いなくなった大人(1000文字)
「先生、いなくなったらしいわよ」 僕の隣を歩く女性はそう言った。
それは話題なんてものではなく、世間話にも劣る。煙のようにゲームを引退する人は多い。
話題と話題の息継ぎのように、雪は僕にその情報を与えた。
「リアルが忙しいとか?」 僕は訊いた。
「もう2ヶ月よ?最後にログインしてから。」
「2ヶ月?あれ、もうそんな経った?」
「フレンド切ったの?」
「まだフレンド」
雪は立ち止まった。僕も2歩遅れて立ち止まり、振り返った。
「ラインの既読もつかない。おかしいと思わない?」
お互いの目が合って、その間に何か変な色のシャボン玉があったけれど、僕はそれを無視した。
目線を下げると道の端に黄色い花が2つ咲いていて、僕の視界に色を加えた。とても綺麗な花だけど、見る人にとってはその花でさえも雑草なのだと気づいた時、僕はたまらなく悲しくなった。
先生とはゲーム内で出会い、僕にとって初めてマトモな大人だった。
当時僕は14歳で、毎日逃げるようにゲームをしていた頃だった。僕は色々な複雑な色のシャボン玉を持った人々に囲まれていた。
僕にとって、彼らの声は常に社会の最前列の言葉だった。僕に対して、人としての価値や資格を問う人達だった。
彼らの後ろには、 常に社会という漠然とした大きなものがあって、 彼らはその漠然と大きな辞書から言葉を引いてから僕に言葉を伝えた。
彼らはシャボン玉にでも触れるように、わざと優しく語りかけてくる。
そんな彼らが僕は嫌いで、そんな状況を作ってしまった僕のことが僕はもっと嫌いだった。
いっそ壊してくれた方がいくらか楽なのに、彼らにとって優しさは優しさでしかなかった。
けれど先生は僕たちと対等だった。
僕たちの年頃の話題の大半は部活でも宿題でも可愛い女の子でもなくて、汚らしい陰口や噂話。
ちゃんと子供の記憶を忘れていない大人だった。
「もどってくるよ。それか、もしかしたら他のゲームで会えるかも」
「ほんとかな?」雪が訊いた。
「うん」
「そっか」
先生もまた、僕たちと同じだったのだ。
僕は、先生を何か特別なものだと認識していた。しかしそれが間違えだったという単純な話で。
どこか遠くで踏切の音が聞こえた。
乗り越えられたかな。
先生が何を考えていたのか、何を考えているのか。僕にはそんなものは最初から分からなくて。
あの頃から距離を置いて初めて気づく。大人は僕たちと何も変わらない。