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81. 三百年の時を越えて、想いは


「パトリック、お茶をどうもありがとう。とても美味しかったわ。何だか疲れも取れたみたい」


 他の薬師は出払っており、医務室で一人薬草の管理を行っていたパトリックはレティシアの声にゆっくりと振り返る。


「あぁ、姉様。気に入ってくれて何より……って、どうしたの⁉︎ 泣いてるの⁉︎」


 レティシアの涙は既に止まっていたが、紫色の瞳には未だ分厚く膜を張っていた。

 しかし一人で職務に就くパトリックの後ろ姿があまりに立派に見えたからか、感極まったレティシアは再び涙が湧いて出て、まつ毛を伝い頬に落としたのである。


「大丈夫よ、嬉しいの……。ありがとう」

「あのお茶、泣く程嬉しかったの⁉︎ だからって……! もう、待っててよ! ハンカチ、ハンカチ……」


 姉に駆け寄り、慌てて懐からハンカチを取り出したパトリックは、優しい手付きで姉の眦を濡らす涙を拭い取る。

 そしてそっと姉の手にハンカチを握らせると、細くて小さな背中をゆっくり撫でてやった。


「姉様……本当に大丈夫? 疲れ過ぎて精神が不安定になっているんじゃないよね?」

「平気よ……。本当に嬉しくて……。……あら?」

「ん? どうしたの?」

「これって……」


 レティシアには、パトリックが自分に持たせたハンカチに見覚えがあった。

 可愛らしい青い鳥が刺繍されたハンカチには「A.A.」とイニシャルが刺されてある。しかしその鳥は、鳥と呼ぶには違和感を感じるほどに個性的な形をしていて。

 一見すると青い鳥というよりは、青い炎が揺らめいているようにも見えるその刺繍。

 まだ刺繍の練習を始めたばかりの子どもが刺したような青い鳥は、元々のデザインが鳥だと知らなかったら、一体何をモチーフにしているのか分からないと思われるほど。


「パトリック、このハンカチ……一体どうしたの?」

「あぁ、これはファブリスの……。今新しい魔術を練習していて、手始めに思い出の物をいくつか復元したんだって。それから肌身離さず持たされてるんだ」

「ファブリスの思い出の品……。もしかして、アリーナが刺繍を施した物かしら?」


 随分と前になるが、アヌビスから過去の結末とその真実を聞かされた時、泣き出してしまったレティシアにハンカチを差し出した。結局、大切な物に思えたそれを、レティシアは使わずに返したが。

 老齢なアヌビスに似合わず可憐な刺繍が施されたそのハンカチに、レティシアはファブリスの物だというハンカチを重ねたのである。

 愛らしい青い鳥が刺繍され、「A.A.」とイニシャルが刺してあったハンカチは、ファブリス・ド・アレルの姉、アリーナ・ド・アレルのイニシャルだったのだろうと。


「うーん……。どうかな? あ……、そうみたいだね。ファブリスの方は、失敗作のうちの一つなんだって」


 うーんと唸って首を傾げたパトリックは、すぐに目を閉じ自らの内側に存在するファブリスに話しかけるような素振りを見せた。

 どうやらファブリスの方もパトリックの問いかけに答えたらしく、レティシアの立てた予想を肯定した。


「失敗作?」

「うん。どうやらアリーナはアヌビス様に渡すハンカチに、自ら刺繍をしたかったらしいんだけど、何枚も失敗して、一番うまく出来上がった物をプレゼントしたんだって」


 何度も何度も指を針で突き、それでも諦めずに刺繍に励むアリーナの姿がレティシアの頭に思い浮かぶ。

 アレル子爵家に行く前、レティシアとアヌビスがパトリックの部屋で発見したアリーナの肖像画では、穏やかな表情で刺繍を施す様子が描かれていた。


「でも、どうして姉様がその事を?」


 その問いは、パトリックとその内に潜むファブリス二人からのものであった。


「アヌビス様、まだ持ってるの。三百年も前に貰ったハンカチを」

「え? 本当に?」


 そう尋ねたのはパトリックか、それともファブリスなのかは分からない。

 

「どんな魔法で保存しているのかは知らないけれど、ファブリスと同じで、ずっと肌身離さず持っているのよ」


 アヌビスもファブリスも、既に儚くなったアリーナという女性(ひと)の事をとても大切に想っている。三百年という時を経ても、その気持ちは変わる事なく。

 レティシアはあの肖像画の中の優しげな笑みを湛えた女性を思い出し、胸に切ない痛みを覚えた。




 



 


 

 

 

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