、路地に呼び出されたことか。
もちろん、自警団と反目する荒くれ者達に目をつけられることもあった。
その頭痛の種に向かって、ロザリーは無邪気というより無防備な笑顔を向けている。
その瞳が若干うつろなのが、ニアにだけは、彼女が「ごちそう」という言葉と理性が葛藤しているのが分かった。
慌ててこっそり彼女の脇腹をつつくと、ロザリーは分かってるというようにニアの腕に軽く触れる。
「ニアのお友達なのね。私ロザリーよ、よろしく。団長さんのお誘いはとっても嬉しいのだけど、私は昨日この街に来たばかりだから、遺跡に潜るための情報収集や準備がまだ出来ていないの。この街の方なら分かってくださるでしょう」
「そうですか、さすが冒険者殿だ。では遺跡から戻って来た時は、ぜひお付き合いください」
ロザリーは困ったようにシャグとニアの顔を見た。
ニアは急いで助け舟を出す。
「それは戻った時に誘えよ。今回は深い方に行くから時間かかりそうだしさ」
「ニア、本宮の方に潜る気か」
「だっていつもの離宮はもうあらかた採りつくしたし。せっかく「遺跡経験者」の彼女を雇うことが出来たからね。って何シャグが焦ってんだよ」
急に生真面目な顔で問いただすシャグに、ニアは戸惑いながら尋ねた。
「本宮は、アレが出るんだぞ。大丈夫なのか」
「わ、わかってるよ。だけど商売のために我が侭なんて言ってられないし。ちょうど一番少ない時期だからね。なんだよ、もしかしてあたしのことを心配してるのか」
「馬鹿いえ。ニアがいつもみたく情けない顔で逃げ帰ってくるのに見飽きただけだ。2階層までにしとけよ、いくらこの人が経験者でもな」
「煩いな、あたしが店主だ。どこまで行くかはあたしが決める」
「ああそうか、勝手にしろ。だけど最近は魔物達の活動が活発だという噂だから調子に乗るなよ。さあお前ら、この店は今日は終わりだ。他の露店の営業妨害だ、散れ」
シャグがニア達に背を向けて不機嫌な声を張り上げると、あわてて街の男達がその場を離れ、それにつられ旅人達も歩き始めて人垣が崩れた。
「今のシャグって人と仲がいいのね」
ロザリーが、ニアの片付けの邪魔にならないように立ち上がって剣を腰に差しながら言った。
「何言ってんだ。あれは腐れ縁だ。しかも父親の力を笠に着たぼんくら息子で、絡まれるこっちが迷惑してるよ」
「そうかしらね。うふふ。それよりニアは、遺跡に何か問題があるの?」
「問題?」
「ええ、だって彼があんなに心配してたから」
「ああ、あいつは大げさなんだ。ちょっと苦手なタイプのヤツが出るってだけさ。だけどロザリーが一緒だから大丈夫。頼りにしてるよ」
「そう、それだけならいいけれど……」
そう小さくつぶやく声を背に、ニアは懐に入っている財布のずっしりとした重さに顔をほころばせながら、荷物をまとめ終えた。
そして身体よりも大きな包みを担ぐと、ロザリーがはぐれないよう彼女の手を引き、男達に見送られながら大通りの人ごみにまぎれるのだった。
小説情報のあらすじを少し訂正し、ほのぼのタグとりました。
だって全然ほのぼのにならないんです…
次こそ遺跡に出発します!