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82. ニコラの行く末、二人の決意


 イリナの国を揺るがす告発まで、刻一刻と時間は過ぎていく。

 

 その日を明日に控えて落ち着かない心を鎮める為、レティシアはリュシアンの元を訪れた。

 第二皇子ニコラの処遇をどうするかという事も気になっていたが、ただ単に対決の時を明日に控えたリュシアンの様子を見ておきたいという気持ちもある。

 少しでも忙しさがひと段落するであろう頃合いを見計らってリュシアンの執務室を訪れると、皇太子宮担当の侍従は快くレティシアを室内へと案内した。


「リュシアン様、お忙しいところをお邪魔して申し訳ございません」


 重要な書類がうずたかく積まれた執務机の前ではなく、ソファーに腰掛け一息ついていた様子のリュシアンは、レティシアの姿をその青い瞳に捉えるなり破顔する。


「いや、ちょうど休憩を挟むところだ。今日は……どうかしたのか?」

「あの……ニコラ殿下の事で……」


 そこまで言うと言葉を切った。レティシアの言葉にスッと表情を引き締めたリュシアンは侍従に退室するよう促し、シンとした執務室には二人だけになる。


「ニコラの事?」

 

 リュシアンは斜め前にあるソファーへ腰掛けるよう勧めると、手を組み、前のめりの姿勢でジッとレティシアを見つめた。


「……はい。明日の事を控え、リュシアン様はニコラ殿下に対し、どのような処遇をお考えなのかと……。僭越ながらどうしても気に掛かってしまって」

「第二皇子であるニコラの存在がある限りは、今後何らかの折に争いの火種になると言う者もいるだろうな。これから帝国を変えてゆく際には避けられない混乱と痛みに乗じて、ニコラを担ぎ上げる貴族が出ないとも限らない。故に皇帝、カタリーナ共々処刑する事が妥当だと決まった」


 大国であるフィジオ王国から嫁いだ皇后を暗殺しようとしたとなれば、皇帝とカタリーナの処刑はやむなしとされている。

 リュシアンが新皇帝となる為に、民の為の新しい帝国フォレスティエを作り上げる最初の一歩は、まずそこから始まるのだ。

 充分に分かっていた事である。皇帝とカタリーナのしてきた事は決して許される事では無い。

 けれどレティシアはニコラという少年が嫌いでは無かったし、何よりまだ幼い子どもだという事に胸が痛んだ。彼自身は誰も傷つけてなどいないのだ。

 血を分けた弟だからこそ、あの無邪気な子を手にかけなければならないリュシアンの心は相当に痛むだろうと心配だった。


「帝国フォレスティエの平和の為に、ニコラという皇子は存在してはならない。ニコラ自身も、両親が処刑された後にこの城で生きてゆくのは辛い事だろう。全てを明るみにした後、多くの敵意に晒され続けながら生きる事は簡単では無いからな」


 レティシアが意外に思ったのは、そのような言葉を口にするリュシアンの表情は悲痛に歪んでいるわけでも無く、いやに淡々とした口調だったという事。


「親の罪は子の罪……」


 そう呟いたのは、過去に父親の傀儡であった自分を思い出しているからなのか。レティシアは長い銀のまつ毛を伏せて紅い唇を噛む。

 それは無意識の行動のようだった。


「聞くんだ、レティシア」

「……! は、はい!」


 思いに沈んでいたレティシアはリュシアンの優しい声にハッとし、一気に浮かび出た。

 同時に、レティシアの華奢な左手はリュシアンの大きな右手に包まれる。伏せていた視線が真っ直ぐにリュシアンの碧眼を捉えると、先程までの浮かない表情がフワリと緩んだ。


「親の罪は子の罪……この国では当然とされた考えだ。しかしそれならば、俺も報いを受けねばならないな」

「いえ! そのようなつもりでは……っ!」

「分かっている。お前は過去の事を思い起こし、また自分自身を責めていたのだろう」

「……はい。過去で父は貴方を陥れようとし、私はそれを止められなかったのですから」


 震える声で、紫色の瞳を潤ませながら自身の過去を振り返るレティシアに、リュシアンは目を細めて微笑んだ。


「忘れろ。もう誰も、その事でお前を責める者はいない。過去を知っている者も皆、今ではお前の味方だ」

 

 端正な顔立ちに浮かんだ笑みに、レティシアは涙も引っ込めて思わず見惚れてしまう。

 傀儡令嬢と呼ばれた頃の過去の出来事を共有しているのは、リュシアン、アヌビス、パトリック、ファブリス。そして誰もが今更レティシアを責めたりはしていない。


「誰に似たのか、ニコラは真っ直ぐな人間に育った。帝国フォレスティエの第二皇子として生きるより、庭師の孫として生きた方が幸せだろう」

「庭師の……孫」

「俺の宮の優秀な庭師ジャンとその孫シャルルは、今日付けでディーンの持つ領地の屋敷へと発った。シャルルにはニコという兄が居て、これからは三人で空き家になっているディーンの屋敷を管理してもらう」


 ニコラはニコとなり、これからは帝国フォレスティエの中でも一二を争う田舎にある騎士団長ディーン所有の領地で、常に主人不在の屋敷の管理をしながら慎ましく暮らしていくのだという。


「ディーン様のお屋敷……ですか」

「随分と前に、田舎に母親の静養為の屋敷が欲しいと言って建てた。母親も亡くなり、今は誰も住んでいないが、ディーンの知己の者が管理している」


 リュシアンが悲哀の表情を浮かべていなかった理由が判明し、レティシアはホッと身体の力を抜く。

 ニコラはニコとして生きる事を赦されたのだ。仲の良い友人……いや、弟のシャルルと、優しい祖父の元で。


「明日、自身の罪を嘆いたニコラは封鎖されていたはずの北側の井戸に投身したという事にする。これまであの井戸は帝国始まって以来何十人もの皇族が身を投げた因縁の場所であるから、辻褄合わせにもいいだろう」


 北側の井戸……それは『呪われた井戸』と呼ばれて周囲を封鎖された古く深い井戸で、そこには自身の未来を悲観した皇族や、闇に葬らねばならなかった高貴な罪人などが多く身を投げたとして知られる場所であった。


「レティシア、俺は期待する民の為に必ずこの帝国を変えてみせる。その為にはこれから幾人もの血を浴びる事になるだろう。一部の者には恨まれるだろう。しかし何とかして血濡れの時代は俺の代で終わらせたい。子の代には決して血生臭い戦いを引き継がせないつもりだ」


 これからリュシアン達は腐敗し切った多くの貴族、官僚を粛清する。それらの人々からは悪魔だと罵られるかも知れない。

 けれどそれも一代限りで終わらせるつもりなのだ。その分、リュシアンは多くの罪人の血を浴び、罵声を浴びせられる事になるだろうが。


「私は、いつもリュシアン様の傍におります。貴方が多くの血を浴びた時、私も共に寄り添います。常に民に心を寄せ、未来の為に出来る事をやり切ります。貴方は強いという事を知っています。けれど貴方だけに、辛い思いはさせない」


 レティシアの左手に添えられたリュシアンの手を、柔らかな右手が覆う。


「私を信じて、頼ってください。二人ならきっと、辛い痛みも堪えられる」


 ヒソップ色をした強い眼差し。リュシアンはレティシアの凛々しい言葉と強さから滲み出る美しさに、ハッと息を呑む。


「そうだな。頼りにしている」


 そう言って、胸に仕舞われたレティシア手製の御守りを、そっと服の上から触れる。実はこの存在がリュシアンを救ったのは一度や二度では無い。

 いつかその時の話をレティシアにしてやろうと、リュシアンは思った。

 いつか生まれてくる子ども達に寝物語として語ってやるのもいい、と夢想し思わず口の端が吊り上がる。


「ふ……っ」

「リュシアン様? 何を……?」


 知らず知らずのうちに漏れ出た笑い声に、レティシアが不思議そうな顔で首を傾げる。サラリと揺れた銀の髪が、窓の光に照らされて煌めき眩しい。

 

「いや、すまない。未来を思っていた」


 リュシアンはそっとレティシアの手を置き、立ち上がると不思議そうな表情の彼女の背後にまわり、華奢な身体を抱きしめた。


「あ……」

「お前が居てくれて、良かった」


 背後から見えるレティシアの耳元も、頬も真っ赤に染まっている。リュシアンがその身に触れるだけで肩がフルリと震える仕草も、非常にいじらしい。

 リュシアンはレティシアの温もりを腕の中にしっかりと自覚する。自分の頬に彼女の髪の柔らかさを感じたのか、その時一層幸せそうな笑みを浮かべた。

 

「私も……貴方が傍に居てくれる事が、何よりの幸せです」

「……そうか」

「あの……リュシアンさ……」


 その時自分の頬にリュシアンの熱い唇が一瞬触れたような気がして、思い切り後ろを振り向いたレティシアの唇は塞がれた。

 束の間の甘い口付けに酔うように、レティシアはゆっくりと瞼を下ろした。


 


 

 


 

 

 


 

 

 


 

 

 

 


 


 

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