闇夜の戦闘
「伐採場方面から敵襲!餓鬼、死霊塊の混合部隊!」
物見櫓で、夜闇を注意深く見張っていた野伏が声を張り上げる。聖域を囲む木壁の上にいたディンは、その声で伐採場のある北の森へと目を向けた。
目を凝らせば。黒ずんだ霧の向こう側で複数の影が揺らめいているのが見える。毎夜のことながら、あの霧の中にいる敵をこの距離から発見する――さらには敵の種類まで見分ける野伏に、ディンは舌を巻いた。彼がいるのといないのでは、戦況判断が大きく変わってくることは疑いようのない事である。
ディンの横にいる戦士ジョセフが叫ぶ。
「規模は!?」
「詳しくは分からない。けど、どちらも小規模に見える。多分だがこっちに来てるのは……全部で百体ぐらいか?」
「百?全体で?そりゃ……随分とお優しいこった。」
戦闘が始まる前だというのに、ジョセフからは弛緩した空気が漂う。彼は、手に持っているタワーシールドとブロードソードを、やる気をなくしたように下に向けていた。約百体という数の敵に対し、この聖域北部の壁の上にはディン、ジョセフ、野伏の三人しかおらず、単純な人数という点においては絶望的な差があるにも関わらずだ。しかし、ディンにはジョセフを非難する気はなかった。
毎夜聖域に群がってくるアンデッドたちは、人間より遥かに強い。今、目の前に群がっている敵は低級アンデッドで知能も低いが、それでも人間には脅威だ。餓鬼は人や亜人の死体に死霊が入り込んだアンデッドで、動きは遅いが力が強く、その長い爪は人など容易く切り裂ける。死霊塊は死霊が集まり実体を得たアンデッドで、ゆっくりと浮遊しながら一時的に幽体化し、障害物を貫通して襲い掛かってくる。どちらも相対すれば、人は為す術もなく殺されるしかないだろう。
が、それは普通の人間ならば、である。
この場にいる三人は『覚者』であり、あのような低級アンデッドに引けを取る者は一人もいない。それどころか、あのアンデッド百体も、時間さえ気にしなければ一人で撃破することが出来る。それほど、「覚者」と低級アンデッドの差は大きいのである。夜の闇も、覚者であればある程度見通せるので、ハンデにはならない。
しかし、そんな緩み切った二人に野伏が警告を発する。
「あまり油断するなよ。あいつらが結界を突破するとは思えないが、騒ぎに引き寄せられてより上位のアンデッドが来たら厄介だ。それに、他の壁に奴らが向かっている可能性がある。――あっちも騒がしくなってきたみたいだぞ。」
野伏に言われるがまま耳をすませば、村の東側の方も騒がしくなってきているようだ。あちらの壁にも、敵が迫ってきたのだろう。西側や南側もいつも通りなら、そのうち奴らが現れるに違いない。
「じゃあ、さっさとこっちは終わらせないとね。あー……、めんどくさい。」
「お前はいつも怠そうじゃねえか。……俺に任せていいんだぜ?」
ディンが気怠げにぼやくと、ジョセフはにたりとその犬歯を見せて、獰猛な笑みを浮かべた。体格の良い彼がそんな笑みを浮かべると、まるで熊の様である。ディンは決して小柄というわけでなかったが、彼の隣にいると小人になったような気分である。彼女は肩を竦めて答えた。
「あのさぁ。確認するけど、話を聞いてなかったわけ?ここにいる敵は素早く片付けないといけない。そうなると全員で仕掛けた方が早いに決まってる。チームワークだよ、チームワーク。」親からの小言を聞いている子供の様な顔をしたジョセフに、ディンは悪戯っぽい笑みを浮かべて言う。「……でもあたしは、そんな面倒なことはまっぴらごめん。どうぞお好きに。」
「……おい!」
「よっしゃあああああ!」
野伏の非難をかき消すように、歓喜の声を上げたジョセフが壁から飛び降り、走る。スケイルアーマーを着こみ、武装しているとはとても思えない速度だ。
「……チッ!」
舌打ちと共に、野伏が弓を構える。しかし、矢筒の中の矢には手を伸ばさない。野伏が念じると、紫の光が彼の手に集まり、矢の姿を象った。彼が上空に向かってその矢を放つと、一本だった矢は空中で幾本にも分かれ、敵の群れへ降り注ぐ。
【矢の雨】。
野伏の持つ闘技の1つ。『覚者』となった者が目覚める能力の前に、アンデッドたちは次々と倒れていく。野伏は続けざまに死霊塊を狙って矢を放っていく。空中戦力を削るつもりなのだろう。
同じタイミングで、ジョセフがアンデッドたちに肉薄する。
「吹き飛べ、オラァ!【死の大突撃】!」
自身の前方に盾を構え、ジョセフが突進する。迫りくる盾に砕かれたアンデッド達が宙を舞う。
「ヒャッホオオオオ!」
いくら周りに群がられようと勢いの止まらないジョセフによって、地上にいるアンデッドの数は見る間に減っていった。
ディンはしばらくその光景を、木壁の上で座ったまま見ていた。彼女の愛刀――片刃で幅広の刀身を持った、重量感のある曲刀――はいつでも飛び出せるようにするためか、しっかりと手に握られている。
「……いつも思うんだけど、ジョセフのあれは闘技なの?あいつが筋力にあかせて突進してるようにしか見えないんだけど。」
「いや、流石に闘技なんじゃないか?いくらあいつの力でも、あそこまで吹き飛ばし続けることはできないだろ。」
視界内の死霊塊をあらかた撃ち落とした野伏が、息を整えながら答えた。
「あいつが言うには、自分の肉体を強化して突進する闘技らしいぞ。闘技を使った時の感覚もちゃんとあるって言っていた。お前もあるだろ?あの、何とも言えない、自分の中の何かが削れたような感覚。あれさ。」
「あー、あのちょっと血圧下がったみたいになるやつね。それなら、まあ、闘技なんだろうけど。鼠の群れに熊が突っ込んだようにしか見えないんだよね、あれ。……ところで、あんまり怒んないんだね。もっとブチ切れると思ってたのに。」
「何がだ。」
「あたしが行かないこと。」
「フン!」
野伏は呆れたように鼻を鳴らした。
「今に始まったことじゃないだろう。お前の怠け癖は。……それに、お前の考えも間違っていない。」
「……考えって?」
「とぼけるなよ。お前は怠け者だが、考えなしじゃない。」野伏は真面目な顔で言う。「ジョセフの言っていたように、今回の襲撃は敵が弱すぎる。恐らくは他の方面からの襲撃が苛烈なんだろうが、そうでない可能性もある。その場合、この襲撃自体が敵の偵察の可能性も考えられる。」
いつものがまた始まったぞ、とディンは顔をしかめたが、それを気にも留めずに野伏が続ける。
「知能が高い上級アンデッドだった場合、低級アンデッドを指揮してくる場合もある。今回の敵襲は、使い捨ての戦力を使っての偵察かもしれん。」野伏は眉をひそめて言った。「なんにせよ、こちらの戦力は温存しておく必要がある。特に偵察の場合は、こちらの手をなるべく見せないほうがいい。しかし、早く殲滅はしないといけない。だから、範囲攻撃ができる俺と、ああやって敵をなぎ倒せるジョセフだけを行かせたんだろ?お前は単体攻撃と速度に優れるが、殲滅には向いてないからな。」
ディンはバツが悪そうに、がりがりと頭を掻く。鮮やかな赤髪が揺れる。
「あー、もう。やめて、やーめーて、そういうのさぁ。……なんでそんな風に深読みするかなあ。変な解説しないでよ。恥ずかしい。」
ディンは噛みつくように言った。
「あたしは、ただめんどかったからジョセフに押し付けただけ。あいつは戦闘大好きだし、あたしはサボれてラッキー。それだけだよ。」
「いや。お前が本当にただの怠け者だったら、今頃聖域から追い出している。働かない奴を匿っておくほどの余裕はないからな。」野伏は真面目な表情を崩さない。「実際、俺以外にもお前のことを評価してる奴はいる。……本当に、あとその性格だけ何とかなればな。」
「悪かったね、変な性格で。」
ディンは拗ね気味にそういうと、刀を鞘にしまった。戦場に目を向ければ、アンデッドたちは半分以上片付いてしまっていた。残りをジョセフが始末するのも時間の問題だろう。
ディンは木壁の上で寝っ転がった。
「何やってる?……おいおい、お前まさか。」
「そのまさか。」ディンは目をつむって答えた。「寝る。ジョセフが敵を倒しきるか、状況が悪くなりそうなら起こして。」
野伏が、苦虫を嚙み潰したような顔をした。
「嘘だろお前……。」
「嘘じゃないよ。」ディンは口元を緩める。「寝るって素晴らしい。寝ることは、この世界で人に許された数少ない娯楽だからね。壁の中で私たちに守られている奴らが、今この瞬間ものうのうと享受しているこの甘美を、ちょっとだけ私も味わうだけだよ。」
「あのなぁ……。」
眉間にしわを寄せた野伏は、小言を言おうとしていた口をつぐむ。ディンが、寝るということをこの上なく愛している人物だと知っているからだ。「この上なく愛している」とはまさにそのままの意味で、彼女のそれは最早狂気、狂愛である。
このような、何か特定の物事に対して執着するというのは、覚者にはよくあることだ。ある意味では、病気のようなものかもしれない。こうした異様な欲求は、覚者が自らを人間として認識しようとした結果生まれることが多いからだ。
覚者になった者は個人差もあるが、睡眠を必要としなくなり、食事もほとんど摂らなくてよくなる。そういった行動がとれなくなるという事ではないが、どういうわけか必要でなくなるのだ。
それらの、本来生きる上で義務的に行わなければならない行動から解放された者の多くは、自分を人間として認識すること、また人間以外と自分を区別することに難しさを感じるようになってしまった。早い話が、人間性を喪失してしまったのである。しかし、これは当然の事でもある。覚者は様々な能力において、通常の人間を大きく上回っている。どちらかと言えば、肉体能力などは毎晩襲ってくるあの化物達とさして変わらない。化け物達と、それらを容易くなぎ倒す覚者の何が違うというのか。彼らを人間に繋ぎ止めているのは、その容姿と精神性だけなのだ。
そんな覚者の中には、そもそも人間であることを捨て去ってしまった者もいたが、人として生きることを選んだ者達は、何かを欲するということで自分を人間に繋ぎ止めようとした。何かを欲するということは生物的で、かつそれを自らの意思で――時には生存に必要のないものを――選んで欲するというのは人間的だ。さらにそれらを好み、熱狂するというのはいかにも人間らしい事だろう。彼らは何かを好きになることで、人間らしくあろうとしたのだ。そして、自分が好きになった者に対して、彼らは往々にして妙なこだわりを持っているのだ。
例えば、野伏は読書が好きだ。特に彼は、ただ読むのではなく、完全にその文章を暗記してしまうのが好きだ。おかげで、聖域内で内容が分からない本はほとんどなくなってしまった。ジョセフは戦うことに喜びを感じている。彼は己の肉体で、敵をどれだけ派手に倒せるかを日々模索しているらしく、今まさにアンデッドどもを吹き飛ばしている攻撃はその成果ともいえる。
ディンが、どんな理由で眠ることを神聖視しているのかは野伏は知らない。しかし、彼女が敵を前にしているとはいえ、安全をほぼ確保したうえでこういった行動に出てしまうのを野伏は強く責められなかった。彼女のこれは、いわば発作のようなものである。
「眠気も感じないだろうに。……どうやって寝てるんだ?こいつは。」
ぼやきつつ、野伏は考える。戦力を遊ばせておくことは良くない。余裕ができたなら、他の場所へ戦力を回すべきだ。しかし、ここにまだ敵の増援が来るかもしれない。その内容によっては、ジョセフと野伏だけでは抑えられない可能性もある。ならば、少なくとも敵の増援がないと確信できるまでは、ディンにはここにいてもらった方がいいだろう。そう、ジョセフが敵を倒しきるぐらいまでは。
ここからだと少ししか見えないが、音を聞く限りでは、他の防衛地点も戦闘が終わりつつあるようだ。救援は必要ないだろうし、必要であれば何らかの方法で知らせてくるはずだ。各地点で、そのための手段も用意してある。
と、そこまで考えて、野伏は気付く。ディンは、今自分が考えたこれらの事も分かっていたのではないかと。緊急の仕事がないと分かっていたから、つい発作が出てしまい、先の行動に出たのではないだろうか。
ディンは、自分の考えをあまり話したがらない。何か理由があっての事なのか、単純に他人を信用していないのか、それともそのひねくれた性格ゆえか。何が原因か分からないが、仕事を終えつつあるジョセフを遠めに眺めながら野伏は呟く。
「マジで…………そういうところだぞ、ディン。」