ハザード
公序良俗の観点云々以前に、これは止めねばなるまい。
飛び起きるようにして海藤茉鈴が身を起こす。
思ったより落ち着いた表情を見せている。
口元を右手の甲で拭う仕草はビールのCMを俺に思い起こさせた。
ただ左手は葛原の口元を隠すように顔に置かれたままである。
葛原の方は顔を押さえられているが、足をばたつかせ身体はくの字に折り曲げ茉鈴の左手を両手で掴んでいる。
「何をしているんですっ?!」
俺は大きめの声で警告を発するが、まだ言い方に遠慮があるのを自覚する。
俺は足早に二人に接近するも、下生えの草木に足下を取られそうになる。
葛原がウォーターハザードである可能性がほぼ消えた。
ただの女を食い物にしている成金野郎だ。
と言うことは・・・
海藤茉鈴がウォーターハザードなのか?
まだ推測の域を出ない。
確証は無い。
二人まであと5メートルというところで葛原の身体から力が抜けた。
ぐったりと動かなくなる。
ヤバいんじゃないのか?
ここで人死にを出すわけにはいかんのだよ!
俺はインカムをオンにする。
『どうした長谷川』
「葛原が海藤に倒された模様!彼女が組織のメンバーかもしれません。」
『応援を送る!牽制しつつ見逃すな!』
「了解」
茉鈴は葛原が動かなくなると静かに立ち上がる。
自然体の立ち振る舞いが逆に俺に警戒心を抱かせる。
「何をしてるんです?倒れている人は?」
質問を重ねつつ歩み寄る。
「あなたスタッフさんね?」
海藤茉鈴は何もなかったかのように俺に話しかける。
「ナンパされて着いてきたら、いきなり押し倒されちゃって・・・」
「なぜその人は倒れてるんです?直ぐに処置をしなければ」
そう言いながらも俺は最終的な間合いに入れないで動きを止めていた。
葛原を死なせるわけにはいかないが、もし海藤茉鈴がウォーターハザードであり、特殊スキルで葛原を倒したのであれば、俺も同様に無力化される可能性がある。
こんな時、所沢なら・・・
「あんたは、ユニオンのメンバー、ウォーターハザードなのか?」
俺は威圧を込めないように注意しながら大声で問う。
「ウォーターハザード?なによそれ?」
『彼女がウォーターハザードだ!』
インカムから所沢の声が聞こえる。
俺がオンにしているインカムを通して所沢が相手の心を読み取った。
相手がユニオンなら下手に手加減は出来ない。
俺はチタン製の鉄格子を海藤茉鈴改めウォーターハザードの頭上に創造する。
自重で落下するとウォーターハザードを捕らえる檻となる。
ただ葛原も同じ檻に入ることになるが、今が千載一遇のチャンスとみた俺はためらわなかった。
だが檻が二人を閉じ込めるより早くウォーターハザードは罠のエリアから転がり出る。
チタン製の檻はむなしく葛原一人を閉じ込める結果となった。
「危ない危ない・・・お兄さん、スゴいことするね?」
2メートルほど距離をとったウォーターハザードが俺に話しかける。
あの位置からどうやって落下する檻を躱したのか?
どういう能力を持っているのか?
水死させるという意外の情報は今まさに把握していくしかない。
檻がダメなら
リッパー中山には防がれてしまったが、鉄の棺桶だ。前後左右上下を鉄板で囲んで動きを止める。
一瞬、密閉できたかに見えたが内側からの圧力で四方に鉄板が開き、隙間からスルリとウォーターハザードが抜け出してくる。薄い着衣が水に濡れて透けている。
心理攻撃まで仕掛けてくるのか?
ウォーターハザード自身が片手で胸の辺りを覆っている。本人もそのつもりではなかったようだ・・・
「お前の目的はなんだ?」
俺は一呼吸置くために質問を投げた。
切り裂き魔の中山とは少し雰囲気が違うのを感じたからである。
快楽殺人的な感じがしない。
「あんたこそ、人の仕事の邪魔をしておいて何の話なんだよ?」
話が少し食い違う。
「お前はコードネーム、ウォーターハザードだな?」
さっき所沢が太鼓判を押したので間違いはないはずだ。現に水を使った攻撃もしている。
攻撃?そう言えばこの女は俺にまだ一度も攻撃を仕掛けてはいない。
「仕事とはなんだ?窒息させた男を殺すことが仕事か?」
窒息させて殺すと言う部分は推測でしかないが、水を使って殺すと言えば窒息だろう?
「依頼主からはそう呼ばれているけどね。自分で名乗ってる訳じゃない。そもそもその名前は好きじゃない。」
俺もティンダロスなんて名前はイヤだ。俺は少しだけ共感した。
「依頼主とはユニオンのことだな?」
ウォーターハザードはそっぽを向く。
どう考えてもYESにしか見えない。
「お前とユニオンの関係は?」
できるだけ背後の関係は明確にしたい。それでなくても相手の全容が捕らえられないでいるのだ。
「ただの仕事の間柄だよ。お得意様ってところだね。」
請負で殺人を行っているということか?
「そっちこそ、何なんだよ?警察ではないようだし、なんでかれんちゃんのイベントに・・・」
どうもちぐはぐな会話になっている。
ただ、葛原の方は早く処置しないと手遅れになりそうだ。
名前の通りクズのようだが、死んで貰うとこちらが困る。
俺はウォーターハザードに注意を向けながら葛原の様子をチラ見で伺う。
口元から水が垂れている。
間違いない。山路氏や内藤氏と同じく呼吸器官内を液体で満たされているようだ。
俺は葛原が仰向けに倒れているのを確認し、胸の上の50㎝の空間にボーリングの球を作り出す。
そのまま落下させる。
鈍い音が聞こえ、葛原の口から幾分かの水が流れ出す。
「何やってんの?」
と言われるが、たしかにボーリングの球では無理っぽいな。
とにかく、先にウォーターハザードを無力化する必要があるが・・・
俺は不思議に思った。
なぜこの女は隙だらけの俺を攻撃してこない?
ボーリングの球を創造している間、少なからず注意が逸れていたのは分かったはずだ。
「ねぇ、あんたイベントのスタッフだよね?」
突然の質問だ。
「ああ、そうだけど。」
「かれんちゃんとどんな関係なの?」
かれんちゃん?そう言えばこの女、星野かれんをかれんちゃんと呼んでいるな。
「・・・仲間だ。」
俺は一瞬迷ったが、仲間という表現にした。
同僚というよりは親密度が高く、友達と言うには背負っているものが多い。
「仲間か・・・それでその男が死んだら困るんだ?」
「今、死なれるのは困る。もちろんかれんも困る。」
俺はカマを掛けることにした。
ウォーターハザードこと海野茉鈴は古参の星野かれんファンだと言った。
それならば手を引くのではないかと期待したのだ。
「でも受けた仕事はやらないと、信用が大事だからね。」
無理か・・・いやまて、俺たちが困るのは葛原が死ぬことか?
「妥協案だが、聞く気はあるか?」
「なによ?」
「葛原にはいま死んで貰うのは困る。と言うより、イベント中に死なれると色々困ることがある。イベント中の事故は星野かれんに傷が付く。だが明日以降なら俺たちは関知しない。」
結構下道なことを言っているのは承知しているが、今は直ぐにでも蘇生を開始しなければ死んでしまうだろう。死んでからでは俺や梶原のスキルでも助けられない。
「イベントが終わったらもう手出ししないって事?」
「そうだ。」
「でも、私も顔を見られたしなぁ・・・次は簡単にいかせてはもらえないからなぁ・・・」
確かにそうだが、こちらとしてもイベントのトラブルの観点から葛原には余計なことを覚えていて欲しくはない。
「それは大丈夫だ。この男の記憶は抹消することが出来る。」
「そうなんだ。便利な能力ね。」
「嘘ではない。」
「あ、室長・・・」
所沢が現れた。
「君がウォーターハザードなんだな?」
「だからその呼び方は止めてよ!なんかゴルフのペナルティみたいじゃない!」
海藤茉鈴は2対1の状況でもひるんでいるようには見えない。
お互いに殺意を持っていないことは分かっているからなのだろうか?
「失敬、リッパーがそのように呼んでいたので通り名として本人も納得しているのだと思っていた。」
言いながら所沢は俺に目で合図する。
俺は葛原の上に覆い被さっている金属の檻とボーリングの球を分解して、口からあふれ出た液体を分析する。
ほぼ水である。が、有機物が混じっている。簡単に言うと水で薄めた唾液というところか
成分が分かれば気管や肺に詰まっている同成分の液体を分解するのも可能だ。
ただ、既に葛原は心肺停止状態だ。
俺は胸骨圧迫による蘇生を試みる。
まだ心臓が止まってそんなには経っていない。
本当はAED、除細動装置などがあれば良いのだが、あいにく近くにはそんな便利なものはない。施設の管理棟にはたしか置いてあったが・・・
所沢が海藤茉鈴から目を離さず俺に指示する。
「目一杯いけ!大した義理もないヤツだ。それにもう残り少ない命だ。今だけ生きてりゃそれでかまわん。」
結構な言いようである。非人道的にも程があるが、人のことを言えた義理ではないので、言われたとおり骨折する勢いで数度圧迫をくりかえす。
「ちょっと、話は終わってないわよ。私の仕事はどうなるのよ?」
海藤茉鈴は所沢にクレームを入れる。
「俺たちは・・・ティンダロスくんが言ったようにその男に用はないが、後一日くらいは生きていて貰わないと困るんだ。記憶は私のスキルで消去できる。何なら、君と良い雰囲気になったという別の記憶を上書きすることもできる。」
「じゃあ、私と出会わなかったって事にも出来る?」
「もちろん可能だ。」
俺が力一杯葛原を殴り続けている間にそんな会話をしているのが耳に入ってくる。
『ごふっ!ごふ、ごふ・・・げほ・・・』
葛原が息を吹き返したので殴るのを止める。
「時間がない。どうするね?」
『どうするね』の声音だけ少しトーンが低い。
「そうね。あと一つだけ条件を飲んでくれるならかまわないわ。」
その条件を室長が了承したところで葛原は別の記憶を上書きされ、少なくない量の酒を飲まされることになった。
酩酊状態の葛原を俺が背負って彼の仲間に届けることで葛原についての話は一旦終了した。
後はその後始末だ。
これが結構面倒である。
まず、葛原と海藤茉鈴とが一緒にいるという痕跡を全て消去するため、GTR、TKO、ウズメのスタッフの記憶を上書きする。
ドローンから送られていた情報に基づくデータの消去。
室長一人では時間が掛かるため、大夕食会の審査後にかれんと合わせ技で一気に記憶の改ざんを行うことにした。
そして、海藤茉鈴の条件についてだが・・・
「きゃー!かれんちゃん!」
夕食会の合間に海藤茉鈴を星野かれんに引き合わせること
「これはどういうことですか?」
かれんはまだ何のことか分からない。後で説明するとして
「彼女は海藤茉鈴さん。星野くんと仲良くお話がしたいということでお連れしました。」
「なんですか?長谷川さん。なんか変ですよ?」
「色々あってですね。とりあえずちょっと二人でおしゃべりなど、お願いします。」
無理矢理かれんを海藤茉鈴と二人にしてしまう。
「あとで事情は聞きますからね。」
やれやれ
リッパー山中の時のような大事にならないで済んだのはありがたいが、ウォーターハザードの正体は星野かれんの大ファンの二十代の女子とは・・・
彼女の過去に思いをはせると気分はやるせなくなる。
聞いたわけではないが、ウォーターハザードとして闇の仕事をしていた年数を考えると15歳くらいからは殺しの仕事に手を染めていただろうということは想像が付く。
あまり考えない方が良いのかもしれない。
俺は所沢室長と事の後始末に集中することにした。




