第7話
『この手紙が無事にそちらへと届いている事を前提として書く。
私達は今までお前にばかり苦労を掛けてきた。孤児であったお前を引き取り、自由を奪ってまで育てたのは体の弱い我が娘の為だ。それを否定するつもりは無い。
私は幼いお前に家門の重責を押しつぶす程に載せ、強引に託した。言い訳はしない。聞きたくもないだろう。
お前が毎夜泣いていた事も知っている。私への恨みを表に出さないように耐えていた事も知っている。
これが貴族としての生き方であると、本来受け止める必要の無い物を押し付けた。一人の人間として、この私は掛け値なしに碌でもない生き物だ。
最初の婚約、王子の評判を知っていながら合意した。さらなる不幸なる事も承知でお前を見送ったのも貴族として私の意志だ。家を守る為、その存続と繁栄を天秤に掛けた。
所詮は権力に媚びるしかない蛆虫だ。
そんな私は面と向かってお前にあれこれと言う資格はない。文面で済ませるのは私が臆病だからだ。お前と向き合い、今更に腹を割って話せる度胸が無かった。
だが、あの婚約が無かったことになった時、内心喜んだのも事実だ。
私は貴族だ。血の繋がった娘ならばいざ知らず、お前相手には父である前に貴族でなければならなかった。
それでも、お前を娘として迎えた事を後悔した日は無い。
お前に苦痛を与え、それを悔やまなかった日も無い。
お前が家に居たいならば、もう婚約をさせて家門の道具にするのを止めるつもりだった。
だがお前は再度の婚約を選んだ。婚姻が成立すれば、お前はもうこちらには戻らない事を悟った。
だからこそ、今更ながらにここに記す。これも私の我が儘でしかない。鼻で笑ってくれて構わない。それでも――』
「今まで、本当に済まなかった……。何をっ」
何を今更……っ。
一体、今まで何をしてきた? その目に映す価値もないと、私という人間を見なかったくせに!
身勝手な人は、謝るのも身勝手だ。私の許可無く恨みや憎しみの居場所を奪う。
ヨレてしまった手紙はもう一枚の下へと持っていき、義妹から来たという手紙も見る。
『拝啓、親愛なる姉・ケイトへ。愚鈍の妹がこの手紙をしたためさせて頂きます。
結局のところ、そのお顔を前にして本心を語る度量が無いわたくしは、卑怯にもこういう手段を持ってしかあなたと向き合う事が出来ませんでした。一方的で大変申し訳ありませんが、なにとぞその心中に留まれればと思います。
お姉様はきっと、このわたくしも父も、そして今は亡き母の事もお恨みになられておられる事でしょう。
わたくし達家族は、お姉様から全てを奪いました。自由も人としての尊厳すらも根こそぎ取り上げ、ただ惨めのみを強いました。
それでも、何も知らず気づこうともしなかった頃の幼いわたくしは、突然現れた姉の存在に心から喜びました。
疎まれるなど思いもせず、お姉様の後ろを付いて回ったわたくしはそれだけで楽しい日々でした。
家門の事情に気付き始めたのは、生前のお母様が人知れずに涙を流しているのを偶然にも目にしてからです。
普段あれほど気丈な母が、何を悲しむ事があるのか? それを疑問に思った時、家の中の不自然さが目に付くようになったのです。
親しい使用人達にわたくしの代わりの目となって頂き、家中の事情を耳にしたわたくしは、己の存在そのものを恨みました。
全てはこの身の貧弱さの為、その為の犠牲としてお姉様が選ばれたのだと。
わたくしの代わりに淑女として、そして身代わりとしての教育を無理矢理施されたお姉様。
そして、そんなお姉様に無理を強いなければならない両親。
なにもかもがわたくしを起因として引き起こされた不幸。
わたくしはその全てを知り、しかしてそれを口に出す勇気も持てずにお姉様に甘えていたのです。
愚かな恥知らずにも程があるというものです。
この手紙を書きながら、わたくしは何度も涙が零れそうになりました。
ですがそれは決して許されぬ事です。
両親を恨むなとは言いません、ですが、何よりもこのわたくしをお恨み下さいませ。
そして、最早お会い出来るかもわかりませんが、どうかお幸せになってください。
いつか伝えましたが、それこそがわたくしの一番の願いです。
最後に、信じられないかもしれません。それでも――わたくし達親子はお姉様が大好きでした』
「ケイト嬢……! 大丈夫ですか?」
「……っ。いえ、お気になさらず」
心配して下さったレイフ様の気遣いを余所に、水滴の零れた手紙を力の抜けた手で再び封筒へと戻した。
「その顔を見るに、余程良い事が書かれていたのだろうな」
「意地の悪い事をおっしゃいますね。……改めてご挨拶を申し上げます。私はカルバー家の”長子”、ケイト・ベアトリス・カルバー。この度の婚約、謹んでお受けいたします」
あの時の男の子が、悪戯な笑顔で了承してくれた。
『あっお母さんだ! ……ありがとうおねえちゃん! お礼にあげられるものは……ないけど。大きくなったら結婚してあげる! ぼくのおうちって広いんだよ。おねえちゃんを世界一のお姫様にしてあげるよ!』
『本当? じゃあその時はお嫁さんになってあげる。君がまだ覚えてたらだけどね』
『もう! 絶対忘れないよ。やくそくっ!』
『はいはい、約束。ふふっ』
季節は廻り、嫁いでから三年目の春。
私は隣に夫を、そして腕に赤ん坊を抱きながら――再び、”実家”の門を叩いたのだ。




