急変
その日俺はいつも通りウズメプロジェクト本社ビルへ出勤し、いつものようにハーブティを入れ、朝のミーティングに備えていた。
所沢室長も着席しており早番のシフトメンバーである、かれん、大熊、伏見、兼人も揃っていた。
ミーティングが始まろうとしたタイミングで所沢がふと片手をあげてから内ポケットからスマホを取り出し耳元に持って行く。
「わかった、すぐに向かう。大丈夫だ。ここにいる。二人ともだ。ああでは」
そしてこちらに向きなおり俺を見た。
「緊急事態が発生した。長谷川、星野は俺と梶原病院へ行くぞ。伏見、大熊は通常業務に専念してくれ。必要なら出先から指示を出す。頼んだぞ」
緊急事態?いつもなら俺には念話で先に要件だけでも投げてくるはずだが・・・
「長谷川、星野急げ!」
「はい。」
俺たちは本社ビル前からタクシーで長谷川総合病院へ向かった。
昨夜も来た場所だが、夜に来ることが多いため、朝の雰囲気はまた違って見える。
すぐに医院長室へ向かうと思われたが、そのまま特別室の方へ所沢は向かっていた。
嫌な予感がする。
いや、麗子が目覚めたということも考えられる。
所沢が念話を封じているのはサプライズのためなのか?
かれんの顔色が悪い気がする。
ちょっと急いだから少し貧血気味になったのかもしれない。
麗子の特別室へ入室する。
ベッドの周りには大量の機器が持ち込まれ、ベッドは薄いカーテンで覆われ中が見えない。
俺は立ち尽くした。
時間が凍り付いたようだ。
梶原医院長が振り向いたゆっくりと
所沢が俺の前をスローモーションのように梶原へ向かう。
『長谷川!』
かなり大きく響く念話で俺は呪縛を解かれた。
急ぎベッドサイドへ向かう。
カーテン越しにはいつもと同じ姿勢で横になっている麗子だが、体中にチューブやコードが絡みついている。
「なにが・・・」
俺は声を出したがどこかしわがれた他人の声のように響いた。
「長谷川くん、状況だけ説明する。まずは座りたまえ」
簡易チェアに腰を下ろした梶原は坦々と話し始める。
「本日午前9時05分、山本麗子さんの心肺が停止した。すぐに蘇生措置を行い、心拍は復帰した。今は人工呼吸器により延命処置を行っている。」
「・・・」
梶原の声は聞こえている。理解もしている。
「今後の処置だが、脈が安定しない。またいつ心室細動を起こしても不思議ではない。」
「それで、その状況を打破する手はあるんだろ?」
所沢の声が聞こえる。
「心拍を安定させる薬剤は投与している。いつVFが出ても対応できる準備は整えた。だが根本的な原因が不明だ。一般的には心不全、突然死と言われるヤツだ。心因性の可能性が高いが、彼女は眠ったままだ。対応が難しい。」
「・・・」
梶原の声も所沢の声にならないうなり声も良く聞こえている。
「具体的に・・・どうしたらいいんでしょう?」
俺はそう言うのが精一杯だった。
誰にも答えなんて出せない内容を具体的に示せと言われても答えようはないだろう。
「長谷川くん・・・」
梶原が申し訳なさそうに俺の名を呼んだ。
それでなんとなく分かってしまった。
麗子はもう助からない。死んでしまう。いなくなってしまう。
「長谷川、落ち着け。まだ何かあるはずだ。」
所沢は励ますように声を掛けてくれるが、分かっているのだ。
所沢にも案などないのだ。
「長谷川さん」
かれんが後から声を掛けてきた。
何かを決意したような声だった。
「わたし、今、なんか分かった感じがします。」
かれんも混乱しているのだろう。何を言っているのか分からない。
「星野くんどういう意味だね?」
「説明しづらいんですが、新たな世界が見えたというか、行き止まりだと思っていた先に踏み込めたような」
「それはスキルがの話か?」
「スキルというか在り方?存在?みたいな感じが」
「それで?今の状況と何か関連があると言うことでいいのかね?」
梶原が話に入る。
「わたしの前世は知ってますよね?」
「サキュバス、夢魔か!夢に入り込めるということか?」
「たぶんですが・・・やったことはないのでけど、さっきやり方が分かったって言うか・・・麗子さんを助けなきゃって考えてたら」
俺は黙って聞いているしかなかった。
まだ頭の整理が付いていない。
「とりあえず出来ることは全てやってみよう。ただ、星野くん自身は大丈夫なのか?」
「わかりません。やってみないとなんとも言えないです。」
「星野くん。まずはテストをしてみよう。どのようなことが出来るのか、そのリスクも不明なまま突然山本さんのような重篤な状態の患者さんに、なんというかアクセス?するのは危険だと思う。」
梶原医院長が正論を述べる。
「幸いと言うわけではないが、ここは設備の整った病院だ。その夢にアクセスするテストを数回くりかえす程度の時間くらいはなんとかしてみせる。」
俺は放心したようにその様子を見ているしかない。
「長谷川!しっかりしろ!」
所沢が俺を揺する。
「分かってます、所沢さん。俺自身悪い夢を見ているようで・・・だめだ俺は役に立てない。この状況の麗子を救うことは俺には出来ない・・・」
放心状態から発作的に虚無感が俺を襲う。
「しっかりしろ!」
所沢が正面から俺の目を見据える。
途端に頭がクリアになってくる。切迫感が消え解放された気分になる。
これは恐ろしい。危ない薬のようだ。
「室長、すみません。なんか気が動転していたようです。」
「仕方ない。気持ちはわかる。」
俺はクリアになった頭で考える。
麗子が眠りから覚めない理由は何千回と考えた。
現実に戻りたくない、目が覚めたくないと思わせる事が眠っている頭の中で起こっているのではないか?
それは悪夢なのか、楽しい記憶に逃げているのかは分からない。
相手と会話することで心の中を覗くような所沢のスキルでは入り込めない。
麗子の現状は夢の中に入り込むというおとぎ話のようなかれんの能力がどれくらい通用するのか?
「星野くん、やってくれるか?」
俺はかれんの目を見つめて言った。
「もちろん、そのつもりです。」
間髪なく答える星野かれんが頼もしかった。
梶原総合病院では即時に実験の手はずが進められていた。
まず、誰か被験者を用意してその夢の中に入るという予行演習が行われることになった。
ちょうど夜勤明けの看護師の中にかれんのファンがいると言うことで、その彼女、中嶋紫音さんに協力して貰う。
かれんが自分が勤める病院に時折来ているという噂は聞き知っていた彼女だが、さすがに医院長に「会わせて欲しい」とは言えないので偶然出会える事を待ち望んでいたようだ。
と言うような情報はもちろん所沢が仕入れた話だ。
「お疲れ様です。中嶋さん、今日はちょっとしたイベントで星野かれんさんがあなたにインタビューしたいと言うことで、特別室を用意しました。」
「は、はい!医院長!」
緊張からか期待からか声がうわずっている。
「気を楽にしてほしい。星野さんとのトークについては録画させて貰うがかまわないかね?」
「もちろん大丈夫です!」
「その動画はネットには流さないと言うことは確認書を貰っているので安心して下さい。」
「かれんチャンネルで、配信はしないんですか?」
「そう聞いている。なんだか残念そうだね?」
「そういう訳ではないのですが・・・やっぱりかれんちゃんと話が出来てるって他のファンに差をつけれるって言うか・・・」
「そう言うモノなのか・・・まぁ、君はこれで星野さんとの間を一気に詰めることが出来るチャンスだ。表に出る出ないにかかわらず、星野かれんを独り占めできる時間を手に入れたということは得がたい事実だ。」
「そうですね。医院長!」
被験者一号確保
被験者二号は男性を選ぶことにし、やはり夜勤明けの岡田敏明という研修医を捕まえた。
「岡田くん、少し実験に付き合ってもらえないかね?」
「い、医院長!何でしょうか、まさか人体実験の・・・」
「何を言っているんだ。なに寝てる間に終わるような簡単なお仕事だよ。そうだな、お礼にドンペリニヨンのロゼを一本進呈しよう。」
なんだか男性研修医に対しては梶原医院長の対応がぞんざいな気がするが、よしとしよう。
まずは被験者一号の中嶋看護師だ。
緊張をほぐすという名目で睡眠導入剤を飲ませる。
夜勤明けと言うことであっという間にうつらうつらと目の焦点が合わなくなる。
「中嶋くん、疲れが溜まっていたようだね?星野さんのインタビューまで1時間ほどあるから、そのベッド横になっていたまえ。始まる前には起こしてあげよう。」
「はい、ありがとうございます。」
「良い夢を」
あっという間に中嶋紫音は眠りについた。
中嶋看護師には心電図やら脳波測定器やらが取り付けられ、考え得る全てのデータ収集の準備が整う。
「星野くん、準備はどうだ?」
所沢が確認しているがもちろん所沢のことである、心は読めているはずだ。
「もちろん大丈夫です。始めます。」
中嶋の横たわるベッドサイドの椅子に腰掛けたかれんが目を閉じ深呼吸をする。
右手のひらを中嶋の額にかざす。
この動作自体、かれん自身も初めての行いなのだろう。
スキルを発動するにあたって自分の知る限り何らかの予備動作、ルーティンを行うことでイメージを高められる。
自分の場合前世の記憶が完璧にあるため、創造のスキルの熟練度が高い。予備動作無しで発動できる。
ただ、新たに獲得した分解のスキルは対象に右手のひらを向けて意識を集中しないと発動が遅い。
所沢にしてもそのような感じなのだろう。
中嶋看護師の様子を伺うと特に変化はない。
脳波の動きはどうか?
梶原を見るとモニターとかれんが同時に見れる位置に陣取り腕組みをして集中しているようだ。
「そろそろみたいだ。」
所沢がつぶやく。どうやらかれんの心を読んでいるようだ。不測の事態があればすぐに中断させるつもりなのだろう。
この状態がいつまで続くのか?
5分ほどもした頃だろうか、かれんがかざしていた右手を自分の膝の上に置き目を開いた。
「どうだった?」所沢の問いに
かれんは軽く頭を振ると
「夢には入れました。最初は中嶋さんの夢をただ俯瞰から見ている感じで干渉するのはちょっとまだ難しい感じでした。これは慣れが必要かもしれませんが、なんとなくやり方は分かった気がします。」
「では、続けて岡田医師の方をお願い出来るかね?」
梶原は容赦がない。
「星野くん、一度休憩を入れようか?」
見かねた所沢が声を掛ける。
「・・・そうですね、一度頭の整理もしたいですし、5分だけお時間を頂きます。」
かれんは一度部屋を出た。
「長谷川、どう思う?」
「所沢さんこそ様子を覗き見していたんでしょ?」
「人聞きは悪いが、確かにその通りだ。俺が考えるに、これは星野くんだけが夢に入るのではなく、星野くんを媒介にして誰かがその夢に入るという選択肢もあるような気がする。」
「どういうことです?」
「この言い方は正しいかどうか分からないが、星野くんが睡眠中の誰かの夢への扉を開く事で、その扉を通り、別の人間が夢に入るという感じだな。」
「一緒に入る誰か・・・」
「俺のスキルでもう一人の誰かを夢の中に入れることが出来る気がする。」
所沢の言うことはこうだ。
まず、睡眠状態のAの夢の扉をかれんが開けて、所沢が別のBの精神をAの夢に送り込むという二人がかりのコンビネーションだ。
所沢とかれんのコンビ技は最近息が合ってきていると聞いている。
が、そんなことが出来るのか?
「星野くんが戻り次第、次の被検体に試してみよう。」
「準備は完了しています。」
梶原の案内で中嶋看護師とは別の部屋に入ると岡田医師がベッドに横たわり機器が用意されていた。
「梶原、今回はちょっと違うアプローチをしてみようと思う。」
「どういうことだね?」
所沢は先ほどのコンビ技を説明した。
「確かに面白いです。が、誰が夢の扉をくぐるんですか?私はモニターを見ていないといけませんが」
言いながら俺を見る。
そうだろうとも。ここには4人しかいない。
必然的に俺しかいない。
「まぁそう言うことだ。頼んだぞ。」
所沢がしれっと言ってくれた。
「・・・わかりました、やりますよ。で、どうしたらいいですか?」
「そうですね。長谷川さんも私の隣で椅子に腰掛けてリラックスしてもらえますか?」
かれんには既に所沢から念話でコンビネーションについて打ち合わせが終わっているようだ。言葉で説明するよりも早く綿密に伝わるのだろう。
この能力は指揮官としては非常に有効だ。
それはさておき
「始めるぞ長谷川。リラックスだ。」
「始めます。」
所沢に続いてかれんが手短に実験の開始を告げる。




