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転生してサラリーマンになった  作者: リッチー
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無難な社会人になるつもりなのに

 この世界の職業には色々ある。

 前線で戦う戦闘職、後方支援や間接攻撃が行える魔法職、そして武器や防具などの道具を作る製造職。

 それぞれ細分化されていて得手不得手がある。

 経験の積み方で戦闘職でも剣をメインに使う戦士系から己の拳で戦う拳闘士、刀を使う侍や怪しげな忍術を使う忍者など、それぞれ修練の積み方で秀でた能力で冒険者としての生業をこなしている。

 多くの戦士たちは戦闘に向いたスキルのギフトを持って生まれた。しかし、大半の人はそういうギフトを持ち合わせていない。

 町には農夫や商人なども多く暮らしておりその国の基板となっている。国の礎はそういう一般の人の力によって成り立っていると言える。

 俺は製造職の商人として店を構えている。

 扱う商品は多岐にわたる。日用雑貨から重戦士用のフルプレートまで何でもござれだ。

 俺も数少ないギフト持ちで、スキルは作りたいものの構成物質がわかれば製造できるという製造職にしか役に立たない特殊スキルだ。

 例えば鋼鉄の斧を作りたい場合、鉄に触れれば鉄の構成が脳裏にストックされる。

 今では俺の頭には数万の構成が刻まれている。

 ただ面倒なのは、とても似た構成の物質でも触れてみないと同じものは作ることができない。同じ鉄でもほとんどが合金なためその正確な割合が個々により異なるためだ。

 これだけだとまるで錬金術の様であるが、大きく違うのは材料を必要としない点である。

 金であろうがミスリルであろうが思い浮かべるだけで構成できてしまうのである。

ただ難点は希少性の高い物質については時間が恐ろしく掛かる。

 例えば鉄や銅などはほぼ瞬時に合成できるが、金貨は4500時間以上掛かる。

 ミスリルナイフに至っては10000時間は必要だ。

 ただ目の前に材料があれば思い描くものに構成することは容易でミスリル鉱石の塊からミスリルナイフをを作るのは一瞬でできる。

 俺が冒険者たちに重宝されているのは主にその能力である。

 折れたり刃こぼれした剣をその場で新品を複製できるからである。

 伝説の聖剣など神の加護が加わっている武器などはただの性能の良い剣が複製できるだけで特殊な追加ダメージなどは付かない。

 そして同様に重宝されるのは食料だ。遠征時に食料に困らないのは荷物も減るしまずい保存食を使わなくて良い点と、何より安全な食べ物が手に入る点だ。

 ただ、問題もある。町中でパンを合成するのには苦労しない。

 しかし、構成されている物質が少ない場所などでは無茶苦茶時間が掛かるのだ。

 以前に砂漠で水を合成するのに大変な時間が掛かった。

 そして頭をひねって抜け道を考えた。

 人は少なからずおしっこをする。それが完全に蒸発する前なら水を合成することが簡単だとわかった。全員微妙な顔をしていたのはすこし面白かった。

さて、そんな俺だが俺は今、勇者ご一行様と魔王討伐に向かっていた。

 そう、この世界には魔族がいて魔王がいる。

 なぜいるのかという疑問はそういう物だとしか言い様がない。

 人族は魔族と気の遠くなるような昔から敵対しており、お互いにぶつかり合ってはその総数を減らしてきた。

 ある程度減った魔族も人族も数年から数十年の間はお互いに干渉せずにお互いの暮らす場所で繁栄するのだが、ある程度増えるとまた戦が始まる。

 大抵は繁殖力の旺盛な魔族から人族への干渉から始まるのが常であった。

 今回の戦は俺が子どもの頃に始まり、もう20年以上続いていた。

 魔族は魔王が討たれれば一度休戦状態になるのが常で、人族は魔王を討伐しない限り安息の日々は訪れない。今回の討伐軍は魔族の周辺地域を一掃したことにより好機とみた中央政府の判断から大攻勢をかけ、一気に魔王城を落とす作成に出たと言うことだ。

 と言っても作戦らしい作戦もなく、ひたすら魔族を討伐しつつ魔王城へ向かうという、シンプルこの上ない作戦だ。

 さて、戦闘能力は一般人の俺が討伐に参加している理由は前述したスキルのためである。

 重戦士の盾役を付けてくれてはいたが、とても心許ない。

 魔王城に近づくほどに魔物の強さは指数関数的に上がっていった。

 討伐軍は勇者一行を鏃として攻め込み、その後方に支援部隊として数百人の重戦士や回復系の魔法職の人員が決死の覚悟で随行していた。

 魔王城はいわゆる四天王の魔城に固められており、定石通り4名の幹部魔族を突破しなければたどり着けない。

 そして終わりはあっさりと訪れた。

 行軍中だった俺たちの隊列の中心部辺りに突然魔法陣が現れ爆発的にその数が増えていき魔法が発動されたようだった。曖昧なのは俺は更に後方にいてどんどん広がり来る魔法陣を見ただけだからだ。

 瞬間、体中が熱を持ったように熱くなり細胞が沸騰する。

 俺たちはほぼ一瞬で体中の水分を沸騰させて死に至った。

 俺はその最後の瞬間、自分の身体の構成式の解析と複製を最大の気力で行った。

 がしかし、もちろん周りの有象無象の戦士たちとともに死に至った。

 それから後のことはわからない。


 俺は目を覚ました。午前7時。

 「電子レンジだ」

 なぜか頭の隅に電子レンジが浮かぶ。

 断片的すぎて全然意味がわからない。

 尻尾を掴もうとしても掴めないで手からするりと抜けていくような感覚だ。

 ベッドの中で伸びをする。

 また壮大な夢を見ていたようだ。

 今日から社会人だ。気を引き締めて生活をせねば。

 ベッドから出た俺はシャワーを浴びに浴室へ向かう。

 洗濯済みの山から下着を取り出し、トーストをオーブントースターに入れてからシャワーを浴びる。

 髪を洗い身体を洗いシャワーで流す。

 この辺りの作業はオートパイロットに任せる。

 俺はさっきまで見ていた夢のことを考えていた。

 小学生の頃から見始めたような気がする。

 どんどん鮮明になってきている。どこか遠くの世界での話。

 そして同時に自分には他人と少し違うものの捉え方が顕在化してきている。

 子どもの頃から子どもらしくないとよく言われた。

 少し冷めた子どもだとか、老成しているだとか、かわいくないとか散々言われた。

 だからといって両親から邪険にされた記憶はない。

 むしろ俺の才能と捉えて自由にさせてくれたように思う。

 その両親が2年前に事故で亡くなった。

 学生の間の生活資金に関しては遺産や保険金で普通に生きて行くにはさほど不自由はしなさそうだ。

 その分、大学での勉強には打ち込んだ。

 甲斐あって大手の化粧品メーカーへの就職が決まった。

 研究職、開発部門を志望していたが、会社の方針で入社後1年は営業部門で経験を積むことが義務づけられている。

 自分としてもその方針には賛同するところがある。

 大学院などの研究室から企業の研究室に就職した場合、本質的な社会経験がないまま商品の開発に携わることになる。

 もちろんその中から素晴らしい研究成果が出る場合もあるが、社会に求められている商品の開発には社会を知ることが一番であると自分は思っている。

 必要は発明の母であるという考えだ。

 さて、身体を拭い下着を着けトースターから食パンを取り出す。

 冷蔵庫からトマトとレタスとハムとマヨネーズを取り出し、テーブルに着く。

 タンパク質・脂質・糖質がバランス良く整った朝食の見栄えに満足する。

 「おっと」野菜ジュースを取りに戻り改めて着座する。

 「いただきます」

 丸のままのレタスにマヨネーズを絞りコショウを掛けたらかぶりつく、ハムも塊を食いちぎりトースト、レタスとともに咀嚼する。

 丸のトマトも2口で消え去る。

 最後に野菜ジュースを一気にのみ朝食終了だ。

 その間約3分。

 この食べ方は天涯孤独となり、失意のまま食べ物が喉を通らなくなったときに夢の中で見た光景に基づいている。

 食事を取るなどと言う優雅な表現とは無縁な食い物を食らうという原初の欲求が具現化されたような栄養摂取。

 ただその時、俺はたしかに生の喜びを感じていた。

 それ以来、朝食は栄養素に注意しつつ食らうことにしている。

 非常に満ち足りた気分が味わえる。

 食器の大皿一枚とグラス一個を洗い、身支度を調える。

 毎朝の習慣として全身の映る鏡でチェックする。問題なし。

 今日は入社式だ。

 会社の偉い人たちの話を聞いて、それぞれの配属地へ初出勤し、入社説明を受けて終わりのはずである。

 新卒の新入社員は20人ほど。会場は本社近くのホテルとなっている。

 俺は自宅としている2DKのマンションを施錠し最寄りの地下鉄の駅まで徒歩で向かう。

 入社にあたり駅近物件を選んだのは良かったと思う。

 通勤に片道1時間使えば年間で500時間は通勤に使うことになる。

 俺の場合片道30分で済むので250時間は自由になる時間が増える。

 時給換算で1万円プラス程度ならお釣りが来る。

 都会の30分圏内と言えば意外と乗り換えなしで遠くまで行ける。

 少し築年数が古くなると通勤時間1時間と30分ではさほど変わらない金額で入居できるのである。

 さらに都会に近ければコンビニやスーパーなど便利な施設が多くなる。

 暮らすのに便利である。

 俺は大学時代、学生専用賃貸マンションに住んでいた。

 大学からも近く、賃料も安かったが、社会人になれば退去しないわけにはいかない。

 実家は遺産相続時に売却し不動産の類いは一切受け継いではいない。

 両親の生命保険や不動産の売却、などでそれなりの分譲マンションも購入してもお釣りが来る状態ではあったが、この年齢で不動産は分不相応と判断したためだ。

 金銭で持っていればどのような生活になっても自由がきく。為替が安定しなくなれば金を購入するのも悪くない。今はとりあえずは現金で貯蓄しておくこととした。

 全くの余談ではあるが、見知らぬ親戚と称する人物が接触してきたことがある。

 なんでも、曾祖父の兄弟の孫とのことであったが、俺にとっては「どちら様?」的な人が後継人になってやるとの申し出をしてきた。

 あまりのタイミングで顔を見せたため、両親の死との因果関係があるかと思った俺は徹底的に彼を排除した。二度と俺の顔を見たくなくなる程度には懲りたはずだ。

 という訳で、ほどよい賃貸物件を探すことにした。

 入社した会社では一人暮らしを始める場合1年間の住居支援手当が付く。

 なかなか福利厚生が充実した会社である。

 俺が借りたのは少し古いが2DKで共益費込み6万円の物件だった。

 最寄り駅が地下鉄で駅まで徒歩5分。なぜ地下鉄かというと、JRは遅延や運休がが多く安定しないからである。

 そんな有象無象を考えながら駅に到着。

 この路線は朝夕ラッシュの時間は5分に1本のペースで電車が来る。

 今日は会場直行なので少し時間に余裕を持っての移動である。

 会場は某大手ホテルの立派な広間だった。

 入社式は株式会社クロシエと株式会社クロシエ販売の合同になっている。

 少し早いので会場扉前のベンチに座り事前にもらっていた資料に再度目を通す。

 そうしている内に会場が開放されたのでそちらに移動する。

 入社式は粛々と進んでいく。良い意味でも悪い意味でも当たり障りのない内容のスピーチが続き、入社式は無事に終わった。

 ホテルからはマイクロバスで本社へ移動。30分と掛からず到着した。

 本社ビルにはクロシエ本社の他に関連会社の本社も置かれている。

 何でも株式会社クロシエ創業95年以来、同じ場所に本社を構えているとのこと。

 今の社屋は15年前に竣工したそうだ。

 もちろん創業当初は鈴木美粧堂本補という創業者の名前がついていたらしい。

 ちなみにクロシエはフランス語で鈴を意味する。

 さて、俺たち新卒はまず全員が営業部なのだが、第一営業部と第二営業部に分かれていた。

 第一は販売店や代理店、ストアの本社などを中心とした営業。

 第二はダイレクトマーケティングつまりネットなどを通じたDtoCダイレクトトゥコンシューマーの直接営業だ。

 俺としてはダイレクトマーケティングの方が学ぶべきところが多いと配属を望んでいたのだが、結果は第一営業部の方だった。

 まぁ何事も最初から上手くいく訳ではない。

 まずは先輩営業マンの後を付いて販売店を回る仕事からだがそれは数日後からの予定である。

 まずは最低限の社会人マナーを備えているかのテストと教育が始まる。

 俺は老成しているなどと言われるだけあり、マナーについては問題ない。

 流石に全国に名の知れた企業であるので、そこまで酷い人間は採用にまで至っていないと思われる。

 しかし一人、なかなかの強者がいた。

 我が強いのか、まず誰にでもマウントを取りに来るタイプで俺などは格好の的と映ったのだろう、顔を合わすたびに絡んでくる。

 縁故入社かと疑ったが、どうも毎年そういう人間を一人だけ採用していると後々知ることになる。数年に一度は大化けする人材になることもあるらしい。

 大抵は外れだそうだが・・・。

 あっという間に1ヶ月が過ぎ2ヶ月が過ぎ、ルート営業のノウハウは蓄積された。

 同時に同期で入った20名の新卒者のうち、半分違い人数の顔を見なくなった。

 そして季節は6月。梅雨の季節になろうとしていた。

 そして俺は23歳となる。

 別に誕生日に思い入れであるわけではないが同期の連中が誕生日会を開いてくれることになっていた。

 6月25日の給料日が金曜日に当たっていたため、幹事はその日に居酒屋を予約してくれていた。

 「祐介、23歳になったんだって?」

 俺を下の名前で呼んでくるのは藤原兼人。やたら絡んできたマウント男である。なぜか今ではよく飲みに行く間柄になっていた。

 意外だが、こいつは基本的に仕事ができる。人の分析が上手い。物怖じしない性格なので営業先の人間と早期に親密な関係を築くことができた。

 しかし我が強い。誰にでも食ってかかる野良犬のようだ。

 入社当時、そこを指摘してやったら営業成績が一気に伸びた。

 それ以降、なれなれしい。

 戦闘職にそんなヤツが多かった。

 戦闘職?

 何を考えてるんだ俺は。

 「カンパーイ!一足先に大人の階段を登る祐介に!」

 兼人の音頭で俺の誕生日会は始まった。

 本社近くのよく行く居酒屋での一幕である。

 「長谷川君おめでとう。これみんなからのプレゼント」

 そう言いながら細長い箱を手渡してきたのは山本麗子だ。

 同期の中でも同じ営業一課に配属になった女子の一人である。

 正統派の美人で身長158cm、体重45kgスリーサイズは・・・とりあえず目を引くスタイルの持ち主だというだけにおこう。

 俺は見ただけで物の大きさや重さがほぼ正確に当てることができる。

 比重の違う物体でもだ。

 最近、その精度が上がってきている気がする。少し気味が悪い。

 例えば今目の前にあるビールジョッキ。重さは1030gジョッキの重さが760gで後はビールの重さだ。少し減っているのは飲んだ分だ。

 「ありがとう。」

 麗子から箱を受け取る。9cm×35cm×2cm

脳裏に勝手に大きさが浮かぶ

 「開けて良いかな?」と言いつつ中身はネクタイとわかっている。

 なぜか柄までわかる。素材は絹。いわゆるシルク。蚕の糸から作られる高級素材だ。

 どうやら奮発したようだ。

 落ち着いた色合いの紺色だ。

 「落ち着いた祐介くんに似合うと思って」

 麗子が照れたように言う。

 「すごく素敵な色だね。この風合いはシルクかい?これが似合う大人にならないとね。」

 「おいおいおい!なに口説いてんだよ!」

 兼人が言うと麗子は赤くなって、周りは大いに盛り上がった。

 参加メンバーは営業一課の新人10名

 男7の女3だ。

 合コンではないので数あわせなどはしていない。

 誕生会と言っても、ただの飲み会と変わらず、出てくる物は枝豆、唐揚げ、モツ煮、ポテトフライ、蛸わさなど

 正真正銘、酒の肴だ。

 飲みながら23歳の抱負など言わされる。

 気の利いた話題を思いつかなかった地俺は、とりあえず彼女を作ることと答えておいたが、女子3名の反応がヤバかった。

 男どもは少しテンションが下がった気がした。

 その後、俺は散々飲まされ、4人までは返り討ちにしてやったが多勢に無勢というやつだ。最後には兼人に潰されてしまった。

 

 「電子レンジだ・・・」

 俺は目を覚ました。頭が重い。

 昨日の馬鹿騒ぎの後どうやって自宅に戻ったのか?

 頭に霞が掛かったようだ。

 ベッドから転がるように出るとなぜか服を着ていない。

 一瞬固まって考えるが頭の鈍痛が邪魔をする。

 床に落ちていた下着を拾い洗濯機に向かう。

 キッチンで水をグラスに注ぎ一気に飲み干す。

 220cc・水温21℃と頭の隅によぎる。もう情報過多である。

 シャワーを浴びる。水温38℃

 少しは頭が正常に戻ってくるように感じる。

 昨日の記憶を呼び覚まそうとする。。

 居酒屋で飲んである程度仕上がった参加者の内、俺と兼人、麗子と栄美の4人で兼人行きつけのバーへ行くことになった。

 離脱者の男5人の内4人は潰れて、一人はその介抱に。女子の1名は親と同居のためと名残惜しそうに帰って行った。

 栄美はフルネーム吉田栄美。身長164cm、体重53kg スリーサイズは90・58・88。顔の感じもスタイルも華やかなクラビアアイドル系。

 兼人のお気に入りで今回もやや強引に誘っていた感じがした。

 麗子は笑い上戸のようでにこにこしながら着いてきた。

 バーでは調子に乗った兼人が景気づけにとテキーラのストレートを全員で飲んだ記憶がある。

 「あのお調子者め」

 俺は決して酒は弱くない。が、居酒屋でのビールと日本酒の醸造酒の酔いとバーでの蒸留酒の酔いが重なり、一気に酔いが回ったのまでは覚えている。

 その後が断片的な映像的な記憶でしか残っていない。

 タクシーに乗ったであろうこと、マンションについて料金を払ったこと、誰かの手を引いていたこと

 手を引いていた?だれの?

 女の手だ。となれば麗子か栄美のどちらかだ。

 それ以外ならさらに話はややこしくなりそうだ。

 背中をひやりと悪寒が走る。

 思わず股間を確認する。

 ぬるっとする手触りがある。

 「!!」

 乾燥していた血液・血漿・バルトリン腺液・スキーン腺液の混合液がシャワーの水で戻ったようだ。

 これはやっちまった。

 『おいおい、やることやってんじゃねぇかよ大将。』

 脳裏に厳つい顔をした盾役の重戦士の笑顔がよぎる。

 だれだこの厳ついおっさんは?

 誰だって、護衛のバートンじゃないか。なにを言ってるんだ。

 いかん完全に頭がおかしくなっている。

 とりあえずボディソープを使って全身を洗い流す。

 俺は潔癖症ではないが居心地が悪い。

 覚醒し始めた頭はなぜか2種類の記憶がある。

 現代日本で生まれ育った長谷川祐介という記憶と前時代的な西洋的な町並みで生活していた製造職のセドリックの記憶

 まだ混乱は収まっていないが祐介の記憶をセドリックに上書きされたのではないことが確認できた。そしてセドリックのギフトの存在も理解した。

 俺はまずコットン100%のバスタオルを合成した。

 使い心地抜群ふかふかで想像通りの吸水性だ。

 って、そんな場合か!?

 俺はバスルームから出ると下着を着けてからベッドへ向かう。

 麗子か栄美かどちらか、もしくは存在Xかもわからないが、まだベッドにいるかも知れない。

 ベッドの様子を改めて見ると誰もいない。ベッドの上に布団が掛けられているだけだ。

 ホッと一息つくとベッドに腰掛けた。

 いやマジで焦った。

 沈着冷静を旨とする俺だが、今女子と顔を合わしたらパニックになってしまうかも知れない。

 つい深いため息が出る。カチャリとラッチの音がして顔を上げると、トイレのドアが開いて下着姿の麗子が出てきた。

 俺は予想どおりパニックに陥った。


 俺と麗子が次にベッドから這い出たのは昼もとっくに過ぎた時間であった。

 二人で交互にシャワーを浴び、身支度を終えて少し遅い昼食を取るため家を出た。

 麗子は物静かで大人びた俺の物腰に初対面のときから憧れを抱いていたと告白してきた。

 俺はと言うと、正直この年まで女性とのお付き合いをしたことがなかった。

 というのも物心着いた頃から切迫感のようなものに押され心身を鍛えることに費やし、両親が不意に他界して、それからはより一層ストイックを心がけて自分磨きに費やしてきた。

 異性への関心はもちろんあったが、それ以上にやらねばならないという強迫観念に突き動かされ、勉強や肉体鍛錬をしていたのだが、その根源がセドリックの精神と言うことになると今日初めて納得した。そしてなぜか今朝から急速に精神年齢やパーソナリティが同期を始めている。

 俺はセドリックとして生きた人生の引き継ぎを長谷川祐介として行ったしまったようだ。

 結果、この世に存在しないようなスキルを手に入れてしまった。

 それ自体は悪いことではない。常に発動しているスキルではなく、自分の意思でコントロールできることを知ったのだ。使い方に慣れれば日常生活に支障は起きまい。最近の情報過多になるパッシブスキルも知ろうとしなければ発動を抑えることができた。

 むしろ色々助けにはなりそうだ。ただ、法に触れることは今のところしようとは思わない。例えば簡単に偽札など作ることはできるがそれは重犯罪である。

 セドリックが魔法で焼かれたのは30歳の時である。実年齢で7歳の差があるが、肉体年齢が同期する前に精神が同期すると言う感じなのかも知れない。こればかりはどうあがいても推測の範疇を出ない。

 「電子レンジか・・・」

 「え?レンジがどうかしたの?」

腕を絡めてくる麗子がきょとんとした顔で俺の顔をのぞき込む。

 「いや、何でもないよ。」

 並列思考で町を歩きながら考え事をしていたので麗子がいぶかしんだようだ。

 セドリックの前世世界での平均寿命や成熟度から考えると、この現世では40近いのではないかと思える。

 電子レンジが頭から離れないのはセドリックの死因による物だ。

 その死に至る魔法は、どう考えてもマイクロウウェーブを照射する電子レンジの中の様だった。一秒間に20億回以上の水分子の振動に起因する摩擦熱で一気に内側から加熱される魔法。数百名の人族を一気に加熱できる電子レンジとは今思い出しても身の毛がよだつ。

脳のリソースの8割方を前世の追体験と考察に当てていた俺を麗子が引っ張った。

 「祐介くん、もうお昼も遅いから、軽く食べて、夕食をレストランで食べない?」

 麗子の呼び方が長谷川くんから祐介くんにクラスチェンジしている。

 「いいね。そこのカフェでどう?」

 俺たちはセルフスタイルのコーヒーショップに入り定番のミラノサンドを分けて食べた。

 エスプレッソを飲んでいると脳が活性化する気がする。

 ベッドの中でも外でも、この慣れた感じの女性の扱いは間違いなく昨日までの自分にはできない。

 セドリックの経験が間違いなく作用している。

 「祐介くん、いつもより大人びて感じる。」

 麗子がつぶやいた。

 どう答えたものか・・・

 「そうだね。昔からおっさん臭いとは言われてたけど、23歳を迎えてさらに磨きが掛かったかな?」

 などと適当なことを言ってみる。

 「おっさん臭くないわよ。でも祐介くんならイケオジになるよね。絶対。」

俺はどんな顔をしていいかわからなかったので、仕事の話を振ってみることにした。

 「それはそうと、そっちの客先はどう?」

 同僚のはずなんだが、どう考えても上司と部下のようだ。

 「なに?仕事の話?」

 少しすねたような麗子の言い方。昨日までなら彼女もこういう言い方はしないはずだ。

 これがそういう関係になったという会話な訳か。

 妙に納得してしまう。

 「まずは共通の話題かと思って」

 「わたしはもっと祐介くんの話が聞きたいわ」

 「それはまた別の場所でね」

 麗子は少し上気した顔をしている。

 そんな表情にかわいいと感じる。その関係性は同い年同士とは思えない。

 俺にそんな趣味があったのか。セドリックの性癖か?妙におっさん臭い。

 現代日本の男性が草食化していると数年前から言われているが、確かにセドリックとして生きた時代はバリバリの肉食系男子のみが生き残れたような世界だった。

 その中でのセドリックはガツガツせず堅物と言われる男だったが、この世界では肉食系のようだ。

 麗子とは販売店のスケベじじいの話や、色目を使ってくる他部署の先輩社員の話などを聞いて楽しく過ごすことができた。

 夕飯は麗子の希望でイタリアンにすることに。

 カジュアルでありながら本格的な料理が楽しめ、お酒の種類の多いお店をチョイスした。

 これは俺の持論であるが、金にものを言わせたようなレストランのセレクトをする男はダサい。

 誰と行くか、何を目的にするかなどを吟味し、店を選ぶことがスマートと言える。

 まぁセドリックの生きた時代にオシャレな店などほとんどなかったので、この世界に来てからの見識である。本当に金を持っている人間は人に見せびらかしたりはしない。

 やはりおっさん臭いな。

 スマホを見ると兼人から多数ラインが届いている。

 『そっちはどうよ?』

 『栄美ちゃん最高』

 『忙しそうだな?』

 『未読無視すんな!』

 など入っている。

 「了解」とだけ返しておく。

 「ライン?」

 麗子がちょっと気になったようで声を掛けてくる。

 「うん。兼人から」

 「栄美、うまくやったのかな?」

 「ん?どういうこと?」

 「栄美がね。兼人くんのことちょっと良いなぁって言ってて」

 「へぇー知らなかった。」

 「祐介くんってそう言うのあんまり関心ないみたいだもんね。」

 結構痛いところを突かれた。

 「そうでもないよ。」

 言いながら、考えてしまう。

 確かに、俺は他人は他人、自分は自分と線引きしているところがある。

 セドリックの記憶にしてもどこか他人事に近い。

 丁度、映画で見ている主人公目線の作り話のような感じと言えば一番近いかも知れない。

 共感するところは多々あるが、それによって感情が動かされている感じはしない。

 麗子はそういう一見クールな俺の性格に惹かれたらしい。

 麗子にせよ栄美にせよ、容姿端麗で頭も良い。一緒に居てストレスがなく楽であるが、それが恋愛感情に結びつくのか?

 そういう恋愛の機微はまだよくわからない。

 「栄美からラインが来てるよ。祐介くんと連絡が取れないと兼人くんが言ってるって」

 なるほど、あっちも上手くやったようだ。

 『あっちも?』ってこういう考えかた今までの俺ならしなかったなぁ

 セドリックの記憶が解禁されてからまだ一日と経っていないが、ずいぶん浸食しているようだ。

 というか、それが本来の俺なのか?

 今では以前の俺は人間らしい感情が乏しかったとさえ感じる。

 まぁ人の性格なんて大きな転機があれば変わってもおかしくないからあまり気にしないようにしよう。

 それより今晩の予定をどうするかだな。

 麗子は夕飯前に一度自宅に帰り着替えたいとのことだ。

 確かに、ずっとビジネススーツだし、デートという雰囲気ではない。

 夕方に最寄りの駅で待ち合わせることにして一旦解散することにした。

 兼人から何通かのラインが届いている。

 栄美と一緒に居るらしい。昼頃に近くのモールへ栄美の服一式を買いに行って、今日もお泊まりらしい。

 支払いを半分持たされた文句が届いているが、まんざらでもないことは見え見えである。

 俺は完全にアルコールが頭から飛んだのを確認しつつ、自宅までのんびりと歩く。

 梅雨の季節独特の密度のある空気感が肌にまとわりつくが、今は不快ではない。

 天涯孤独の身の上に、突然美女が濃いめの関係性とともに舞い降りたのだ。

 多少は感情が高まっていても不思議では無い。

 あの堅物の両親も付き合い始めた頃はこんな感じだったのだろうか。

 と、両親に意識を向けると同時に黒い感情が顔をもたげた。

 何事も全て上手くいっているときに突然意味もなく不安に襲われる様な感じでだ。

 何が原因か?分かっている。

 俺の両親は不幸な事故で亡くなっていた。

 世間的には事故という扱いになっている。

 単身赴任していた父に会いに行った母と一緒に事故で亡くなったのである。

 俺にはあまりに出来すぎた死亡事故に思えた。もちろん証拠などはない。

 警察の現場検証からも不審な点は発見されていない。だが俺には何か引っかかる物があった。ただの事故ではない。俺はそこに人の意思のような何かを感じていた。

 しかし、どうしようもない。昨日まではそういうものかと諦めて生きてきた。が、なぜか腹の底にドロリとした黒い熱を持った汚泥のような感情がわだかまっていることに気がついた。

 その汚泥は明らかに可燃性の感情で一度火が付くと燃え尽きるまで熱を発するような気がしている。

 俺は今、金の心配がなく、希望していた職種に就き、美しい恋人まで出来ようとしている。実に順風満帆に見える。客観的にみて間違いなくリア充だ。

 しかし何だ、この不安感と焦燥感は?

 俺は納得しようとして気持ちに蓋をしていたことに気がついてしまった。

 さっきまでの晴れやかな気持ちが一瞬にしてうわべだけのものに感じ始めた。

 まてまて、今、それを考えてどうする?

 もう2年以上経っている。全ての社会の歯車が俺の両親が事故死したことを含めて万全に機能して滞りなく稼働している。

 そこには何の矛盾もない。俺が納得いかないと駄々をこねたところで変わるものでは無いはずだ。

 年々減少傾向にあるとはいえ、一年間の交通事故による死者数は2500人以上だ。

 そのうちの二人と考えれば、納得するしかない事案ではある。

 しかし何かが引っかかっているのだ。

 小さい頃から引っかかることが頭から離れない。

 2年前からの疑念が今朝の電子レンジの様に頭に残ったままになっている。

 今は何も調べようがないし、このまま何も起こらなければそのままになるかも知れない。

 俺は今の感情を一旦切り離す。

 文書をカットアンドペーストをする感覚で、心の不干渉領域にペーストする。

 そして一度深呼吸をして感情の奔流を断ち切った。

 なんだか精神攻撃をレジストしたような感じだ。

 6月の空気と街のさざめきが戻ってくる。

 左腕の時計を見ると午後4時前。麗子との待ち合わせにはまだ2時間近くある。

 一度部屋に戻り雑用を済ませると丁度良い時間かも知れない。食品ストックなどの買い物もして帰ろう。

 日常の何げない生活がダメージを受けた精神を癒やしてくれる。

 俺はそれを知っている。大丈夫。

 俺は近くのスーパーマーケットへ向かって歩き始めた。


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