非日常的日常
兼人と村長(伏見)を中心にして運営された6月の月例オフイベントは好評に幕を閉じた。
梅雨入り直前企画として「雨でも楽しいキャンプのあり方」と言うのが今回のテーマだ。
マスターエルクの高波さんは型落ちのレインコートやポンチョをイベント当日の即売会で在庫を持ちだし見事完売させていた。
新企画の自立タープのお披露目も目玉企画の一つで、UVカットはもちろん、防炎浸透防水素材を贅沢に使った新型はシックなアースカラーとビビッドな自然の中で鮮やかに映える2カラーのお目見えなのだが、量産する際は一色に絞るとのことで、人気投票も行われた。結果はまだ発表されていないが、かなり拮抗していたと聞いている。
最近は運動会などで使われる真っ直ぐなアルミ脚のタイプが人気だが、高級路線は幾何学的な張ったときの美しさを競う傾向もある。
某有名メーカーのシェルタータイプは「誰が買うねんっ?」ってツッコミが入りそうな程に高価だ。
高波曰く、現実離れした価格の商品は一部の熱狂的ファンしか買わないので、生産数が少なく余計に高くなってしまう。それよりも多くのキャンパーが購入できる価格帯で高性能、デザインも優れているものを提供することにメーカーの矜持を感じるのだそうだ。
確かにマスターエルクの商品にはカトラリー一つにしても、そういう気概が感じられる。
昔はマスターエルクの製品は「安かろう悪かろう」と言われたものだが、この10年は品質の向上に努め、クオリティの高い商品をリリースしている。
ただ品質を向上するだけではなく、価格を抑える努力もなりふり構わずやっていくというのが高波の方針だ。
今回のオイルマッチの製造を時計の部品メーカーに任せたのもその一つである。
あれからクラウドファンディングの達成率は200%を越える勢いで伸びている。
利益は薄いが、品質の高さと認知度アップには貢献したはずである。
イベントで警備担当していたGTRのメンバーからもシステムのブラッシュアップが出来たと報告が上がっていた。
俺たちは日常を生きる上で日々の生活が当たり前になってくる。
慣れると言うことはその状況に順応するということで、人がより良く生きて行くには必要なことだ。
毎月のイベントを企画し、YouTubeチャンネルの視聴者数を増やし、クラウドファンディングで商品を紹介し、売上を立てる。
順調に業績は上がっている。
新たな事業展開も滞りなく準備が進んでいる。
だが、俺には何もかもが空々しく仮想空間で起こっているかのように感じてしまう。
現実感の欠如というか常に薄い透明な幕越しに日常を生きているような気がしてならない。
前世のほぼ完全な記憶がよみがえり、それまでの24年間の記憶がまるで映画を見ていたかのように非現実感と共に退色していく。
しかし今の人生はその先に続いているもので前世の人生は文字通り終わった人生なのだ。
俺はまるで俺の人生を横から観ている傍観者のように感じることがある。
それは所沢のスキルによる心が壊れないための処置なのかどうかは判断がつかなかった。
そして俺はまた一つ年齢を重ねた。
今年は周りの連中が変に気を利かしてか、俺が出勤すると机の上にメッセージカードが置かれていた。
「お誕生日おめでとう!」という言葉と、メンバー全員の署名があった。
この字は兼人の字だな。
直情的な性格の割に字が丁寧でキレイに整っている。
署名を見ると一人ひとり字にその人の性格というか、雰囲気が出ている。
「ありがとう」
俺はカードを鞄にしまい込んだ。
仕事帰りに日課になっている梶原総合病院へ向かう。
帰宅ラッシュの地下鉄に乗り、3駅、駅からは徒歩3分だ。
大手スーパーの横手の階段から地上に上がり、右に曲がる。角には小さな花屋がある。
飲食店が数店建ち並ぶ細い路を50mほど歩く。
無意識に同じ道の左側を歩いている。
受付の事務職員が若干気の毒そうな顔をして俺を見送る。
意識の戻らない恋人を毎日見舞いに来る哀れな男と思っているのだろう。
エレベーターに乗り特別病棟へ向かう。
麗子の部屋は特別病棟の中ではこぢんまりとした作りの部屋だ。
一応、ノックをしてからドアを開ける。
自律呼吸はしているので心電図と点滴以外の特別な機器は装着されてはいない。
窓際に置かれた花瓶にはアジサイが活けられている。
俺が来る前にすずめが見舞いに来たのだろう。
顔を合わさないように俺は30分ほど遅くに来ることにしているし、すずめも直ぐに帰るようにしているのを知っている。感謝しかない。
俺は麗子のベッドサイドの椅子に腰掛け、手を握り心のなかで話しかける。
『早く起きろよ。嫌な記憶は全部所沢さんに消してもらおう。君はあの日、自宅に戻り意識を失って倒れたんだ。そして今ベッドで起きるのを待っている。
嫌なことなんか何も無いから、そろそろ起きろよ。』
何回同じように話しかけたか分からない。
麗子は今日も起きる気配がない。
ミーティングが始まるまでの少しの時間、俺は麗子の手を握り続けた。
そして俺は心のスイッチを切り替える。
今夜もビジランテのメンバーが集まっているのだが、部屋はいつもと違い麗子の隣室に有る特別病室だ。ケータリングサービスを使いちょっとしたというか、豪華ホテルのレストランのようになっている。
「長谷川君。毎日山本君の見舞いに来ては、しみったれた顔をしているのを見るのもそろそろ我々も食傷ぎみなのだよ。」
珍しく梶原医院長が言った。
確かに反論の余地はないが、面と向かって言われるのは辛い。
普段はあまり人に興味の薄い人なのだが多分このしつらえの照れ隠しなのだろう。
「まぁまぁ、梶原先生。」
所沢は相変わらずである。
「珍しく医院長先生が、長谷川さんの誕生日だからとケータリングを用意してくれてね。お祝いしましょう、と言ってくれたのよ。」
「私は、別に。そういうのは苦手なので・・・」
「ここの病院はVIPが多いだろ?こう言うサービスもよく使うのだそうだ。」
言いながら所沢はシャンパンのボトルを持ち上げてみせた。
ドン・ペリニヨンのロゼか
いわゆる「ピンドン」と言うやつだ。
クラブで開けるととんでもない値段がすると言う。
「さすがは梶原先生ね。うちのお店なら一本12万円はするわよ。」
ホントにとんでもない・・・
「酒屋からまとめ買いするとそこまで高くはない。うちのVIP用に特別棟の冷蔵庫に何ケースも置いてある。気にするほどのものではないよ。」
なぜ病院に高級シャンパンが何ケースも置かれている理由がいまいち理解できないが・・・
「それはな長谷川。最高難度の手術が成功した、病院からVIP患者へのお祝いのプレゼントだ。」
「術後すぐに酒なんて飲めるんですか?」
「これは治療の一環だ。患者は本人だけじゃない。この日本までわざわざ手術のために同伴してきた家族や友人。彼らはみんな患者の一部だ。その彼らに手術は成功しもう心配ないと思わせる演出であり心のケアでもあるのだ。」
なるほど、そうやってVIPの世界での口コミが広がっていく訳か・・・たぶんこの脚本は所沢だろう。
「今日は長谷川の誕生日だ。これからサプライズだ!」
所沢が言うと、特別室の壁が開いて隣の麗子の部屋と繋がる。
こんな仕掛けが有ったとは・・・
「室長!待たせすぎですよ!」
兼人が麗子のベッドの横から顔を出した。
栄美、すずめ、村長、大佐、回復魔法使いとメンバー勢揃いである。
全員麗子のことを気に掛けているメンバーで俺の大事な仲間だ。
そうだった。俺は天啓を受けたような気がした。
仲間がいる。
「長谷川、いい仲間だな。最高だ。」
ちっ、所沢室長はずるい。おれは鼻の奥がツンと痛くなる感覚に思わず上を向く。
「なんだ?祐介、泣いてんのか?」
「お前こそ、泣いてるじゃねぇかよ!」
同期のみんなは全員泣き笑いのような表情だった。
すずめに至っては声を上げて泣いていた。
「泣くな小鳥遊。麗子は絶対に目を覚ます。俺が絶対に起こしてみせる。」
俺はいつになく熱くなっていた。
いつの間にか参加していたウズメプロジェクトの大井Dがシャンパンをグラスに注ぎ、テーブルに置いていく。
グラスが行き渡ったところで、所沢がグラスを持って音頭をとる。
「今日は長谷川祐介くん25歳の誕生日だ。皆で祝おうじゃないか。この1年は色々あったが、メンバー全員の意志が同じ方向に向いているならば、どんな壁があろうとも、それを打ち壊し、明るい未来をつかみ取ることが出来ると私は確信している。共に歩み共に戦い、共に勝ち取ろう!」
誕生日の乾杯の音頭と言うより革命の決起大会みたいな熱量になっているが・・・
「最後に、今回のパーティーのしつらえについては梶原医院長のお心遣いで用意頂いた。今日は思う存分、英気を養い明日からの戦いに備えてくれ。乾杯!」
『乾杯!』
俺はふとベッドの麗子を見た。彼女の意識は未だ回復していないが、心なしか微笑んでいるように俺には見えた。
翌日、朝のミーティングを終えた俺は新化粧品の打合せの為にかれんと共にクロシエ本社で製造部との打合せに、室長と田代は時任副社長とのミーティングでやはり本社へ向かう予定だ。
村長と大佐は7月のオフ会の打合せでマスターエルクの高波氏とウズメビルで会議の予定が入っている。
兼人はGTOとの連携で警備部門の担当者と行動を共にしている。
栄美とすずめはコスプレイヤー関連の団体と何やら打合せの予定らしい。
全員の目がみなぎっている。
やる気に満ちているというレベルを超えたものがそこにはある。
これは所沢とかれんのスキルが発動しているようだ。
前から思っていたが、所沢室長は演説やプレゼンをするときに半分無意識にスキルを使っているのではないか?
かれんのスキルはもともと無意識下で発動していたものだし、この二人の混合スキルはある意味「混ぜるな危険」である。
ユニオンの動きが全く無い現在、俺たちはひたすら本業に精を出し、自分のスキルを磨くことに徹していた。




