十
『十を数えてどうするんだい?』
「その間に拙者が二人に触れられたなら、試練内容の再考をお願いします」
ツチノエとミズノトから視線を外さないまま、自分は願い出る。
まともにやっても、勝てるだろうと思っていた。
もちろん、一回では難しい。この森のことを自分は知らなさすぎる。隠れやすい場所や走るのに適した凹凸の少ない場所など、ツチノエとミズノトの二人が知る地の利で負ける可能性は十分にあった。
だから今回は、ほんのお試し程度の感覚でいたのだけれど。
『それだと、君は勝利を放棄することになるけれど?』
「かまいません」
トキヨツヒマガツトト神は、ふむ、と一つ頷く。
『よろしい。その提案を聞き入れよう』
ツチノエが目をパチクリとさせている。ミズノトが首を傾げている。なぜそんな条件を追加するのか、よく分かっていないのだろう。
それもそのはずだ。相手は神と人の子、つまり半神であるという。であれば存在として人よりも強くあって当然。
だからこの距離はそのまま、人を甘く見ているという証左なのだ。
くぅるびゅうてぃではないかもしれなが……勝てて当然だと驕られるこの状況を隙と喜べるほど、自分は大人ではない。
『一つ』
トト神様が空気を震わせる。それはそのまま開始の合図であり、ツチノエとミズノトが身構える。
自分はただ、スゥ、と大きく息を吸った。
『二つ』
フゥ、と大きく息を吐いた。
『三つ』
もう一度息を吸いながら、タンタン、と右足で地面を踏み固める。
ツチノエとミズノトの困惑が伝わってくる。自分から十数える間に捕まえたら、なんて条件を出しておいて、なぜ動かないのか。表情からそんな疑念が伝わってきて、呼吸を止めた。
『四つ』
踏み固めておいた地面を思いっきり蹴った。景色が歪み縮まる感覚。五歩の距離を一足で詰める。
予想外の速度に二人がビクリと身を固めた。目を見開いて驚くツチノエへ、五指を揃えた貫き手を放つ。この試練でツチノエとミズノトなら、運動神経のいい彼を仕留めることを優先するべきだ。
触れればいいのだし、怪我をさせる気はないから力は込めないけれど、だからこそ速度だけに意識を裂いた。
文字通り間一髪。本当に紙一重で、ツチノエが避ける。彼の頬を掠めるように五指が空を貫く。
ただの人の子には絶対にできない超反応。素晴らしい。それでこそ半神だ。
これくらいはやってもらわないと困る。
『五つ』
貫手を放った腕を大きく横に振る。そこにはミズノトがいたはずで、けれど指はただ虚空を掻いた。
見れば彼女は、まるで予知のように一歩引いていた。目を封じているからか、他の感覚が鋭いのだろうか。それとも半神としての力なのか。
腕を振った勢いのまま、身体を投げ出すように捻る。倒れ込むように手を突いて、同時に地を蹴った。
旋風のような足払いを放つ。
触れたら勝ち、だったか。であれば足でも良いはずだが――
ツチノエがミズノトの服を掴んで跳んだ。ただの人ではあり得ない跳躍を見せる。足払いも虚しく空振る。
『六つ』
まだ終わらない。終わらせるわけにはいかない。もう片方の手も地面につけた。足払いの勢いを殺さず、むしろ加速させる。
両手を支点にして、独楽のように両脚を揃えて身体を振り回し、体幹を捻って回転の力を上方へ反らす。
重力と遠心力が釣り合う、刹那。
両腕をバネ細工のように伸ばし高く高く宙へ跳びあがった。
体勢が悪いままミズノトを掴み、ツチノエは跳躍をした。けれどいくら獣の身体能力でも、それでは十分に距離をとることはできない。自分は綺麗に弧を描いて、さらに子供たちの背後まで距離を稼ぐ。
我ながらなかなか高難度な動きだ。しかしなぜか、これくらいはできると分かっていた。
やはり自分は優秀な忍びだったらしい。……だからこそ、この勝負で子供たちに甘く見られたのが我慢ならなかったのだろう。
『七つ』
トト神様が数える声が聞こえる。七つも数えたか。できればもう少し早く終わらせたかったが、まあいい。
半神の双子は完全に自分を見失っていた。避けるのに精一杯だったあの状況で、いきなり下から上へ跳び上がったのだ。まるで手品でも見るような心地になっても仕方がないだろう。
背後から手を伸ばす。触れれば勝ちだ。これで終わる――
ミズノトがツチノエの腕を引っ張った。一緒に倒れ込む。また手が空ぶった。
この試練では運動神経のいいツチノエを先に仕留めるべきだと思っていたが、認識を改めよう。感覚の鋭いミズノトの方が厄介だ。
しかしここまで。二人でもつれるように倒れてしまっては、これ以上は抵抗できまい。
『八――』
勝ちを確信し、泳いだ手を戻す間すら惜しんで、二人へ向けて自分も倒れ込む。