第2話
それから一週間後の事である。
「婚約? この私に申し出があったと、そう仰るおつもりですか」
「疑う気持ちは理解しておく。が、現実として話が上がった」
義父の執務室に呼び出された時は、お叱りの言葉でもぶつけられるのだろうと想像していたが……。
それを飛び越える事態がどうやら起こったらしい。
「伯爵家、ですか。こちらの領地からは王都を挟んで真反対ですね。繋がりがあったので? 流石に随分と離れ過ぎているようですが」
「公的な場での顔見せが精々だ。不審だろう? それにあれからまだ数日だ。まるで今日という日を狙っていたかのようだな」
「把握していた。もしくは……」
「わからんな。でだ、どうする? 先ほども言ったがあれからまだ数日、傷心を理由にすれば容易に通る」
「あまり乗り気ではないようで」
「繋がればよいというものではない。気づいた時には胃に毒が収まっていた、というのは昔からある話だ。特に貴族社会というものはな」
同じ国内とはいえ、全ての貴族がお互いを知っている訳ではない。
単に有力貴族ならばどこへも顔が効く訳ではない。物理的な距離も関係して、名前だけ知っているというのは貴族社会ではありきたりだ。
何故婚約を申し込んで来たか知らないその貴族はウィンザー伯爵家。
北の国境付近に領土を持つ武門の家柄だ。
その武勇は数百年と轟かせてきた、北方の勇である。
という事くらいしかこちらも知らない。
国境防衛の任を任されている家門だけあってか、あまり中央にも顔を出す機会が無いからだ。
現在私は王都にある屋敷に住んでいるが、本来は南方に領地があり本邸がある。
それもあってか、あちらとは交流が無かった。今までは。
(あちらにどういう意図があるか知らないけれど……どうせ私には選択肢は無い。むしろ渡りに船と考えれば運が良い。と思えば……)
本来なら適齢期を過ぎ、もう婚約は見込めないと思っていたけれど。
ここで跳ねのけたところで、私の立場が変わる訳でも無い。
行かず後家と呼ばれないようになるだけマシか。
そう捉え、この婚約を受ける事に決めた。そして、出来ればもうこの家には戻らない事も。
「……そうか。ならば返事は直ぐに出そう。……一つ警告しておく。あちらの出方が見えた時、こちらにとって不利益になりかねないなら連絡しろ。先ほども言ったが――」
「毒、であると。そうであればこの身一つで飲み切りましょう。尻尾は早く切るに越した事はありませんので」
「……………お前がその気ならば止めはせん。が、最後の手だと思え」
そこで義父との会話は終わり、私は自室への帰路に着いた。
(そう、結局は何が変わる訳でもない。ただ流れに沿ってベターな選択を取るだけだ、これまで通りに)
◇◇◇
家を出て数日、長い旅路を終える。南方育ちには体に多少程度だが障る気候。
出迎えの城壁は季節の白化粧で優美だけれど。
(いえ、そうね。素直に見惚れましょう。時々自分の卑屈さが嫌になる)
その門を潜れば並び立つ騎士達。端麗な姿勢には力強さを超えた美がある。
王都の先鋭兵にも見劣りする事は無いだろう。さすが、国境の守りを任されるだけのある家門と納得せざるを得ない。
「ようこそいらっしゃいました、ケイト様」
その内の一人、スカートの裾を軽く持ち上げて貴族の作法を見せるはメイドの女性。私もそれに合わせ頭を下げ、彼女の案内に続く。
城内は外の寒さを感じる事も無く、着ているコートへと少しばかりの暑さを訴える程度の温もりがあった。
「この辺りへお越しになるのは初めてとお聞きしました。こちらの風は肌に辛く感じられた事と存じ上げます」
「そうですね。しかしながらこの空気、私の故郷では体験し得ないものでした。驚きと共に……その、新鮮です」
「それは良うございました。では、お部屋へとご案内致します。長旅でお疲れでしょう。お食事の準備が整い次第、お呼びしますので、それまではお寛ぎください」
「どうも」
お互いに挨拶を交わした後、メイドは一礼して去って行った。
……………一つ疑問が沸く。あの足運び、使用人としてのそれにしては警戒心が疼く。
「そう……。ここは国境の守りの要、そういう事ね」
ただの一般人など存在しない。素直に関心だろう。