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貧民街を陰から助ける屋台好き皇子の正体は、奇跡の聖魔法使いでした。誘拐されて奴隷に~

作者: 山田 バルス
掲載日:2026/03/16

 スペイラ帝国――大陸でもっとも栄える巨大国家。

 その帝都は、昼も夜も人の熱気であふれていた。


 帝都の大通りから少し外れた屋台街。

 炭火の香ばしい匂いが漂い、人々の笑い声と呼び込みの声が入り混じっている。


「おお、うまそうだな」


 そう言って串肉を受け取った青年は、楽しそうに目を細めた。


 銀色の髪。

 整った顔立ちだが、どこか線が細い。


 彼の名は――ルイス=スペイラ。

 スペイラ帝国第三皇子、二十歳。


 ただし、この場では誰もその正体を知らない。


 彼は側室レオノールの子であり、正室の皇子たちとは立場が違う。

 それだけではない。


 ルイスには、もう一つ大きな秘密があった。


 ――聖魔法。


 しかも、並の神官など足元にも及ばないほどの力。


 もしその力が広く知られれば、教会が黙っていない。

 「神の使徒」「聖人」として囲い込み、帝国から引き離される可能性すらある。


 それを嫌った母レオノールの考えもあり、ルイスはその力を隠して生きてきた。


 そして今――。


「やっぱり屋台の肉はうまいなあ」


 皇子とは思えない気楽さで、串肉を頬張っていた。


 その隣で、黒い執事服の男が小声で言う。


「殿下。もう少し身分をお考えください」


「セバス、ここでは殿下じゃないよ」


 ルイスはにこりと笑った。


「ただの商人さ」


 従者セバスは、心の中で深くため息をつく。


(お忍びとはいえ……皇子が屋台で立ち食いとは……)


 だが、この青年は止めても聞かない。


 その時だった。


 ルイスはふと視線を感じた。


 振り向くと――


 少し離れた場所に、小さな子供が二人立っている。


 姉は七、八歳ほど。

 妹は五歳くらいだろうか。


 二人とも痩せており、服はぼろぼろだ。


 そして――。


 じっと、串肉を見つめている。


「……」


 ルイスは少し考え、屋台の店主に言った。


「おじさん、串肉を三本追加で」


「はいよ!」


 焼きたての串肉を受け取ると、ルイスは子供たちに近づいた。


「ほしいの?」


 二人は驚いたように顔を上げた。


 姉の方が慌てて首を振る。


「い、いえ……」


 しかし、妹は肉から目が離せない。


 その様子を見て、ルイスは苦笑した。


「遠慮しなくていいよ。ほら」


 串肉を差し出す。


 妹のラナは思わず受け取ってしまった。


「……!」


 姉のアンが慌てる。


「だ、だめよラナ!」


「いいよ」


 ルイスは優しく言った。


「食べな」


 ラナは恐る恐る一口かじった。


 次の瞬間――


「……おいしい……!」


 涙ぐみながら夢中で食べ始める。


 アンももう一本渡され、戸惑いながら口にした。


 セバスが小声で言う。


「ルイス様、あまり関わらない方が――」


「セバス」


 ルイスは静かに言った。


「かまわないよ」


 そして残りの串肉を包んでもらい、子供たちに渡した。


「これはお土産」


「え……」


「お腹すいてるんだろ?」


 アンはうつむいた。


 そして小さく言った。


「……昨日から……何も食べてません」


 ルイスの眉が少し動いた。


「親は?」


「お父さんはいません」


「お母さんは……ずっと寝ています」


 その言葉に、ルイスは少し考えた。


「……気になるな」


「ルイス様」


 セバスがすぐに止める。


「貧民街です。危険です」


「大丈夫だよ」


 ルイスは笑った。


「案内してくれる?」


 アンは戸惑いながらもうなずいた。


 しばらく歩くと、帝都の景色は一変する。


 石畳は割れ、家は崩れかけ、空気は淀んでいる。


 ――貧民街。


 やがてアンが小さな家の前で止まった。


「ここです……」


 中へ入ると――


 薄暗い部屋。


 そして、粗末な寝台の上で一人の女性が横たわっていた。


 顔色は土のように青い。


 呼吸も弱い。


「……まずいな」


 ルイスは小さくつぶやいた。


 このままでは、長くない。


 セバスが言う。


「殿下、ここは――」


 しかしルイスはもう女性の側に立っていた。


 手をかざす。


 そして小さく呟く。


「……大丈夫」


 次の瞬間。


 ルイスを中心に魔法陣が広がる。


 次の瞬間、周囲に金色の光が溢れた。


 部屋いっぱいに広がる、神々しい輝き。


 セバスが目を見開く。


(やはり……)


 光はゆっくり女性の体を包み込んだ。


 やがて光が消える。


 すると――


「……あれ……?」


 女性がゆっくりと目を開いた。


「お母さん!」


「お母さん!」


 アンとラナが泣きながら抱きつく。


 女性――メイルは驚いた顔をした。


「アン……ラナ……?」


 そして体を起こし、状況を理解した。


「あなたが……助けてくださったのですか……?」


 ルイスは少し照れくさそうに笑った。


「まあね」


 メイルは深く頭を下げた。


「ありがとうございます……でも……」


 困った顔になる。


「お金が……払えません……」


 ルイスは首を振った。


「仕事はある?」


「……いえ、今は……」


 部屋を見回す。


 生活は限界に近い。


 ルイスは言った。


「じゃあ、ボクの仕事を手伝ってほしい」


「え?」


「一日、銀貨五枚」


 メイルは目を見開いた。


「そ、そんなに……!」


 銀貨五枚。


 庶民の約二倍の賃金だ。


 ルイスは優しく言った。


「これは慈悲じゃない」


「ちゃんとした仕事だ」


「子供を抱えてると大変だろ?」


 メイルの目に涙が浮かんだ。


「……ありがとうございます……!」


 その様子を見ながら、セバスは心の中でため息をついた。


(殿下は……まったく)


 だが同時に、少しだけ思う。


 この皇子が帝国を治めたなら――


 きっと、悪くない国になる。


 そんな予感を、セバスは密かに感じていた。


 ◇


 貧民街の小さな家の中には、まだ聖魔法の残り香のような温かな空気が残っていた。


 メイルは何度も頭を下げていた。


「本当に……本当にありがとうございます……」


 ルイスは困ったように笑った。


「もういいよ。何度もお礼を言われると、こっちが恥ずかしくなる」


 アンとラナは、まだ母親にしがみついたままだ。

 二人とも泣き疲れて、目が赤くなっている。


 ラナがルイスを見上げた。


「お兄ちゃん……」


「ん?」


「お母さん……治ったの?」


 ルイスは少しだけ考え、優しく答えた。


「うん。もう大丈夫だよ」


 その言葉を聞いた瞬間、ラナはまた母親に抱きついた。


「よかったぁ……!」


 アンも涙をぬぐいながら言う。


「お母さん……死んじゃうと思った……」


 メイルは二人を抱きしめながら泣いていた。


 その光景を見て、ルイスは小さく息をついた。


 するとセバスが静かに近づく。


「ルイス様」


「ん?」


「先ほどの話ですが」


 セバスは小声で続ける。


「本当に雇うおつもりですか?」


「もちろん」


 ルイスはあっさり言った。


「でもルイス様、銀貨五枚は――」


「高い?」


「庶民の賃金としては破格です」


 ルイスは少し肩をすくめた。


「じゃあ、それだけ働いてもらえばいい」


「……」


 セバスは何も言えなくなる。


 この皇子は、本気でそう思っているのだ。


 ルイスはメイルに向き直った。


「それで、簡単な仕事なんだけど」


「は、はい」


「ボクは帝都でちょっとしたレストランを経営しているんだ」


 現在スタッフが不足気味であった。


 だから、ちょうど良い機会である。


「食材を運んだり、料理の手伝いをしたり、そういう仕事」


 メイルは慌てて言った。


「わ、わたし料理ならできます!」


「ほんと?」


「昔は食堂で働いていました」


「それは助かるな」


 ルイスはにこりと笑った。


「じゃあ決まりだ」


 アンが恐る恐る訊ねる。


「あの……」


「なに?」


「わたしも……手伝えます」


 ルイスは目を丸くした。


「君が?」


「掃除とか……できます」


 ラナも負けじと言う。


「ラナも!」


 その必死な顔に、ルイスは思わず笑った。


「ありがとう。でも君たちは子供だろ」


「でも……」


 アンはうつむいた。


 ルイスは少し考えたあと言った。


「じゃあ学校に行こう」


「……え?」


 アンは固まった。


「学校?」


「そう」


 ルイスは当たり前のように言う。


「文字とか計算とか覚えた方がいい」


「でも……お金が……」


「それはボクが出す」


 アンは慌てて首を振った。


「だめです!」


 ルイスは首をかしげた。


「どうして?」


「そんなの……もらえません」


 するとルイスは少し真面目な顔になった。


「これは投資だよ」


「……?」


「将来、君が立派になって働いて、税金を払ってくれればいい」


 アンはぽかんとした。


 ルイスは笑う。


「帝国のためになる」


 セバスが横で小さくつぶやく。


「ルイス様……その理屈は少々強引かと」


 ルイスは気にしない。


「どう?」


 アンはしばらく黙っていた。


 そして、ぎゅっと拳を握る。


「……勉強します」


「うん」


「いっぱい働いて……お金返します!」


 ルイスはくすっと笑った。


「返さなくていいよ」


「でも!」


「その代わり」


 ルイスは指を一本立てた。


「将来、困っている人がいたら助けてあげて」


 アンは目を見開いた。


「それで十分」


 メイルは涙を流していた。


「こんな……こんな優しい方が……」


 セバスは心の中で思う。


(優しいというか……お人よしというか……)


 しかし。


 それがこの皇子なのだ。


 ルイスはふと窓の外を見た。


 夕暮れの光が貧民街を染めている。


 帝都は広い。


 そして、まだ知らない場所が山ほどある。


「セバス」


「はい」


「明日も街を歩こう」


 セバスは苦笑した。


「また問題を拾うおつもりで?」


 ルイスは笑った。


「問題じゃないよ」


「人だ」


 その言葉を聞いて、セバスは小さく頭を下げた。


 ――この皇子は危うい。


 だが同時に。


 この人が皇帝になったなら。


 帝国はきっと、今より少しだけ優しい国になる。


 そんな気がしてならなかった。


 そしてその夜。


 帝都のどこかで――


「聖魔法の光を見た者がいる」


「しかも……奇跡級らしい」


 そんな噂が、静かに広がり始めていた。


 ルイスが知らぬところで。


 彼の秘密は、少しずつ帝都の闇の中へと広がり始めていたのである。


  ◇


 メイルの家の外では、夕暮れがゆっくりと夜に変わろうとしていた。


 ルイスは立ち上がり、軽く伸びをする。


「それじゃあ、今日はそろそろ帰ろうかな」


 アンとラナが少し寂しそうな顔をした。


「もう行っちゃうの?」


「また来るよ」


 ルイスは笑った。


「明日から忙しくなるだろうしね」


 学校のことや仕事のことを考えれば、二人の生活は今日から大きく変わる。


 その時だった。


 ――ガチャ。


 古い木の扉が開いた。


「ごめんなさい、遅くなったわ!」


 明るい声が家の中に響く。


 入ってきたのは二人の女性だった。


 一人は桃色の髪に蒼い瞳。

 丸いメガネをかけた十八歳ほどの少女。


 落ち着いた商家の娘のような服を着ているが、どこか上品な雰囲気がある。


 その後ろには、青い髪の女性。

 二十歳くらいで、落ち着いた表情をしている。


 侍女のような服装だ。


 桃髪の少女は手に小さな薬袋を持っていた。


「薬を手に入れてきたわ。これで少しは――」


 そこで彼女は言葉を止めた。


 部屋の中にいる見知らぬ男二人。


 そして、起き上がっているメイル。


「……あれ?」


 アンとラナが飛びついた。


「セシルお姉さん!」


「わーい!」


 少女――セシルは驚きながら二人を受け止める。


「ちょ、ちょっとアン?ラナ?」


「お母さん治ったの!」


「このお兄ちゃんが治してくれたの!」


 ラナが興奮して指をさした。


 ルイスは少し苦笑する。


 セシルは驚いた顔でメイルを見る。


「本当なの?」


「ええ……この方が……」


 メイルは深く頭を下げた。


「命を助けてくださいました」


 セシルはゆっくりルイスを見る。


 そして、静かに頭を下げた。


「ありがとうございます」


 丁寧な礼だった。


 ルイスは少し慌てる。


「いや、大したことじゃないよ」


 セシルは優しく笑った。


「この子たち、ずっとお母さんのことを心配していたんです」


「本当に感謝しています」


 その笑顔を見た瞬間――


 ルイスの胸が少しだけ高鳴った。


(……あれ?)


 思わず目を逸らす。


 桃色の髪。

 優しそうな蒼い瞳。


 そして、どこか芯のある雰囲気。


(……綺麗な人だな)


 そんな感想が自然に浮かぶ。


 だがすぐに、別の顔が頭に浮かんだ。


 金色の髪の美少女。


 侯爵令嬢――

 ソフィア=タラべーラ。


 ルイスの婚約者だ。


(……いやいや)


 ルイスは心の中で自分を戒めた。


 軽く咳払いをする。


「えっと……君は?」


「セシルです」


 少女は答えた。


「父は帝都で商会をやっています」


 横の侍女が一歩前に出る。


「私は侍女のリナです」


 セシルはアンたちの頭を撫でながら言った。


「私は時々、この辺りで救護活動をしているんです」


「孤児院の手伝いとか、薬の配布とか」


 ルイスは少し驚いた。


「商家の娘なのに?」


 セシルは少し照れたように笑う。


「商売で稼ぐことも大切ですが、それと同じぐらいに困っている人を助けるのも大事かと」


 ルイスは思わず言った。


「……いい考えだね」


 セバスが横で小さく咳払いする。


(殿下、顔が緩んでおります)


 ルイスは慌てて表情を引き締めた。


「それで……」


 メイルが言う。


「この方は、私に仕事をくださるそうなんです」


「仕事?」


 セシルが驚く。


 ルイスは説明した。


「帝都で小さなレストランをやっていてね」


「人手が足りないんだ」


 セシルの目が少し輝いた。


「食堂……」


「それに、子供たちは学校に行かせる予定」


 アンとラナが胸を張る。


「お勉強するの!」


「学校!」


 セシルは目を丸くした。


「それは……すごいですね」


 そして、少し嬉しそうに言った。


「この子たち、きっと喜びます」


 ルイスは軽く頷いた。


「それと」


 ポケットから紙を取り出す。


「仕事場はここ」


 紙には簡単な地図が描かれていた。


「帝都の中心地」


「エマパワーストーン商会がある通りにレストランがある」


 メイルは何度も頷く。


「はい……!」


 ルイスは続けた。


「それから、同じ建物の一角に子供を預かる施設もある」


「働いている間、そこに預ければいい」


 セシルが驚いた。


「そんな施設まで……?」


「小さいけどね」


 ルイスは肩をすくめた。


「働く人に子供がいると大変だから」


 セシルはしばらくルイスを見つめていた。


 そして、にっこり笑う。


「素敵ですね」


「……え?」


「そんな場所、私も見てみたいです」


 ルイスは少し驚く。


「え?」


「私たちもお邪魔していいかしら?」


 横の侍女リナも頷く。


「救護活動の参考になるかもしれません」


 ルイスは少し考え――


 そして笑った。


「もちろん」


「いつでも歓迎だよ」


 セシルは嬉しそうに言った。


「じゃあ後日、伺いますね」


「約束ですよ」


 ルイスは頷いた。


「楽しみにしてる」


 そしてルイスとセバスは家を後にした。


 夜の貧民街を歩きながら、セバスが言う。


「殿下」


「ん?」


「顔が少し楽しそうでした」


「そう?」


「ええ」


 セバスは小さく笑った。


「珍しいですね」


 ルイスは少し困った顔をした。


「……別に」


 だが心の中では思っていた。


(また会えるのか)


 その時――


 遠くの屋根の上で。


 誰かがその光景を見ていた。


 黒いマントの男。


「……見つけたぞ」


 男は不気味に笑った。


 ◇


 同じ頃。


 貧民街の奥にある大きな屋敷。


 そこは――


 アビレス伯爵家の別邸だった。


 部屋の中では、太った男が酒を飲んでいる。


 アビレス伯爵。


 貧民街を裏から支配する悪徳貴族だ。


 部下が跪いて報告する。


「伯爵様」


「例の光ですが……」


「やはり聖魔法の可能性が高いです」


 伯爵の目がぎらりと光った。


「ほう……」


「奇跡級だそうです」


 伯爵はゆっくり笑う。


「それは……面白い」


 酒杯を置く。


「捕まえろ」


「は?」


「聖魔法の使い手だぞ?」


 伯爵はニヤリと笑った。


「金の匂いがプンプンする」


 部下たちは頭を下げた。


「すぐに探します!」


 伯爵は満足そうに笑った。


 こうして。


 ルイスの知らぬところで――


 そして貧民街の闇が動くのであった。


 ◇


 帝都中心区。


 昼の賑わいが少し落ち着いた頃、通りの一角にある小さなレストランでは、香ばしい匂いが漂っていた。


 店の看板には、大きくこう書かれている。


 レストラン《アビエルト》


 扉を開ければ、温かな雰囲気の店内。

 木のテーブルと椅子、壁には可愛らしい装飾。


「いらっしゃいませー!」


 ウエイトレスの声が響く。。


 カウンター席では、ルイスが満足そうに店内を眺めている。


「ここにメイルさんが来てくれれば、お店も落ち着きそうだな」


 隣のセバスが帳簿を見ながら言う。


「予想以上の客入りです」


「セシル嬢の紹介も大きいでしょう」


 その名前を聞いた瞬間――


 ガタン!


 店の扉が勢いよく開いた。


「ルイスさん!」


 入ってきたのはセシルだった。


 桃色の髪が乱れ、息を切らしている。


「セシル?」


 ルイスが立ち上がる。


「どうしたの?」


 セシルの顔は青ざめていた。


「大変なの……!」


「アンとラナと……メイルさんが……」


 震える声で言う。


「連れ去られたの!」


 店内の空気が凍りついた。


「……なんだって?」


 ルイスの声が低くなる。


 セシルは必死に説明した。


「店に来る途中の道で、馬車が来て……男たちが降りてきて……無理やり連れていったの!」


 ルイスの表情が消える。


「誰だ」


「馬車の紋章を覚えてるの」


 セシルは震えながら言った。


「アビレス伯爵家……」


 セバスの目が鋭くなる。


「帝都でも評判の悪い貴族だな」


 セシルは泣きそうな顔で言った。


「どうしたらいいの……?」


「相手は貴族よ……」


 そして思い出したように言う。


「それに……伝言を預かったの」


「伝言?」


 セシルは唇を噛む。


「三人を返してほしければ……」


 ゆっくり言った。


「聖魔法の使い手を寄こせって」


 ルイスとセバスの目が合う。


 沈黙。


 やはり――狙いはそれだった。


 セバスが静かに言う。


「ルイス様、わたしが戻るまで、待っていてください」


 そして、店を出ていった。


 隣の建物――エマパワーストーン商会へ向かう。


 セシルが不安そうに言う。


「どうするの……?」


 ルイスはしばらく考え――


 そして微笑んだ。


「行ってみますか」


「え?」


「伯爵のところ」


 セシルは驚いた。


「でも……危ないわ!」


 ルイスは軽く肩をすくめた。


「大丈夫」


「ちょっと話をしてくるだけ」


 そう言って、外へ歩き出す。


「セバスさんを待たなくていいの?」


「あとで追いつくよ」


 そのままルイスは歩き出した。


 セシルは少し迷い――


 そして後を追った。


 ◇


 アビレス伯爵邸。


 貧民街の奥にある巨大な屋敷。


 門の前には武装した男たちが立っている。


 ルイスが近づくと、男たちはニヤリと笑った。


「お前か」


「聖魔法の使い手は」


 次の瞬間。


 ガシッ!


 ルイスの腕が掴まれる。


「なっ……!」


 セシルも後ろから押さえつけられた。


「やっぱり来たな」


「平民の商人風情が生意気にレストランなどやるから痛い目にあうのだ」


 ルイスの目が細くなる。


(……読まれていたか)


 二人はそのまま屋敷の中へ連れていかれた。


 長い廊下。


 重い扉。


 奥の部屋へ押し込まれる。


 そこには――


 豪華な椅子に座った太った男がいた。


 アビレス伯爵。45才の赤髪の男である。


「よく来たな」


 下品な笑みを浮かべている。


 部屋の隅には――


 アン、ラナ、そしてメイル。


 三人とも縄で縛られていた。


「お兄ちゃん!」


 ラナが泣き叫ぶ。


 ルイスの拳が握られる。


 伯爵は言った。


「さあ見せろ」


「聖魔法を」


 ルイスは静かに答えた。


「そんな力はない」


 一瞬の沈黙。


 そして伯爵は笑った。


「ほう?」


 ゆっくり立ち上がる。


 近くにいたメイルの髪を掴んだ。


「やめろ!」


 次の瞬間――


 ザクッ。


 ナイフがメイルの腹に突き刺さった。


「きゃあああ!」


 セシルの悲鳴。


 メイルが床に倒れる。


 血が広がる。


 伯爵は微笑んだ。


「早く治療しないと……死ぬぞ?」


 ルイスの顔から血の気が引いた。


 アンとラナが泣き叫ぶ。


「お母さん!」


 ルイスは目を閉じた。


(……仕方ない)


 次の瞬間。


 床に魔法陣が広がる。


 黄金の光。


 部屋全体が輝いた。


 光はメイルの体を包み込み――


 傷が消えていく。


 やがて光が消えた。


 メイルの呼吸が戻る。


 伯爵がゆっくり拍手した。


「素晴らしい」


「これは……すごい」


 目をギラギラさせている。


「これなら闇治療院を開けば大儲けだ」


 ルイスの顔が歪む。


「……最低だな」


 伯爵は笑った。


「金になるなら何でもするさ」


 そして部下に命じる。


「持ってこい」


 黒い箱が運ばれてきた。


 中に入っていたのは――


 黒い首輪。


 魔力を封じる禁制の魔道具。


 カチッ。


 ルイスの首に装着される。


「っ……!」


 体から力が抜ける。


 セシルにも同じ首輪が付けられた。


「な……なにこれ……!」


 伯爵は満足そうに笑う。


「魔力封印の首輪だ」


「逃げられないぞ」


 ルイスとセシルは鎖で繋がれた。


 伯爵は椅子に座り直す。


「さて」


 ワインを飲みながら言った。


「今日から働いてもらうぞ」


「聖魔法の先生」


 部屋の奥では、アンとラナが震えていた。


 そして――


 拘束されたルイスとセシル。


 二人は完全に包囲されていた。


 まさに――


 絶体絶命の大ピンチだった。


 ◇


 牢の奥の部屋。


 冷たい石の床の上で、ルイスとセシルは鎖につながれたまま立たされていた。

 首には黒い魔道具の首輪。


 魔力を封じる禁制品。


 そのせいで、ルイスは聖魔法を使うことができない。


 完全に――無力だった。


 アビレス伯爵はワインを片手に、ゆったりと椅子に座っている。


「ふふふ……実に素晴らしい力だ」


 ルイスを見ながら、いやらしい笑みを浮かべた。


「お前の聖魔法があれば、闇治療院を作って金がいくらでも稼げる」


 そして視線を横に移す。


 セシルを見た瞬間、伯爵の顔がゆがんだ。


「ほう……」


 下品な視線が彼女をなめ回す。


「これはまた……綺麗な女だな」


 セシルは嫌悪を隠さず睨み返した。


 だが伯爵は気にしない。


「よし」


 にたり、と笑う。


「お前は、わしの愛人にしてやろう」


 その言葉に、セシルの顔が真っ青になった。


「な……!」


 ルイスの胸に、怒りが爆発する。


「やめろ!」


 鎖を引きちぎろうとするが、びくともしない。


「彼女に手を出すな!」


 伯爵は楽しそうに目を細めた。


「ほう?」


「お前の女か?」


 ルイスは答えられない。


 だが胸の奥が強く痛む。


(……そうか)


 この瞬間、初めて気づいた。


 自分は――


 セシルに惹かれていたのだ。


 伯爵は下品に笑う。


「ふふふ……」


「なら、お前の見ている前で、してやろう」


 その言葉は、あまりにも不快だった。


 伯爵は立ち上がり、セシルへ歩いていく。


「やめて……!」


 セシルが後ずさる。


 だが鎖がある。


 逃げられない。


 伯爵の汚らしい手が伸びた。


「誰も助けには来ないぞ」


 ケタケタ笑う。


 ルイスは叫んだ。


「やめてくれ!」


「セバス!!」


「助けてくれ!!」


 絶望の叫びが部屋に響く。


 その瞬間――


 ガシャーン!!


 窓ガラスが粉々に砕け散った。


「なに!?」


 伯爵が振り向く。


 窓から一人の男が飛び込んできた。


 黒い執事服。


 整った髪。


 そして冷静な表情。


「ルイス様」


 その男は軽く頭を下げた。


「お戯れが過ぎますよ」


「セバス!!」


 ルイスが叫ぶ。


 伯爵は顔を真っ赤にした。


「何奴だ貴様!!」


「護衛!!曲者だ!!」


 その叫びと同時に、周囲の扉が一斉に開いた。


 ガチャッ、ガチャッ。


 武装した男たちが部屋へ流れ込んでくる。


 一人、二人、三人……


 そして――


 十人。


 完全武装の護衛兵だった。


 ルイスは顔を青くする。


「セバス……」


「こんな人数じゃ……逃げられない……」


 だがセバスは平然としていた。


「大丈夫ですよ」


 にこりと笑う。


「最強の人を呼んでありますから」


「え?」


 その瞬間。


 廊下の奥から、重い足音が響いた。


 ドン……ドン……。


 現れたのは――


 黒髪の31歳になる男だった。


 筋肉の塊のような体。


 脇にはミスリルの剣が見える。


 ルイスの目が見開かれる。


「ロドリゲス……師匠……?」


 男は豪快に笑った。


「久しぶりだな、ルイス!」


 さらにその後ろから、もう一人現れる。


 金色の髪。


 鋭い瞳。


 細身だが、圧倒的な存在感。


 腰には名剣。


 彼は静かに告げる。


「助けに来たぞ」


 ――剣聖フエルテ。


 その姿を見た瞬間。


 伯爵の顔が青ざめた。


「ば……ばかな……!」


 震える声で叫ぶ。


「なぜここに……ドラゴンスレイヤーと剣聖が……!!」


 ロドリゲスは豪快に笑う。


「ここに悪人がいるからだ」


 伯爵は必死に叫んだ。


「だ、だまされるな!!」


「偽物だ!!こんな場所に剣聖と龍殺しが来るわけがない!!」


 護衛兵たちは戸惑いながらも剣を抜いた。


「やれ!!」


 伯爵の命令。


 十人の兵士が一斉に襲いかかる。


 だが――


 次の瞬間。


 ヒュン。


 フエルテの剣が一度だけ閃いた。


 カンッ!カンッ!カンッ!


 兵士たちの剣が全て弾き飛ばされる。


「な……!?」


 さらにロドリゲスが拳を振るう。


 ドガン!


 一撃で二人が吹き飛んだ。


「うおおお!?」


 わずか数秒。


 十人の護衛は全員床に転がっていた。


 完全な圧勝。


 伯爵は震え始めた。


「ば、ばかな……」


 フエルテがゆっくり歩く。


「偽物だと言ったな」


 伯爵は腰を抜かした。


「ひ……ひぃ……!」


 ロドリゲスはルイスの首輪に剣を振る。


 バキッ。


 魔道具は簡単に砕けた。


「ほら、解けたぞ」


 ルイスは深く息を吐いた。


 魔力が戻る。


 すぐにセシルの首輪をそっとルイスが解除した。


 そして伯爵を見る。


 静かな怒りを込めて言った。


「終わりだ」


 ◇


 数日後――


 アビレス伯爵の悪事はすべて暴かれた。


 闇治療院計画。

 誘拐。

 違法魔道具。


 その罪は重く、伯爵家は完全に没落した。


 さらに――


 鉱山送りにされていた男が戻ってきた。


 メイルの夫だった。


 伯爵に騙され、罪を着せられていたのだ。


「お父さん!!」


 アンとラナが泣きながら飛びつく。


 家族四人は抱き合い、涙を流した。


「よかった……本当に……」


 メイルも泣きながら笑う。


 ルイスはその光景を静かに見守っていた。


 そしてその隣には――


 セシルがいた。


「ありがとう」


 彼女は微笑む。


「ルイスさん」


「……うん」


 セシルは真っ直ぐ彼を見る。


 そして、告げた。


「愛しているあなたが無事で良かったですわ」


 ルイスは驚いた。


 だがすぐに苦い顔になる。


「ボクも……君のことが気になる」


 正直な気持ちだった。


 だが――


「でも……ボクには婚約者がいる。だから……君の想いには答えられない」


 セシルは不思議そうな顔をした。


「……?」


「まさか? わたしに気づいてないのですか?」


「え?」


 セシルは微笑み、眼鏡を外した。


 そして首元の魔道具のスイッチを切る。


 ピッ。


 その瞬間――


 魔法が解けた。


 桃色の髪が、金色へ変わる。


 顔立ちも変わる。


 現れたのは――


 絶世の美少女。


 ルイスは目を見開いた。


「……え?」


「ソフィア……?」


 そう。


 侯爵令嬢――


 ソフィア=タラベーラ。


 ルイスの婚約者だった。


 ソフィアは楽しそうに笑う。


「ルイス様がお忍びで街歩きをされているので、わたしも見習って、真似していたのですよ」


 ルイスは完全に固まった。


「セシルが……ソフィア……?」


「はい」


 その瞬間。


 ルイスの顔が真っ赤になった。


 そして――


 ぎゅっ。


 ソフィアを抱きしめた。


「君のことが好きだ!」


「え?」


「ずっと一緒にいてほしい!」


 ソフィアは一瞬驚き――


 そして嬉しそうに笑った。


「はい」


 二人は抱き合いながら笑う。


 セバスはその光景を見て、小さくため息をついた。


「まったく……」


 しかし、その顔は、どこか嬉しそうだった。


 こうして――


 聖魔法の皇子ルイスの騒がしくも優しい物語は、

 また新しい章へと進んでいくのだった。

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