86. フィジオ王国へ
帝国フォレスティエとは随分と趣きの違ったフィジオ王国の王宮は煌びやかで華やかな印象で、特に王宮内のそこかしこに施された柱や壁の彫刻は大変見事なものであった。
至る所に飾られた豪華な花瓶には大輪の花々が飾られ、帝国フォレスティエの新皇帝リュシアンとその婚約者であり近々皇后となるレティシアの訪問を、心から歓迎している様子が窺える。
此度ソフィー上皇后の同行は無かったものの、今後も代替わりした帝国フォレスティエとの関係を良好に築いて欲しいとの事が丁寧にしたためられたフィジオ王国国王への書簡は、孫にあたるリュシアンの手によって祖父へと渡された。
神経質そうな顔立ちのフィジオ王国国王は、細身の国王に比べて貫禄のある正妃を隣に座らせて、リュシアンとレティシア、そしてパトリックを前に俄かに微笑んだ。
茶会を兼ねたこの場にも、豪華絢爛な飾り付けと多くの見事な茶菓子が並べられている。
「前皇帝の悪評はこちらまで届いていました。どうなる事やらと心配しておりましたが、我が娘ソフィーはこちらに助けを求めてくる事も無かった故に静観していたのです。此度の代替わりで我が孫でもあるリュシアン陛下が新しい帝国フォレスティエの未来を導いていく事になり、大変喜ばしく思います」
いくら孫であるとはいえ、帝国フォレスティエの皇帝であるリュシアンに対しては、一国の主同士として敬意を表し接する国王は、リュシアンの隣に控えるレティシアにも視線を向けた。
「レティシア嬢のように美しく聡明なご令嬢が皇后となれば、ますます帝国は盛り上がるでしょう。近々執り行われるお二人の婚姻の儀に際しては、フィジオ王国からも祝いの品を届けます故、どうかお納めください」
「それはそれは、ありがとうございます」
リュシアンと国王は孫と祖父という立場にありながら、この場ではあくまで二人の君主としての距離感を保っていた。
それでも国王の方はというと言葉の端々に帝国との血縁を匂わせていたが、リュシアンはあまり深掘りせず受け流す姿勢を貫いている。
ここに来る前に、前もってフィジオ王国とは適度な距離感を保つ事をソフィー上皇后と打ち合わせしていたのかも知れない。
「まだ代替わりの混乱の最中にある帝国を長く空けることは出来ませんので、そろそろ国へ戻ろうかと思います」
キリの良いタイミングでリュシアンがそう切り出した時、フィジオ王国の国王はほんの少し寂しそうな表情を見せたようにレティシアには思えた。
ここに来たのもパトリックの魔術によって一瞬の事だったから、本来であれば馬車で片道二週間の旅路になる事を考えると、この王宮に貴賓としてしばらく滞在する事も出来ないわけではない。
というか、普通はそうする事が当然だろうと思われた。国王もはじめはそのつもりだったのだろう。
しかしリュシアンは前もって短時間の訪問を知らせていた。
「偉大なる魔術師様のお力があれば、また来る事もできましょう。是非とも次はもう少しゆっくりとお話がしたいものです」
国王がそう述べると隣の王妃は大きく頷き、ローブを纏ったパトリックの方を見た。
真っ赤に塗った口紅はカーブを描き、歳の割に若々しい目元は舐めるような視線を送っている。
「お話には先に聞いておりましたが、魔術師様がこんなにお若いなんて思いませんでしたわ。神秘的なお姿をもう少しよく拝見したかったのですが、お名前もお姿も秘密なんでしょう」
「はい、彼がそう望んでおりますので」
「まぁ、残念ですこと。またこのフィジオ王国に皆様で是非遊びにいらしてくださいませね」
この世界に数少ない魔術師、しかも転移の魔術が使える魔術師など稀有で、その存在がある事を知ればもう如何なる国も帝国フォレスティエに喧嘩を売ろうなどとはしない。
国王も王妃も、リュシアン一行が王宮にある広大な庭園の真ん中に現れたのを目の当たりにしなければ、到底その存在を信じられなかったであろう。
「ああ、そうだ。愚息のエドガーが皇帝陛下とレティシア嬢がおいでた際には是非ともお会いしたいと申していたのですが、少々お時間を頂いても?」
「……叔父上が……。少しであれば、構いませんが……」
元々エドガーがレティシアに馴れ馴れしく近付くのを嫌がるリュシアンである。そのせいか、ほんの少し渋る様子を見せたもののその気配を汲み取った国王が、庭園の中心にある噴水に着くまでの間と約束した事で納得したようだ。
レティシアにはフィジオ王国で不憫な暮らしをしているらしいイリナの様子がリュシアンの耳に届いているのかは分からなかったが、この様子であればどうやらイリナ本人に会う事は無さそうだと、人知れず安堵したのだった。
国王と王妃とはその場で別れの挨拶を交わす事になった。
レティシアからすれば一夫多妻制だというこの国の君主はとても仲睦まじい夫婦に見えたが、これでも国王には側室が五人もいるという事を思えば、終始余裕のある雰囲気の王妃にも思うところがあるのかも知れない。
どちらにせよ、リュシアンを唯一に想いリュシアンからの唯一でありたいレティシアには、到底理解が及ばない風習である。
「やぁ! 会えて嬉しいよ!」
挨拶を終えた途端に遠慮なく扉が開かれたと思ったら、どうやら茶会が開かれていた部屋の扉の前で待機していたらしいエドガーが満面の笑みで姿を現した。
近くにイリナの姿は見えず、レティシアはホッと肩の力を抜いた。
相変わらず馴れ馴れしく、何を考えているのかよく分からない飄々とした態度のエドガーは、国王に窘められながらもリュシアンとレティシアに熱い抱擁をした。
エドガーからレティシアへの抱擁に関しては、途中でリュシアンがベリベリと音がしそうな程に思い切り引き剥がす場面もあったが、エドガーは全く気にする素振りもない。
「さぁ、それじゃあ行こうか。若き皇帝陛下はどうやら早く帰りたいらしいからね」
相変わらずマイペースなエドガーに苦笑いのリュシアンとレティシア、そしてローブで顔を隠したパトリックは無事フィジオ王国国王との謁見を終えた。
「魔術師殿がこの国にも居たらなぁ。僕ももっと気軽に帝国へ遊びに行けるのに……」
「叔父上、つい先日来たばかりではないですか」
「だって、この国はつまらないよ。帝国にはソフィー姉上も、レティシアだって居るだろう。ずるいなぁ」
何が本音か分からないような会話をしつつ、終始上機嫌で城を案内するエドガーと共に庭園の中心部へと向かう三人の前に、突然黒っぽい人影が飛び出してきた。
「姉様……!」
辺りを警戒していたパトリックがいち早く反応し、慌ててレティシアを守るように立つ。
道中馬車で旅するわけでも無い為、護衛の騎士達は連れて来ていなかった。ここで姉を守れるのは自分だけだと思ったのだろう。
対して、ここに来てからもずっとイリナの事を考えていたレティシアは一瞬ひやっとしたものの、隣に立つリュシアンとエドガーにあまり驚いた様子が無いことから、自分を背中に隠すパトリックの後ろからそっと前方を覗き込んだ。
「え……」




