第1話
「ケイト。貴様の役目も終わりという事だ。わかるな?」
「……なるほど、そうですか。その口ぶりからもう両家の合意は得ている、と」
「男を立てる為のその察しの良さには素直に関心しよう。……裏を返せば、所詮媚びる為の卑しい術でしかないが。元平民の貴様ならばそれも仕方ない。人を動かすとは高貴なる者の特権であり、使われる貴様には無いものだ。流石よくわかっている」
そのしたり顔。果たして自らは卑しくはないと? いや、そうなのだろう彼の中では。
彼の中では自らは聖人であり、その振る舞いは許されて然るべき正義が形作っている。そう信じて疑わない傲慢が――後にこの国を導くとでも言うのだろうか。
私の名前――ケイトを呼ぶその不遜の声の主たるは、この国の王子。
名をジェイミー・スチュワート・ソーンダース。私の婚約者……だった男だ。
彼の態度にもその声色にも申し訳なさなど微塵も感じられない。ただ、私という女はその身に仕え、ただ頷き実行するだけの傀儡と疑わず。それはきっと、関係が切れてからも当然の思惑だ。
婚約破棄。言葉にすれはそれは単純に、婚約という愛の紡ぎを解く行為。とは所詮に平民の特権か?
結局のところ貴族の婚約に於いて重要なのは家と家の繋がり。つまるところこれも政治なのだ。
それはわかっていた。貴族の行動とは十全に政治。そこに私欲など、本来に偏在してはならないものである。
高貴たるとは自由にあらず。その人生は家であり国である。決して人ではない。
(……そう思っていたのだけれど)
最近、妙な噂を耳にする。例えば今日に起こった婚約破棄が、あちらこちらから聞こえてくるのだ。
決まってより高貴なる身分の若い令息令嬢が、やれ真実だのと叫び、自らは正しきを行うものぞとかつての伴侶の成り損ないを罵倒するという。
狂ってる。そう思わずにはいられない。そして、本日に於いては私がその対象となった。
一つ現状報告をしておくならば、私はこのかつての婚約者を愛してなどいない。
私という女は拾ってくれた家の部品であり、義父の供物として差し出された物にすぎず。
だからこそ冷静であり、だからこそ困惑していた。
彼は曲りなりも王子である。その身分に於いて上は無く、それ故に身勝手とは誰より離れた人間でなければならない。
が、この様だ。期待をし過ぎていたのだろうか? 低く見積もったハードルを潜ってくるとは思わなかった。
「このまま引き下がらなければならない貴様は哀れだな。慈悲の心を持って教えておく事に感謝すると共に、だ。……その心に深く刻み込め。貴様は死ぬまで惨めでしかないとな」
「……ならば土産として傾聴致しましょう。それで、貴方様が相応しきと見染めたお方がおありだと?」
「そういう事だ。流石に流石だ。媚びるのが上手い! クァッハッハッハッハ!!」
何が可笑しいのか?
その高笑いはまるで、山道を通り掛かる得物を見下ろす崖の上の山賊が如く優美な上品さだ。
「ようは家格。がそれ以上に可憐さだ。貴様には無い貴族の資格を並みを超える程に持ち合わせたと言えば……気分も晴れる、そうだろう? この優しさを貴様に見せるのも最後と思えば、申し訳なさすら感じるな。フフフ、フハハハ……!」
(疲れる。それもこれで最後だけど……)
この男に振り回され、思えば婚約に適した年齢を超えてしまった。それでも婚姻が結ばれれば関係の無い話だけど、それももう終わった。
もう婚約は見込めないだろう。けど、こんな男との縁が公的に切れるならば。
そう思えば、むしろ気が楽になれる。
私の身の上を少し語れば、本来ならば街の片隅でゴミを漁っていたはずの孤児。
それを、生まれつき体の弱い義妹の為の身代わりとして拾われた。貴族社会では割とありふれた話だ。貴族にとっては喜劇。
だが、その為に育てられた私は……。
「これからは好きなだけ野蛮を振る舞うといい。貴様らしく――血を流すようにやましく、な」
眉間に力を込めなかった私を自分で褒めるべきか?
私は義妹の身代わりであると同時に、言わば毒である。
襲い来る族を、時として自らの手で散らさなければならない。
生きて戻ればそれでよし。そうでなくとも、貴族の血は流れない。
どちらに転べど、義両親に損は無い。そういう制度が構築されているのだ。
その為の術。他者を害す武力を身に着けさせられた。
それを、この男は笑った。下々とは綺麗なる事は出来ないと。
未だ可笑しさに可笑しく。その男は自らに酔っていた。
(反吐が出る……)
城を出た私は、鉄の面を歪ませた。