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転生してサラリーマンになった  作者: リッチー
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パンドラの箱

 真っ暗だ。

 光というものが全く無い。真の闇だ。

 そうだ。これは俺の心の内側を覗いているんだ。

 俺は今、心の不干渉領域の淵にいて、それを覗き込んでいるのだ。

 まるでブラックホールだ。

 全ての光を飲み込む穴。

 何もかもどうでも良くなっていた。

 世界はいずれこの巨大な穴に吸い込まれて無くなるんだ。

 世界とはなんだ?それは人の心だ。人の心という宇宙の隅にある闇が不干渉領域だ。

 俺は今、それを覗き込んでいる。

 俺は失ってはいけないモノを失ってしまった。

 何を失ったかも考えることも出来ない虚無に包まれた俺の心。

 俺の心はそんなに強くない。それを押し殺すため普段接触しないで済む領域を心の中に作り出して触れないようにしている。

 子供の頃から辛いことがあればそうしてきたしその結果、大人びているだとか落ち着いているとか言われたものだ。

 両親が事故を装って殺された時にこの領域は一度あふれ出した。

 本当に事故だったならそこまで俺はおかしくならなかっただろう。

 だが、証拠はなかったが、俺にはなぜか分かったのだ。

 両親は殺されたと。

 警察では追えない犯人。殺されたという証拠がない事実。両親の無念を思い、俺の心はあっさりと壊れかけた。

 その頃から前世の夢をよく見るようになった気がする。

 無意識に生きることに集中した結果、俺は今も生きている。

 いや、生きているのか?この空虚な心は生きていると言えるのか?

 俺の意識はまた暗く深い暗黒へと落ちていく。


 「意識レベル300から復帰せんな・・・」

 「脳に異常は・・・あえて言うと異常は無い。そもそも一般人と比べて前頭葉の発達具合が異常なのだが・・・」

 「それはいい。その傾向は以前からあっただろう?」

 「しかし、この2日でまた肥大化している。グリア細胞を侵食しているという感じに見えるが・・・こんなことはあり得ない。ただ出血や梗塞、閉塞、壊死などの病理は認められない。」

 俺のベッドサイドで誰かが話している。

 所沢室長か、多分相手は梶原医院長だろう。

 「山本くんの方はどうだった?」

 「・・・うむ・・・何というか、あれだけ惨い身体は見たことが無いな。あれをやったのはもう人間と呼べない。有り体に言うと鬼畜としか言い様がない。」

 「今、彼女は?」

 「特別室に集中治療室の設備を持ち込んで対応に当たっている。四肢が切断されているのは知っての通りだ。眼球もえぐり取られている。生殖器もひどい損傷具合で生きていたのが奇跡と言っていい。これだけのことをされた初期に亡くなっていたとしても不思議では無いし、その方が彼女の為には良かったのかもしれない。」

 「・・・回復の見込みは?」

 「現代医学ではまず無理だ。脳の組織に損傷は無いが、あれだけ精神にショックを与えるような危害を加えられていては・・・普通の人間には耐えられまい。」

 「・・・そうか」

 俺はその会話の一部始終をどこかへ別の世界の話のように聞いていた。

 俺はゆっくりと目を開けた。

 二人は気がついていないようだ。

 身体を少しでも動かすという行為さえ面倒だ。そもそもどうやって身体を動かしていたのかが分からなくなったような気さえする。

 俺は無機質な天上を見つめていた。

 白い。だが白だけでは無い。所々に変色した箇所がある。それはただの経年劣化なのか何か汚れが付着して洗い流しても落ちないモノなのか分からない。

 ただそこには薄らとしたシミがある。ただそれだけの話だ。

 「長谷川?」

 室長が俺の覚醒に気がついたようだ。

 「気がついたのか?俺が分かるか?」

 所沢が俺の目を覗き込む。

 とたんに俺は現実に引き戻されるような気がした。

 「所沢さん・・・麗子はもう元には戻らないんですね?」

 「・・・それは・・・なんとも・・・」

 いつもの所沢らしくない。

 さすがにこの男でも疲弊しているのだろう。

 俺はベッドに起き上がる。

 「きみ、無理はいかん。もう3日も寝ていたんだ。身体がついてこないぞ。」

 梶原医院長が俺の肩を支える。

 「3日もですか・・・麗子の手脚は・・・」

 「難しいだろうな。さすがに細胞がダメになっている。」

 俺は少しすっきりした頭で考える。麗子の手脚のデータは俺の頭に入っている。

 後、足らないのは両目のデータだ。しかし、これも完全にコピーにはならないかもしれないが人間の眼球をサンプリングすることで、麗子の身体になじんだモノを作り出すことは出来るだろう。作り出すことはできても麗子にどうやって移植するんだ・・・。

 鈴木社長の時のように梶原に手術を頼むか・・・しかしこの異常な事実を梶原にどう伝えれば良いか。

 「長谷川、大丈夫だ。コイツも前世の記憶がある口の人間だ。鈴木社長の時に確信したんだがな。」

 そんなことだろうとうすうす思っていたが。

 「この際なので、色々聞いておきたいことがありますが答えてくれますか?」

 「答えざるを得ない感じだな。ああ、いいぞ。」

 「榊組襲撃の際に俺に何度かさっきと同じ様な催眠術?的なのをかけましたね?」

 「その通りだ。恐怖心を取り除き、人を害する禁忌を薄れさせた。」

 なるほどと思う。前世でも殺人は現在ほどでは無いが禁忌の類いだ。ゾーンに入っている状態としてもあれだけためらいなく人を攻撃することは難しい。

 「俺の仮説に過ぎないが、能力のレベルは前世の記憶の濃淡と比例しているように思う。長谷川はほぼ完全に近い前世の記憶があるが俺はなんとなくだったんだが、能力のあり方を考えてる内に少しずつ記憶が鮮明になってきているようだ。」

 所沢は少し目を閉じ、何かを思い出すようにしていた。

 「俺はある地方都市の領主だった。文明レベルはヨーロッパ中世のようだ。産業革命前だな。動力は主に人力や家畜頼りで、まだ蒸気機関は無かった。俺はそんな国で地方都市の圧政に苦しむ人たちを解放して国王から疎まれ、最後は王宮に呼び出されて罠にかけられた。それを知った領民が一斉蜂起し国は内戦に突入し、俺は反逆者として公開処刑にされた。まぁ記憶が戻ったのが先なのか、能力のレベルが上がったのが先なのかは分からないがな。」

 「それで梶原さんの方は?」

 「・・・私は・・・ほとんど記憶が無い。ただあまり良い記憶では無い気がする。」

 「梶原の能力は外科的手術に特化したような能力だ。正確に切り裂く能力とでも言うか、何処をどう切ればどのような結果になるかが分かるらしい。」

 「説明しづらいのだが、そうとしか言い様がない。」

 「カレンの能力は以前伝えたが、魅了する力だ。ただ彼女の前世は本人曰く人では無かったと言うんだ。」

 「人じゃ無い?」

 「魔族とか悪魔なんて呼ばれるもの達の一種だったと」

 「そういう人たちも転生するですね?」

 「転生とひとくくりに言っているが、この能力との相関関係について調べている組織は聞いたことがないし、基本的に世間一般に知られていないはずだ。」

 「それにしても俺たちの周りに多くないですか?能力者の人たちが」

 「確かにそれはそうだ。何か理由があっても不思議じゃないな。」

 「医学的な見地から言うとだ、能力者は多かれ少なかれ前頭葉の新皮質が肥大しているという特徴がある。ただ、長谷川君の脳の発達具合は見たことがないくらいに急に発現している。能力も所沢から聞いた限り、現在の物理法則を超越している。」

 「俺がいた前世ではそこまで珍しい能力ではないと思っていたんですが・・・」 

 戦闘能力に特化した人間の能力はもっと特異に見えたものだ。勇者の能力など城を一撃で粉砕したし、戦士やタンクの防御能力は魔物の牙も皮膚一枚傷つけることができなくなった。

 そうだ、ヒーラーの力が俺にあれば、苦労せずに麗子を元の姿に戻すことができたかも知れないのに・・・

 「長谷川・・・前を向いて進もう。もう俺たちにはそれしかない。」

 「そう言えば、俺が寝ている間に榊組の方はどうなったんですか?」

 「ああ、それだがな。組員全員が何者かによって殺害されたという話になっている。警察では敵対する組織の犯行の線で捜査が始まっていると関係筋から聞いている。」

 「毒島は?」

 「ヤツも例外じゃない。」

 「では情報は?」

 「大丈夫だ。死ぬ前にヤツが知っている全ての情報は聞き出した。生まれてからこの方全ての情報を聞き取るのは反吐が出る思いだったがね。」

 「で、どうでしたか?」

 「そう焦るな。おれもまだ整理がついていない。とにかくお前はもう少し休んでいろ。」

 「数日は精密検査をしながら入院していてください。病室も山本麗子さんの隣の部屋を開けていますから。」

 「梶原医院長、麗子には会えますか・・・」

 梶原は所沢の方を見やる。  

 「長谷川、山本君の状態は分かっていると思うが辛いものだ。どうしてもと言うのなら止めるようなことはしない。必要なら俺の能力で精神のガードを張ってもいい。いや張った方が良い。」

 所沢の言うことはよくわかる。実際、今の俺の状態も所沢のおかげで均衡を保っているのだ。さらに負荷が掛かることは所沢としても止めたいだろう。

 だが、俺もこの状態で腹をくくらねばならない。所沢は『榊組の組員は全員死んだ』と俺に伝えた。最初に路上に転がした男を含めて俺が昏倒するまで4人は生きていたはずだ。

 更にはその時に事務所から出ていた組員は?

 「何者かの手によって殺害されたと言ったろ?」

 そうだ、所沢は既に分水嶺を超えている。もはやこの事件に関与している『敵対者』を生かしておくつもりがないということだろう。

 所沢の表情は今まで変わったように見えない。これがこの男の凄みなのだろう。

 「所沢さん、俺もけじめを付けたいです。そのためにも今の麗子を目に焼き付ける必要があるんです。」

 「わかった。梶原、案内してやってくれ。」

 梶原医院長は肩をすくめて椅子から立ち上がった。

 「まだふらつくかも知れないから足下には注意して。」

 そう言うと、扉へ向かって歩き出した。


 俺たちは梶原を先頭にして特別室のフロアに到着した。

 「一番奥の部屋だ。」所沢が静かに言った。

 「その隣が今日からの君の病室になる。」それを受けて梶原がつか加える。

 俺は無言で麗子の病室の扉を開いた。

 静かだった。酸素吸入器は装着されているが、入院患者用の前開きの白い衣服を着た麗子がベッドに横たわっていた。

 目には真新しい包帯が巻かれているので表情は分からない。

 四肢が欠損しているため掛け布団の膨らみが本当に小さい。

 俺は目の前が暗転しそうになる。

 「長谷川・・・」

 所沢が俺を支えようと手を伸ばすが俺はそれを振り払う。

 自分で立たねば。

 今こそ、自分で立つのだ。

 全てを受け入れ、不干渉領域にしまい込んでいるものを全て吐き出し、俺は今立つべきなのだ。

 食いしばる口元から血が流れ落ちた。俺は全身全霊で今の麗子の姿を目に焼き付けた。

 「麗子、俺はお前をこんな目に遭わせた奴らを決して許さない。全能神の名にかけて俺は皆殺しにしてやる!」

 今、俺の中でパンドラの箱が解き放たれた。


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