M&Aは突然に
「祐介君!」
麗子の声で俺は目を覚ました。
「麗子・・・」
麗子がベッドサイドまで歩み寄る。
「所沢さんから聞いてビックリしたんだから!」
「悪かった。今何時だ?」
今の俺は時間の感覚が無い。朝なのか夜なのかさえ分からないほど熟睡していたようだ。
「もう朝だよ。8時くらい。」
俺は窓の方を見ると遮光カーテンの隙間から光が差していた。
「ずいぶん寝てたようだな。」
いつの間にか点滴のルートは外され絆創膏が貼られていた。
「社長は?」
「まだICUに入ってるよ。なんとか一命は取り留めたみたいだけど・・・」
「どうかしたのか?」
「脳の状態が良くないみたい・・・もしかしたら意識は戻らないかもってお医者さんが・・・」
なんて事だ。
せっかく助けたと思ったのに・・・
「祐介君のせいじゃないからね。悪いのは犯人だよ。」
確かにそうだ。犯人・・・そうだ。この事件にはもちろん犯人がいる。
絶対に許さない。
コンコン・・・
開いているスライドドアがノックされる。
「あーよろしいかな?」
わざとらしい所沢室長の声がカーテン越しに聞こえる。
部屋をよく見渡すと4人部屋を俺一人で使っている状況になっている。
「気にしないでいい。たまたま入院患者がいなかっただけだ。」
室長がカーテンを開けて顔を出す。
俺はベッドに起き上がる。軽い頭痛がするがこれは寝すぎたせいだということにしておく。
麗子が俺を支えてくれた。
「起き抜けに悪いんだが、その顔じゃもう聞いていると思うが、社長の意識が戻らない。今のところ犯人の手がかりもない。時任氏のアリバイもない。無い無い尽くしとはこのことだ。」
「せめて少しくらいは良いニュースも持ってきてくださいよ。」
「もちろん良いニュースもある。心臓移植は完璧に成功したそうだ。」
麗子は少し話しについて来れていないような顔をしている。
「長谷川は過労が祟ったんだろう。山本君、何か精の付くものでも作ってあげてくれないか?」
「わかりました。」
一緒に食べるときは、いつも俺が作っている訳なんだが・・・。
「長谷川、今日は落ち着いたら帰宅してよし。有給休暇にしておいてやる。あと、病院の費用は会社で払っておくから安心したまえ。」
そう言うと病室を出て行った。
「いったい何が起こっているの?」
室長は何処まで麗子に話をしているのだろうか・・・。
「所沢室長から何て聞いてる?」
「祐介くんが倒れて入院したとだけ」
室長は現状だけ話したらしい。
と言うことは、あまり外部には漏らしたく無いとも考えられる。
「実は室長と俺は会長の特命で動いていたんだ。もちろん鈴木社長の件でだ。麗子はヨツバの現社長の時任さんと鈴木社長の関係は知っていたか?」
麗子は少し考え込みながら
「いいえ。時任さんは取引先の社長とだけしか知らない。」
そうだろうな。ごく一部の幹部連中くらいしか鈴木社長と時任社長が異母兄弟だとは知らないはずだ。
だが、おそらく近日中にそれも発表される可能性が高い。
次に俺と室長がやらないといけないのは時任社長の無実の証明だ。
室長はただアリバイがないとだけ言っていたが、どういう状況なのだろう。
とにかく今は自宅に戻ることにしよう。
俺は麗子の手を借りながら帰路についた。
翌日、未だに軽い疲労かを携えながら出勤した俺に所沢室長が声を掛ける。
「どうだ?まだ本調子にはならないか?」
朝のミーティングの後で休憩室に誘われての話だ。
「ええまあ。」
「手応え的にはどうだったんだ?」
心臓の生成の話のことだろう。
「かなり無理をしたとしか今は言えないですね。」
「そうか。無理をさせたな。悪かった。」
妙に素直に謝られた。
「大丈夫です。初めての事だったのでずいぶんと無駄なプロセスが多かったという実感があります。次はもう少し楽に出来る方法を訓練しておきます。」
「次が無いことを祈るんだが、スキルをブラッシュアップしておくに越したことは無い。今後、何が起きても不思議では無い・・・という気がしないでもない。」
「微妙な感じで不吉なことを言わないで下さい。」
その後、会議室で所沢からは現在の捜査状況等を聞くことが出来たが、あまり進展は見られない様だ。
時任氏のアリバイについては18時から21時頃までヨツバの社長室で仕事をしていたらしい。社員も18時の定時に帰ったものばかりでそれ以降の時任社長のアリバイを証言できるものはいなかった。
株式会社ヨツバの本社事務所が入居しているビルは2階と3階をヨツバが賃貸しており、1階はエントランスとエレベーターホール、4階、5階、6階はそれぞれ他社の事務所となっている。最上階の7階は美容室が入っていた。
社長室は3階の奥にあるのだが、エレベーターホールから廊下一本で繋がっているため、誰にも見とがめられず社長室へと出入りができる。
会社の受付は2階フロアにあり、事務員が常駐していたがもちろん18時には引き上げてしまっている上、社長室からそのままビルを出て行くことも難しくない。
実際、時任氏から21時過ぎに退社して帰路につくまで誰とも会っていないと答えている。
時任氏の無実を証明するためには真犯人を見つけて動かぬ証拠を示すしか無いだろう。
もし山路社長と内藤常務を殺害し、さらに鈴木社長の殺害を試みた犯人が同一人物であるならば、なぜ鈴木社長のみ刺殺という方法をとったのか?
「まずは最初の2件の殺人事件の共通点を見てみよう。」
所沢室長はホワイトボードに被害者二人の名前を書く。
山路社長の下にヨツバ、代表取締役社長、1年前の3月15日、溺死、河川付近と縦に記入する。
内藤常務の下にもヨツバ、常務取締役、4月12日、溺死、高速パーキングエリアと記入した。
共通点は株式会社ヨツバの役員であること、死因が溺死であること。
所沢室長はホワイトボードを睨んでいる。
「他に何か共通点はないか?」
「関係はあるかどうか分かりませんが、この数年で不審な溺死をした人物との接点などから関係性は見いだせませんか?」
俺は思いついたことを伝えてみた。
「調べてみよう。そういえば、次の化粧品の件は進んでいるのか?」
資料は持っていないが覚えている限りで室長に進捗を告げる。
「小鳥遊がモデルになっての試作した化粧品のモニターを撮影するという話になってたと思いますが。」
「そうだったな。」
多分、室長はかれんの企画については把握しているはずだ。
わざわざ俺に質問したのは何らかの意図があると見ていい。
室長がニヤリと笑う。
そしてホワイトボードを消してから自席へ戻っていった。
午後になり、各部門長から社内ネットワークにより鈴木会長より特別に動画配信があるので仕事の手を止めてでも傾聴する様にと全社員に通達が流された。
多くの社員がライブで会長の配信を見るために待機している。
俺たち企画経営室の人間も今日はクロシエ本社ビルに戻り会議室で配信を待っていた。
『クロシエの社員諸君。私は前代表取締役社長で現在取締役会長の職にある鈴木です。この度、社長である鈴木雅俊が何者かに襲われ、瀕死の重傷でしばらくは業務に復帰することが叶わない状況にあります。』
本社内のどよめきが会議室にも届いてくる。
『私はこの会社の経営陣の一人として、通常業務に支障が出ないよう一時的にだが現場に戻ろうと思う。』
『そしてもう一つ、皆さんにお伝えしようと思う事がある。』
『このクロシエは創業以来、鈴木家が代表を務め現在に至ります。そしてそれ自体が私は害悪だとは思っていない。』
『現社長の鈴木雅俊は鈴木家の唯一の跡取りであると表向きにはされていたが、彼には弟が一人いることをここでお伝えしようと思う。』
社内の声を潜めたようなざわめきに満たされるのを感じる。
『クロシエは何があろうと、今までと変わらず揺るぎないという気持ちを持って業務に邁進して頂きたい。以上だ。』
ライブ配信が終了した。極短いライブだったが、このコンテンツは社員がいつでも見ることが出来るようアーカイブにされサーバーに保存された。
「どうなりますかねぇ?」
「まあ、なるようになるだろ。」
俺の質問に室長は素っ気ない。
「それより、今は自分の職務を滞りなく務めるのが大事なときだ。みんな、浮き足立つなよ。」
『承知しました。』
「長谷川、ちょっと来い。」
俺はまだ解放されないらしい。
「取締役会の招集があるようだ。会長からの指名で俺とお前も出席することになった。」
ギョッとする話だ。
「俺もですか?」思わず聞き返す。
所沢だけなら分からなくも無い。なんせ幹部の覚えめでたい出世株筆頭と言われているのだから。
俺は確かに異例の出世だがあくまで係長待遇の副室長だ。
ヒエラルキーで言えばまだまだ低層の住人のはずである。
「俺もな、2年目に係長になったんだ。その後、課長の期間が長いけどな。」
「権限だけなら部長以上と聞いてますが?」
「それはあくまで噂だよ。」
俺たちは社長室の前までやってきた。
秘書室長の三宅女史が出迎えててくれる。
「こちらへどうぞ。」
社長室に隣接する会議室へ通される。この会議室は重要案件のみに使用される防音のうえ電波も遮断する構造になっていたはずだ。
所沢がノックをする。
「入りたまえ。」
30人くらいは着席できる会議机の奥に会長が鎮座していた。
周りは専務や常務など取締役や部長職の数名が着座している。
「遅くなりました。」
所沢が言うと、俺たちは一番末席に着席した。
話は18時過ぎまで続いたが、総務部長辺りから会長が代表取締役に復帰する手続きについてや社内の業務についてが長かった。
なんとなくだが、時任氏の件には幹部連中も触れたくないという雰囲気がそうさせたように思われる。
「所沢君。ヨツバの時任君の件、皆に説明をしてくれんかね。」
しびれを切らしたように会長が口を開いた。
一同は一斉に口を閉じた。
「承知いたしました。では私の方から時任氏について説明させて頂きます。」
所沢は要点をまとめて報告する。プレゼン巧者だけあって見事な説明だ。
「聞いてもらったとおりだ。」
鈴木会長が口を開いた。
「時任文夫はわしの実子であることはここに明言しておく。この難局を乗り越えるためにはどのようにするべきか、わしは考えた。」
鈴木会長の視線がギロリと一同を見渡す。
「株式会社ヨツバを買収する。」
「ヨツバもクロシエも殺人という犯罪行為により痛手を負った。世間からは根も葉もない噂が流れることだろう。わしと雅俊、文夫のことも公にしたことで一時は世間の好奇に晒される事と思う。」
「なぜこのタイミングで、隠し子を公にしたかと言いたい者もいるだろう。これは布石じゃ。もしも雅俊が復帰できなくともクロシエブランドと社員その家族を守る責任はわしら経営陣にある!」
「ですが会長・・・」
たまりかねたように声を上げる谷口専務。
それを眼光のみで黙らせる鈴木会長の胆力。
「きみらの言いたいことも分かる。時任文夫は最重要参考人、いわば容疑者として見られている。そんな人間の会社の買収などとんでもないと考えているのだろう。だが文夫はやっていないとわしは確信しておる。そうだな?所沢。」
出席者全員が所沢室長に目を向ける。
「はい、間違いなく。」
室長はそう一言だけ述べた。




