第3話
翌日、確かなもてなしに旅路の疲れは癒えたと言える。
温かい食事、何よりこの気候だからこそ骨身に染みるお風呂は良い。この領地は温泉が有名だと言うが、それに漏れずにこの城の湯もまた地下から汲み上げているらしい。
石造りの湯の情景は美しく、僅かな濁りが湯気に混じり更に風情を演出する。
(少し、年寄り臭かったか。いや、ある意味では間違いでもないか)
私はもう二十一。
一般的に貴族は十八までに婚姻を交わすと言われている中、疑いようのない行き遅れだ。
(そして肝心の婚約者、まさか遠征で城を離れているなんてね。そのような話は聞いてなかった)
なんでも急に決まったらしい。
国境付近にて蛮族の攻勢の動きが見えた。という報告が上がり、側近と一部騎士部隊を連れて未だ顔の知らぬ婚約者は向かったという。
ならば今のこの城、使用人しか居ないかと問われればそうでもない。
「昨日は眠れましたかな? ケイト嬢が住まうとの事で整えさせはしましたが……、何分男所帯でしたので。昨今の若い御令嬢の流行を完全には把握しておらず、ご不便などありましたら遠慮なくお申し付け下さい」
「いえ、就寝に一切の不満など。それに、私としてもそう言った事情に詳しい可愛げなどを持ち合わせてはおりませんので。お気になさらず」
「そうですか。……あぁ、甘い物などはいかがでしょう? 当方の料理人に自信はありますが、スイーツもまたオススメ致します」
「申し訳ありませんが、甘い物は少々……」
甘い物を食べるというのはどうにも、目の間の現実からの逃避に繋がる。
漠然と昔からそういう気分にさせられるのだ。
朝食を共にしているのは私の婚約予定者の兄上にあたるレイフ様。その御年は私の一つ上らしい。
ウィンザー家特有の美麗な銀の髪を背中まで伸ばし、その隙間から見えるうなじは年相応な色香すら感じる。また、目を悪く無さっているのか丸い眼鏡を掛けていた。
このレイフ様とは昨日挨拶を済ませたが、その物腰の柔らかさにこちらも心を頑なにする必要はあまり感じはしない。無論、今の所はだが。
レイフ様はウィンザー家の御長男との事だが、跡取りではないらしい。
何でも生まれつき運動能力に乏しく、北方の守りを預かるウィンザー家の当主となる条件を満たすには難しいと判断されたからだそうだ。
その代わり、現当主である弟君――私の婚約予定者の補佐に尽力しているとの事。
『本来なら真っ先に顔を合わせるべきは弟だったのですが……。その点には謝罪の言葉を申し上げる他にありません。この度は失礼を――』
開口一番にそう、頭を下げられたのは印象深い。
確かに互いに面識の無い婚姻など、不幸以外に何があるのかという話だろう。
これが私以外の可愛らしい若い令嬢ならば、だが。
「遠征から戻るまでまだ暫しの時間が掛かりましょう。何かお困りの際は、何なりと」
「その御心遣いに感謝申し上げます。ですが、この度は突然の事でしたので。……それに、私としてはこの城や領地の風土に慣れる方が急務かと思います」
「そう言って頂けるならばこちらとしても幸いです。いずれは我々の長たる北方の防衛も、貴女にお支え頂ける日が来るでしょう。少なくと私そう信じております」
「まだ昨日に顔を合わせただけの女など、そう信用なさる必要も無いでしょう……。何にせよ、この婚約が成されれば身を砕く所存ではあります」
「御令嬢がそのような酷たる覚悟をお持ちになさらずとも。私とてウィンザーの雄、淑女を立てはすれど、御身への配慮を怠る愚者に成り下がりたくはありません」
「……」
どうにも、あの元婚約者を思い出す。
似ているのではなく、全く違うからこそ無意識に比べる頭を憎む。
(失礼ね、私も。……中央の王子は井の中の蛙。それもキスで人へ成る訳でもない生粋の蛙だったというのに。未来のお兄様は紳士を形取ると来た。皮肉の効いた人生だこと)