人の道具
「おお、これはいいですね!」
トト神様に案内された木には幹の中ごろでコブのようになっているところがあって、大きなウロが空いていた。
トト神様の棲まう巨樹のようにずっと奥まで続くようなものではないけれど、少し屈めば人が入ってしまえるほどの空間がある。
そこに、人の道具が放り込んであった。
斧、ナタ、弓、縄、衣服、帯、釣り竿、壊れた草履、兜、風呂敷に包まれた何か、小判や小銭。
こんなの宝の山だ。目移りしてしまう。
『忘却の森に踏み入った者は、シノみたいにうっかり最深部までやってこず、記憶を失っていくことに気づいた時点で恐くなって慌てて引き返すのが普通なのさ。持ってる品を落としても気にする余裕がないほどにね』
それはお気の毒さまであるけれど、トキヨツヒマガツトト神の縄張りたる忘却の森に落としたのであれば神への供物だろう。
そして神やその子たる半神のために使われるのであれば、落とされた道具たちも本望ではなかろうか。つまり自分が使ってしまって構わないのではないか。
「僕たちが落ちてるのを拾ってきてここに集めてるんだ。面白いから!」
「あたしたちの服も拾いものなのよ。これ、とっても気に入っているの!」
だから二人とも大人用の服を着ているのか。どおりでツチノエは袖を破りとってるし、ミズノトは袖も裾も余ってしまっている。
どうしようか。釣り竿についている針と、服の要らない部分を切って取り出した糸を使えば、二人の服を直すこともできるだろう。それとも斧とナタで木を加工してあの岩屋に扉でもつける方が先だろうか。そういえば熊の毛皮も加工しなければならないが、服の替えがあるならあれは敷物にしてしまえそうだ。
うん、良い。これならいろいろできる。
「こちら、拙者が使ってもよろしいのですか?」
「うん、使い方も教えてくれる?」
「どうやって使うか見てみたいわ!」
……そうか、ここに放り込んであるのは人間の道具。この雑な保管の仕方は使い方が分からないからか。たしかにトト神様の前足ではこれらのどれも使えないし、神の権能があれば使う必要もないのだろう。
二人にとってこれらの物品は珍しいものだけど、これらを実際に使っているところを見る機会はない。きっとなにに使うものかすら分からないのだ。
少しだけ考える。教えるのに一番手頃なのはどれか。
半神ならば問題はないかもしれないが、二人ともまだ刃物は危ない歳だろう。弓は普通に危ないし、服はもう着ている。縄の結び方などはいいかもしれないが、面白く教えることは難しそうだ。兜や草履は身につけさせるだけで説明は終わるけれど、最初の一つとしては相応しくない気がする。お金はここでは役に立たない。
「では、釣りをやってみましょうか」
針は少し危ないけれど、まずはこれからがいい。素手でバシャバシャと魚を獲るような子たちには必要ないかもしれないが、遊びながら知ることができる。
「土の中のミミズなどを捕まえて、この針に刺して餌にします。そして竿を振って針を水の中に投げ入れ、魚が食いついてくるのを待ちます。そして食いついたら、竿を引き上げて魚を釣り上げます。基本はこれだけですね」
簡単に説明して、実際にやってみせる。竿は振ると良いしなりを見せて、仕掛けはけっこう遠くまで飛んで行った。
釣り竿はなかなか立派なものだ。きっと釣り好きが穴場を求めて森に立ち入ったのだろう。
ツチノエとミズノトは仕掛けを飛ばしただけで、おおー、と声をあげた。……まさか物を投げるということすら知らない、ということはないだろうけれど、不安になる反応だ。
ピクン、と竿に反応がある。
「……ずいぶん早いですね」
ここには釣り人なんていないからだろうか。どうやら魚は全然スレていないらしい。竿を引くと、そこそこの大きさの魚が釣り上がる。
昨日ツチノエが獲った魚と比べれば全然だけれど、初めの一匹としては悪くない。塩焼きにするにもいい大きさだ。
「わあ、すごーい!」
「すごいすごい! こんなふうに使うのね!」
「こんなに簡単に釣れるのは運が良かったですね。お二人もやってみますか? 針に気をつけて下さいね」
針から魚を外して竿を渡すと、二人は餌のミミズをどうやって付けるのかとワイワイ話し始める。どうやらミズノトが両手で針を持って、ツチノエが両手でミミズを付けることにしたらしい。あのやり方なら怪我はしないだろう。
『シノ、ちょっといいかい?』
二人の様子を微笑ましく眺めていると、少し遠くから声がかかった。振り返れば、トト神様が離れた場所でこちらを見ている。
なんだろうか。ツチノエとミズノトには、今のはどうやら聞こえていないようだ。集中していて気づいていないのか、それともトト神様が自分だけに届くように声を発したのか……なんとなく後者のような気がして、二人には声をかけずトト神様へ歩み寄る。
「どうしましたか、トキヨツヒマガツトト神様」
『なに、試練の感想を聞きたくてね』
なんだ、それなら二人を交えてもよかったのではないか。
「非常に難しいですね。あの二人を捕まえるのは、拙者には荷が重いかもしれません。しかし全力で挑ませていただきますよ」
『ハハハ、全力で挑めば、君ならすぐにでも達成できるだろう?』
忌憚ない意見と意気込みを伝えると、トキヨツヒマガツトト神はそう空気を震わせて笑った。
『二人が人の道具を知らないのはもう分かっただろう? 君が持ってる手裏剣やクナイを投げて、動けなくすればいい。それで君は楽に試練を達成できる』