獣耳の二人
自分が忍者であることは分かった。それも装備を見る限り民に混ざる草の者ではなく、訓練を受けたくノ一だ。
そしてそれが分かれば、森の中で倒れていたことも推測ができる。
つまり、自分はなにかの任務の途中であったのではないか。
記憶がないので本当にそうなのかは分からない。だけれど、もし任務の途中であったらかなりマズいのではないか。
なにせ忍者である。任務失敗は死をもって贖えとか言われかねない。というか、自分のような有能に違いない者へ託す任務など、お国の一大事くらいの重要度な可能性も大だろう。
早く記憶を取り戻し、忍者として任務へ戻らなければならない。それが自分のやることだと分かって、まずはこれ以上はなにも得られないだろう岩屋から出る。
そうして、景色に思わず息を飲んだ。
深い、本当に深い森が見えた。太く背の高い木々が数えきれぬほど天に向かって伸び、その葉が重なり合うせいで陽の光が届かず、地面には雑草すら生えず苔が敷き詰められたかのようにむしていた。
そんな深奥の森に囲まれた、ぽっかりと拓けた空間だった。まるで木々も苔もここだけは避けたかのような、ここだけは陽の光が直接入ることを許されたかのような、不自然だけどどこか厳かな印象を受ける場所。
森で倒れていたのは覚えている。自分が持っている数少ない記憶である。
しかしこんな場所ではなかったはずだ。あのときは雑草が顔に当たっていたはず。ここまで深く神秘的な場所ではなかった。そもそも、たった今自分が出てきた岩屋もなんなのか。明らかに自分は倒れていたところから移動している。
いったい、どうやって……いや、誰に運ばれたのだろうか。
「あ、ツチノエ、お姉ちゃんが起きてるわ!」
「本当だ! 元気になってる!」
声がした。幼い、元気な声。
こんな場所にはそぐわないと思いながら顔を向ければ、まだ小さな子供たちが二人いて。
それが、猪のように突進してきて、体当たりされる。
「ゴフッ!」
思いっきり吹っ飛ばされた。まるで本物の猪に轢かれたような衝撃二つに、背と腰の骨がグギリと悲鳴をあげた。受け身も取れず倒れてしたたかに後頭部を打ち付ける。さらに記憶喪失になりかねない衝撃に目がチカチカした。
「おはようお姉ちゃん! お寝坊さんね!」
「おそようお姉ちゃん! もうお昼だよ!」
痛みに悶絶しのたうちまわろうにも動けなくて、そんな声に目を向ければ子供が二人しがみついていて、どちらも満面の笑顔で、ああ元気な幼子は宝だなぁ親に文句言ってやる。
「お、う、ええっと……おはようございます?」
「おはようじゃないわ、もうこんにちわって言うんでしょお姉ちゃん! 教えてもらったもの知ってるわ!」
「違うよ、寝起きならおはようだよミズノト! お姉ちゃんの一日は始まったばかりなんだから!」
挨拶するとすごい勢いで元気な言葉が返ってくる。たしかそっちからおはようと言ってきたはずだけれど。
とにかく、この子たちの声は森で倒れたときに聴いたそれに間違いない。であればここまで運んでくれたのは、この子たち……にしては幼すぎるから、この子たちの保護者か知り合いの大人かといったところだろうか。
年端もいかぬ男の子と女の子。おそらく齢にして五歳ほどの幼児と言ってもいい頃合いの二人は、どうにも妙な姿をしていた。
まずは服装である。どうにも丈が合っていなくて、大人用の服を被せて帯で無理矢理巻き付けている感じ。男の子の方は袖と裾を破ってしまっているし、女の子は手が完全に袖に隠れてしまっていた。
また、女の子の方はなぜか目隠しをしている。闇で染めたかのような黒い布で前が見えそうにないのだけれど、これでまっすぐ自分へ突進してきたのだろうか。
そしてなにより――
「兎と狐の耳?」
その二人の耳は、人間のものではなかった。
「ウサギじゃないよ!」
「キツネでもないわ!」
兎耳の男の子と狐耳の女の子から抗議が来る。そんな声まで元気だけれど、間近で叫ばれると耳が痛い。
たしかによく見ればちょっとずつ違う気がする。模様みたいな黒い縞があるし、なにか違う獣の特徴も混ざっているような感じ。どうやら尻尾もあるようだが、それも少し兎と狐とは違う気がする。
……とはいえモフモフと触り心地の良さそうなそれは、少なくとも獣のものなのは間違いない。ぱっと見は兎と狐なのだしそれで良いと思う。
はて、いったいこの子らは如何なる神の創りたもうた種族だろうか。
長い耳や空飛ぶ翼、魚の尾や岩の肉体を持つ種は知っているが、獣の耳と尻尾を持つ種族は記憶にない。まあ記憶はないのだけれど。
とりあえず姿はほとんど人なのだし、言葉も通じるから人族ではあるのだろう。
「ねえお姉ちゃん、僕はツチノエ!」
「あたしはミズノト! お姉ちゃんの名前はなあに?」
男の子はツチノエで、女の子はミズノト。あまり耳に馴染みがないその響きが二人の名前らしい。
ちゃんと自己紹介ができるのはえらい。そして自己紹介ができない自分はこの幼児たち以下だ。
「ツチノエ殿とミズノト殿ですね。拙者は……すみません、記憶がなくて名前も思い出せないのです」
「え、そうなの?」
「あら、大変」
しがみついていた二人はそこでやっと離れてくれて、二人で顔を見合わせる。
「おかしいな、名前までとられちゃったみたいだね」
「かげんができてないのよ、初めてのお客様だもの」
「いいかげんだからね、トト様!」
「適当で面倒くさがりだもの、トト様!」
「僕たちが教えてあげなきゃいけないね!」
「そうね。お姉ちゃんの名前も知りたいし!」
解放されたのでやっと身を起こす。
なんだか分からないけれど二人は二人で納得して、楽しそうにクルクル輪を描いて回る。
トト様、という新しい名前が出てきた。トト……父様だろうか。ここには二人のお父上殿がいるらしい。それはそうか。こんな深い森の中に小さな子供だけで来るなんて無理だろう。保護者が近くにいるのは当然だ。
「お姉ちゃん、あたしたちについてきて。きっとトト様も会いたがってるわ!」
「お姉ちゃん、トト様のところに行こう。もしかしたら名前が思い出せるかも!」
「ちょ、待っ――」
そう言うが早いか、小走りに駆け出す二人。いや本当にあれは小走りなのだろうか。小さな身体を軽く弾ませるように動いているのだけれど、妙に速い。
慌てて立ち上がって、その背中が見えなくなる前に追いかける。とにもかくにも、記憶もないのにこんな場所で一人になるのは心細い。
しかし……父上殿に会えば名前を思い出せるかもしれない、ということは、その方は呪い師かなにかだろうか。