毛皮なめし
「ねえお姉ちゃん、これは何をしているの?」
「熊の毛皮をなめしています」
ツチノエに問われて、答える。
トト神様が初日に獲った熊肉は、とりあえず薄めに切ったものに岩塩を擦り込んで干し肉にした。かなり大変かと思ったけれど、暇さえあればトト神様がつまんでいくので結局大した量にはならなかった。
なので、今は熊の毛皮の処理をしている。
毛皮の内側についた肉や脂は放っておくと腐ってしまうので、刃物でこそぎ落とさなければならない。今はその作業だ。
自分は大きめの岩に毛皮を敷いて、クナイで撫でるように削っていた。
「なめすってなに?」
珍しいことにミズノトはいなかった。朝食で熊肉の干物で作ったスープを食べてからは、知らないうちにどこかへ行ってしまった。
どこに行ったのだろうか、と心配にはなったけれど、この森では彼女の方が先輩なのだし、ツチノエがまったく気にしていないのだから気にすることではないのだろう。
……一応、彼女が戻って来たら聞いてみよう。
「毛皮を保存したり柔らかくしたりするための作業ですね。岩屋の床は堅いでしょう? 寝るときにこれを敷けば、気持ちいいかと思いまして」
「おおー」
分かっているのかどうなのか判別つかないが、ツチノエは感心した声を出した。……まあ、自分も彼と同じようなものだ。正直、これも自信はなかったりする。
知識はあるが経験の記憶は失っている、というのはなかなか厄介だ。試練のときのような動きはきっと、自分が忍者としての訓練を受けていたことだからできたのだろう。つまり記憶を失っていても身体が覚えているのなら動ける。
しかし、自分は毛皮のなめしなどしたことがあっただろうか。あったとしても、それが手が勝手に動くくらいに慣れていなければ上手くできる保証はない。
はたして忍者は毛皮をなめすものだろうか。忍者とて人なのだし、生きるためには獣を狩るし毛皮も活用するだろう。けれど、狩人ほど頻繁にするものではない気がする。
「ねえねえ、お姉ちゃん! 僕もやっていい?」
そう聞かれて、視線を向けるとツチノエはキラキラした目でこちらを見ていた。
……正直、刃物を持たせていい歳だとは思えないけれど。しかしトト神様の話では、傷は治るのだったか。
半神が人の子より劣ることはあるまい。
「いいですよ。ただし危ないですから、削るときはクナイを身体から離す方向でしか使わないこと」
一回やって見せてから、近くにあった木の枝を拾った。それなりに太いそれを、手首の動きだけでクナイを操り両断する。
スゥ、と音もなく木の枝が半ばから落ちた。
ツチノエに渡す。
「手を滑らせると、あなたの指がこうなりますからね」
「う……うん」
少し恐がらせすぎただろうか。……いや、こんなものでいい。思い直してやっぱりやめるのであれば、それでも問題ない。自分としては、刃物を扱うのはもう少し大きくなってからでもいいと思っている。
ただ、自分はこの森を出て行く身だ。であれば、教えられることは教えたいなと、思う。
「刃はこちら側を使って下さい。毛皮に穴が空かないよう、少し潰してあります」
クナイは片側だけ、鋭く研いであった刃をわざわざ少し鈍らせてあった。あまり鋭すぎると毛皮を削りすぎて穴が空きやすくなる。
この刃ならば、万一のときも深手は負いにくいだろう。
ツチノエがギュッと力いっぱいにクナイを握る。
「もう少し軽く握っていいですよ」
「……うん」
扱い難いだろうから軽く助言したけれど、握る力はあまり減らなかった。
……そういえば、彼が道具を使うのはこれで何度目なのだろうか。服を着ているからには多少は道具の概念もあるのだろうけれど、あの木のウロに放り込まれた物品たちを考えるとまともに使ったことはない気がする。
もしかしたら、昨日釣り竿を使ったのが初めてだった可能性もあった。
やはり刃物は危ないかもしれない。
ハラハラしながら見ていると、ツチノエは慎重にナイフを動かして毛皮の内側を擦る。拙いし綺麗にとれていないし遅いけれど、少なくとも怪我はしないやり方だ。自分の手本をよく見てくれていたのだろう。
これなら問題ないだろう。見守りはするけれど、やめさせる必要はあるまい。
「ねえお姉ちゃん」
一生懸命に手を動かしながら、手元から目を離さずツチノエは自分へと声をかける。
「なんでしょうか?」
「忍者ってなに?」
むぅ、どう説明するべきか。
「知りたいですか?」
「うん!」
向こうから聞いてきたのだから知りたいに決まっている。だから今のはただの時間稼ぎ。
忍者とは何か。
「フフフ。忍者はですね、主に忠誠を誓い、様々で困難な任務を華麗にこなし、お国のために戦う夜の仕事人。即ちくぅるびゅうてぃの権化でありますれば、これはもう世界一カッコいい職業と言えるでしょう!」
「おおー! すごい、シノお姉ちゃんってすごいんだ!」
カッコ良さげにキメて、ちょっとおちゃらけて誤魔化してみたけれど、ツチノエは大喜びでキラキラした目でこちらを見てきて。
本当の忍者はそういうものではなくて、だから本来の自分はきっとそんな目で見られるような者ではないはずで。
ただただ、泥のような罪悪感が残った。